〜2001.10.10

10月09日(火)17:02:00 あめ ある結婚 No 332
『ある結婚』

昨日、結婚式に出席した。人前結婚式というやつで堅苦しい挨拶も、仲人等も無いシンプルなものだった。今から25年位前に、未だボクが新米秘書の頃、軒並みに『戸別訪問』をしているときに新婦の母が経営するお店に訪問したときから始まった。彼女の母は『選挙向き』の明るい、活発なタイプの女性だった。当時、新婦は小学生だった。『これと見つけた有力後援者候補』には、積極的に繰り返し訪問する。その後、彼女の母は有力後援者に育て上げた。父は謀大手家電量販店に勤めるサラリーマンだったが、その後脱サラし、独立した。しかしイロイロな商売を手がけたがすべて上手く行かなかった。その後両親は、離婚した。新婦は父方についた。離婚後は、母はボクの前から消えた。その後は父親との付き合いが始まった。そして父親の依頼でオトナになった彼女を、アルバイトとして事務所に入れることになった。彼女は間もなく同じ事務所の若い秘書と恋仲になった。誰もが結婚かと思ったが、彼氏に新しい彼女が出来て、恋が終わった。間もなく父親が50代の若さで亡くなった。その後もイロイロあったと思う。でも昨日の新郎を見て『安心』した。優しそうな男だった。どうか幸せになりますように・・・。

10月09日(火)14:06:28 くもり トマホーク No 331
『トマホーク』

初日に50発打ち込んだそうです。一発130万ドルです。50×130万ドル=6500万ドルです。スンマセン、算数に弱いボクチンは、困ります。エーット、1ドルが100円としても・・・誰かオセーテくれ!それにしてももう、元はとったやろ『兵器産業』さんよ。

10月09日(火)13:43:49 くもり アテフ No 330
『アテフ』

アルカイダの軍事担当副官のアテフという男が『首謀者』だそうな。ということは『彼の独断計画と実行』だったということもあり得るわけだ。なら先ず『アテフを出せ!』じゃないのか?彼が口を割ればラデインが『命令』したことの『証言』が取れるでないか。アテフ位の最高幹部なら、テロリスト達は誰もが『ラデインの指示』と思って実行もする。アテフは80年代のアフガンで対ソ連戦に参加、アルカイダ創設メンバーの一人だ。当然、当時アメリカ側でCIAと共に『対ソ連戦線』にいたと言うことだ。当時はCIAが最前線でアフガンで大活躍していた時代だ。ウーン、考え過ぎか?やっぱし、怖い。これも戯れ言でーす。
オレ、推理作家になれるかも・・・。

10月08日(月)16:27:06 はれ アメリカ大統領選挙 No 327
『アメリカ大統領選挙』

思い起こせば、昨年末にあった、大統領選挙はかなり不透明だった。フロリダ地区の集計なんて『信用』できるのかと今思う。アメリカの大統領選挙には一体幾らくらい使うのか?選挙のプロとしてちょっと『考察』すると、キャンペーンにはテレビも使えるのでかなりの金額になる。一陣営が数百億円を使うのではないか。ブッシュが『武器産業』から資金調達したのは間違いないのじゃないか。就任後に、ロシアとのミサイルを減らそうとの協議を棚上げし、反対にSMDの配備を日本にも営業をかけるなど、ミサイル販売に力を入れだした。その矢先に今回の『戦争』だ。皆さん、なんかオカシイと思いませんか?あー怖、CIAに狙われる。スミマセン。戯言です。ウソです。思い違いでしょう。堪忍してチョ。

10月08日(月)15:54:38 はれ 病院経営 No 326
『病院経営』

その院長の経営方針(ビジネスとしての病院)によってこうも違うかと思い知らされた。今、母が大腿骨を骨折して、入院しているが3年前には『左足の付け根』。今回は『右足の付け根』である。全く同じ場所だ。前の病院はリハビリが始まったのは確か入院後2ヶ月位してからだ。今回の病院は手術後2日目から、『動かし始めた』。前回は結局7ヶ月後に退院したが、今回はあと2週間位で退院できるそうな・・・。つまり入院後ほぼ1ヶ月である。エライ違いやと思いまへんか?そう言えば、以前の病院はベッドはほぼ満床で殆どがご老人だった。病院と言うよりは『老人保健施設』にちかい感じだった。今回の病院は空きベッドも目立つが『そういう病院にはしない』という強い意志が感じられる。どちらがイイか悪いかと言うより、これほど『対応』が違うかという感じだ。患者の負担金、家族の負担を考えると今回の病院のほうがイイに決まってる。前者は言いませんが、今回のイイ病院は六甲アイランドにある甲南病院が経営する『六甲アイランド病院』です。

10月07日(日)15:32:04 はれ 男の値打ち No 325
『男の値打ち』

ヤッパリ、一緒に仕事をするとヨクわかる。20年近く爽やかな付き合いをしてきた知り合いがいて、その間『協働』することは全くなかったのだが、最近ハジメテ、ちょっと一緒に『仕事』をして、『こやつのレベル』がヨクわかった。『男としてのレベル』だ。日本という国に生まれた男には長年の積み重ねられた『日本男児の遺伝子』がすべて組み込まれており、それぞれの要素を元々は皆、兼ね備えている。そんななかでその男の生き様が色々な遺伝子を目覚めさせ、ドンドン『男』として出来上がってくる。彼は確かに以前から、廻りの評判は良くなかった。『卑怯』『姑息』『自己中』『秘密を漏らす』『ネッからの商人』と廻りは、ドンドン遠ざかって行っていた。今回、少しの間だが協働して『なるほどとヨクわかった』。日本には長く『士農工商』という封建社会があった。今では、殆ど『侍』など見かけないが、ボクは『侍精神』は日本人にとって『残って欲しい美意識』だと思っている。今の社会は、日本だけでなく世界中で『商人』が幅を利かし、『儲けてるヤツが凄い』『商売で成功してるヤツが成功者だ』という価値観が蔓延している。彼はそれをズット目指していた。しかし今の彼には『侍精神』が皆無だ。日本の一流の経営者は結構この『侍精神』を持ってる人が多い。『金儲け』利潤だけを追求してては駄目だ。男として、人間として『信用』を無くしては誰も『協働』してくれなくなるぞ。日本で成功し、一流の経営者を目指すなら『侍精神』を持って欲しいものだ。

10月06日(土)15:14:58 はれ ムッツリ顔 No 324
『ムッツリ顔』

ボクは、結構普段は、ムッツリ顔らしく、いつもなにか
考え事をしてるように思われるらしい。よく『人の話』を聞いてる時も、それらしく『真剣』に聞いて『考えてる』ように見えることも多いらしい。・・・スンマセン。
誤解です。ボクよく『人の話』を聞いていない時あります。
B型のひとってそういうの多いらしいです。『よーく考えてるように見えてるとき』は全く『何も考えていない』ニュートラルの状態の時がよくあります。正直な告白ですので今後ともどうかお許しを・・・。

10月06日(土)11:42:04 はれ にほん難民 No 323
『にほん難民』

小泉さん、『男気』出し過ぎや。このまま突っ込んだら、ホンマニ、日本でテロが起きるで。どっかで『何か』起きたら、今の日本人は、ほとんど『逃げる』で。『日本脱出』騒ぎが起きるで。特にお金持ちを中心に・・・。安全圏はオーストラリア、ニュージーランドあたりやな。普通の難民と違って『日本のお金持ちの難民』やから、現地も『大歓迎』やとは思うけど。アメリカの駐日大使は今頃、『旗を見せろ』は『別に自衛隊派遣という意味でもないのに・・・』なんて言ってるで。
オイオイ。タノムデ。小泉さん、あんたの『男気』のために、『平和な日本』がどこかで『水道水に感染症の病原菌』だの、『デパートの一階で毒ガス』だの、『朝の通勤ラッシュの駅前で機関銃乱射』だの起きたらどうするネン。『絶対に無い』と言い切れヘンぞ。今、アメリカに一番協力的なのは、イギリスと日本だけやぞ。ホンマニ、ええのか?

10月05日(金)11:15:23 はれ 給料 No 322
『給料』

パキスタンに派遣される(PKO)自衛官の一日のお手当がたったの4000円なんだと。コレは又なんというバランス感覚!アホか!命を失うかもしれんねんど。『特別出張手当』を弾まんか!小泉さん、『派兵』を簡単に決めるのは『独裁者』としてはアタリマエやけど、こういうところに『心遣い』をせんかいや!『保険』はどないなっとる?そうそう、『生命保険』『ケガしたときの損害保険』。ちゃんと『国』のお金で『たんまり』掛けたりや。皆、子供がおったり、家族がおるねんど。しかも『戦場』とはかけ離れた『普通の平和な生活』をしとるねんぞ。日本と『現地』では天と地ほどのギャップがあるねんぞ。オーイ防衛庁出身の長官さんよ、こういうときに必死で動いたらんかい!

10月04日(木)15:39:36 はれ パウエル国務長官 No 321
『パウエル国務長官』

ひょっとしたらこの人は『ホンモノ』かも知れない。この人が常にバランスをとり、冷静な判断をしているのかな?と感じてきた。ブッシュの『暴走』を止め、『軍部』『CIA』の強硬派をブロックし『ケネデイ』の役目をしてるのかな・・・と思えてきた。だとしたら『ブッシュ』より彼のほうが『アブナイ』かもしれない・・・と思えてきた。パウエルさん、どうぞ身辺にお気をつけてください。

10月04日(木)13:28:21 はれ 国内でのテロ No 320
『国内でのテロ』

今のところ、ワールドカップ開催中が一番危ないようだ。それよりもナニヨリもボクが心配なのは、その『資金豊富』なテロリスト達に『金で雇われる日本人』が出てくることだ。アラブ系の顔は人目で解るが、そういうやり方を『敵』がしてくるともう『捜査』は大変である。しかも我が国は、右も左も『大不況』。お金に困って『犯罪してるヤツ』は毎日、新聞を賑わしている。『お金のためなら親でも自分の子供でも殺せるヤツがいる』。テロリスト達にとっては『買い手市場』かも・・・という怖さがある。日本人の犯罪集団がテロリスト達と組んで『潜伏』。テロを画策、実行するとなると『摘発、逮捕』がかなり難しい。当局の皆様、なにとぞ、そういうことも『頭』に入れてお願いします。

10月04日(木)11:16:15 くもり 続:証拠開示 No 319
『続:証拠開示』

 NBCによると、米国が示した証拠は、(1)ビンラディン氏が事件の2日前、義母に「2日の間に大きなニュースがある。私とはしばらく連絡が取れなくなる」と電話で話した(2)事件発生直前にアルカイダのメンバーがテロリスト訓練施設から一斉に姿を消した(3)ハイジャック犯の1人がアルカイダ幹部から資金提供を受けていた(4)実行犯の2人が、クアラルンプールでアルカイダ幹部と接触していたところをビデオ撮影されていた――などという。・・・・・この程度なら謀秘密情報局がいくらでも『仕組める』な。と思われるようでは説得力ないで。アルカイダ幹部とおぼしき人物が『首謀者』に見えるが、誰かがその『幹部』になりすませばすべて『仕組める』。ビンラデインの母への電話・・・なんて説得力全くなし。誰かが仕組めばラデインは母にそういう内容の電話くらい入れるし、ソノスジから『暫く姿を隠せ』と言われれば『隠す』アットいう間に『自分が首謀者』・・・ということもあり得る。アルカイダがやったとなればラデインも『自分が首謀者』と誰もが思うことはあきらめてる。特に『実行犯の2人が、クアラルンプールでアルカイダ幹部と接触していたところをビデオ撮影されていた』という下りに至っては余りに出来すぎ。そこまでマーク出来てて、なんでこんな事件が起きるの?わざと起こさしたん?事件発生直前にアフガンの中のアルカイダテロリスト訓練所から全員消えたというのも出来すぎ。ハイジャック犯はかなり前からフロリダにいたし、その『訓練所』へ『攻撃』があるという『情報』を流せば『一斉に消える』。とにかくこの程度の『状況証拠』だけで普通の法治国家の裁判官なら『ラデインが首謀者じゃ、逮捕せよ、もしくは暗殺せよ!』の
逮捕状、『殺人許可証』は出さないのと違うか?どうや?

10月03日(水)12:44:58 はれ 証拠開示 No 318

『証拠開示』

ほんまかいや。政治的手段の『証拠開示』とチガウンか?れっきとした『証拠』なら『逮捕状』を示せ!どんな犯罪でも疑わしきは罰せず。
第三者機関である裁判所が認めないと『逮捕状』は出ない。

10月03日(水)12:22:26 はれ 肉骨粉 No 317
『肉骨粉』

これが、原因らしいが、なんと愛するシエンちゃんの『ペットフード』の成分表を見たら、『肉骨粉』が入ってた。オドロキモモノキサンゴノキ。そういえば、嫁の実家で飼ってた『銀ちゃん』という柴犬が今年亡くなったが、症状が『狂牛病』と似ていたな・・・。と思った。
アリャ、大変だ。でも銀ちゃんは確か12年位生きたから寿命と言えば『寿命』とも言える。発病に10年位かかると言うことは『エエのかな?』って感じ?どう思う?

10月02日(火)17:39:23 はれ K君 No 316

『K君』

K君は、こないだまで例の長野県の田中康夫小説家知事の特別秘書だった。『脱ダム宣言』がきっかけとなり『辞職』したことになってるが、もともとあの時期に辞めるつもりだった。K君と田中康夫の接点は神戸空港反対運動のなかにあった。K君は芦屋に自宅があり、神戸に知己も多い。市民運動家やNPOのつながりで運動に加わっていた。田中康夫は神戸に地縁も何も無かったが、震災時のボランテイアがきっかけで来てたコトになっている。ボクは当時『なんで、田中康夫がシャシャリでてるの?』という感じで斜めに見ていた。当時はどうも『神戸市長』をねらってたフシがある。その後『長野知事選』の話が来て『そっちへ行った』という感じだろう。K君は当時の『活躍』を田中に見込まれて『強く請われて田中の長野県知事選挙の応援に入った』。K君の関係者からボクにも『コンサルテイング』の打診が来たが、ボクは『田中康夫が嫌い』なので断った。K君は、大活躍し田中康夫知事誕生後、強く請われて『特別秘書』に就任した。一時『副知事』の話もあったが、『辞めれなくなる』ので固辞した。ただ、実質上は知事の実務を彼がやり、政策立案から役所内の役人との折衝をはじめ、地元の人びととの交渉など・・・誰もがその『実務能力を認める』大活躍だった。彼とボクの出会いは丁度去年の今頃だ。間に入った紹介者はお互いが非常に親しい男だったので話しは早かった。彼はハッキリと『○○市』から市長選に出たいと言った。几帳面そうな、ちょっと線の細い感じもあったが『真面目』な感じが好印象だった。その時ボクは、『田中康夫はそのうちメッキがはがれるから長くいない方がイイ。来年の春には辞めて、もうその準備に入った方がイイ。』と言った。その後度々会い、もう既に準備に入っているが、ボクが今まで見てきた『候補者』のなかで、こと『政策』に関しては右に出るモノがいない。そして『現実主義者』だ。『実務』が出来る。当選すれば、都市経営、都市政策で常に全国的に注目を浴びる市長になるだろう。『田中康夫的注目度』とは角度も、方向もちがう、『ホンモノ』だ。今でも、長野市長選に出て欲しいと地元から請われてるが、田中氏の地元で出るわけにはいかないと断っている。楽しみな候補者だ。

10月02日(火)17:04:44 はれ 大不況 No 315
『大不況』

昨日、会ってた『その世界に詳しい』ヤツの話によると、2004年が大不況のピークだそうな・・・。皆、歯食いしばって、頑張り抜こうぜ!食べてさえいけりゃエエヤンケ!『欲』は暫く『冷凍』しとこう。

10月02日(火)14:15:44 はれ 歯医者 No 314
『歯医者』

今日、6ヶ月定期点検で行き着けの『歯医者』さんへ行ってきました。歯科衛生士さんとその助手さんの二人の若い女性に口の中を点検されてるときのことです、衛生士さんに歯を点検されながら、『3』『5』『4』『5』『5』『2』・・・と言われ続けてるとき、なんか『昔の自分の通知簿』を読まれてるような気がして、『可笑しい』なと思ったとたんに突然『笑い出してしまい』、笑いが止まらなくなり、心機一転、心を入れ替えて『点検』を受け始めると又『ゲラコ』になって笑ってしまい、衛生士さんも助手さんも『もらい笑い』で笑いが止まらなくなり、大変な事態となりました。スイマセン。
ホンマ、スンマセンでした。ハッハッハッ・・・思い出しただけで笑いがでます。

10月01日(月)17:26:55 はれ 癒し系 No 313
『癒し系』

ゴメン、オレそのノリ嫌いやネン。黙って、曲だけ聴いてたら『エエナー』と思って聴いてても、『癒し系・・・』と言われると『アホか』と思ってしまうネン。オレ天の邪鬼やろ、『こうです』と言われたら『いや、ちがうで』といいたなるねん。ゴメン。こないだも、エエ音楽やなと思ってた曲を『演奏』するグループのテレビ番組があって元祖『癒し系』として紹介され、演奏してたんやけど、演奏しながらの『手振り、カオフリ』が『癒し系』を自ら強く意識しながらやってるように感じてしまって、『ウエーッ!』となんねん。ゴメン。タノムから『音楽』だけ露出して・・・。『癒し家の達人・教祖』のような顔して
演奏せんといて、スキな曲が嫌いになってもた。そのグループは確か、『sensu』いうグループやったと思うけど・・・。センスないで。キミタチ。ゴメン。スンマセン。
言いたいこと言って。

10月01日(月)13:54:33 はれ 長島さん歌 No 312
『長島さん歌』

長島茂雄さんは、ボク等団塊の世代とともに生きた人だ。物心ついたときに最初に見た『スーパースター』だったように思う。ここで、その全盛期、ボクが小学校5年生頃のプロ野球中継の時にスポンサーだった三洋電気が作ってコマーシャルのときに流れていた『長島さんの歌』を唄って、『送る言葉』とします。

『サン、サン、サン、サン ステキなサン
 サン、サン、サン、サン、 背番号サン
サンヨー電気のサンの字のサン、 フレーフレーフレー
ミスターサンヨー ナガシマサン
愉快な拍手は サンサンサンのサン
ミスター、 ミスター、ミスター サンヨー』

最後に、長島さんがイツモ厳しく『松井選手』に言ってた言葉を昨日知りました。紹介します。
『ウーン、技術じゃないよ、技術より、気持ちが大事ね・・・ウーン、そう』

10月01日(月)12:30:59 くもり 劇団キオ No 311
『劇団キオ』

大阪、天王寺を根城に今年で『創立30周年』の劇団キオのプロデユーサーのマキ・クニヒコ君がボクのVOICEを読んでメールをくれたのが、今年の5月頃。この頃、ほぼ同時期に沢山の人がボクのVOICEを読んでメールをくれて、ネット仲間になりました。出入りは少々ありますが、あおいさん、しばたさん、ミンミン、章君、他など相互リンクもしています。その劇団キオの舞台を昨日、大阪梅田のHEPHALLで見てきました。小学校公演を中心とした『児童演劇集団』という認識で思っていたのですが・・。昨日の演目は『恋のフーガ』という新作で、これがもうメッチャクチャの『面白さ』だったのです。『オトナの舞台』でした。汗がトビチリ、つばきがトビチリ、飛んで跳ねて、スピーデイーで、エネルギッシュで、劇画的で、一生懸命で、パワフルで、ようこんな、パワー使って、同じ演目を5回も続けてできるな・・・!と超オドロキでござんした。はっきり言ってこんなに『オモロイ劇団』と期待してなかったので、『義理で出かけたつもり』が『エエモン見たな・・・!』とゴキゲンさんでした。イヤーヨカッタヨカッタ。劇団キオのアドレスはhttp://www.thekio.co.jpです。

09月29日(土)17:44:01 はれ 証拠? No 310
『証拠?』


テロ指示書なるものが、始めて公開された。けど、説得力ないなー・・・。又、車から見つかっただと。
オレがイスラム原理主義者で、今回の重大任務を負ったテロリストなら、その指示書は、先ず読み終えたら、胸に近いウチポケットに入れる。アラーの神・・という文字も入っている大事な、大切な指示書なのだ。読み終えて、空港まで乗ってきた『車』に放置しない。しかも、偶然なのか全ハイジャックの犯人の車から、見つかっただなんて『シンジラレマセーン』。NATO諸国のお偉方も多分、本心は同じコト思うかも・・・。日本の小泉さんは、アメリカが言うことは『ウソ』でも太鼓判をおして今なら信じます。ハイ。素直です。ハイ。

09月29日(土)11:55:25 はれ 続:例の裁判官 No 309
『続:例の裁判官』

無事終了と思いきや、大阪高裁が今度は最高裁へ彼の『分限裁判』を申し立てた。アチャ!折角、神戸地裁が『微罪』として、起訴猶予になってたのに、『蒸し返した』アチャ!可哀想!オマエ、もうこの時点で、『辞めや!』最高裁で、『有罪』になったら目もあてられへん。もう57才。辞めて隠居せい!それが一番。

09月29日(土)11:39:02 はれ 雇用対策 No 308
『雇用対策』

これからの、未曾有の構造不況を目前にして、失業者1000万人時代を目前にして、『雇用対策』を提案します。失業者は関東圏と関西圏に集中するはずです。先ず、警察官の大増員。これで関西、関東圏の失業者の50万人を雇用します。次ぎに自衛官の大増員。これで100万人を雇用します。皆、臨時雇用です。期限付きです。次ぎに、全国の農村地へ『帰農政策』を実施します。過疎地や、山間の荒廃農地や、都市近郊の休耕田とかをすべて洗い出し、国が帰農者に『補助金』を出し、最低限『食べてはいける』方法をとります。又、国の『食料自給自足政策』を実施し、農事公団を発足。国営の農場や国がJAから借りた農地で大豆や小麦、各種野菜類等を栽培、臨時公務員特別職として農業従事者を雇用します。この農業政策で約200万人の雇用を目指します。国ができることってこんなことと違うかな?!タダし、当然『給料』はどれも安いです。


09月28日(金)13:34:38 はれ 呆ける幸せ No 307

『呆ける幸せ』

母が、リハビリが始まってるが、先生が『ハイ、右足上げて』と言っても、『キョトンと無反応』。もう、なんの判断もできないのだ。先生が勝手に『動かす』しかない。母をみてて『人間、最後は呆けるのが一番幸せかな・・・』とよく思う。寂しさ、悲しさ・・・とかの感情がほとんど無くなり、汚いものを汚いと思わず、ただ、あるのは『食欲』だけ。病院食も100%キレイに食べる。同室のおばあちゃんは、他に3人いるけど殆ど20%位しか食べない。呆けてもいないようで『いつも淋しそう』だ。淋しいので『カンゴフサーン・・・・』と看護婦さんを必要以上に呼んだりする。母はいつも『キョトン』として『仙人』のように廻りを見渡している。





09月28日(金)11:37:41 はれ CIAとブッシュ No 306
『CIAとブッシュ』

今回のテロ事件にあわせてCIAの復権、台頭が懸念されるというような内容を前にも書いたが、いろいろネットで調べると今のブッシュ大統領の父親の元大統領は元CIA長官だった。しかも、ケネデイ暗殺事件後の抜擢で長官に就任していた。どうやら、ほんとに怖い黒幕は、あの父親のジョージ・ブッシュか・・・。


09月27日(木)17:07:04 はれ 自衛・防衛 No 305
『自衛・防衛』

家族が全員揃って一家団欒の一時を過ごしているとき、暴漢が武器を持って侵入し、家族全員を集め、金品を奪い、長女を犯そうとしました。そんな時、剣道や空手を習得している長男と次男がスキをみて暴漢に飛びかかり、これを取り押さえました。若くて力もあり、武道の修練をしていたらできるでしょう。又、若い男はソレぐらいできる勇気と、正義感と行動力はあって欲しいものです。『家』のことも『国』のことも同じことです。

09月27日(木)16:47:23 はれ 例の裁判官 No 304
『例の裁判官』

美人につい手が伸びて『お痴漢』をなされてしまった可哀想な神戸地裁の所長さんが不起訴になり、大阪高裁に異動なされました。微罪とのことです。職務を考えればとても『微罪』とは思えませんが、内部には『甘い』のでございましょう。それなら、その裁判官がこれからの『各種裁判』で判決をお下しになられるときは是非『甘いご処置』を希望します。でないと収まりません。この裁判官だったら『ラッキー』と犯罪者が思えるようになってください。

09月27日(木)13:29:59 はれ ボクは No 303
『ボクは』

VOICEで書いてることを読んでると、ボクが『反戦・平和主義者』のように思われると・・・チョット違うので
書いておきます。勿論、反戦、平和に異論はありませんが、前にも書いたような気がしますが、ボクは日本でも『徴兵制』をいずれ実施すべきと考えています。どうしても嫌な人はドイツのように『同じ期間のボランテイア活動』を義務ずける・・・というのを取り入れればいいと考えています。自衛のための『戦い』は国としてアタリマエと考えています。若い時に、特に男は、『国』というもの、『国民を守る』という考え方を体と頭にたたき込むべきと考えています。だから今の『自衛隊』のあり方、法律のあり方、堂々と議論して堂々と現実的なものに変えていったらいいと思っています。こういう時期に『姑息に』『法の網をくぐり抜けるような』国のやり方がどうかと思うのです。
福田官房長官にも『危険!?』『アタリマエじゃないですか!戦場に行くンですよ!』と普通に言ってほしいのです。


09月27日(木)11:21:15 はれ 福田官房長官 No 302
『福田官房長官』

聞き捨てならぬ『発言』をしました。昨日の記者会見です。現在進行中の自衛隊の艦隊派遣の時の『危険度』について、記者が質問したとき、『危険?』『ウーン、交通事故でも年間9000人が死んでるのでしょ!・・・』と戦争と『交通戦争』を同じまな板にのせました。交通事故で『故意にぶつかってくる』『故意に事故を起こす』はほとんど100%ないでしょ。戦争はすべて『故意に狙って撃ってくる、ぶつかってくる』のでしょ!人命軽視も甚だしいと思いませんか?どうしてマスコミや、野党は、そこを突かないの?同じ発言を『田中真紀子』がしたら上に下にの大騒ぎじゃない?皆、鬼のくびをとったように騒ぐんじゃない!?


09月26日(水)15:25:40 はれ 続:神戸市長選挙:VOL2 No 301
『続:神戸市長選挙:VOL2』

ヨッシャー、終わったー。サイナラー!

09月26日(水)10:50:08 はれ 新曲:第2弾 『BESIDE YOU』 No 300
こんな時こそ、創作、ソーサク。

新曲:第2弾 『BESIDE YOU』
詩:曲  マサ★アキ


むねの いたみは 
すこし あるにはあるけど
生きていく  意味の  
そこの深さを
教えてくれた きみが きみが
むねの うずきも 
すこし あるにはあるけど
いつも いつでも どこに いても
ボクは きみを おもいつずける
あつい おもいは 誰にも 
誰にも消せはしない
そばに いれば ただそれだけで 
ただそれだけで幸せなのさ
だから いますぐに 
きみを 抱きしめたい
かぎの かかった 
きみの むねのうちを
ボクは ついに あけてしまった
そうさ 許されない愛だけど
誰も 止められやしない




09月25日(火)16:48:21 はれ I LOVE YOU No 299
『I LOVE YOU 』


例の、ハジャック機から、携帯電話を通じて、悲しみのなかでの
最後の『I LOVE YOU 』がたくさんあったと、記事で読み
涙が出ました。そしてボクはあらためてその『I LOVE YOU 』という
言葉の素晴らしさ、悲しさ、せつなさを思い知らされました。

そんな気持ちイッパイでできた曲です。

『I LOVE YOU 』
WORDS AND MUSIC masa-aki

たとえ今は 遠くても ボクはキミを 守りたい
月のひかりを 追いかけて ボクはキミを求めつづけたい

I LOVE YOU 今は ただ I LOVE YOU そばにいて
I LOVE YOU 泣き濡れて I LOVE YOU ただ せつなくて
I LOVE YOU I LOVE YOU I LOVE YOU

I NEED YOU 行かないで I NEED YOU ここにいて
I NEED YOU  言わないで I NEED YOU  さよならは
I NEED YOU I NEED YOU I NEED YOU

I WANT YOU 抱きしめて I WANT YOU はなさないで
I WANT YOU 連れていって I WANT YOU そばにいさせて
I WANT YOU I WANT YOU I WANT YOU

I LOVE YOU I NEED YOU I WANT YOU
I LOVE YOU I NEED YOU I WANT YOU

09月25日(火)11:35:49 はれ 続:暴威祭り No 297
『続:暴威祭り』

こんな、時だからこその話題。
年末、12月16日(日)17時スタートで神戸のナンバーワン:ライブハウスーチキンジョージでやる『暴威祭り』に元、ボウイのドラマー『高橋まこと』のゲスト出演が正式に決まりました。ボウイのコピーバンド:2バンドと、ボクもゲスト出演ということで2曲ほど歌います。
スタンデイングなら500人は入る『箱』なので、ミナサン是非ご来場を!チケット代は2000円です。又、詳しくはここで『ポスター』出します。


09月24日(月)12:35:15 はれ 狂牛病:VOL2 No 296
『狂牛病:VOL2』

役人と業者、それにからむ族議員等が暗躍すると、今回のような『中途半端』な処分や、行政指導が横行する。『先ず国民の命ありき・・・』ではないのだ。こういうケースの場合、『業者』は死活問題だから、必死であらゆる『手段』を使って『役所に圧力をかける』。『恫喝』がある場合もある。役所はその『業界』の怖さをわかっているので、うろたえる。役人が『国民の命のために体を張るわけが無い』。だから今回のような、『処置』になる。その『牛骨粉』はこれからも、鶏や豚のエサとしては全面オーケーだそうだ。タンパク質にやどる『病原体』だろ。ホンマニ大丈夫なんか?

09月23日(日)14:35:56 はれ ハリウッド No 295
『ハリウッド』

ハリウッドもテロの対象だった・・・。とニュースで聞いて『何でやろ?』と思う間もなく、昨日『ハリウッドスター』総出演の『追悼番組』があった。そうか、そういうことか・・・。以前から、ハリウッドスターは政治によく『利用』される。大統領選挙なんか特にそうだ。彼等は、彼等で『レッドパージ』の時の『それに逆らうことの恐怖』を語り継がれており、逆らわない。しかも『テロの対象だった』と聞かされたら、テロを何処がやってるのか『はっきりとした証拠』がない今は、そら恐ろしいやろ。こうして『プロパガンダ』に利用されるのだ。こういうとき、『反骨』で逆らうのがウオーレン・ベイテイだ。彼は、どんな気持ちで昨日のテレビを見ていただろう・・・。

09月23日(日)13:45:38 はれ 狂牛病 No 294
『狂牛病』

テロ騒ぎで隠れてるが、農水省の『オソマツ』ぶりに腹がたつ。『エサの牛骨粉』がほぼ原因と解ったいまも、そのエサの使用を『自粛』だと。アホか!『禁止』やろが!案の定、今朝の朝日新聞の朝刊で『自粛後』もそのエサを使ってるという『酪農家』のことが記事になってた。『自粛』は自己規制。こんなもん通用するか!今の日本人の『レベル』に。『強制』『禁止』違反した場合は『禁固刑』くらいでないと『止めません』。エサが原因なら、一頭出た・・・ということは、もうすでにそれ以上の『患者牛』が潜在してると見た方がいい。



09月23日(日)13:43:50 はれ 続:テロ第2弾 No 293
『続:テロ第2弾』

これは、怪しい。ラデインと関連のあるテロリスト容疑者のアジトから、今度は、『農薬の空中散布』のマニュアルが見つかっただと・・・。それで『生物・化学兵器の・・・』という警告らしかった。同じパターンやな。そんな、『マニュアル』隠し忘れるか?『そこに置くか?』敵が『次はこれやど!』と手の内見せるか?

09月23日(日)11:42:54 はれ 後方支援 No 292
『後方支援』

アメリカ海軍と自衛隊の『軍艦』が併走した。まさに、『同盟軍』の誇示である。戦地近くでは『後方支援』と称して、前線の反対のところあたりに待機、物資、燃料等を運んだりするらしい。しかし、間違ってはならんのは、今回の『戦争』は『地域限定』の局地戦では無いということだ。アメリカはただ、それをやりたがっているが・・・。『前線、後方、銃後』は無いのだ。テロリスト集団との『戦争』だろが。それもグローバル・テロリストだ。テロリストが飛行機をハイジャックして、自衛隊の『軍艦』に体当たりするかもしれん。『前線』で5万人のアメリカ軍が戦っているとき、たった数人のテロリストにより、『銃後』で市民の『大虐殺』が起きるかもしれん。そういうのが『新しい戦争』だろが!『前線』も『後方』も『銃後』もあるかいや!



09月22日(土)17:08:25 はれ テロ第2弾 No 291

『テロ第2弾』

米当局より、日本政府に『貿易センタービル・突入』を上回る規模の『残酷で衝撃的なテロ』を、テロリスト達が来週までに行う可能性があると今日言ってきたらしい。何処の国かはワカラナイらしい。『生物・化学兵器の使用』を臭わせてるらしい。情報がつかめるなら『捕まえろよ!』。
そやけどなんで、解るのやろ!?『敵』の超極秘計画が・・・。

09月22日(土)16:44:58 はれ オマルさん逃亡 No 290
『オマルさん逃亡』

なんと、お粗末な『敵将』やろ。タリバンもようこんなオッサンに命をあずけてることやった・・・。ラデインからもろとった『財』も持って逃げたんやろな・・・。



09月22日(土)12:08:45 はれ レッドパージ No 289
『レッドパージ』

アメリカはやるときは『極端』にやる。レッドパージの時、『共産主義・・・』という言葉だけで、アメリカ国内で文化人や芸術家や市民がドンドン逮捕された。今でも、アメリカでは『共産党』は非合法だ。今回のテロリストとの『戦争』では、すこしでも『テロリスト』への擁護意見や、テロリストサイドの人間と接触があっただけでも(本人は知らずに接触してても)ドンドン逮捕するだろう。その『暗いアメリカ』の時代に突入するのだろう。それを『利用』して『人を陥れる輩』も出てくるかも知れない。CIAの活動には『制限』を加えないそうだ。
ブッシュさんは・・・。オーイ、世界中の人権擁護団体や、エライ弁護士さんの会よ、今こそ『人権擁護』で大きな声をあげんと、大変な暗黒社会が生まれるど・・・。

09月21日(金)16:03:14 あめ 工作員ースパイー情報収集員 No 288
『工作員ースパイー情報収集員』

オウム真理教国のテロは、某国の工作員がかなり関わっていた・・・というのは公安警察なら周知の事実かもしれない・・・。あの頃『某国』はマジで日本への『同時多発テロ』を起こすつもりだったかもしれない。それもすべて『オウム』を手先としてだ。ワカラナイよ!解らないけどね・・・。でもね、あの『村井幹部』の殺されかたや・・・いろいろ考えると怖いよね。つまり、『工作員』という存在を一般の日本人は『そんな、アホナ』というかも知れないが、工作員にもイロイロの種類もあって工作員ースパイー情報収集員という見方をすれば各国大使館の職員、領事館の職員は外国人、日本人を問わず、又本人にその『認識』があるかないかに関わらず、『ソレ』と見た方が良い。そういう人が友達や、知り合いにいる人は、そういう『目』も持って、『注意』してお付き合い下さい。そういう『職業』の人にとって『日本の市民との日常会話』も『情報収集』なのです。

09月21日(金)12:31:13 くもり 有名な芸術家・文化人 No 287
『有名な芸術家・文化人』

日本人はこの『有名』という『ことがら』に非常に弱い人種だ。世界中の『有名ブランド商品』を独占的買い占めをしてるのは日本人だけだ。『メーカー』は心底では『アホな日本人』のおかげで『笑いがとまらん』心境やろな・・・。なんでもかんでも評価の基準が『それ有名なん?』という原点・・・。実はコレは、この日本人の『性惰』はボクの本職の『選挙戦略』でもおおいに利用しているのだが・・・。とにかく『有名人の発言』は大いに効果があるのだ。まあ。外国でもそうかも知れないが、日本人は特に。こないだの参院選の時、公明党はその『有名な芸術家・文化人』の名前を連ねて、なにか大きなアピールをしてたが、公明党こそ『平和』が最大の売り物の政党やったんとちがうんか?なんでこの『戦争賛成』の自民党と歩調をあわせることができるの?今までのコトは全部ウソチュウコッチャな!?
本当なら『政権離脱』の一大事件やで!なんで、マスコミもそこをつけヘンの?その選挙の時名前を連ねた
『有名芸術家・文化人』のミナサン、今こそ名前を連ねましょう!
『平和』を希求する公明党の戦争反対キャンペーン
(するわけないか?)に。


09月20日(木)13:53:28 はれ イマジン No 286
『イマジン』

ジョン・レノンが生きてたら、間違いなくハンガーストライキに入ってるだろう。オノヨーコさん、立ち上がってください。平和運動をリードしてください。ジョンがあの世で『泣き叫んでいますよ』、坂本竜一さん、『済んだあとの地雷撤去』より、今、新たな地雷や、爆弾こそ阻止すべきじゃないのですか?又、すべてが終わったら、『出てくるのですか?』今、動いてください。有名な『芸術家・文化人』は、今こそ『動くべき時』なのですよ!皆、なにをしてるのですか?ミスチル、佐野元春、そういう人が『動いてこそ』平和運動がはじまるのですよ。ネットででもいいから『戦争反対』の署名運動を始めるとか、ヤッテ下さい!平和な時の平和運動は簡単です。こんな時こそ、ひょっと、したら『弾圧』があるかも・・・と言うときこそ、有名人がやると『弾圧』しにくいのですよ、『当局』は・・・。すでに、アメリカでは『イマジン』『明日に架ける橋』とか、『平和運動につながる歌』は放送禁止にちかい『自粛』をさせられています。
坂本竜一さん・・・。聞こえますか・・・・・!




09月20日(木)11:23:03 はれ 誰も証人はいない No 285
『誰も証人はいない』

飛行機の操縦訓練学校に行ってたことがあっても、それがアラブ人であっても、イスラム信者であっても、怪しげな人間と接触していたとしても、彼が、本当にゲリラの一員であったか?突っ込んだ飛行機を操縦していたか、誰も見ていない。誰も真実の証言のしようがない。状況証拠はもし誰かが『その人間を陥れようとたくらんだとき』、簡単につくれるし、誰もが『彼だ』と思う。そういうふうに『仕組む』のが『プロの工作員』の仕事だ。映画の世界!?何言うてんねん!実際の世界は映画や、小説以上に『エーッ』と思うどんでん返しや、ビックリすることに溢れてるのやで・・・。

09月20日(木)10:54:29 はれ 石原莞爾 No 284
『石原莞爾』

石原莞爾という軍人(当時満州地区作戦参謀主任)と、板垣征四郎大佐のたった二人で考えられ実行されたのが所謂『満州事変』だ。満州の鉄道爆破テロを起こし、これを中国軍の仕業と断定させ、日本軍の中国攻撃(侵略)を開始させたのだ。当時、軍中央部及び天皇陛下は戦争不拡大方針だったのを、『中国憎し』の国威発揚に成功し、方針転換に成功した。そしてたった5ヶ月で満州(中国東北部)全域を占領。半年後には『満州国』を日本の傀儡政権で建国したのである。行き着くところは違うけれども、なにか手法が似てると思わんか?一番言いたいことは、たった一人の『陰謀』をそれを支持する軍上層部が一人いるだけで『歴史』がつくられ、『悲劇』が生まれ、『世界大戦』にまで巻き込まれてしまうという怖さだ・・・。満州事変の後、広島、長崎への原爆まで続く悲劇の始まりを彼が作ったと言っても言いすぎでは無い。


09月19日(水)17:04:03 はれ 戦術核 No 283
『戦術核』

又、又、エスカレート。ブッシュ政権は『悪魔』か?
戦術核兵器の使用を軍部が具申だと。検討に入るだと・・・。オウム真理教国となんら変わらなくなってきた。天下のアメリカ合衆国が・・・。『自由と民主主義』という『教え』のもとのタントラ・ヴァジラヤーナのポアとどこが違うネン。CIAの殺人ライセンスといい、核兵器といい、どこか止める国はないのか?このアメリカの暴走を!

09月19日(水)14:35:52 はれ 骨折 No 282
『骨折』

3日前に、特別養護老人ホームの母がこけて右大腿骨を骨折、さっき『手術』が無事終了して先ずひと安心。3年前には左大腿骨を骨折しており、これで両足とも人口骨盤とスチール製の人造大腿骨で『完璧』だ。医学の進歩には恐れ入る。痴呆というのは、痛みの神経も一部マヒしてるのか、ジットしてるときは全然痛がらないから、付き添っていて精神的に楽だ。ただ、点滴のビニールパイプを引き抜いたり・・・もあるのでその時は、目が離せない。不思議なことに担当の整形外科の若い女医さんが、ボクの甥のH医大時代の同級生だったことと、又その女医さんの父親と義兄がT医大での先輩、後輩で親しい間がらだったということだ。まあ、ある意味狭い世界だからあり得ることかも知れないが、不思議な偶然である。なにかしら『安心感』も漂うのである。カミサマ有り難う。

09月18日(火)14:45:00 はれ テロの根絶 No 281
『テロの根絶』

この世に、武器を売る『大国』と、武器を売る『孤立した国』と武器を売る『過去の大国』が或る限り、そしてその仲介者『死の商人』がいる限り、『テロの根絶』なんて到底無理。数年の戦争どころか『永遠に続く』。
これが、ネライか!?

09月18日(火)14:35:36 はれ 操縦マニュアル No 280
『操縦マニュアル』

容疑者のアジトや、関係者のアジトからボーイングの操縦マニュアルが見つかった・・・とニュースにある。一ヶ所ならず2ヶ所も・・・。あんだけ、完全のテロが実行出来た『完璧なテロリスト集団』がそんな、間抜けな『証拠』を残すやろか?なんか、オカシイと思わんか?

09月18日(火)12:32:06 はれ 殺人ライセンス No 279
『殺人ライセンス』

怖いなー!やっぱりブッシュは。CIA要員に『暗殺』オーケーの殺人ライセンスを出すことを検討だと・・・。
だんだん、なんか、正体が見えてきた。『CIAの復権』や。冷戦時代から、CIAはかなりアメリカで力を持ち、いろんな事件、テロを裏でいろいろやってきた。ケネデイ暗殺にも関わったかも知れない。冷戦が終わり、CIAの存在意義が問われそうな『時代』に突入していたが
、これで『復権』できる。それどころか又かなりの実権が握れる。そうか、そういうことか。ということは、今回のテロもひょっとして・・・・・。あーアブナイ。おれが暗殺される。

09月17日(月)18:13:01 はれ 一線を引け No 278
『一線を引け』

アメリカが起こす戦争には、一線を引くべきだ。オウム事件を思い出せ。あれもオウム真理教国の都市ゲリラによるテロだ。規模は全く比較にならないほど犠牲者の数は違うが、『犯罪』としては同じだ。アタリマエだけど我が国の指導者はそのテロに対して『戦争!』という発想は無かった。戦争アレルギーが日本人にはかなりあるからもある。法治国家は司法で処理がある意味アタリマエだからだ。だけど、今のブッシュ・アメリカは世界戦もいとわぬ・・・と思わせるほど強行だ。最悪のケースはイスラムとキリスト教(新世紀十字軍)の全面宗教戦争ということもあり得るかも知れない。今のこのブッシュ・アメリカの動きへの『ブレーキ役』が必要だ。日本がそのリーダーシップをとるのはとても無理だが、その勢力に入るべきじゃないのか、小泉さん。

09月17日(月)17:51:08 はれ 国連安保理事会 No 277
『国連安保理事会』

この組織は一体どないなっとんねん!国連の事務総長は何をしとるんや!なんで動きがないねん!これもオカシイやん。今までなら、直ぐ安保理を招集してどうこうやったんとちがうんか?今までは、形式だけでも『多国籍軍』やったんとちがうんか?こんな、なんの存在感も、価値もない国連なんてもう解散したらどうじゃ。

09月17日(月)17:08:49 はれ オカシイ No 276

『オカシイ』

何やね、このアメリカの戦争遂行への強い意欲は、ちと異常と違うか!?ラデインが逮捕されたら・・・終わりとちがうんか?なんで『数年も継続する戦争に・・・』ならなアカンね!?オカシイなー!絶対オカシイなあ!

09月17日(月)13:51:16 はれ 離婚:VOL2 No 275
『離婚:VOL2』

結婚というか、一緒になっても『入籍しない婚』がこれから、ドンドン増えてくるかもしれない。ということは子供をつくらない・・・というカップルもドンドン増えるということか・・・。『貴女は今、何回目?』『私はもう5回目よ』『私は、これで7回目ね』なんて会話が町に溢れるのかも・・・。そして50才過ぎた頃から、『ラストパートナー』を見つけて最後の『協同生活者』をお互いに決め、そこで『入籍』という形をハジメテとる・・・。
そういうシステムはどうか?

09月16日(日)17:39:28 はれ 反対の一票 No 274
『反対の一票』

アメリカの世論の約90%、議会の100%が戦争賛成かと思ってたら、議会でたった一人で反旗を翻した勇気のある議員がいた。民主党の女性議員だった。そうかそんなやつもいたか・・・・・。


09月16日(日)12:33:07 はれ ラデインに懸賞金 No 273
『ラデインに懸賞金』

ラデインの身柄に100億円の懸賞金を出したらどうか。タダし『生存状態』が条件。必ず、廻りの、身近に裏切り者が出て、動きがでると思うが・・・。犯罪に対しては、法律で裁くという原点重視でもある意味解決できる問題では無いか!?軍隊の仕事でなく、『ICPO』国際警察、各国警察の仕事にも出来る話では無いか?アメリカ国民の『感情』もあるのは解るが、その国民感情を、必要以上にたきつけてないか?
国民が『戦争だ!戦争だ!』『攻撃しろ!爆撃しろ!』とわき上がるのを『冷静に!冷静に!、今回の挑発に乗ると、世界戦争になるかも・・・。莫大なお金を使うことに・・・。ここは、大変な事態だが、冷静に、先ず首謀者を逮捕することに総力を上げる・・・。』と冷静に国民にテレビで呼びかけるのが『大統領の仕事』じゃないのか?
ケネデイならそうしたかも知れない・・・・・。

09月16日(日)12:30:44 はれ ブッシュの怖い顔 No 272
『ブッシュの怖い顔』

ボクも最初、これは『戦争』だ!と言ってしまったが、まさかブッシュ大統領が、ここまで激昂して『戦争!戦争!』と騒ぐとはちよっと驚いた。マンハッタンの現場での消防団や、救援隊に囲まれて『戦争だ!』と言ってる顔。昨日の記者会見で『戦争だ!戦争だ!』と目を輝かせて、興奮して、話してる姿は、ちょっと怖いものを感じた。ベトナム映画で見たような気がするが、将校が部隊を動かし、ヒトツの村をベトナム民族解放戦線、いわゆる『ベトコン』の村だと決めつけて『皆殺し』『焼き尽くし』をしてるときの『将校』の『目』と似ていたのである。ソンミ村の大虐殺事件はそのようにして起こったのである。村中の男、女、子供を皆殺しの命令を出し、実行した事件である。軍人出身、湾岸の英雄のパウエル国務長官がそうなるのは解るが、大統領がそんなに激昂して『戦争だ!戦争だ!』と目を輝かせての記者会見を見るのは、今回のテロ以上に『怖い』ものを感じた。アメリカ合衆国の大統領だからだ。



09月15日(土)12:26:08 くもり フィクション:死の商人 No 271
『フィクション:死の商人』

ブッシュ政権が生まれて間もない頃、ニューヨークのダウンタウンの古ぼけたビルの一室に数人の男達が集まった。一人はアラブ人らしき男。一人は東洋人。そして一人は白人の男だ。恐ろしい計画がこの場で打ち明けられた。米国内における民間人の大量殺戮をねらった同時多発テロの計画だった。この計画が成功すれば『湾岸戦争』もしくはそれ以上の『戦争』につなぐことが可能である。そうなれば『武器』を商品として扱う『死の商人』にとっては莫大なマネーが転がり込む。ブッシュ、パウエルのそうなった時の動きはすべて簡単に読めた。世界の動きも簡単に読めた。米国は必ず『報復』に動き出す。それも『テロ』の被害が大きいほど『報復』も大きい。『首謀者はラデイン』でいける。誰も疑うことは無い。犯罪としては完全犯罪のシナリオだ・・・・・・・ということであるならば、『戦争』が始まれば、もう目的達成であるから『テロ』は無いだろう。不思議なことは、湾岸戦争の時は、父親のブッシュが大統領だったことだ。

09月14日(金)13:01:54 あめ ホンマニ、ラデイン? No 270
『ホンマニ、ラデイン?』

誰が、どうみてもオシャマ・ビン・ラデインが黒幕か・・・
と解ってしまう時、状況証拠もかなり整って来てるとき
・・・もし万が一『本当の黒幕』が別にいるとしたらそれは、すべてそいつの『思うつぼ』である。物事を見るとき、必ずそういう目も必要だ。

09月13日(木)15:39:20 はれ セルフヌード No 269
『セルフヌード』

今の、こんな時こそ、こういう話題にしましょう。
この世で一番美しい、そして大切なものを惜しげもなくネットで見せていただけるようになるとは思いもしなかった。ネット社会の実現で、社会のありようが、価値観が間違いなく変わって来ているのを実感します。良いことだなと、凄く、つくずく思います。ドンドン、自己表現。自己満足。自己実現をしましょう!
原始人類のそもそもの原型はもともとそういう生き方をしてたんじゃ・・・とボクは思うのです。ネットという先端の情報技術の誕生が、人類を人類の原点に近づけることになろうとは・・・。人類はもともと、それぞれが個性を持ち、『発信する個体』として存在していたはずなのです。それが都市文明社会の発展と共に、資本主義の発展と共に、大衆、民衆と呼ばれ、大量の『何も発信しない個体』がドンドン、ドンドン作られていったのです。教育で『発信しなくていい個体』に作られていったのです。たかが『個人のヌード』ではアリマセン。これも一種の『革命家』の誕生なのです。アキラさん、くうさんをはじめどんどんこれから生まれてくるはずです。凄いことです。素晴らしいことです。




09月13日(木)12:15:51 はれ 危険! No 268
『危険!』

恐ろしいことになりそうだ。皆覚悟をしてるほうがイイ。アメリカと国際テロリスト集団との戦争は、当然日本はアメリカ側につくことになる。ということはテロの標的に間違いなくなる。もう、すでにその組織のメンバーが日本に潜入してると考えた方がイイ。これは現実だろう。甘い考えはこの際一切棄てた方がイイ。
日本国内の米軍基地だけでなく、我が国の国民への無差別テロもあり得る・・・と考えた方がイイ。爆弾テロ、今回のようなハイジャックテロ、サリン等の毒ガステロ、生物兵器テロ・・・等、この国際テロリスト集団を敵に廻すということは、そういう覚悟が要る。小泉さん、それでええのか!?『アメリカ、と自由と民主主義を守る戦い』というのはそういうことなんやど!ホンマニわかっとんのか小泉さん!

09月12日(水)15:24:19 はれ ニューヨーク戦争 No 267
『ニューヨーク戦争』

先月からニューヨークに留学してる知り合いの子がいてちょっと心配していたが『無事』の確認が出来た。
ひと安心だ。震災の時も思ったことだが、こういう時に災いに巻き込まれる人と、そうでない人というのが何かあるような気がする。こういう全く予期せぬ事態で『死』を迎える人は、『何がなんだか解らぬままに』この世を去ってるはずだ。ただハイジャック機の中で恐怖を感じながら『死』を待つより、ビルの中にいて突然の大音響と爆発で『死』を迎えるほうがボクはイイ。そういう『死』を迎えるのも人生なのかな・・・とつくづく思う。だからこそ、いつも思い残すことなく、思い通りに毎日を生きていたいと思う。

09月12日(水)11:16:01 はれ 戦争 No 266
『戦争』

戦争ってこんなんだろうな・・・と声が出なかった。火曜サスペンスを見てた時、ニュース速報が流れて直ぐにNHKにチャンネルを変えると貿易センタービルがもうもうと煙りをあげて燃えており、『ウワッ!』と声もでずに画面を凝視してたら又、飛行機が飛んできてアッと言う間に又、ビルに激突をライブで見てしまった。気分が悪くなった。NHKのアナウンサーも信じがたい光景に『今のは何?』という感じだった。その後のドタバタは、もうパールハーバーってこんなんだったんだろなという感じだった。これは『戦争』だと思ってしまった。『テロ』の規模を超えていた。アメリカの得意なミサイル防衛網もこういう『戦争』には、何の役にも立たないことがハッキリ解った。ハイジャックは『ナイフ』が武器だったと聞く。数ドルのナイフが数百億円のミサイルに勝ったのだ。恐ろしい限りだ。いつどんなことが起きるかワカランといつも思っているが、こんなふうにいつも驚かされるな・・・。数千人もの御霊に心からのご冥福を・・・。合掌。

09月12日(水)10:51:03 はれ 不登校 No 265
『不登校』

甥が小学校5年位からずっと、不登校だったと前に書いた。だからかも知れないがボクは『不登校児』の味方だ。今回のアホ中学教師や、これまでも買春の校長、教頭、セクハラ教師、いじめを見過ごす教師、当事者能力の皆無な校長、教頭、教師等・・・普通に通えてる生徒のほうがどうかしてる?と思うほど、学校を取り巻く『現状』はひどい。子供を育てた事がないので大きなことは言えないが、自分の子供時代を振り返って思うに、人間は『子供の時の教育』でなんとでもなると思っている。どんな子供でもはじめは間違いなく『純粋無垢』です。それが廻りや、環境や育て方で変わってきます。一番身近な親以外のオトナが学校の先生です。ソレでなくても『親』のレベルも下がってるのに、学校の先生までが今のような現状ではもう救いようがないです。教師の採用等については、採用時だけでなく、毎年更新で全教師が適正検査と勤務評定で採用延長か更迭か・・という位の厳しい基準に変えるべきだ。『心身症』という診断書さえだせば100%給料保証で一年でも休暇をとれるなんて、なんと『教師』の世界は甘やかされてることか!もう今の一般企業社会でそんな世界がありますか?これも日教組かなんかの圧力でこうなったんやろな・・・。あーバカバカシー。何が『教師にもストレス・・』じゃ!それは適正に欠く、ただの無能者じゃわい。即刻クビにできる体制を作れよ!

09月11日(火)13:31:36 はれ 神戸市職員の給料 No 264
『神戸市職員の給料』

全職員の平均年収が752万もあるのだと・・・。こないだ新聞でみて驚いた。ホンマニ、不況知らずやな!ソレだけでなく、それをマダ、幾らか上げなさいと勧告する、神戸市人事委員会の記事だった。『えーっ!何考えてんねん!』と空いた口が10分間塞がらなかった。年収の多さも異常やけど、マダ、上げろやと!借金が5千万円もあるのに、月給『10万円』しかない親に小遣い月3万円くれ!ちゅうアホガキと同じやで。大体、その人事委員会って誰がメンバーやねん?借金まみれの神戸市の現状を知らんのか?昔は『給料が安い』が公務員の代名詞やった。このサイト常連の方で、公務員がご主人のかた、神戸市職員のかたがいたら、ゴメンです。先、あやまっときまーす。


09月10日(月)16:46:59 あめ 離婚 No 263
『離婚』

よく廻りが離婚する。間もなく『離婚』、そのうち『離婚』というケースも廻りにある。もうそういう時代なんや!とつくづく思う。好きなようにしたらいい。自分を一番大事に生きればいい。『結婚』というシステムもそのうち形もかわるやろ。それもかなり変わるやろ。要は『協同生活』。生理的に、感覚的に問題無く生きていければソレでヨシ。それが維持出来ないのなら、離れればイイ。

09月10日(月)11:22:03 あめ ゼロ回答 No 262
『ゼロ回答』

各省庁に指示していた、小泉首相の『民営化』の回答が各省庁から出て、殆どが『民営化』は不可能との返事だそうな。こういう結果を読んでて『指示』したなら『意味』はある(国民に役人の抵抗の度合いを示す意味で)けど、そうじゃないなら小泉さんも大したことない。第一、それぞれの省庁には小泉内閣の大臣がおるのに,各大臣はその意向をうけて何か『指示』をしたのか?職員に。小泉内閣の仕事やろ!小泉さんだけの仕事やないやろ!大臣の存在感と『仕事』が見えヘンやんか!具体案を『総理側』で作って『こうするから』でないと『改革』なんて出来ない。抵抗する『役人』は人事で対抗し、改革に協力する役人をドンドン『抜擢』するぐらいでないと『出来ない』。つまり、大臣ですら『更迭』するぐらいの意気込みが必要だ。『改革』イコール『革命』は『独裁』でないと出来ないのだ。『民主的』に意見をよく聞いて・・・という『姿勢』では、出来ないのだ。そこまでやらな『偽物』です。小泉さん!

09月09日(日)13:56:50 はれ ナンチュウコッチャ No 261
『ナンチュウコッチャ』

手錠で中国縦貫道に中一の女の子を『放置』したのは、なんと中学校の先生やて!もうこの世はどうなっとんねん。兵庫県の教育長が『許されない、非常に残念・・・』というコメントがあったが、オマエさんの責任が『大』やでと言いたい。本当なら、『教育長辞職』位の大事じゃ。普通の事件じゃないがな。雇ったほうの責任もあるがな。日頃の勤務状態も悪いし、前の学校でセクハラ事件もあった・・・との噂もあったようやし、今の学校でもきわどいこともあったようや。こういう時に監督責任者への『罰』が軽すぎるから、日頃の監督がエエ加減になるんじゃ。ひき逃げしたトラックも犯罪者にはなるが、後ろ走ってる車は、前の車から『人が落ちてくる』なんて思いもしとらんわい。こいつもある意味『犠牲者』じゃ。とにかく、県教委はロリコンの変態の異常性欲者を『教師』として雇っていたちゅうこっちゃ!このアホ。


09月09日(日)12:36:26 あめ 公金横領 No 259
『公金横領』

外務省がヤリ玉にあげられてるが、すべての省でも大なり小なりある話ではないか!?又、国だけでなく、各県、各市のどこでもある話でないか!?ただ、タチの悪さ、金額の大小はあるだろうけれど・・・。企業の『売り上げ』『営業努力』のそれでなく、毎年、定期的に『予算』として『お金』が『配られる』から、どことも『工面』して『実質』沢山貰おうとする・・・。そういう『癖』があるんじゃないか!?当人達には、『公金横領』の意識なんて感じられない。『3億円、役所のみんなのために「工面」してやって、5000万円、おれが自由に使って何が悪い。いざ、と言うときは、オレが『被る』ねんぞー!』という凄みすら感じる。ちなみに、雅子さまのお父上も外務次官だったけど、当時もこんなことあったんやろな・・・。その雅子さまも外務省に勤めてたし・・・。この事件が当時でなくてよかったにゃ!ホンマニ。

09月08日(土)14:15:07 はれ 北御牧村立美術館 No 258

『北御牧村立美術館』

軽井沢の西部、車で20分ほどのところに北御牧村という小さい村があり、ここの村立美術館の無料入場券を嫁が貰っていたので、『連れて行かれた』。だけどイイトコロだった。絵は殆ど見ていないが、環境が抜群だった。目の前に浅間山など高峰高原がドーンとそびえ、東部町方面の斜面がアルプスの風景のように横たわり壮大なパノラマだった。又、ここの美術館は、『無名』『埋もれてる画家』の絵をドンドン紹介するための美術館だとふれこんでいて、『ウン、エエ、コッチャ』と一人、うなずいていた。今やってる企画展も、100人位の『無名画家』の作品を展示し、公開人気投票をしていた。ボクが『好きだ・・』と思った一点は、最低人気に近かった。やはりボクは『少数派』を再認識した。やはり、人気があるのは、綺麗な景色や、人物や、花を描いた『普通の絵』だった。アーア、将来はこんな環境のところに『マサ・アキ美術館』を建てたいな・・・・・とデカイ夢が天に届けとばかりにふくらんだ。

09月08日(土)10:16:48 はれ アンデパンダン展 No 256
『アンデパンダン展』

ハジメテ知ったが、無審査の美術展というのもあるそうな。それを『アンデパンダン展』と言うらしい。こないだ信州松本の『かつ玄』というヒレカツ屋さんでお昼を食べてるとき地元の広報紙にそのようなことが載っていてハジメテ知った。ちゃんと、あるんだ。と少し感激した。ボクは前から○○展が『人の絵』を数人の画家や、評論家で『審査』することを批判していたので、そういうシステムがあることはやはりウレシイ。同じような考えはやはり以前からずっとあったんだということもウレシイ。これだけでも今回の旅の収穫のひとつだわい。


09月07日(金)16:55:07 あめ ドラマ:人間模様 No 255
『ドラマ:人間模様』

松本から狭い登山道を車で悪戦苦闘しながら30分ほど登ると、川のせせらぎに沿って扉温泉があった。ほんとに山奥の何もないとこであった。和風の高級感を漂わす旅館ではあったが、沿道やその旅館周辺の道路が余り美しくなかった。こういうところは大事である。幾ら旅館だけを美しくしてもそこへ行く道も大事である。もう一軒旅館はあったが、人が泊まってる気配は全く無かった。扉温泉はこの『明神舘』でもってるようなものだと思う。この『明神舘』の責任において道をキレイにすべきだ・・・といつものマサアキ流おこごと。夜、食事はここの和風メインダイニングで宿泊客の団体客以外は、全員集まっていた。隣りのテーブルに50才位の男と30代前半の女が先に席について『晩餐』をハジメテいた。何故か、『浴衣姿』がなまめかしかった。距離はママ離れているが隣りの席なので話し声が良く聞こえる。聴かないでおこうと思ってもボクの耳が『ダーンボ』になってきた。『自動的』に・・・。男が『家の子供は・・・』と話したので、『夫婦じゃない』とワカッタ。男は東京の小さな会社の社長のようだった。女は生命保険の外交員のようだった。女も独身には見えなかった。でも美人でもなんでも無かった。『からだをはってるな・・・』ともひそかに思った。ご苦労様。何が?いやいやお仕事、お仕事。


09月07日(金)14:00:21 あめ 美人は罪 No 254
『美人は罪』

ボクもお世話になった!?神戸地裁の裁判所長がなんと、『痴漢』をおされになられました。最初夕刊でこの記事を見たとき、『これは、ひょっとしたらよほどの美人だったのか?すべてのシバリを忘れさせてしまうほどの美人と出会ったのかな?』と、思わせるほどの考えられない『失態』でした。翌日の朝刊に詳しくその『内容』が出ていました。やはり『相当の美人』だったようです。供述としては『上品な美人』とありました。阪急神戸線は確かに普通よりはかなり多い密度で、その『上品な美人』がよく乗っています。東京の地下鉄では殆ど、そういうことはアリマセン。確かに『上品な美人』には男の100%が弱いです。ボクも阪急に乗ってて、ソレに出会うとつい『ちょこちょこ』見てしまいます。『当人』も『自覚』がある場合が多く、『男の目』を意識している場合が多いです。所長さんは、もう『自制』が効かなかったンでしょう。『触ちゃった』ンですねー。それも大胆に。『美人』は『何するのよ!』とやったらしい。ビックリして目が覚めたことでしょう、この所長さん。今までの50数年の人生が一瞬、走馬燈のように流れたことでしょう。あーあ、可哀想に。



09月07日(金)11:06:10 あめ テルミン No 253
『テルミン』

昨日の夜11時から、NHKの『トップランナー』という番組で『テルミン』というロシアで80年前に発明された、世界最古の電子楽器とその演奏者を特集していた。この楽器のことは、以前にも甥から聞いていて、その甥が今年の7月から、ロシアに渡りそのテルミンのロシアでの第一人者のところへ教えを請いに行ってると聞いていたので、少し興味を惹かれその番組をつけたら、なんとナント、その甥が最初の演奏シーンでその日本でのテルミン演奏第一人者と一緒に二人で出演していたのである。なにも聞いていなかった。ただテルミン演奏ではなく、その竹内正実さんというテルミン演奏者のピアノ伴奏として出演していた。番組を見ていてワカッタことは、その竹内正実さんという人のロシアでの先生と、甥の先生が同じ人だったようで、向こうで彼と親しくなったに違いないと思った。この甥は、今ロンドンの芸大に行っている『かずき』の兄で、『音楽の天才』だとボクは思っている。一時『写真』にも凝っていてボクの『マサ・アキ画集』の写真は半分は、彼が撮ったものだ。クラッシック系から、フュージョン系までなんでも作れる。レベルは坂本龍一クラスかそれ以上だとボクは思っている。少し話が脱線するが、彼は今は20代半ばだが、小学校5年生位の時、父親の海外赴任から共に日本に帰って来た『帰国子女』だった。しかし、日本の風土と価値観その他色々な要素になじめず、その時から殆ど『不登校』となった。しかし、大学検定も早くに合格したし、英検も全国のトップクラスの一級である。ボクはいつも『天才とは彼のような男のことだ』といつも思っていた。彼は、彼の作品と共に、いつか『彼の意志とは関係無く』表舞台に出てしまうだろう。昨日のNHKの放送はその前触れを感じさせた。




09月06日(木)11:43:26 はれ 続:神戸市長選挙 No 252
『続:神戸市長選挙』

よーし、決まった。行くぞーっ!

09月06日(木)11:41:38 はれ 漆職人 No 251

『漆職人』

甥が今、漆職人を目指している。京都のある芸大を出てから、石川県へ行き『輪島塗り』の学校へ又進学、何年かして卒業し、京都の宇治の『漆職人』のところで内弟子となり、数年間修行を積んでいる。彼は自ら、『芸術家』は目指さず『職人』を極めると公言している。今のところだが・・・・・。作品にも自分の『名前』は刻まず、『工房』として名を刻むつもりだという。これも今のところだが・・・・・。ボクは『職人』ならそれでいいと思う。特に『伝統技術』の職人はそうであるべきかも知れないとも思う。今、家で使ってる漆器は彼の作品だ。彼も『日常使い』の『いいモノ』をつくることを目指している。彼の漆器は『彼の人柄が出て優しくあたたかい』。『有名』を目指さず、研鑽をつずけてほしいと思う。彼の生き様を見てると、『芸術家』と『職人』の違いがなにか見えてくる。『個性』『自己顕示』は芸術家のある意味『命』であるが、『職人』にはそれは余り必要な要素ではない。『人間の謙虚さ』も『芸術家』にはないほうがボクは絶対イイと思うが、『職人』には絶対あったほうがイイと思う。『漆』は英語では『JAPAN』という。いつか彼の『JAPAN』を世界中の『JAPAN』ファンがインターネットで買い求める時もくることだろう。



09月05日(水)00:12:42 はれ 『一票の値段』 No 250
『一票の値段』

選挙の買収の話ではアリマセン。プロの選挙コンサルタントとして『講演』をするときの項目のなかにあることの話です。選挙の種類を問わず何も知らない有権者が、候補者と知り合ってから、その有権者が間違いなく『投票所』に出向いて『一票』を投じてくれるまでの関係になるには、その人とどの程度の『人間関係』を結べばイイか・・・というお話の時にする話です。ボクが出した『結論』は『一万円を貸して貰える関係』だと、言っています。そんなに『深い人間関係』は必要アリマセン。かといって、『一度会ってても、忘れ去られてる関係』もダメです。選挙によってマチマチですが、候補者本人が直接会える人数も限られます。名刺交換程度だけでは、一万円は貸してくれません。広く浅く、一万円ならその場で借りれる人間関係がベストかなと思っています。政治家を目指す人間は、有権者と20分一緒にいれば、相手に『自分のことを好きにさせる』『この人なら応援しても良い』と思わせる『魅力』が無いとダメです。一人の有権者をくどくのに2時間もかかるのはダメです。ちなみにその有権者が、候補者をメチャクチャ『気に入った場合』は、5万円位までの寄付は貰えます。お金持ちなら、もっと、金額は増えます。本来、『政治家』というのは有権者に『夢を与える』ものなのです。だからこそ、その『夢』を買ってくれたり。お金を貸してくれたりするものなのです。

09月04日(火)12:32:12 はれ 『続:行方不明』 No 248
『続:行方不明』

誰に聞いてもワカラン。みんな、キツネにつままれてる。会社は8月17日から、無断欠勤だったらしい。彼はオートバイ好きなので、どこか
へ『放浪の旅』にでも行ったというのが大方の見方となってきた。それならそれで良しだ。どこでも好きなとこ行って来い!だけど、どうして黙って行く!?
今日、ある情報がはいってきた。以前にも、彼はこんなことがあったらしい。その時は、オートバイでの通勤途上に、『アーッ、2号線がオレを呼んでる!』と思って、国道2号線に出てそのまま青森県まで行ったらしい。その時は、一週間程、行方不明だったそうな。

09月03日(月)15:28:12 あめ 『オリから』 No 247
『オリから』
先日、知り合いが『オリ』から出てきて、その『報告』の電話があった。丁度22日間入っていた。こないだの参院選で選挙違反で逮捕されたのである。これは『選挙事務所』には『常』の話だが一般的には、ちと理解出来ぬ感覚かも知れない。ただ、これは『一番の悪党関係』の話ではアリマセン。この知り合いは、代議士秘書だが、ごく普通の真面目な、しかも選挙はプロに近い男です。選挙のプロでも『ねらい打ち』されれば、間違いなく捕まります。そんなに、何から何までガード出来ません。ただ、彼は今回の大阪選挙区で当選した参院議員の選対の事実上の責任者だったため、『別件逮捕』のようなものだったと思います。表に出てた逮捕容疑は、『微罪』でした。彼を拘束して『締め上げれば』ほかにイロイロ出ると読んでたはずです。しかし、何も出ませんでした。彼はすべてを知ってたはずですが、立件容疑以外は、黙秘したと思います。彼はもうコレで2回目ですからその辺も読んでいたでしょう。結局何も出ずその容疑だけで起訴されました。追い込む方はプロですから『精神的にかなり追い込みます』が振り切ったと言うことです。今日、奥さんからも電話があり、『マダ、マダこれからもあるよ。こういうコトは。これが仕事やから!』といってあげました。奥さんも電話の向こうでよく理解出来てるようでした。

09月02日(日)10:06:19 はれ 『T君』 No 246
『T君』

彼も、選挙のアルバイトから始まった。神戸で一番のぼんぼんの行く大学『甲南大学』の学生だった。今から20数年前のことである。当時、ボクには全く縁の無かった(今でもあまり無いか?)『ゴルフ同好会』に入っていた。選挙事務所に乗って来る車はBMWだった。石井はじめが甲南大学出身なので、当初からこの学校の学生は沢山アルバイトに来ていた。華やかな奮意気も持っていた。そして彼も、卒業と同時に事務所に就職した。ボクが『指導係り』となった。素直な子だった。喜怒哀楽のハッキリした子だった。正義感も強い子だった。ただ、当時ボク自身が事務所内で『出る杭』だった頃で、ボク自身が先輩等のいじめにもあっていたので彼も『坊主憎けりゃ袈裟までも』というやつで、いじめにもあっていた。そして当時の筆頭秘書も同じ甲南大学の先輩だったため、普通よりも『厳しく』やられていた。数年して彼は事務所を去った。その後10数年間、切れずに時々顔を合わせていた。彼はその都度『人相』が変わっていた。ある意味『たくましさ』も加えていた。『ふてぶてしさ』も加えていた。それなりの『苦労』も重ねていったようだ。それは今も続いているかも知れない。最近はとみに会う機会が多くなった。彼が話す言葉も等身大になってきた。今朝も例の『キーボード』でコーヒータイムを過ごした。今、彼は『かま揚げごめん』と言う讃岐うどん屋形式の、セルフサービスのうどん屋さんのフランチャイズ展開を全国でしている。『冷凍生麺』も独自で開発し通販もしている。これがまた、『いける』のだ。美味い。きょうも『又、ちょうだい』とおねだりした。ホームページもあるので『麺』好きな方は覗いてヤッテ下さい。www.namamen.comです。

09月01日(土)18:31:46 はれ オリジナル曲の初ライブ No 245
『オリジナル曲の初ライブ』

神戸の元町の高架下に、『ジュークボックス』という小さなライブハウスがある。50人もはいれば満員の小さな『箱』である。今時、ジュークボックスというネーミングは無いと思うが、中へ入れば人目でそのネーミングの訳が解る。『ビートルズ』万歳の店なのです。ノリは60年代後半から70年代前半を意識している。マスターもボクと同い年位の人だ。この人もアマチュアだけどドラムスを叩く。昨晩、KOU君夫婦と遊びに行った時は、このマスターのバンドのライブが中心だった。、殆ど、ビートルズナンバーだ。知ってる曲は、ボクもコーラスに飛び入りもした。お客さんもマスターの同級生が中心のようで『オジサン』が目立ったが、みんな、音楽大好きの『ノリノリ』で見てても、聴いてても気持ちよかった。マスターはボクが飛び入りで唄ったボクのオリジナル曲『月の高い夜に』をいたく気に入っていた。普段は気難しい顔で仕事をしてるんだろうな・・・と思わせる背広、ネクタイ族もノリノリで遊んでいた。音楽は本当にイイモノだとつくづく思った。やっぱり、いつかこういう店をやりたいな・・・と思いながら車を走らせ家についたのは夜中の2時を過ぎていた。11月頃に、ここを借りて、マサ★アキのオリジナル曲だけのKOU'S BANDとしてのハジメテのライブをすることにしました。12月16日にはチキンジョージで『暴威祭り』もあるし、リハーサルの意味もこめてやります。又、詳しいことはこのホームページのどこかに掲示します。神戸に近い方も遠い方も、神戸まで来れる人は是非、マサ★アキのオリジナル曲ばかりの初『公式ライブ』にお集まり下さい。形式としては、ハジメテですけどライブチャージ500円程頂いて、後の飲み食いは各自払いとするつもりです。



09月01日(土)11:49:55 くもり 美術年鑑 No 244

『美術年鑑』

ハジメテ、こういう本があるのを知ったのは、今から30年位前のことだ。鉄工所をやってる時に、時々、安い仕事をもらってた、大手紡績機メーカーの下請け会社の社長の家へ、僅かな『集金』に行った時のことだ。この社長の家は甲子園にあった。大きな家だった。庭には『錦鯉』が優雅に泳いでいた。社長が『あの紅白の鯉は、数百万円・・・。』とか自慢気に話した。応接間の壁には、○○の絵が掛けられていた。自慢気に『あれは、○○の描いた絵やけど知ってるか?』と聞くから、『知らない』と答えると、又自慢気に出してきた分厚い『本』がその『美術年鑑』だった。社長はその画家が乗ってるページに付箋が入れてあり、すぐにボクにそこを見せた。『○千万余円』と書いていた。ボクが驚いて『ヘーッ!一枚がこんなにするんですか!』と言うと、社長は、又自慢気に、誇らしげに『あほ!コレは一号ゆうてな、この位の大きさの値段や!』と言って手でその大きさを作った。ボクが又、驚いて『ヘーッ、ほな、この絵は何号ですか?』と聞くと、『10号』やと自慢気に言った。ただ、こうも続けた『ただな、実勢価格は大体10分の1や!ワシが、この絵を画商に持っていっても、年鑑では億の金やけど、買い取ってくれるときは、1000万円以下や。そう言うモンや』と教えてくれた。一番『安い画家』は3000円位から載っていたように思う。勿論、『有名画家ほど高い』というノリである。今だから思うけどその『3000円クラス』には、凄い絵を描いてるアーテイストはイッパイいたかもしれない。ボクのアート世界とは全く無縁の世界である。『芸術家』でありながら、そのような『本』に載ることを、自分自身で許すことの出来る『芸術家』をボクは芸術家と思わない。中にはお金まで出して『載せて貰ってる画家』もいるそうな・・・。もうなにおか言わんやである。以前にもこのVOICEで書いたけど、ある名の売れた日本画家が、大臣秘書の時のボクに『総理大臣賞』が欲しいと言って来たときもこの『美術年鑑』持参で来た。このオッサンの絵もその美術年鑑の最初のほうのページに大きく載っていた。そのオッサンは、自分の『値段のページ』をボクに見せ、その『賞』がくると、自分の描いた『大事なはずの絵』を3点『お礼』に持って来た。一号が240万円位だったから、『美術年鑑』相場でゆくと、一点約1500万円位か?ただ、それは『欲しい人』の値段で、当時のボクは今以上に『アートにも絵画等にも何の興味もない時代』だったので、オッサンが帰ったあと、事務所の応接間の書庫の上に『ほりあげた』。それっきりである。その後のその絵の行方は知らない。多分、『大震災』の時にグチャグチャになってると思う。『価値を認めないモノには一文の値打ちも無いのである』。ボクは断言します。美術年鑑に値段を付けられて名前を載せてる、又は載せられてる『画家やその他の芸術家』は、『画商』に思うように操られている『可哀想な画家や、芸術家のリスト』ですと(故人は一応除きます。)・・・・・。



08月31日(金)11:54:32 はれ 芸術家:A君 No 243
『芸術家:A君』

彼もネット上で知り合った。時々、彼がネット上でボソット語る言葉は、真理だな・・・と思うことがよくある。普段、どういう生き方をしてるのか知らないし、今までどんな生き様でこの世を泳いで来たのかも知らないが、物事を見る目、見抜く目はスルドイ。コワイほどである。彼は、ボクが先に彼の絵をネット上で見つけて、メールを送った。その絵が黙って『叫んでいた』のである。黙って『怒っていた』のである。涙も出さずに、泣き顔をこれっぽっちも見せずに『嗚咽を上げて泣いていた』のである。ボクはそのネット上の彼の数少ない絵を見て感動した。めったに、人の絵を好きにならないボクが彼の絵を『好きだ!』と思ったのだ。メールを出さずにおれなかった。彼が『ボソット語る』言葉こそ『芸術』であり、彼の生き様であり、生き様こそが芸術なのだと思う。絵や創作物はただその時、その時の『生き様』の『写し』ではないか・・・。それほど言葉は大事なものとおもうのです。特に『芸術家』は・・・作品よりも言葉が・・・・・・・・決してどうでもいいことではアリマセン。言葉は・・・・・。

08月30日(木)17:34:25 あめ 神戸市長選挙 No 242
『神戸市長選挙』

今朝、以前から出馬表明の機会を狙ってた候補者の一人である、N氏が『株式会社神戸市・会社更生法申請』と大きなのろしをあげて立候補の記者会見を開いてる記事が出ていた。上手いこと言うモノだと感心した。ホンマ、そのとうりやと思う。普通の会社やったら『破産・倒産』状態やもんな。しかも『破産管財人』として市役所へ乗り込むだと・・・。カッコええやんけ。それと、『市役所の民営化』やて、これも上手いな!市バス、ゴミ収集、学校給食なんかも『民営化』やて、へーっとうならせるな・・・。筋がとおっとるな。この人の応援しよかな・・・。いやーっ、もうちと流れを見よかな?軽井沢でジックリ考えよっと。



08月30日(木)13:37:56 くもり もうすぐ軽井沢 No 241

『もうすぐ軽井沢』

9月2日から信州へ夏休みだ。今年から、シエンちゃんがいるので前のように、一週間も空けれない。一日目は、今回初めて行くところで『扉温泉』というところだ。松本市から、美ヶ原の方面に車で30分ほど登っていくとあるらしい。露天風呂もある『明神舘』というところに泊まる。ここには旅館は2軒しかないらしい。廻りは、白樺林だけのもうほんとに山の中らしい。海抜1200メートル位のところだ。翌日は以前、御影に住んでいてイッショにお絵描き教室をした『ルリちゃん』が今住んでいる安曇野に行く。ルリちゃんとは、2年前にはいっしょにお風呂も入った熱い仲だ。今はもう小学校4年生か?ここ安曇野にも森に囲まれたおしゃれなログハウスのカフェーや、レストランがある。お店の名前は忘れたが、いつも行くのを楽しみにしているところだ。そしてその夜から、軽井沢の万平ホテルに泊まる。毎年ここに来だしてからもう、かれこれ16年位になる。軽井沢では、二人乗りのダンデム車に乗り、例の『離山房』に行くのも楽しみだし、万平ホテルのデイナーもテラスでの朝食も楽しみだ。旧碓氷峠にある峠の茶屋の『力餅』も甘党のボクにはメッチャ、楽しみだ。ここの茶屋は、秋篠宮さまご夫婦もよく来ている。旧軽井沢銀座の中心から横の路地を入ったところの天ぷら屋『万喜』さんの天ぷら定食。『わかどり』の焼き鳥。『かぎもとや』の手打ち蕎麦。あーっ、楽しみ!楽しみ!


08月29日(水)17:39:17 はれ 言葉の暴力 No 240
『言葉の暴力』

ネット上だけでなく、実社会にもかなり溢れています。それも、素手の平手打ち程度から、拳のげんこつ、鋭利な刃物でグサ、グサッまで種類、程度もいろいろです。本人は、平手打ち以前の『やんわりした言葉』のつもりでも、相手の受け取り方でそれが『ゲンコツ』に感じる時もあるでしょう。刃物でグサッ・・・と感じることすらあるかも知れません。それは、その当人が表向きは『意に介せず。ゼンゼン気にせず』という風にしてても、『実際はかなり気にしている問題』をちょこっと、突かれるだけでその反応が思った以上に過剰になるものです。ボクはこのVOICEでも解るように、結構過激な『言いたいこと言い』です。今までにも、自分でも気がつかぬほど言葉で人を傷つけたかも知れません。でも確信犯の時もあります。これを言えば相手が傷つくかも・・・と解ってても言ってしまうときがあります。
『見捨てておく』というのは簡単なことです。関心もなく、知り合いでもなく、興味もなかったら何も言わずに見過ごせます。見過ごせない時、言っては『傷つくだろな・・・』と解ってても言ってしまうことがあります。人生てそういうものだと思います。勿論、これを言ったら
関係は終わるだろな、とか去って行くだろなとかも覚悟して言う場合もあります。自分の生き様とすべてへの美意識に自分は正直でいたいからです。



08月29日(水)14:22:46 はれ プロ野球改革 No 239
『プロ野球改革』

ハズカシながら『巨人ファン』です。特に『清原』のファンです。清原が打つと『ゴキゲンさん』です。ほんまに、ハズカシイです。前から彼が好きだったと言うわけではおまへん。彼の、ここ数年の『努力ぶり』をみてて応援する気になりました。もともとは、ヤクルトファンでした。地元阪神ファンの皆様、ゴメンクサイ。でも大リーグ人気もあって、巨人戦の視聴率がかなり落ちてるようで、日本のプロ野球の危機だと思います。この際、大リーグと話し合って、大リーグのナショナル・リーグのなかの『ジャパンリーグ』として、ジャパンリーグの優勝チームは、ナショナル・リーグのプレーオフに参加できるようにしたらどうでしょう。当然、大リーグのチームが日本に来て日本のチームとの公式戦も何試合か組むこともありますし、日本のチームが渡米することもあります。もう、この方法しか人気を取り戻すことは無いのじゃないですか?どうでしょう、正力はん。これで、いきまひょか!


08月28日(火)15:02:06 くもり 行方不明 No 238
『行方不明』

ここのBBSにも時々来てた、N君が今、行方不明です。お盆前に、アトリエにも来てたのに・・・です。お盆明けの17日にかれのページを覗くと『更新終了』となってるし、しばらく、メールも書き込みにも返事出来ませんと書いてるし、どないしたんやろ?と思ってて、今日、ついにさっき、勤務先に電話入れたら、『今月で退社しました』とつれない事務員の声。ナンノコッチャとキツネにつままれたみたい。小さい仕事も頼んでいたのに・・・。一体どうしたことか?こんなこともあるんやな。家族のことも知らないし、聞くところがない。オートバイ好きの独身だから、長旅でも突然行ったんやろか?それとも、病院に入院でもしてるのかな?ちと、心配やな・・・・・。

08月28日(火)11:44:44 はれ 価格交渉次第 No 237
『価格交渉次第』

ネット上で知り合った、Aさんという画家がトップページに、そう書かれているのをずっと、ずっと、気になっててついにその方の掲示板にそのことへの『やや、批判意見』をカキコしてしまった。かなり気分を悪くしてはるに違いない。でもボクのキーボードを打つ手が止まらなかった。Aさん、言いたいこと言ってゴメンナサイ。傷つけたかも知れませんね。でもボクの手は止まりませんでした。ボクの言葉を見て、ある人が『アーテイストとしては、絵を買って欲しいと思う心は大切だ』とカキコしてられました。深い意味とその意図はヨクわかりませんが、『買って欲しいと思う心』なんて大切とは思いません。『認めて欲しい』」という気持ちが存在することはよく理解出来ます。『認めたから買うのだ』という延長の意味との理解も出来ます。でもアート活動というものは、本来『無心』が『真実』のように思うのです。
本来は、誰に見せるためのものでもなく、『自らの肉体と魂の衝動のままに生まれいずる』ものと思うのです。そこには本来『なんの意図』も無いものと思うのです。また、そういうものだからこそ、その『無心』の作品に人が吸い寄せられるように思うのです。モチロン、そうやって生まれてる作品は、『評価』なんて求めていません。『感動しました』『すごくイイです』『この絵が欲しいです』はソレを見た人の勝手な言葉です。確かに誉められたりすると『心地イイ』ものです。『○○万円で売ってくれ』と言われたら『へーっ』とは思います。でも『無心』で生まれた作品は『至上のモノ』です。『無心』のままで『保存』しておくのが『一番輝いている』と思うのです。こういう意見はすべて、『本来、悪党の自分』に言い聞かせながら書いてます。



08月27日(月)17:16:42 はれ 稲垣吾郎 No 235
『稲垣吾郎』

有名人は、普通の人よりも立派に生きとかなあかんそうな・・・。
アーッ、可哀想。そんなこと言うたんなや!
なんで、マスコミはこんな時、ボロンチョンに叩くのや。アーッア、ホンマニ有名人になんかなるもんやない。オレなんか、叩けば、ホコリだらけ、各種法律違反キリ無し、ホンマニ、無名が一番。自由気まま。したいことなんでもオーケー。言いたいことなんでもオーケー。
バンザイ。バンザイ。


08月27日(月)15:45:45 はれ ウジ虫治療 No 234
『ウジ虫治療』

今朝、ケーブルテレビのデイスカバリー・チャンネルを偶然見かけたら、人間の体に湧く『ウジ虫』のことをやっていて、解説がメッチャ興味あることを言ってるのでつい夢中で見てしまった。ナントナント、抗生物質が出来るまでは、この『ウジ虫治療』が現に存在したらしい。特に第2次大戦には軍隊の治療法で戦場ではこれがある意味アタリマエだったようだ。オドロキ、桃の木だったが、ナルホドとすべて理にかなっていた。こういうコトだ。ウジ虫は体の腐敗した組織と膿を独自の酵素で溶かし、コレを食べるのである。体の正常な組織には見向きもしないし、食べないので患者の回復もあり得たそうだ。軍隊では患者の傷口に『ウジ虫』を配置すると、かなりの重傷、重体患者でもかなりの延命も出来たそうだ。ある時、何も知らない医師がそんな患者のウジ虫を取り除くと翌日、直ぐに死んだということもあったそうだ。今、抗生物質が効かない耐性菌がまた新たに生まれてきているなかで、この『ウジ虫』治療が見直されてきている・・・。という番組だったのだ。なるほどな・・・!である。ひょっとしたらゴキブリからエイズの特効薬や、ネズミの糞から癌の特効薬が生まれるのではないか。イヤーッ、この世はおもしろい。なにか、ボクの世界とも共通する何かを感じる。かたや、合理や経理を追求しないアート世界にいる『マサ★アキ』と、かたや、利害と非合理と金と権力と野望の渦巻く世界にいる『ヤマグチ・マサアキ』さん・・・。と言うことは、オレもある意味『ウジ虫』か!?
トホホッ。

08月27日(月)12:12:44 はれ 隣りの老夫婦 No 232
『隣りの老夫婦』

アトリエのお隣さんは、老夫婦の二人暮らしだ。ご主人は80才位、奥さんは70才位だ。ボクのアトリエでの仕事場(パソコンのある書斎)が、お隣に一番近いので『生活』がヨク見えるし、聞こえる。二人はよく口げんかをする。でも深刻なものではない。ほぼ最初から喧嘩腰の言葉使いなのだ。奥さんが『ちょっと!それ取って』。ご主人はもうこの瞬間から『それって、どれやね?』と喧嘩腰。奥さん『その、アレ。そこにあるやん』。ご主人『何言うとんね!どれのことやね!』とドンドン、ヒートアップする。最後は、奥さんが折れてるケースが多いが、かなりの口げんかに発展の時もある。毎日の生活は殆ど、おなじことの繰り返しだ。奥さんが買い物行くとき、ご主人が近所を散歩するとき・・・時々、日曜日に朝からカレーを作ってるときは、可愛い孫の来るときだ。この老夫婦の生活を見てると、本当に『一日、三度の食事』をするだけが生活のすべてような感じもする。とにかく同じコトの繰り返しばかりの生活なのだ。この夫婦のどちらかが、『入院』するとかの事態が起きるとこの生活は一変するだろう。ということは、この同じコトの繰り返しが出来る生活こそが『幸せ』の先ず、第一条件ということか・・・・・。


08月26日(日)14:21:34 あめ 恐怖の記憶 No 231
『恐怖の記憶』

昨日の夜、ソファーに座ってテレビを見てる時、最初は『あっ来た』という感じの小さい揺れだったが、数秒後に『ドン!』と来てかなり揺れた。嫁は腰を抜かしそうな感じだったが、ボクが『外へ出ろ!』と言うと飛んで行った。とは言うものの落ち着いていたのか『愛犬シエン』を抱いていた。食器棚が倒れそうに思うほど揺れたのでボクは食器棚に手を添えて立っていた。『恐怖の記憶』がよみがえり心臓がドキドキと大きく脈打った。嫁も同じだった。嫁は声が震えていた。今のマンションが5階なので揺れは大きくなるのである。『揺れたら直ぐ外へ』とはよく聞くが、それは無理だ。揺れてる最中はどうしても体がすくむし、揺れがどの程度かをつかもうとして動けない。『これは、震度3やな』と感じたがそのとうりだった。でも5階に住んでる分だけ4に近い3だったと思う。怖かった。恐怖がよみがえった。


08月26日(日)10:47:19 あめ 挫折 No 230
『挫折』

最近、コヤツは『挫折というものをいままで一度も味わってないな・・・』とおぼしきヤツと出会った。もう50才近い男だが、精神的成長年齢は18才位で止まっているな・・・と断言できた。人間の精神的成長には『挫折』の経験は絶対『貴重な』経験であると確信する。挫折、失敗、大恥の経験。その大小を問わず、その経験こそが『コレという人間』には絶対不可欠であると思う。コレという人間とは、『人の上に立つ人間』『人を啓蒙し影響を与えることの出来る人間』である。会社の経営者、政治家、町のリーダーを始め、すべての分野におけるリーダー的な人である。すべていたれりつくせりで育った甘ちゃんには所詮立てない『位置』である。当然学業成績とは、無縁の世界の話である。『コヤツ』は東大出で、恐らくIQも相当高いと思われる。世間では間違いなく『エリート』である。頭脳は明晰には違いないのだが、『首尾一貫した自分の人生哲学』がないのである。恐らく今まで、何も心配ない、失敗もない、中身がないままただ、ふくらんでるだけの『ゴム風船』のような人生だったのだろう。風船は適当に空気が抜けてて、人生でただ、ボーット生きてるような時は弾力があって『普通のハリ』でついてもなかなか割れないが、緊張して、張りつめてくる・・・人生においては『勝負』という時にチョット、『鋭く尖ったハリ』でつくと『パーン』と簡単に割れて『お終い』である。ハイ。サヨナラ。サヨナラ。サヨナラ。

08月25日(土)18:20:49 はれ N子 No 229
『N子』

ボクがその頃たまに行ってた、バーで勤めていた。口と目の大きな、スペイン人のような美人だった。彼女は、それまで、絵を描いたこともなかったし、美術館へ行ったりの趣味もなかった。ボクの『アート世界』の話に凄く興味を持ったらしい。『私でも描けるやろか?』と聞いた。『絵は誰でも描ける』と答えた。ボクの『アート世界』の話をむさぼるように聞いていた。それから、実に約一年余の間、彼女はほぼ毎日絵を描いていた。ノッテル時は、一日で7〜8点描いていた。ノラナイ時や描けない時は、昼間から、『テキーラ』を飲み、酔っぱらってふて寝していたらしい。でも面白い絵をイッパイ描いていた。ボクがそう言って誉めると、ますます『ノッテ描いていた』。なんか、『破滅型の芸術家』ってこんなヤツかもしれんなと、思わせた。約一年余で500点近く描いた。そしてボクが、『誰も見に来ないかもしれないけど、自分のために、個展を開いたらいい』と言うと、素直に個展を開いた。彼女はしばらくして結婚し、その後は音沙汰はないが、もう絵は描いていないとは思う。でもこの子のとっての、狂ったように『絵を描いた』一年余の思い出は、永遠に残ることだろう。彼女の作品は2点だけ、ボクのHPのトップページのなかにある、フリーペインテング・アートスクールのコーナーに『生徒の作品』として載せています。また見てあげてクダサイ。


08月25日(土)11:57:04 はれ 財政破綻 No 228
『財政破綻』

週間ダイヤモンドの今年7月14日号で全国市町村の財政破綻度ランキングのナンバーワンとされた我が愛するKOBEの市職員の給与の高さにオドロキ、桃の木だった。環境局の人や、交通局『市バス』の運転手さんで若い人でも、年収1000万円を超える人が結構いるそうな。そりゃ、そんなことしとったら、財政破綻するで!ホンマニ。

08月24日(金)11:48:42 くもり 地蔵盆 No 227
『地蔵盆』

どうも、この風習は、関西だけのようだ。毎年8月23日は路地のあちこちにある、『お地蔵様』のお祭りだ。特に、下町に多く祀られている。小さな祠にその地で幼くして亡くなった子供の霊を祀ってある。赤い提灯で飾られ、大きいところでは、そのお地蔵様の前で盆踊り大会も催され、近くの子供達が沢山集まる。又、一番ウレシイのは、お参りにいくと『お下がりのお菓子』が貰えるのだ。ボクは神戸の下町、長田で育ったので、近所には10数カ所のお地蔵様が歩いていける距離にあった。大きな袋を持って、赤い紙に包まれた茶色い安物のお線香を持って、そのお地蔵様を全部廻った。最後には、大きな袋が色々なお菓子でイッパイになった。すごく楽しかった。特に二重丸のお下がりは、缶ジュースとか果物、アイスキャンデーだった。メチャクチャ特をした気分だった。子供のころの、お正月やクリスマスにつぐ大イベントだった。

08月23日(木)10:08:56 はれ 龍神様 No 226

『龍神様』

昔、台風は龍神様だった。龍は水の神様。お陰で、日本中水浸し。深刻な水不足もほぼ解消。ただ、神への生け贄ともとれる貴い命の犠牲がでた。亡くなられた方々の心からのご冥福を祈りつつ、龍神様にも感謝。すべての意味を込めての、合掌。

08月22日(水)11:13:50 くもり 続:石井はじめ No 225
『続:石井はじめ』

今朝の、神戸新聞のなななんと一面トップに、『税関に圧力』なる記事が書かれていた。それも今から、2年前の1999年11月の出来事でだ。石井はじめが、税関にどうこう言っても、どうにもならん問題やし、そんな職務権限もなにもないのに、頼まれたらイヤと言えない『お人好し』が又、災いしてる。ただ、なんで、こんな時にこんな記事が出るのかな?ちと、不思議。なにか臭う。

08月21日(火)11:56:04 あめ 続:台風 No 224
『続:台風』

廻りに、ボクと同じ『台風好き人生』の人が多いのに気づいた。やはり、大自然が作り出す『大渦巻き』のパワーに他ならない。ボクの絵の原点は『渦巻き』だから、自然界の『壮大な大渦巻き』には訳もなく惹かれるのは当然かも。ただ『左まき』である。どっちかというと『悪魔パワー』である。スベテを破壊し、なぎ倒すパワーである。そういうのを『好き』のなるのも又、人間の怖さでもある。スンマセン。

08月20日(月)17:27:20 くもり 台風 No 223

『台風』

ある意味、不謹慎なお話です、お許しを。ボクは、小さい頃『台風』が大好きでした。いまでもその『名残』が残っています。大きな台風ほど大好きでした。豆台風でもモットモット大きくなれ、なれと念じていました。台風が近づいて来ると、なんか『家族が一丸』という奮意気になりました。父親もたくましく見えました。よくマドを板で打ち付けていたのを覚えています。その頃は、もう外はかなり強い風が吹いていました。暴風雨圏内に入って、停電したりするともう『かなり興奮状態』でした。ますます『家族一丸』でした。その奮意気がたまらなく好きでした。外は大荒れでしたが、ウチのなかは、なにか『あったかいもので包まれました』。大体、夜中に上陸が多かったように思います。夜明けはウソのような静けさと『台風一過』の青空が印象的でした。朝、町の様子を見に行くのが楽しみでした(かなり、不謹慎です。すいません)。その大自然の猛威をまのあたりに見てまた、興奮しました。板塀がうねって倒れていたり、大木が倒れていたり、電柱が倒れていたり、『スゴイナー』とドキドキしながら町を『偵察』に行ってました。そしてウチに帰って母親に大げさに『現地レポート』を口をとがらせて話していました。スンマセン。


08月20日(月)12:02:21 くもり 虫取り No 222
『虫取り』

小さい頃は、よく『昆虫採集』と称する虫取りに行った。最近、捕虫網を持った子供もあまり見かけない。と、思っていたら今日、御影駅前で父親に連れられた『捕虫網の子』を見た。何故か、ホットした。長田にいるころ、ヨク裏山の『高取山』へ虫取りに行った。飛んでるトンボや『ブイブイ』を獲るのは面白かったし、興奮した。狩猟民族時代の遺伝子が騒いでいたのだろう。狭い山道を連れもって歩いていると、すれ違った『高校生位の男の人』がサット道沿いの低い木の茂みを手で開け、根本を見るとナントナントそこには、『ブイブイ』や『クワガタ』やらがウジョウジョいて、その男の人はまるで『収穫』するように『ゴソット』持って帰ったのを覚えている。強烈な印象だった。今思えば、あそこには『蜜』か『砂糖水』かを前日に塗りつけていたのだろう。当時の夜店で虫を売る人の手先だったのかもしれない。そういえば、このアトリエにも、建築当時は、外の街灯のところに、カブトムシや、クワガタがいつもきていた。それを野良猫が狙って、頭を残してよく食べていた。

08月19日(日)12:07:17 はれ 順ちゃん No 221

『順ちゃん』

もう、20年来の女友達がいる。何故か、ボクより年下なのに、『姉御』タイプである。女の子達からみても、『姉御』タイプで、この子を相談相手にしている女の子も多い。ボクとこの子が『・・・・』という噂も一時期あったが、ソレはない。ボクはよく、男同士に『友達』はいらないとヨク言ってるが、この子とボクは『友達』である。まさに、そう、友達である。この子もやはり、選挙事務所のアルバイトから知り合った子だ。ちょっと、度胸の座った変わった女の子だな・・という印象だった。30才半ばでアメリカに留学し、その後ハーバードへ進学し卒業した。やるもんだなー!と大いに感心させられたものだ。勿論英語は堪能で、マサアキドットコムのトップページの英語の文章の制作に協力してくれた。ボクは、こんな子こそ、日本国のために、その能力と
『姉御肌』を活かすべきと考えている。代議士になれば、田中真紀子よりも上を行く国会議員となるだろう。

08月18日(土)18:15:32 はれ 裏のク○ジジイ No 220
『裏のク○ジジイ』

ちょこっと、『仲直り』って感じ。普通にしゃべれば、普通の関係になれるってことさ、ワカッタか!このク○ジジイ!でもまあ、気持ちはイイモンだ。だって裏隣りなんだもん。解る人には、解るお話でした。

08月18日(土)11:20:12 くもり 続:御殿舞 No 219
『続:御殿舞』

家元のお年、間違えてました。81才でした。昨日の神戸新聞の朝刊に、この家元が舞っている大きな写真と、『御殿舞』の記事が大きく載っていました。なんで歳をまちがえたんやろ・・・?でも、それでもホントニお元気です。ちょうど、その新聞取材の日にボクも観にいってました。なんと、今から御殿舞をより一層、『隆盛』させるために、NPOを設立するとの記事でした。ちょうど、ボクにもその発起人のひとりになってくれと、電話があったとこでした。ちょっと、ビックリすることもありました。ちょうど、この御殿舞をはじめて観させていただいたその日の夜中の、午前0時半ころ、もう寝ていましたが、ボクの携帯が鳴りました。『誰やね、今頃!』と眠い目をこすりでると、『家元』でした。『ドキッ』っとしましたが(ナンデヤネン)、『今日の、舞どうでした?』というあっけらかんとした電話でした。心では『今、何時やおもとんねん!』でしたが、普通に応対しました。ネッ!『精神艶齢』お若いでしょ。

08月17日(金)13:46:58 はれ ダイエーの終焉 No 218
『ダイエーの終焉』

『PAS』なる、ダイエーのカジュアル路線とユニクロのトラブルをテレビで見た。そういえば、こないだからダイエーのカジュアルの折り込みチラシのデザインがユニクロかと間違うほど『ソックリ』だったのでナルホドと思った。売り場のレイアウトから、価格表示、ロゴの入った紙袋まで『うりふたつ』である。中内天皇が失脚して、新しい社長がなんとかするかと思ったら『何やね、このざまは』である。もう潰したらどうや。これはもう『悪あがき』やで。裁判どうこう以前の問題や。商売の基本は『オリジナリテイー』やろが、ユニクロのバカ当たりを見て、『それを越えるアイデアと品質と価格』で勝負するちゅう『気概』があってこそ『再建』が出来るンと違うか!?新しい社長もたいしたことないヤツやな。こんな企画を許すようでは底が知れてる。
もう、先はながないな・・・。

08月17日(金)12:34:10 はれ この親にしてこの子・・・ No 217
『この親にしてこの子・・・』

なんぼ、聞いても、考えてもあの尼崎の子は可哀想すぎる。テレビや新聞で祖母、祖母というからばあちゃんかとおもたら、オレと同い年の母親じゃった。これが何度も、この子の『危機』を見かけているのに、『おまえら、なにしとんじゃ!こんなことしたら死んでしまうやないか!』とこの鬼夫婦から『引き離して』、病院へ連れて行くなり、『保護』しなかったのか!?コイツはもう『共犯』じゃわい。『口から血をだして寝とった』だの、ようまあ、その場にいながらそんな『客観的』に見れるな!このアホ!ほんまに、この親にしてこの子じゃわ。クソ腹の立つ!

08月17日(金)11:29:55 はれ 子供がいない No 216
『子供がいない』

ホントニ、少子化のせいか夏休みというのに子供を見かけない。元気に外で走り回っているという姿を見ない。なんか、もうこの国は終わるンちゃうかと心配になる。あと、20年ほどしたら、国民の4人にひとりが60才以上の年寄りばかりなそうな。ボクもその頃はもう、70才か・・・?生きてるかな?『天才』やから早く死ぬかもしれんな。街中で『ボケ老人』同士のユニークな会話があふれるんやろな。でも、未来の日本のためには、子供をつくらなあかん・・・!ということを言う資格はボクには無い。ボクがつくって無いンやモン。そうそう、これから一人子供産んだら、20年間は、毎月2万円位の奨励金出すと、国が決めたらどうやろ。皆、子供つくるかな?

08月16日(木)11:06:17 はれ 蝉のジーン No 213
『蝉のジーン』

ミナサマ、ハジメマシテ。ワタシハ、アブラゼミノ『ジーン』トモウシマス。ハジメテノ、ニンゲンサマヘノ、メッセージデス。ヨク、ニンゲンサマガタハ、ワタシドモノ、イッショウガ、イッシュウカンホドシカナイノデ、カワイソウ・・・ト、ヨクノタマッテクダサイマスガ、カンガエチガイ、ミコミチガイモ、ハナハダシイノデ、オオシエシマス。
ワタシドモニトッテ、チジョウデノジカンハ、ソレハソレハ、ナガイ、ナガイイッショウナノデス。ニンゲンサマノ、イッシュウカンガ、ワタクシドモノイッシュウカント、オナジト、ドウシテキメツケルノデスカ?ソレニ、チチュウデノ、スウネンカンノコトデスガ、コノトキノコトハ、ゼンゼン、キオクニゴザイマセン。ニンゲンサマモ、ソレハオナジダカラオワカリニナルデショ?ミナサンガ、タイジノトキノ、キオクガアリマスカ?ボタイノナカデノ、トツキトウカノコトヲ、オボエテルヒトガイマスカ?ナンデモカンデモ、ニンゲンサマノ、モノサシデハカラナイデクダサイ。
『アワレミ』ヲモタレタクアリマセン。


08月15日(水)12:40:12 はれ 新しい人間種 No 212

『新しい人間種』

いたいけない、幼児が『殺せる』というのは、なんなんだろ。それも、『我が子』である。もう、いままでの『人類学』と『心理学』では説明不可能ではないのか?世界的な傾向はよく知らないが、ここ日本では、間違いなく戦後の1970年以降に生まれて育った世代には、どうも訳のわからぬことをしでかすヤツが多いように思う。『教育』の一言でかたづけられない、何か『新しい脳の構造』や『心の構造』があるように感じられる。野生動物の世界では、『親の子殺し』は確かに存在する。それなんだろうか?・・・・・アーワカラナイ。


08月14日(火)12:09:12 はれ お盆 No 211
『お盆』

ちと、忙しくてお盆休みはなしです。でも昨日夜と今朝は、六甲山のログハウスで過ごしました。例のフレンチレストラン『コムシノワ』のログハウスです。ここは、ホントニいいとこですよ。絶対お薦めです。フランス料理を、緑に一杯包まれたログハウスでいただくのです。
ここのフランス料理は山の幸のフレンチという演出をしてくれています。ゆったりとした時間が流れ、デイナーは約3時間かけていただくようになってます。せっかちの人には向きません。でも、料理はシェフの『心のこもりかた』がよくわかる料理です。お泊まりも10人位まで泊まれる大型のログハウスが隣接されています。ボクは、『シエン』ちゃんがいるので、夜は御影に帰りましたが嫁は嫁の兄姉ファミリーといっしょにお泊まりしました。今朝は、ボクも朝食に合流し今はアトリエでお仕事してます。


08月13日(月)11:24:32 はれ 録音 No 209
『録音』

昨日、アトリエでKOU君と共に、新曲『ハートでネンネ』の録音をした。ボクは、ノリノリでキーボードもボーカルもイッパツロクオンでNG無し。グッド。今は、家庭用のこういう器材があるため、音楽ファンにはウレシイ限りだ。スタジオがいらないのだから。もう行き帰りの車のなかで、ボリューム一杯あげて聴いてるけど、これが『カッコイイ』曲なんです(自分で言うな!ハイ、スンマセン)。多分2回聴いたら覚えて貰えるような、簡単な曲です。今日、早速アルクマンさんにMDを渡すので、間もなく皆さんにも聴いていただけます。ヨロシク!

08月12日(日)12:22:05 はれ 行き帰りで No 208
『行き帰りで』

前にも書いたように、ボクはほぼ毎日、車で六甲山を越えている。毎日往復400円の有料道路である。だから、土日や祭日は地方からの観光客や、地元のサンデードライバーが可成り多くなり、車が渋滞する。まあ、それだけならよくあることだしガマンできるが、『道を探しながら、うろたえながら』超ノロノロ運転をしながら前をふさぐ輩が又、よくいるのである。『モーッ!よう道を調べてからこんかい!』と車のなかで叫んでいる。だけど、ボクはやさしいので『ケツ』はかかないけど・・・。よく多い間違いは、表六甲ドライブウエーと六甲トンネルの入り口を間違え、裏六甲まで出てしまい、裏六甲ドライブウエーから山上へ行ってる車が結構多い。『あーあ。可哀想』といつも横目で見ているのです。


08月12日(日)10:01:21 はれ 水不足 No 207

『水不足』

海水淡水化技術がココまで来てるのに、なにをいつも
ガチャガチャ言うんですか、普段から海水を淡水にする『上水道』を造っておこうではないですか。日本の廻りは、『大海原』でっせ!


08月11日(土)14:53:11 はれ 御殿舞 No 206
『御殿舞』

ほんとは、『舞』の字に人偏が入るのですが、当用漢字にないのでこれで失礼します。先日、知り合いがボクのアトリエにこの『御殿舞』の家元をお連れしてきた。92才の『老女』なのだが、見かけは80才位に見え、精神艶令は40代くらいだった。お体もお元気でシャキットしてはるし、お話ぶりも全くの『現役』です。又、『水墨画教室』を東京や、大阪、神戸でもっておられ、これも『現役』です。ボクの『狂った絵』にも感動され『アルマゲドン』が一番のお気に入りでした(ギャラリー1にあります)。この『御殿舞』は能の流れを組む、姫路城主池田輝政が始めたとされています。このおばあちゃんは9代目の家元です。簡単にどんなものかと言うと、織田信長が戦場へ行く前によく舞った『人間50年、下天のうちをくらぶれば・・・』にあるとおなじもので、武士の『荒ぶる魂を鎮める・・』ための、能の小舞とも言うべきものです。今日、実はこれを見て参りました。能や舞がお好きそうな、ボクとは縁遠い感じのお客様がほとんどでしたが、地元の新聞社の取材も来ていました。この『家元』の舞も見せて頂きましたが、92才なんて、とても思えぬ、動きと、緊張感と、優雅さと、格調高い、素晴らしいものでした。舞おどる『家元』の顔は、ボクのアトリエに来た時の顔とは、『別人』でした。イヤー、マイッタです。


08月10日(金)13:03:26 くもり 神戸・芦屋のお薦めグルメ:VOL2 No 205
『神戸・芦屋のお薦めグルメ:VOL2』

又、知り合いの店ですけど、良い店なので紹介します。芦屋の国道2号線を芦屋川を東に越えて、二筋目位を北へ少し入ると、『囲炉裏』というオシャレな創作和食屋さんがあります。安くて、美味しいです。又、同じオーナーがやってる、饂飩屋さんで『あんかけや』という店が芦屋と御影にあります。店の造りがオシャレでこの辺りのおしゃれなミセスや、若いカップルに人気があります。ここでは御影の店だけ場所を書きます。山手幹線の御影の『神戸屋レストラン』の西側50メートルくらいの所にあります。冷たい『ざるうどん系』が一押しです。また、これも同じオーナーの店ですが神戸の北野町に『安座』という和食屋さんがあります。あぐらと読みます。北野坂の三星堂本社の南向かいにあります。とにかく、若い女の子が好むお店の造りです。おそばでは前に書いた、芦屋のインドネシア料理の店『ロンボク』の2軒北隣にあります。ここの手打ちそばは、今まで食べたこの界隈のおそばでは『一番』です。店の名前は『土山人』といいます。ややB級グルメですがグリル洋食でよく行く店は六甲の『自由軒』と新開地の『一平』『金ぷら』です。こういう店のハヤシライスやオムライス、海老フライ、ヒレカツなどはすてたものではアリマセン。『自由軒』は山手幹線の六甲道の交差点の少し東の路地を北側へ入ったところです。『一平』は新開地商店街の旧聚楽舘(ちなみに今は、ボーリング場)の北向かいの2階にあります。『金ぷら』は新開地交差点の南西、神鉄会館のとなりです。次ぎはこれも知り合いの店ですが、メリケンパークオリエンタルホテルの2階だったとおもうけど『TuTu』というフランス料理の店があります。波止場の先端にありますのでロケーションは抜群です。お昼のコースも低料金のわりには本格的です。一流のシェフが腕をふるっています。又、ここの食器はすべて『ウエッジウッド』で特注したTuTuのオリジナルです。お客様の接待にはもってこいのお店です。それから、神戸の自慢の『パン』ですが、結構どこもレベルは高いです。特にお薦めは三宮から新神戸へ行く道の一本東側の『裏滝道』にある『フロインドリーブ』です。ここのパンは以前、NHKの朝の連ドラ『風見鶏・・』のモデルになった、ドイツ人が経営する店です。堅めのドイツパンがお好みの人には最高の店です。ここは、元ユニオンチャーチという教会の建物をお店にしてるので、イイ感じです。ここの『ケーキ』を出してる広いカフエも2階にあります。御影周辺のいろんな所にある『ケルン』のパンも美味しいです。ボクはチョコッペが大好きです。今朝も食べました。阪急岡本駅を下りて、直ぐ西へ路地を歩くと『フロイン堂』というパン屋さんのパンもホンモノです。殆ど午前中に売り切れてるのでは・・・。今回もコレぐらいにしときます。


08月10日(金)11:45:03 くもり 靖国問題 No 204
『靖国問題』

これは、裏で石原慎太郎の『圧力』がかなりあるようだ。小泉さんと石原都知事の『裏のつながり』は周知の事実だが、この問題では、相当強硬な、申し入れを小泉さんにしてるようだ。小泉さんは、今ハムレットの心境か・・・。でも、間違い無く、ヒトツ言えることは小泉さんは、『アジアを軽視』するタイプの政治家だったことと、『右寄り』の政治家だったということ。日本全体が今、『右傾化』している。いや、これは世界的な現象だ。ある意味、グローバリズムへの反発か?やはり歴史は『繰り返す』のか。なにやら、イヤナ予感がただよう。たったいま、
『参拝の意向』というニュースが入った。

08月09日(木)11:00:08 はれ メリケンパークにて No 203
『メリケンパークにて』

前にここでも書いた『K君』の次男で、現在小学校2年生の男の子が、もうメッチャ可愛いいのです。モデル事務所にも所属していてローカルテレビのコマーシャルなんかにも出たりしています。『親バカ』という言葉がありますが、これがよーく理解できます。ボクの可愛い『シエン』ちゃんを皆に見せたい。『こんなかわいい犬いると思う?』と言いたくなるのと殆ど同じだろう。この男の子は『トイザラス』なんかにいても、よく『スカウト』されるくらい『可愛い』のだ。この子が今、神戸の復興記念事業のヒトツである『メリケンパーク』のイベントの映像に大きく使われているので、この子の母親とお姉ちゃんとこの子と、そしてうちの嫁とで見に行った。『天使』のような演出で出ていた。ホントに可愛いかった。大きなバルーンに大きく写し出されていた。家族のような付き合いなのでボクはこの子を抱きながら『これは、この子』ですとマイクを使って知らせたい気持ちになった。これも『親バカ』の気持ちだろう。500人位の人達が来て見ていたが、廻りも誰も『この子』に気づかなかった。『親バカ』を離れて『冷静』に考えるとこれでいいんです。これが皆が直ぐに気づいて、『あっ、この子、あの子じゃ!』となった時、又、学校のみんなが『芸能人』を見るような目でこの子を見出したとき、『この子の人生は変わってしまう』かも知れません。『親バカ』はヨーク理解できますが、
そろそろ、『真剣に』考えたほうがいいかもと・・・昨日感じました。




08月08日(水)15:43:49 はれ 世界から No 202
『世界から』

ここ、2ヶ月間の外国から、マサ・アキドットコムを見に来た国の名前です。アメリカ・カナダ・香港・シンガポール・スペイン・英国・メキシコ・フランス・ドイツ・オーストラリア・イスラエル・台湾・デンマーク・インドネシア・アルゼンチン・フィンランド・チリ・ウルグアイ・ルーマニア・ニュージーランド・マレーシア・ベルギー・イタリア・オランダ・オーストリア・ツバル・・・以上です。何ともはや、やはりウレシイものです。ツバルって国は知らなかったけど、ネットで調べたらありました。インターネット・ワールド、バンザイです。

08月08日(水)14:25:44 はれ 続:暴威祭り No 201
『続:暴威祭り』

昨日、神戸のナンバーワンのライブハウス『チキンジョージ』にうち合わせに行ってきました。マダ、決定ではないですが、11月16日(金)か12月16日(日)のどちらかに決まると思います。チキンの社長の児島さんとお会いしたのですが、ボクが今まで出会って来た男の中では、ピカイチの『カッコイイ』人でした。奮意気が『氷室京介』でした。さーて、オレは何を唄うかな・・・。

08月07日(火)14:43:30 はれ キーボード No 200
『キーボード』

神戸の阪急六甲の近くに『キーボード』という喫茶店があります。みかけは、なんの変哲もないよくある喫茶店です。でも、ここのママさんが『イロイロ観る人』なのです。よくあたるそうです。『観る場所』は又、別のところにあるそうです。でも、お店のカウンターでも簡単なコトなら観てくれます。きっちり数時間かけて観て貰うのは、有料ですがカウンターでちょこっとならタダで観てくれます。ボクは観てモラッタことは、殆どありませんが、ママが勝ってに観てて、イロイロ、良いこと言ってくれました。ボクは月に2〜3回、朝、コーヒーを飲みに立ち寄ります。今まで、観てモラッタ人の感想を集約すると、余りにも『ずばずば、言うし、当たってるので、コワイ』。落ち込む人もあるようです。名前と生年月日です。生まれた時間が解ればもっといいそうです。何か、悩みに悩んでいるかたは、結構いいかも知れません。(キーボード、078−861−3380です。ボクの名前を出してもいいですよ)



08月07日(火)11:42:40 くもり 悩める民主党 No 199
『悩める民主党』

完全な伸び悩みだね。ハッキリ言いましょう。スターを作らないとダメです。それも若手でです。もう『菅と鳩山』は第一線を退いたほうがいいです。『人事一新』すべきです。『無名の党首』でも良いんです。若いエネルギーで党の建て直しを計るべきです。もうこの二人、鳩菅には『期待感』が全くありません。リーダーが変われば、党も変わり。支持者も変わります。小泉さんがそれを証明してみせたではないですか。それぐらいの『活力』が無いならもう解党すべきじゃないですか。今のままで次期衆院選に突入したら間違いなく『惨敗』するでしょう。連合をはじめとした『労働組合』にもう振り回されるのはやめましょう。自民党を支援している各種『宗教団体』や各種『業種団体』と同レベルの扱いでいいではないですか。間違っても、彼等は自民党の支持はしないし、共産、公明にもつかないでしょう。彼等は決して『離れない』と思います。執行部を当選3回生以下のメンバーにやらせてみようではありませんか。



08月06日(月)14:16:18 はれ そばめし No 198
『そばめし』

今では、全国的な知名度になったようだ。生まれは神戸の下町、長田区である。ボクの故郷である。ボクの小さい頃は『お好み焼き屋』さんがそこにもここにもという感じでホントニたくさんあった。今でも長田にはたくさんある。ぼくが小学校の3年生くらいの頃、昭和35年頃には、夏休みになると、ボクも近くのお好み焼き屋さんに『冷やゴハン』を持って行って『ゴハン焼き』を作ってもらっていた。確か20円だったと思う。お金がある人はもう少しお金を足して、そのゴハン焼きのおそばを足したのを焼いてもらっていた。味は『ソース味』だから同じである。ほとんどの長田のお好み焼き屋さんで同じコトをやってたと思う。ただ、最近は『青森』という店ばかり『元祖そばめし』を出した店としてテレビや新聞によく出るのでここが始めたコトになっている。事実一番最初の始めたのはココかも知れない。長田は狭いので、そんないいことはアットいう間に拡がる。今から9年位前にこの『青森』を偶然見つけた。今でこそ『青森』は有名だが、当時はまだそんなには有名ではなかった。ボク達夫婦は、下町歩きが好きで、その日も、故郷長田の『大正筋商店街』や『六間道商店街』を散策していた。ここはその後、大震災で全滅したところだ。ふと『プーン』となんとも美味そうな『ソースの焼ける匂い』がしてたまらず、その店に入った。おばあちゃんが一人でやってた。焼きそばが大好きなので『豚・筋・焼きそば』を食べたらこれがメッチャクチャ美味かったので、その日からこの店の大ファンになり、今までずっと通い続けている。今は、そのおばあちゃんの息子さんで6年前に脱サラした人とその奥さんでやっている。味は変わらない。勿論、『そばめし』もい時々食べるが、一押しは『豚すじそば焼き』と『豚すじカス焼き』である。2ヶ月に一度は必ず食べたくなるので通っている。必ず『泥ソース』をかけて食べることをお薦めする。下町グルメに興味ある人はどうぞ一度行ってみてください。
(電話078−611−1701:青森 火曜日休み)





08月06日(月)11:45:04 はれ 背景画家 No 197
『背景画家』

こないだ、テレビで島倉さんという『背景画家』のドキュメンタリーがあった。『背景画家』という言葉を始めて目にしたが、この人が描く『空と雲』の絵は、『これは凄いな!』とホントに驚くほど『上手』だった。『写真』を見ながら、エアースプレイガンで吹き付けて描いていた。まるで『写真』のような『絵』だった。まさに『技術者』の世界だった。映画や舞台の背景で彼の絵がよく使われていた。『時を駆ける少女』や黒沢明監督の映画(題名忘れた)のことが取り上げられていた。黒沢監督も『絵を描く』人だが、スタッフの『推薦』で彼を使ったらしい。黒沢監督の『指示と要求』に彼は『困ってしまい』、入院までしたそうだった。結局は黒沢監督から『こんな感じ』という『絵コンテ』を貰ってほぼそのとうりの背景を描いていた。なんか、悲しいような、むなしいようなものを感じた。番組では、その映画のなかでのその『背景画』を見事に完成したものと取り上げていたが・・・。アートの世界に『商業』が入ってくることの『むなしさ』。アートを『ビジネス』としてやらねばならない『アーテイストの悲しさ』を象徴するお話だったような気がする。番組制作意図はそうではなかったと思うが・・・。

08月05日(日)14:33:47 はれ 続続:一番の悪党 No 196
『続続:一番の悪党』

又、又悲劇が起きた。逮捕者が続出だが、側近が逮捕された。この男が、ボクの時のように『全部被れば』これで終わるが・・・。喋ると本人まで行ってしまう。


08月05日(日)11:21:53 はれ 愛ネコ:寅の思い出 No 195
『愛ネコ:寅の思い出』

今から15年位前のクリスマスの頃、そのネコとウチの『嫁』が阪急岡本駅の東200メートル位の路地裏で出会った。お屋敷の塀の上にいたそうだ。動物大好きの『嫁』はいつもするがごとく、その子を『ネコナデ声』で呼んだらしい。その子は嫁のひざに乗ってきて、肩にも乗ってきたそうだ。でもとても『野良ネコ』には見えず、どこかのお金持ちに飼われてるような品のあるネコだったようで、その日はそのままお別れして帰ってきました。それから10日程立ったお正月の2日の日のことです。ボク達は京都に初詣に行ってまして、夕方頃自宅に帰りつくと、なんとその時のネコがウチの玄関の前にいたのです。嫁はあの時のネコとすぐ解りました。当時、ウチの家は、阪急岡本の西北200メートル位の所にありました。10日間程かけて『嫁』の居場所を探したとしか思えませんでした。玄関のカギを開けると、さっと中に飛び込むように入っていき、すぐにコタツのフトンのなかにもぐり込みました。『もう、ココを出ないからね!ココに住むからね!』と強いアッピールを感じました。なんとその日から二人の寝るフトンのなかに入ってきて寝たのです。躾もちゃんとされていました。洗面所の排水口に上手にオシッコをしていました。ボクはこの子が来るまで、ずっと『犬派』でした。ネコと一緒の生活は生まれて初めてでした。でもこの子とだけは、最初からナンノ抵抗もアリマセンでした。でもこの子が探したのは『嫁』だったはずでず。当時はボクはマダ代議士秘書時代で毎日が大変忙しかったので何年かはこの子と『深い付き合い』はアリマセンでした。ボクとこの子が『深く』なったのは、ボクが独立してからです。そうそうこの子は『寅』と名前をつけました。寅年のお正月に家に入ってきたからです。ボクが独立してから『寅』が亡くなるまでの7年間は『寅』はボクによく甘えました。『ザラザラの舌』で顔中舐められました。二人でテレビを見てるときも、『寅』はジーット、ボクを見つめていることが多かったのです。夜もふとんの中で体をボクの顔に絡みつけるように寝ていました。『ネコってこんなに可愛いのか!』と完全に考えを改めされられました。亡くなった時は急でした。突然食欲が落ち、獣医さんに連れて行くと、『多分、もう・・・』と言われました。循環器系の病気だったようです。『寅』はそれまで何も食べず、飲まずだったのに、その時持っていっていた『ミルク』を少し飲み、そして『背中を向けた』。『もう、帰ってくれ』と言ってるようでした。それは『厳しく拒絶する背中』でした。帰って数時間後に獣医さんから『残念ですが・・・』と電話がありました。今でも、やはり書きながら涙が出ます。ほんとに、可愛い、賢い、優しい子でした。


08月05日(日)10:10:55 くもり 茶の湯 No 194
『茶の湯』

『茶道』には、若い頃からなんの興味もなかったが、妻の実家に出入りを許された数年前から、行くと必ず『お茶を点ててくださる』ので『この時間』が好きになってしまった。お茶の前に大好きな『綺麗な和菓子』がでることも『大きな一因』でもある。でもなんとも言えない『間』と『一点に集中する感じ』が好きである。勿論、『作法』は知らない。見よう見まねである。コーヒータイムもやや似た感じの『安息感』があるが、又一味違う。ボクは茶筅でお茶を点ててる『形』に最初凄い興味を持った。『渦巻き』を作ってるように見えたのである。ボクのアートの原点である『渦巻き』である。点てられたお茶は『細かい泡』だらけである。『宇宙』そのものではないかと思った。それを『飲み干す』のである。『宇宙を飲み干し、宇宙と一体化する』。なんと壮大なスケールの発想か!と思った。それを『茶室』と呼ぶ狭い空間で行う。ボクの言う『ミクロとマクロの宇宙話』と感覚が似ていると思った。そんなことで、嫁の実家へ行くことが結構『楽しみ』なのである。


08月04日(土)17:30:19 はれ ペットの死 No 193
『ペットの死』

昨日の夜遅く、嫁の友達が12年ほど飼っていた柴犬の『ジン』が急死した。ここ数日元気がなかったので獣医さんに見て貰ったら『癌』の疑いで『手術』した。手術は無事済んで家に連れて帰ったら、間もなく亡くなったそうだ。夜遅く、『手術後の経過』を聞こうと嫁が電話をしたら、そう言うことだった。直ぐに車で駆けつけたが、部屋で静かに横たわっていた。息をせずに・・・。みんな泣いた。ボクも愛する『シエン』とのいずれの別れも、思って泣いた。シエンが家に来る前、『寅』というネコをウチも12年程飼っていた。その『寅』が急死したときのこともダブって泣いた。『寅』が死んだ後の悲しみは癒されるのに1年位かかった。もう、この悲しみは味わいたく無い・・・と思っていたのに、『シエン』を飼っている。ウーン、『飼っている』では無いな。『一緒に生活している』だ。あー、マダ、シエンが生まれて半年なのに、別れの時がいずれ来るのが怖い。




08月04日(土)12:22:03 はれ 大物釣った No 192
『大物釣った!』

徳島に一泊で遊びに行ってました。2日目に朝早くから、海釣りに出かけ、生まれて初めて体長60センチ位の大物ハマチを釣り上げました。魚釣りが趣味ではないので、あまり期待はせずに行ってたのですが、あと同じくらいの大きさのハマチを2匹釣り上げる途中に逃げられました。知り合いもハマチや、黒鯛、しまだい、コチ、を釣り上げました。思ったより楽しいものでした。多分、お世話してくれた人がしてくれる『仕掛け』が良かったのだと思います。皆で釣り上げたハマチのなかでボクのが一番大きかったのです。昨日、ボクは自宅でそれを三枚におろし、お刺身でいただきました。そうなんです、ボクは魚がおろせるのです。一種の『隠し芸』ですな。へへっ!


08月04日(土)11:40:25 はれ 欲望 No 191
『欲望』

食欲、性欲、物欲、コレがアレがしてみたい欲、名誉欲、征服欲、自己顕示欲、金欲、愛欲、破壊欲・・・すべて、本能と遺伝子と密接に繋がり、人間が生きていく為に必要な欲望。この世に生まれてきたからは、己個人の本能と遺伝子に指令されて、湧き出でる欲望をいかに満足させながら生き抜くか・・・ということか?欲望は生きるためのエネルギー源。欲望が湧かなくなったら、生きてる意味がないということか?ボクは欲望だらけ。だからエネルギーが溢れてる。ヨッシャー! えーっ?ボクの一番強い欲望が何かやて?そりゃ、○○○に決まってるやんけ。


08月03日(金)17:10:55 はれ 候補者の資質 No 190
『候補者の資質』

一般の人は、『政治』というと『関係ナイ世界』として考える人が多い。それが大きな間違いなのです。『政治』というのは、『友達付き合い』にもありますし、会社のなか、学校、家庭、等スベテの世界にあるのです。それは、『取り決め、キマリ、約束事、』などのコトとして皆、『政治活動』をしています。主婦が旦那さんの給料の使い道を決めているのは、まさに『家庭政治』です。国や県や市が『予算配分』をするのと全くおなじです。ようするに、現状の把握を的確にして、キマリを決めたり、予算(お金)の使い方を『バランスよく』決めるのが『政治』です。兎に角一番大事なのは『バランス感覚』です。『知識』はそう重要ではアリマセン。『知恵』はバランス感覚をとるときに重要な要素です。『知恵』は家庭政治では、『やりくり』ですよね。知恵のある主婦は『やりくり上手』のはずです。人との付き合いもバランス感覚は大事です。相手の『バリアー』の大きさや、奥行きや、拒絶度を推し量り、『距離』をバランスよくとる人は『人付き合い』の上手な人です。こういう人は、政治家の世界でも、どんな世界でも『上手に、しかも人に好感を持たれながら』生き抜く人です。前にも言いましたが、政治家でも『議員』と『首長』はかなりその資質は違うものを要求されます。『議員』というのは、ある意味『いろんなタイプの人』がいた方が良いわけで、『普通の人』でも充分にやっていけます。すべての能力、資質が『普通レベル』でもです。『首長』はそうはいきません。会社なら『経営者』です。その能力、資質が『×』なら、会社は『倒産』します。責任の大きさが全然違います。今でこそ、小泉首相をはじめ『離婚経験者』でも『首長』をやってますが、つい数年位前までは『離婚者』は『政治家』としては『失格』とまで言われていたのです。それは、自分の『家庭政治』さえできない者が、国や県などの政治ができるはずがない・・・と言われていたのです。一理はあります。



08月02日(木)11:41:24 はれ 神戸市長選 No 189
『神戸市長選』

今年の10月14日告示、28日投票日で決まった。又、ボクの廻りでゴソガサしている。複数陣営からオファーがある。なにせボクの地元神戸なので、『思い入れ』は他の選挙とは違う。よって『ビジネスライク』では対応できない。かといって『候補者の資質』もかなり重要だ。
『市長になった場合の能力』というのもボクなりに見させて貰う。150万人口を有する『政令指定都市』である。しかも、震災後の地元経済は『重体』である。財政破綻度ランキング(週間ダイヤモンド2001年7月14日号)は日本一である。神戸市にとっても、市民にとっても近年では、最も重要な市長選になるのではないか。



08月02日(木)10:08:13 はれ あー、可哀想。 No 188
『あー、可哀想』

日本の今の中高生は、欧米や韓国に比べて将来に悲観的で、生活にも満足感がうすいそうな。又とくに女子生徒の90%が『結婚はしなくてもよい』と答えたそうな。『学校生活』の満足度はアメリカ74%、フランス59%、韓国41%、日本32%。『社会全般』への満足度は、アメリカ72%、フランス54%、韓国19%、日本9%。
これは、昨年7月に、文部科学省所管の財団法人『日本青少年研究所』の調査結果である。一体、誰の責任やね!これは。可哀想すぎるやないか!戦後の日本社会で、ある意味貧乏ながらも楽しんで生きてきたのは『団塊の世代』だろう。ボク達や55才位までの世代だ。なんで、こんな夢や希望のない時代になってしまったんやろ。でも一番大きな問題は、面白いことや、夢や希望を与えて貰えると思って『待っている』子供達にあるのじゃないか?みずから『開拓』するという考えすら浮かばないのじゃないか?なんでもかんでも、親から『与えられて育って』きているからじゃないか?なんで『枠』にはめられたら、そこからはみ出そうとせーへんの?今の子は植物で言ったら『温室のなかで、肥料も水もしっかりと管理されて育てられ、ほとんどが同じように育った出荷される野菜』かな。地にしっかりと根を張った『樹木』では無いことはたしかなようです。動物で言ったら『鶏舎に同じように沢山飼われているブロイラー』でしょうな。決して『野生』では生きていけないでしょう。そして自分達がその『野菜やブロイラー』であることに気づいているのです。そりゃ、『夢や希望』があるわけアリマセン。なかにはその鶏舎を飛び出して『野生の王国』でワイルドに生きようとするのもいるでしょう。まあ、それはほんの僅かでしょう。反乱を起こさんかい!なんで、自分らの力で『満足な学校や社会』を作ろうとせんのや!不満なら『暴動』を起こせ!そのエネルギーが学校や社会を変えていくんや!


08月01日(水)13:51:01 はれ 暴威祭り No 187
『暴威祭り』

いよいよ、長年の夢だった神戸で一番のライブハウス『チキンジョージ』でのライブが決まりそうだ。知り合いの熱烈な暴威ファンの数バンドとの共演という形で暴威のヒット曲ばかりをやる『暴威祭り』というイベントになると思う。このチキンジョージは神戸の人なら殆ど知ってるライブハウスでスタンデイングなら500人は入るという箱だ。有名なバンドもほとんどココを使う。桑田佳祐もグレイもラルクもスピッツも・・・。そして暴威も使っている。実はボクは暴威がここを使ってライブをしたときのテープを秘かに持っている。1985年頃のインスタントラブがはやってたころのライブのものだ。来週、チキンの社長と打ち合わせだ。時期は今年の11月になると思う。なお、特別ゲストに元暴威のドラマー、高橋まことを呼ぶ予定です。好きな人はどうかお楽しみに!でも今回は低料金ですが有料となります。(いつもはタダでしたけど)。

08月01日(水)12:11:25 はれ エンジントラブル No 186
『エンジントラブル』

おっかなびっくりの体験でやんした。姫路から山陽自動車道を通って帰る途中、やや『ヘン』という感じを味わい、裏六甲ドライブウエーの登りで『なんかヘン』を感じ、まあいっか、って感じで御影までナントカ下りてきて2号線のマクドナルドのドライブスルーに入り、お気に入りの『照り焼きバーガー他を注文し、商品をもらってお金を払うところで、エンストした。章くんじゃないけど『アチャ!』である。いくらセル廻してもかからない。後ろには、車がドンドン来てる。お店の人も右往左往。けどエンジンはうんともスンとも動かず。結局JAFに出動要請。30分待たされる間に、お店に入り買ったのをイタダク。JAFが来たが、原因不明。ところがエンジンがイッパツでかかった。一応JAFが家まで後ろに付いていくから言ってくれたので、そうしてもらうことにした。ところが少し動いて間もなく又エンスト。これは『オカシイ』と又、JAFの人が前を開けるが原因不明。
又ボク特有の『心霊現象かい!』という気になるも、一応夜遅いので、デイーラーはお休みだし、はっと気づいてBMWジャパンの本社のサービスに電話するとツナガッタ。電話の人が言うには『ガス欠』です。と断言。ボクは即座に『でもガソリンメーターはあとまだ15リッター位残ってるけど・・・!』と言うと又、即座に『メーターの電気部品の故障』かもと言われ、ナンジャイ!と思いつつも、電話を切りJAFの人のそう告げると、『とりあえず、10リッターのガソリンはありますから入れてみましょう』と言うことになり、ガソリンを入れ、セルを廻すと『ブワーン』と快気音。なんのコッチャ!クソ!と思いつつも、高速道路で止まらなかったことを『神様』に感謝しつつ家へ帰った。さっき、デイーラーに持っていって見てモラッタが、ついこないだ『リコール』があったときにガソリンタンクをさわっており、その時のミスらしかった。『アホンダラ!』『ボケ!』

07月31日(火)17:47:59 はれ 続々:一番の悪党 No 185
『続々:一番の悪党』

今、選挙違反でやられている。運動員買収だ。やっぱり、神様は『楽に』成仏はさせないやね。さあ、これからどう展開していくことやら・・・。

07月31日(火)15:48:54 はれ 野生の王国 No 184
『野生の王国』

よくあることだが、外面は凄くイイのに『内面は別人』というのが時々いる。それも少なくはない。知り合いや『友達』付き合いのなかでも、そういう『壁』にぶち当たる時がある人は多いはずだ。ボクは前にも書いたように男では『友達』はいない。『知り合い』はメチャクチャ多い。その理由が知りたい人は以前のVOICEを探して読んでください。時々会うだけの、爽やかな付き合いの時には大体『イイ外面だけ』の付き合いである。特に『男の世界』では一緒に仕事をすれば、その男の『内面』つまり、『真価』と『正体』は大体解る。知恵、知識、頭の回転度、度胸、粘り、闘志、責任感、正義感、使命感、人情味等大体解る。勿論、それで人を『イイとかダメとか』ボクは決めていない。『そういうもの』と受け入れてそれなりの『知り合い』として付き合っている。勿論コイツは『根っからの悪党やな』と思う奴とは付き合わない。大体、そういう悪党以外は、ひとそれぞれに『魅力のあるとこ』『愛すべきとこ』『評価すべきとこ』を持っており、それはそれで捨てたものではない。ただ、そんなヤツでも、ボクの知らないところで、ボクのある意味『利益や信用を損なう行為』がある場合は、許すことはできない。そこまで受け入れるのは『神様』だけのなせるわざである。ボクはそういう輩は『知り合いリスト』から『削除』する。これは当然のことでしょ。確かに『人付き合い』って難しいでしょう。だけど『自分のことは自分で守る』がこの世の中で生きていく、いや『生き抜いていく』基本だと思います。最後は誰も『守ってくれません』。この人間界も『野生の王国』なのです。




07月31日(火)11:24:27 はれ 続:代議士誕生 No 183
『続:代議士誕生』

又、ひとりの国会議員が誕生した。彼はこれまで慶応大学の助教授だった。37才で、まだの独身の好青年である。始めて会ったのは、今年の2月だった。ある国会議員の紹介で東京の衆議院:議員会館で会った。会う前から『華奢な感じの男』と聞かされていたのだが、本当にそのとうりの男だった。背も低く、顔も小さく、体も細かった。ただ、眼光は鋭いモノがあった。この時、彼と一緒に来てたのが例のパフイーや、ラルクアンシエル、ゴスペラーズ等を売り出した『M氏』だった。やはり『資金は殆ど無い』に等しい候補者だった。
でも、イロイロ聞いてると、実家は神戸の垂水区だし、灘中、灘高と神戸育ちだし、又、M氏も生まれは奈良の山奥だが、若い頃神戸の北区に住んでたし、兵庫区の会下山のガソリンスタンドでアルバイトしながらバンド活動していたと聞いて、『一気に親しみが増し』、ボクとしても『仕事で東京に遊びにこれるな・・・!』という感じもあって、喜んで引き受けた。彼等も全くの選挙では『素人集団』だったが、M氏をはじめ『のみこみ』は早かった。M氏が得意とする『芸能人の売り出し』とボクの語る『選挙のやり方』がよく似ていたのである。ボクとしては3月から月一回、2日〜3日間上京して、イロイロとアドバイスをするだけだったので『気楽な選挙』だった。彼を取り巻く『選挙情勢』はしかし『混沌』としていて『一喜一憂』の連続だった。『舛添要一が東京から出る』だの、『石原慎太郎のモウ一人の息子:石原良純』が出るだの、自民党が都議選で170万票も出たから『2人擁立』になるかもだの、いろいろと精神的に振り回されていた。だけど結局は『神様』が味方をした。こういう『運の強い候補者』も時々いるのである。これといった対立候補も無くなり、選挙戦が始まってからは、4議席を争う選挙で、自民、公明、共産、民主の4候補でほぼキマリという感じになった。途中のマスコミの世論調査でも、そのとうりの結果が出ていた。ボクとしてはもうナニも心配無い『選挙』としてながめていた。結果3位で見事に『当選』した。彼とM氏から昨日、アトリエに喜びの電話があった。彼の『夢と野望』は大きい。又、いずれここでも書くことになるかもしれない。



07月30日(月)17:05:47 はれ ヒトツの見識 No 182
『ヒトツの見識』

今回、コンサルテイングをした知事選の候補者は、自民党を始め、公明党、社民党、民主党県連、自由党など、ほぼ共産党を除く各政党が推薦した、相乗り候補者だった。ボクとしては、今回の選挙は自民党に追い風の選挙であり、誰が考えても『小泉旋風』の選挙ということで、『自民党主体の選挙を!』と最初から強く陣営幹部に訴えた。当然、候補者と小泉さんが『握手』している写真もドンドン使うべきと強く訴えていた。結局は、『選挙ハガキ』には使ったが、ポスターには使わなかった。ボクは投票日の3日前に一斉に県下約1万数千カ所の掲示板のポスターを、その『小泉さんと握手』のポスターに張り替えることを強く主張したが、結局張り替えなかった。ボクは今でも、そのポスターに張り替えていたらあと20万票は上乗せ出来たと思っている。候補者も陣営幹部も迷ったのは事実だろう。しかし、諸般の事情(各党の応援)とイロイロな思惑で張り替えなかったのだと思う。開票結果は対立候補2名に80万票程の大差をつけて勝ったので『結果オーライ』ではあった。ボクは『職業上』プロとして、『票を伸ばす』為だけの『提言』をする場合がある。その提案された作戦を『決定』するのは『陣営』で、ボクではない。ただ、やみくもに『票』のためなら『何でもする』というのでなく、今回この陣営が決定したこのポスターにかんする『結論』は一人の人間としてのボクは『ひとつの見識』として敬意を表するものである。



07月30日(月)13:40:45 はれ 続:一番の悪党 No 181
『続:一番の悪党』

コイツが、ついに『落選』した。そうなんです、今回の参院選です。現職の国会議員だったのです。ああー、おぞましい!ボクは『死人』にムチは打ちません。どうかこのまま迷わず『天国』に行きなさい。ご冥福をお祈り致します。アーメン。ザーメン。ソーメン。ヒヤソーメン。

07月30日(月)12:12:06 はれ 夏休みの思い出ボロボロ No 180
『夏休みの思い出ボロボロ』

小学校5年生の時の『夏休み絵日記』に、40日間、毎日『しょうぎでしょうぎをした』とだけ書いた。『床机で将棋』である。先生怒っとたやろなー。近所の公園であった朝6時半からのラジオ体操には毎日行った。母が子供3人連れて、須磨海水浴場に連れて行ってくれたとき、兄が溺れそうになり、すぐそばで泳いでいた人に助けられていた。母と一緒に、母の故郷の福井県小浜市へも何度か行った。当時は京都経由で山陰線経由で神戸から8時間程かかった。田舎についたら母は長女なので『凄い貫禄』だった。『神戸の姉さん』と皆に敬意をこめて呼ばれていた。母の兄弟のなかで『ふみこ』さんという人が兄弟のなかで一番『貧乏』だったらしく、母が来てると聞いて、こども3人ほど引き連れて『挨拶』に来ていたが、ウチに入れて貰えなかった。確かに今でいう『ホームレス』のようないでたちだったのを覚えている。ただ、ここの子供たちは田舎の兄弟衆のなかで一番優秀な子に育ち、エリートとなったそうな。帰りの汽車で兄が中学校の制帽をマドから顔を出してて飛ばされた。昔から兄はトラブルメーカーである。そう言えば兄は、小学校3年生位の時に運送屋のバックしてくるトラックに轢かれて瀕死に重傷を負い、生死をさまよったこともある。大学生の時、踏切内で車がエンストし、立ち往生したこともある。自動車事故も結構あった。そうそうこんなこともあった。大学生の時、『創価学会』に入ると言いだし親と大げんかしたこともある。結局入らなかったが・・・。ヘンなヤツだ。話がそれたが、ボクは夏休みより『学校』のほうが好きだった。お金がなくて、ナニも買えない、どこも行けない、退屈な夏休みの記憶が殆どである。


07月28日(土)15:25:13 はれ ボランテイア的、勝手連選挙 No 179
『ボランテイア的、勝手連選挙』

この頃、よくマスコミを選挙のたびに賑わす言葉である。この際、プロとしてハッキリ明言しておきます。こういう選挙は『実際には』アリマセン。ボクも選挙のプロとしてそのある程度『市民運動的な、素人クリーン集団的な』イメージを得るために、『そういう感じ』を演出するときは確かにアリマス。しかしこと『選挙運動的』には何にも当てにしていませんし、期待もしていません。選挙は前にも書いたように『ELECTION IS WAR・・・選挙はIQゲーム、殺し合いのない戦争』。です。戦争に、ボランテイアの兵隊を使うことを想像してみてください。大体、ボランテイア活動をしている『人種』は『きれい事好き』『議論好き』『体より口がよく動く』というような『取り扱いの難しい』タイプが多いはずです。だから、戦場で『鉄砲』を持たせると、『えーっ、ボクに殺人をさせるのですか!』と言ったり、長い『行軍』になると『何で、歩かすのや!車はないのか?』と的はずれのコトを『戦場』でまともな顔で言うはずです。そして必ず、自分達を『正当化』して、『ボランテイアなんだから、そこまで出来ません、引き上げさせて貰います』という結末になります。いままで数々の選挙陣営がこの『ボランテイア的、勝手連』の集団に悩まされてきました。とは言っても、長野や、千葉の知事選のように、『勝手連』が中心になって『勝った』という選挙の報道がありましたが、実際には、その裏で、きちっとした運動も組織だっておこなわれているのが現実です。兎に角、『ボランテイア的、勝手連選挙』だけというのは、運動が組織立って出来ないし、計画が計算通り進まないし、混乱のもとなのです。勿論、なかにはまともな『ボランテイア集団』もあります。今回入った、ある知事選挙で、県のOB集団がきっちりと全員『手弁当』で『無報酬』で、1000人規模の集団で見事に、軍隊式の組織で選挙を戦っているのを見ました。こういうのは『ホンモノ』です。なかにはこういう『汚い、選挙ゴロ的な自称、勝手連のまとめ役』というのも存在します。気をつけましょう。こういう輩は『勝手連』といいつつ、その『陣営』から『資金を獲る』のが目的です。勿論、『お金をとること』が目的の悪い奴らです。こういうグループも日本中の大きな選挙をターゲットに渡り歩いています。『勝手連』ですから、当選した『知事選をヤッテいました』。と言って近づいていっても、その事実の裏付けのしようがないのです。要注意です。


07月28日(土)12:44:29 はれ 選挙違反 No 178
『選挙違反』

公職選挙法に違反する刑事事犯である。これが意外なほど、内容が知られずに『選挙運動』が行われているケースが多い。まあ、知ってて、『犯す罪』より、『知らずに犯す罪』はやや軽いということもあるのだが・・・。選挙を監視する役所の『選挙管理委員会』でもよく知らない人もかなりいる。微罪と呼ばれる軽いモノから刑務所行きの重いものまでイロイロだ。ただ、大体において殆どの陣営が、大なり小なりの『選挙違反』は犯している。警察にも『検挙のノルマ』が各所轄にあって、それを挙げるのに奔走する。特に警察が狙うのは、『大胆不敵な選挙違反』をする陣営と、挙げれば『パブリシテイー』の高い陣営である。動き出すのは、『選挙違反取り締まり本部』が出来てからである。ネライをつけられた『陣営』の主なスタッフと候補者にはこの日から『尾行』がつく。行動をすべて『掌握』されてしまう。なかには『へたな尾行者』もいて、バレル時もあるが、大体は上手に付く。すべては『何かの時』の状況証拠固めの材料となる。一番重いのは、『買収』だが、今時、『現金をまとめて渡す』というような買収は、田舎では知らないが、都会では殆ど無い。都会での『買収事犯』は『飲食の供応』と『アルバイトの給料』である。飲食の供応は、場合によっては、喫茶店のコーヒー一杯でも摘発事例がある。アルバイト代も、選挙の規模で違うが、特定人数は認められているが、その人数を超えると、その人たちを『買収』して選挙運動に従事させたこととなり、摘発される。都会での『買収事件』はほとんどこれである。総支払い金額が2000万円を超えると、ほぼ間違いなく『実刑』となる。懲役刑である。執行猶予は多分付かない。いよいよ参院選が終わるが、数日後には日本中で逮捕者が沢山出ることだろう。あーっ、くわばらくわばら・・・。


07月27日(金)15:06:58 はれ 続:明石の事故 No 177
『続:明石の事故』

その後、いろんなコトが明らかになってきた。もう、だけどこんなレベルでやってることって多いんやろな・・・。
どこもかもが、『真剣味』が足りないのやろな。ボクは物心ついたころからの『処世訓』は『常に、最悪の事態を考えて、最善の方法をとれ』だった。これは、ボク自身の仕事と生活スタイルでずっとそうしてきた。選挙運動は特にそうだった。明石の場合は『最悪の事態は想定せず、理想的な事態を想定して、運営マニュアルを決めときましょう・・・』ということだったということか。それにしてもお粗末な『命』の扱いかただ・・・。


07月27日(金)15:05:03 はれ 日本共産党 No 176
『日本共産党』

共産党と名前がついて、『社会主義』を標榜していることにはなってるが、恐らく、この党内の幹部クラスでも『社会主義の終焉』は誰もが現実には悟っていることだろう。今や、世界中見渡しても『まともな社会主義国』は『北朝鮮』くらいじゃないか?そして、その『まともな社会主義』がどれだけの問題を抱えているかがはっきりと伝わってきているのが現実である。お隣の中国でさえ、『自由競争の原理』をかなり導入している。一時、このまま行くと『日本共産党大躍進』か!と思われる時もあったが、いまは、得票率をじわじわ伸ばすという時期のようだ。でも間違いなく力は伸ばして来ている。ボクは選挙の仕事でも『共産党の方はお断り』と明記してるように、好きではない。ただ、政党としてのあり方、組織としてのあり方には敬意を表したいほどしっかりしていると認めている。個人献金だけで自民党よりも多くの『浄財』を集めての党運営、政党政治の基本と思う『党優先』の党内政治。そして、かたくなまでに受け取らない『政党助成金』。見上げたものである。ボクはよく廻りの人に言っている。この党が『党名』を変えた時、大変なコトが起きるよ・・と。今現在、党内でも議論はあるようだが『変えない』という結論にいたっているようだ。しか、今後どう変わるか解らない。『日本労働党』『日本人民党』とでも変わって動きだせば支持率はマダマダ上がると思う。それだけの党としての『資金力』と『人材』も持っているのである。アメリカでは『共産党』は『非合法』で認められていない。『自由の国★アメリカ』でである。そうなってくると、ひょっとしたらアメリカが『介入』してくるかもしれない。今でも我が国の『警察』は『警察学校』で『共産党はいずれ革命を起こす・・・!』と教えているそうな。『仮想敵』として認知しているのである。兎に角、政党としても、政治家それぞれをみても『クリーン度』では我が国では『ぴかイチ』ではないかと思う。ただ、将来の日本をどのような国にしたいのかが全く見えて来ないのである。『天皇制』をどうするのか?今の自由経済をどうするのか、全く見えてこないのである。もう『標榜するモノ』はこの世に存在しないに等しいのだから、議論はしてるとは思うのだが、ここが一番の、この党のネックである。そうです、『情報公開度』が全く低いのである。『開かれた政党』には、ほど遠い『閉じられた政党』なのである。

07月26日(木)13:49:00 はれ ボクの嫌いなモノ No 174
『ボクの嫌いなモノ』

ウジウジ人間。優柔不断。本音と建て前のあるヤツ。人間の裏表のきついヤツ。『お金』を必要以上追いかけるヤツ。人を利用するのにたけたヤツ。デイーゼル車の排気ガス。普通の道を超低速でマイペースでナニも気にせず走る車。前が詰まってるのに『ケツを掻く』後ろの車。ブランド指向の人間。約束を忘れるヤツ。当たらない天気予報。ゴキブリ。ゆですぎた『麺類』。薄味のみそ汁。入った客に店員が誰も気づかぬ喫茶店。店員同士がよく喋る喫茶店やレストラン。電車で足を大きく拡げて座るヤツ。前の座席に可愛い子がいるのに目の前に立つオッサン。映画館で前に座るやたら頭のデカイヤツ。車からタバコの吸い殻をほるヤツ。歩きながらタバコを吸う女。何かを探しながらトロトロ車を運転してるヤツ。スーパーの売り場の通路をふさいで話に夢中になってるオバハン等。狭い道をヨコ一列にふさいでトボトボ歩くオバハン等。混雑した道で廻りを気にせず「日傘」をさしてる背の低いオバハン。キャッチホンにしていない電話。留守電とは解らぬくらいリアルにしゃべる「留守電」。鈍感な女。役所の窓口の人間。銀行のフロアーでお得意ばかりにおべっかする銀行員をおいてる銀行。人の服装だけで人を判断するヤツ。自分は凄く頭がイイと思ってる候補者。車高の高いRV車。粉薬。具のないシャプシャプのカレー。焼きそばと紅ショウガの取り合わせ。イチャイチャ仲の良すぎるカップル。巨人戦だけ必死で戦う他チーム。野村監督夫人のタイプ。梅宮アンナのタイプ。和田アキ子。西田ひかるタイプ。やしきたかじんタイプ。ダウンタウンの浜田タイプ。最近の今田耕治。福留アナウンサーのタイプ。なめくじ。ロンドンブーツの二人。叶姉妹。意地悪人間。弱いモノいじめ人間。高飛車人間。お金持ちのワガママ娘。ごますり人間。無言のタクシー運転手。おしゃべりなタクシー運転手。ウオシュレットの付いていないホテル。洋画、日本画と分けること。日本の『画壇』とやら。『美術館の学芸員』という職業システム。絵を描いてますと言ったら即座に『アブラですか?』と聞くタイプ。絵は先ず『デッサン』からとのたまう輩。金儲け主義の『画商』。ヒロヤマガタ的アーテイスト。ベネチアビエンナーレ的『権威主義』。そして、言いたいことを言いだしたらトマラナイ『ボク』。



07月26日(木)10:53:16 はれ 指揮官の能力 No 173
『指揮官の能力』

すべてにおいて『無能な指揮官』を持つと、その配下や陣営、そして『状況』は『不幸な事態』を生む。例の明石の事件でもそうだ。よく誰が指揮官やね!とワカラン時もある。組織によってはわざとそういうシステムを組んでる時もある。こと選挙事務所でもよくあることで『表選対』と『裏選対』という呼び名がある。表選対というのは、それらしい人を表に立てて『選挙事務長』というような肩書きを与え、マスコミ等にも登場する。ただ、大体は『お飾り』である。なんの決定権も実務も担当していない。裏選対は『実質の選対本部』であり、ここの責任者は実質上の『最高指揮官』である。候補者からスベテの権限を任されトップダウンに各担当責任者に『指令』を出す。基本的には『軍隊』と同じである。つまりこういう『組織』を作るのがボクの考える選挙ではアタリマエである。こういう組織が出来ていない場合や、『最高指揮官』が無能な場合は最悪の選対組織となる。ただ人が右往左往するだけで、組織は『空中分解』し、それで『終わり』である。ボクが選挙に入る時は、この『最高指揮官』と接触するのが基本となる。ただ、なかにはこの『裏選対』のまだ『裏』に実質上の『最高責任者』が存在する場合もある。こういう場合はボクにとっては、『困った選挙』となる。ボクの選挙に関する話や、アドバイスは『直接』聞いてこそ、意図が通じる。説得力には自信がある。ところがこういう間に『中継者』が入ると、100%『意図』は大体伝わらない。どうしても『立場上』と色々な理由でその『最高責任者』は表にも出れないし、ボクと会うことも出来ない場合もあるのだが・・・だから『困った選挙』となる。こういう場合、その『中継者』である『最高指揮官』の資質と能力とIQの高さがかなり重要な要素となる。つまり『最高指揮官』にそういう『人物』を置いていない『最高責任者』はその資質も、能力もIQも大したことは無いということだ。話が又、明石にもどるが、花火現場の『最高指揮官』に『無能』な人間を置いた『最高責任者』の明石市長も『無能』だということだ。


07月25日(水)12:00:13 はれ ボクの好きなモノ:VOL2 No 172
『ボクの好きなモノ:VOL2』

海も好きだが、森のほうがモット好き。花は、バラのような派手な花より、かすみ草とか、ビオラのような『可憐な花』が好き。雨の日より晴れた日が好き。早春と晩秋が好き。夜より朝が好き。本音の話が好き。前向きな男が好き。電車では座席の一番端に座るのが好き。座れない時はドアの端に立って外を見るのが好き。手ぶらで歩くのが好き。高速道路では左車線を80キロ位のスピードで走るのが好き。犬も猫も好き。江戸情緒が好き。ダウンタウンの松本が好き。司馬遼太郎のえがく『坂本龍馬』が好き。向田邦子の小説が好き。算数より社会が好き。日本史では、戦国時代と明治維新の頃が好き。タバコはラーク、ケントの1ミリが好き。タピオカ、ナタデココ、のような『コリコリもの』が好き。旅館よりホテルが好き。でも露天風呂が大好き。満月より薄い三ヶ月が好き。花の水やりが好き。お好み焼きは『豚すじ焼き』が好き。人とお茶飲みながらのダベリング好き。一人ぼっちも好き。ニュース番組も好き。サスペンス映画も好き。恋愛映画も好き。実話映画も好き。駅弁が大好き。『暴威』の全盛期の音楽が好き。特に、クラウデイー・ハートが好き。巨人の清原が好き。メッツのバレンタイン監督も好き。格闘技はなんでも好き。ジェニファー・ロペスが好き。小川知子アヌウンサーが好き。若大将時代の加山雄三が好き。60年代のアメリカン・ポップスが好き。特にヘレン・シャピロ、レスリー・ゴーアが好き。ビートルズも好き。ローリング・ストーンズはもっと好き。下町の市場歩きが好き。下町の喫茶店で聞き耳立てて聞く『世間話』が好き。カラオケが好き。ライブで唄うのもっと好き。大滝えいいちのナイアガラの曲が好き。デビューのころの佐野元春が好き。三宅裕司のスーパーエキセントリックの芝居が大好き。○○が好き。○○も好き。自分も大好き。勿論、嫁さんもズット大好き。

07月24日(火)13:04:51 はれ 淋しい No 171
『淋しい』

なにか、そう言うときがある。年のせいかな?ネット世界にはまっているが『限界』も感じる。ネット世界にはもう一つの『ネット』がある。その『ネット』は『これ以上入って来るな!』という『遮断するネット』だ。『普通世界』では、知り合ってからは、よく会ったり、話をしたりはアタリマエのことで、その回を重ねるなかで、より『親密』になったり、『遠ざかったり』してゆく。去年から『初心者』として入り込んでいる『ネット世界』の暗黙の掟やおきまりをボクは知らない。でもなにかあるような気がする。ボクはネット世界での『仮名』『匿名』の世界、よくある『誉めあい、キズの舐めあい』の風習は嫌いだ。これは、『建前の社会』『ウソのはびこる世界』と通じるモノがある。なんか、むなしい。淋しい。やるせない。これだけは、言っておきます。ボクの言葉や、発言や、『誉め言葉』にウソはアリマセン。すべて『普通世界』のボクと同じ世界です。

07月24日(火)10:02:04 はれ ボクの好きなモノ No 170
『ボクの好きなモノ』

食べ物では、先ず『高級にぎり寿司』なかでも大トロ・中トロ、蒸し穴、ヒラメ、そのえんがわ、白身は殆ど好き、でも最近はめったに口には入らない(貧乏してます、エヘッ)。肉は『焼き肉』が一番。次ぎに『すき焼き』。でも『肉じゃが』も好き。ローストビーフも好き。中華は、なんでも好き。特に『レタス包み』『牛バラ煮込み』などイイネ。パスタ料理も大好き。特にカルボーナーラ。和食も好き。週に一回、『有機野菜』と『鮮魚イロイロ』が自宅に配達されているので夕食は殆どこの材料を使った和食だ。冷や奴、刺身、焼き魚、煮魚、野菜の煮たの、嫌いなものなし。お菓子はケーキも大好きだが、和菓子はモット好き。あんこは粒より『こしあん』が大好き。大福餅のようなモノよりお茶菓子の『綺麗な和菓子』が好き。くず餅、柏餅、も大好き。伊勢の赤福もちも大好き。ソフトクリームもアイスクリームも大好き。ソフトクリームは軽井沢銀座の『モカソフト』とその向かいにある『神津牧場のソフト』は最高。アイスクリームはハーゲンダッズのバニラ。かき氷はモット大好き。それも『練乳がけ』がベース。フルーツで一番は『アップルマンゴー』次ぎに『イエローマンゴ』あとスイカ、バナナ、柿、デコぽん、パイン、ベリーA,パパイア、等、特に好き。でもフルーツは何でも食べる。高級チョコレート大好き。でも、グリコや、明治のアーモンドチョコも大好き。甘くて辛い『カレー』も大好き。コレは殆ど、ボクがアトリエで作り自宅へ持って帰る。大鍋に一杯作るので、いつも冷凍保存もしている。市販のルー(グリコ、ヱスビー、ハウス)等をベースにカレー粉をより加え、ココナツミルク、すりおろしリンゴ、パイナップル、ヨーグルト、牛乳、等も加えて作る。アトリエで来客に出すカレーパスタはこのルーを使っている。手作りソーセージも大好き。軽井沢の駅の東200M位の所に『フレスガッセ』という『手作りのハム・ソーセージ』を食べさせる『食堂』があるが、ここのそれに代表される、太くて、ハーブやスパイスのイッパイ詰まった『ソーセージ』が大好き。パンでは御影にある『ケルン』の『チョコッペ』が一番好き。飲み物では、紅茶よりコーヒーが好き。日本茶はすべて好き。『ルートビア』や『チェリーコーク』『ドクターペッパー』等の『癖アリ系』も大好き。下町のお好み焼き屋さんによく置いてる『アップル』も大好き。お酒は外で飲むときは、大体バーボン系。『ブラントン』がご指名。あーあ、食べ物ばっかりの話になった。次回は別のフェイバリットの話を・・・。

07月23日(月)15:34:38 はれ 明石の事故 No 169
『明石の事故』

すべてが『オソマツ』で起きた人災だ。13万人も入る会場に、出入り口が幅6M、長さ100Mの一ヶ所の歩道橋だけという状況。ナント600平米(約200坪)の狭い土地に3000人も押し込められている状況。それも、今年のお正月カウントダウンの時にも、同じ会場で『花火大会』をして同じような『問題』があったそうな。その時は『死人、けが人』がなかったから、『問題』は解っていても『強行』したようだ。丸一日かけてやるイベントならまだしも、たった30分ほどの『集中してやる』花火大会というイベントに13万人も集まるのである。もうナニオカ言わんやである。一番『オソマツ』は警備陣だろう。これは、こういう大規模イベントの時には、警備会社は、沢山のアルバイトを雇う。その日始めて、警備業務をするアルバイトもいる。よく道路工事についている『警備員』も殆どがアルバイトだ。しかも旗の振り方が『進め』か『止まれ』かもよく解らない時もある。ややこしい『交通整理』の時には『よそ見』でごまかす『警備員』もいる。そういう『警備業界』の実態も今回の不幸な事故の大きな原因だろう。当事者能力のないものが例え数百人警備についても意味はない。そして、最も責められるべきは、その指揮を執る『主催者』だ。



07月23日(月)15:02:53 はれ HAWAII No 168
『HAWAII』

ハワイは3回行った。又、行きたい。ほんとに、リゾートする。街全体が、フワフワして『仕事』の奮意気がまったくないからだと思う。でも最後に行ったのはもう10数年前だ。その後、ボクの『例の事件』で5年間『外国旅行禁止』となり、海外に出れなかったためここ10年は『行く気も無くしていた』。ああ、だからそろそろ行きたい。今でもあるのかな?と思うオススメの店がある。もし、近況を知っている人がいたら教えて欲しい。先ず一番はホノルルのミナトの突堤の先端近くにあるシーフードレストランの『ジョン・ドミナス』。もう始めて行った時はその素晴らしさに感動しました。窓越しに遠く見えるホノルルの街並みの夜景、カッコイイウェイテイングバー、客席入り口のドーンと並んだ見せ物のありとあらゆる『鮮魚』たち。その見せ方もかっこよかった。余りいない『日本人客』。最高においしいし、ボリュームもあるのにその安さ。もう、必ず行く店でした。今でも健在かなー?次ぎはフランス料理の店『ミシェル』だったかな?いや名前は『ミシェルズ』だったかも・・。ワイキキビーチの一番ダイヤモンドヘッドよりの海岸に立つホテルの一階にあったと思う。マドが無くオープンになっていて潮風と波の音を聞きながらの一流のフランス料理である。Tシャツでは入れてくれません。一応、お店にジャケットは置いてくれていますが・・。お客様も日本人観光客は全然いません。今はどうか解りませんが。最初に、食べるのは生ガキのレモン添えです。これはもう『絶品』です。この店は、知り合いが最近行って報告を聞いたので、健在です。ただ、ジョン・ドミナスより少し値段は高いです。もう一軒、中華料理でメッチャクチャ、美味い店がダウンタウンにあったんやけど名前を忘れた。ひょっとしたら『ウオンキー』言う名前やったかも・・・。でも自信無い。ホノルル市街地には『食べ物や』さんには不自由はしませんが、これからハワイに行く人は、是非『予約』を入れて上記の店に行ってみてください。予約の時は『英語』でね。

07月22日(日)17:23:49 はれ 兵器産業 No 167
『兵器産業』

アメリカは世界最大の武器輸出国だ。武器を生産し世界中に輸出することで『経済』がかなり成り立っているというのは事実だろう。特に、『ブッシュ政権』になってからは、その『業界』の『攻勢』は激しくなっている。『業界』と『政界』の癒着はよくあることで、特にその『業界』が『国の政策』と関連が深い時は、その『業界のトップ』は『国のトップ』もしくは『国の政策に影響力の強い人』にかなり積極的に近づく。ブッシュ政権の誕生後の、彼のかなり『強引な』やり方は裏にそれがあると思えてならない。『京都議定書』の件でも、彼は『強情』だ。これも『関連業界』との深い『何か』があるのではと思ってしまう。特にアメリカの大統領選挙なんて、日本では考えられない位の『資金』がいるはずで、その時にかなりの巨額の資金提供をウラで受けている可能性もあるのではないか。ああ、こんなこと書いてたらCIAに殺されるかも・・・。日本人は長いこと『平和ボケ』してるから、このCIAとか北朝鮮の工作機関とか、今マダあるかどうか知らんけどKGB(ソ連)とかKCIA(韓国)とか、所謂『スパイ』というか『工作員』というか、日本にも沢山入ってきてるなんて信じられへんやろけど・・・。冷戦時代ほどでは無いとは思うけど、今この東アジアには、中国、北朝鮮、台湾、インドネシア、フィリッピン、カンボジア、他政情不安や、緊張してる国同士があるので、間違いなく、今でも『情報収集』に入ってきています。今の、平均的日本人には、『そんな、アホナ』という話かとは思うけど・・・。とにかく、今の『ブッシュ政権』を見てると、やや不安。兵器産業にとって『地域紛争』は『商売繁盛』の原点。『政情不安をつくること』は『兵器が売れる』現象が必ず起きる。太平洋戦争に我が日本が突入した時、『軍部』の後ろに三菱や川崎などの『旧財閥系兵器産業』があった。時代背景は全く違うが、それとよく似ている。アー怖い。怖い。

07月22日(日)12:16:40 はれ 神戸・芦屋のお薦めグルメ No 166
『神戸・芦屋のお薦めグルメ』

この神戸、芦屋地区は結構『口の肥えた人』が多いので、安くて美味しい店やオススメモノがある。思いつくままに書きます。先ずお菓子、特に『ケーキ』ですが神戸にはホントに美味しい『工房』が沢山あります。全国のデパートの地下にあるような『店』のことは、この際余り書きませんが、東京の有名デパートの地下の『洋菓子コーナーの半分弱は神戸の店です。先ず、ボクのお薦めはやはり地元の『御影』にあります。阪急御影駅周辺にかたまってあります。『ダニエル』『アラン・カスケビッチ』『高杉』『シェ・コパン』がお薦めです。勿論『アンリシャルパンテイエ』や『ケーニヒスクローネ』もありますが、『工場生産品』がやや多くなります。『ダニエル』は開店当初から、そのケーキ作りが話題の店でした。今は、ややピークは過ぎましたが『イイケーキ』を作ってます。『アラン・カスケビッチ』はその名のフランス人がやってます。フランスの田舎の家庭菓子という感じもありますが、『オシャレ』な作り方をします。味も言うこと無しです。そして『安い』のです。『高杉』はちょっとお高くとまってますが、いいものを作ってます。TVチャンピオンにケーキ部門でなったことがあるらしく、プライドをもってるようです。値段も『高い』です。『シェ・コパン』は『安くて、美味しいモノ』に徹した作り方をしています。ボリュームもあり、『自宅でイタダク』にはもってこいの『ケーキ屋』さんです。次は『各国料理』です。中華料理なら『中華街』ではなく『トアウエスト』がお薦めです。JR元町駅の北東側とトアロードの間の地区です。『愛園』『新愛園』『中国酒家』『紅宝石』『群愛飯店』など、ここではどの店に入っても裏切られません。インド料理なら『デリー』が特にお薦めです。インド人がやっているインド料理店は神戸に沢山ありますがここは『日本人』がヤッテます。他のインド料理店は客は日本人が殆どですが、この『デリー』には、地元在住のインド人客が多いのです。それが美味しさを語っています。場所は鯉川筋を三井・住友銀行まで北に歩き、あと一筋北へ歩いて、右手にまがったところにある『小さな店』です。インドネシア料理は芦屋にある『ロンボク』です。国道2号線の津知町交差点のヒトツ東の信号を南へ下りたらあります。ここの『ヤキソバ』『牛肉串焼き』『チエンドル』は特にお薦めです。チエンドルはココナツミルクに椰子砂糖とワラビが入った『トロピカル・ジュース』です。フランス料理の店は沢山あって困りますが、特にお薦めは六甲山にあります。『コム・シノワ』という店で軽井沢テイストで存在しています。ここは別荘地にあり、直営のログハウスもあり宿泊が出来ます。8人位泊まれて一棟貸しで4万円位だったと思います。緑イッパイに包まれたところです。去年泊まりました。今年もイキマス。レストランもログハウスでイイ感じです。ランチタイムは一人2500円位、デイナータイムは一人6000円位です。チョット一風変わった、フランス料理ですが、ロケーションにマッチしたものが出ます。表六甲ドライブウエーの登り切った所の『T字ヶ辻』を斜め左前方に細い道を入ったところにアリマス。イタリアンは又、沢山ありすぎて困ります。ここはチョット『身内の店』を宣伝します。VOICEにも書いたS君が経営する店がハーバーランドにあります。『BRERA TABLE』と言う店で、コーナンの西隣にあります。モザイクの北の端のはずれです。ここは『倉庫』を改造した『オシャレな店』でイツモ若い子でイッパイです。外から見たら、コレナンノ店やろ?と言う感じですが、十字架が目印です。パスタもピザも安くて美味しいです。あーっしんどなってきた、今回はコレくらいにしとく。



07月21日(土)13:54:52 はれ 生き方 No 165
『生き方』

先進工業国の国民の生活が所謂『先進的文化度の高い生き方』との評価がまあ、今の世界の価値基準だろう。あらゆる電化製品が揃い、自動車が氾濫し、『あくまでも便利』を追いかけている。ボクが毎週、楽しみにしているテレビ番組に『世界ウルルン滞在記』がある。この番組を見てて、つくづく思うことが多々ある。それは、大体『南の島』の人達の生活振りを見ていてよく思うことだ。スベテ『時給自足』。魚も必要以上『獲らない』。食べる分と『山の幸と交換する分』以外『獲らない』。勿論『電気』も無ければ『ガス』も無い。
でも何不自由なく『木で火を熾し』、日が昇れば『起き』日が沈めば『寝る』。島の生活は『掟』が決められ、皆それをシッカリと守っている。アニミズムもちゃんと残っていて、土の神、水の神、火の神、山の神、森の神などスベテの身のまわりのものに『神』が存在する。子供たちは、今の日本の『塾通い』の子供たちには殆ど見られない『屈託のないバカ笑顔』で溢れ、それでいて日本なら中学生くらいの年になったら『真剣な表情』でオトナへの『仲間入り』に向かって『狩猟』や『魚獲り』に取り組み始めている。ボクはいつもこういうのを見たとき『これやな』と思ってしまう。ボクがココで生まれていたら間違いなく、なんの迷いもなく『子供を作った』と思う。ボクは世界中で一番幸せな『生き方』をしてる人たち、『先進的文化度の高い生き方』をしている本当のひとたちは、この人たちかなと思っているのです。


07月21日(土)10:38:50 はれ 子供 No 164
『子供』

『子供さんは?』という質問を余り受けたことがない。僕自身からどうも『子供』の匂いがしないらしい。『独身』のようにも見えることもあるらしく、『家庭の匂いや生活の匂いがしない』とは、よく言われる。ホントに、たまに『どうして、お子さんがいないんですか?』と聞かれることはある。多分、こう聞くのはある意味、結構『勇気』が要ることかもしれない。だってどんな、『問題』を抱えているのか解らないのだから・・・。ここでハッキリと『明言』しておきます。夫婦の間に何の問題もありません。肉体的にも精神的にもです。結婚した頃から、よく話あったことに、『子供』のこともありましたが、これに関しては、二人とも『要らない』ですぐに『一致』しました。ここでは、ボクがなんで『要らない』の結論に至ったのかだけをお話します。ボクは今でもそうですが『当時から、この時代が余り好きではアリマセン』。又、『この日本という国の当時のあり方も、そして今も、余り好きではアリマセン』。文化的にも、平均的国民の持つ価値観の基準にも、時代背景も、自然もです。ほとんどスベテが余り好きではアリマセン。でもまあ、ボクは、その時代にここで『生まれてしまっているので』、すべてを呑みこみながら、受け入れながら、消化したり、吐き出したりしながら、そんななかでも『自分自身』を出来る限り『満足』させながら『生き抜いている』つもりです。でも、今の世の中を見渡しても『ボクのような生き方』をしてる人とは余り出会ったことがありません。既に『ボク自身』もこの社会の枠から『はみ出して』います。ボクはボク自身を分析して、『過保護』『愛情過多』『溺愛型』だと認識しています。今まで飼ってきた『ペット』にたいしてもそうでした。そうなると『本当に可愛くて、可愛くて仕方がない、溺愛している子供は、今の時代には、送り込むことが出来ません』。皆、よくガマンしてるなーとつくづく思うことに、特に最近多い、『子供をなぶり殺された父親の涙の会見』があります。ボクは自己分析して多分、アアは『冷静』におれません。溺愛型のボクには、やった奴らに『復讐』したいという気持ちを抑えることが出来ないような気がします。日本社会では、つい明治時代以前までは『仇討ち』が許されていたんです。それも何百年以上もです。その遺伝子の記憶も流れているのです。最近の学校の実態や、子供たちの実態を見ていて、『ほんとに、子供を世に出さなくて良かったなー!』というのが、いろんな事件が起こるたびにする『夫婦の会話』です。


07月20日(金)14:25:44 はれ 生きる No 163
『生きる』

時々、『生きる』ってどういうことなんやろね?と嫁に聞かれる。自分でも、よくわからんけど、『死ぬために、生きてんねん』とボクは応える。結局、生まれ出てきた瞬間から、必ず『死ぬコト』を約束され、その時期がいつかはよく解らぬが、それまでは『生きてゆくし、生きてゆかねばならない』。ボクは今まで、沢山の『成功者』や『失敗者』を見てきた。ただ、何が『成功』で何が『失敗』かの基準は、考えれば難しいものがある。何十億円もの『富』を手にしたが、『家族』や『気にかけてくれる周りの人達』に見放され、想像もつかない『孤独感』と『厭世感』を味わっている人を知っている。そういう事実を知らない世間の人は彼を『成功者』と見るだろう。でも、それが果たして『成功者』かどうか?急成長した『実業家』でピーク時を超えて『失敗』し、いまだに行方不明になっている人も知っている。なんども、なんども『失敗』を繰り返したけれども『逃げずに』今、事業を『成功』させている人も知っている。結局は『死』に至るときの『状態』がどういうふうになっているかじゃないだろうか。人間、あと数日で『死ぬ』というとき、どの位『悔い』があるか無いかじゃないだろうか。その瞬間を迎える時、『ああー、イイ人生だった』と思える『生き方』をすることが、『イイ、死に方』ではないだろうか。その瞬間にそう思えた人が本当の『成功者』かもしれないと思う。

07月20日(金)11:39:33 はれ 中国の思い出 No 162

『中国の思い出』

外国は好きなのに、余り行ったコトがない。でも数少ない外国旅行のなかで、今から20数年前に行った中国旅行はかなり印象に残っている。当時は田中角栄が首相の時代で、『日中国交回復記念』に田中派の各議員が飛行機をチャーターし、中国旅行を順番に実施していた。我が代議士も当然、それを企画した。『北京・天津の5日間の旅』である。国交回復後、僅か数ヶ月の頃なので、中国側は国レベルでの歓迎である。と言うより『民間企業・旅行社』が無いので、国営の旅行社がすべてをアレンジしていた。宿泊ホテルは、国賓がよく利用する『北京飯店』だ。一番驚いたのは、翌日の朝、ホテルの前に集まった数え切れない程の『群衆』だった。聞くと、『日本人』も『旅行者』も珍しいので、こうやって『物見高く』集まるそうだった。ざっと500人はいたと思う。まだ、そう言う時代だった。イッショに行った後援会の人と数人で、ホテルの近所を『散歩』に出たら、遠巻きに囲みボク等の後ろを100人位がゾロゾロついてきた。ちょっと、異様な光景だった。一番『困った』のは食事だった。一日3回、中華料理のフルコースが滞在中の4日間ずっと続いたのだ。朝は『お粥』中心のコースだったが、それでも結構しつこかった。いくら好きな中華料理でもフルコースが3日も朝から晩まで続けばイヤになる。万里の長城へ行った時、汽車のなかの『パン食』だけが、それではなかってホッとしたものだ。そうそう『万里の長城』に着いた時、沢山の子供達が寄ってきて『100円ライター』を欲しがっていた。勿論『翡翠の原石』との交換である。『火』がスゴイ貴重なものなんだと、あとで通訳が教えてくれた。ちなみに『通訳』は当時、中国では『超・エリート』で、日本での東大にあたる『北京大学』の学生で、なかでも優秀な者が選ばれる『仕事』だと通訳自身が言っていた。給料は一回こういう仕事につくと、当時の中国の庶民の年収分位には成ると言ってた気がする。一番可笑しかったのは、そのフルコースの食事の時間でした。必ずワンテーブルに一人、現地の中国の役人が『歓迎』ということで、入ってきます。その彼等の食べっぷりの凄いこと。『よく食べて、よく飲みました』。聞けば彼等にとって『こういうフルコース』は殆ど食べたコトが無いとのことだった。日本での『普通の中華料理のコース』は、彼等みたいな政府の高官クラスでさえ『宮廷料理』で殆ど食べたコトのない料理だったのだ。もっとも困ったことは、野外でのトイレである。ドアなんて無いに等しく『外から丸見え』なのである。これは最近、中国に行った人からもそう聞いたから、どうもいまでもそのようだ。風俗の違い、生き様、考え方の違いを痛切に感じた出来事だった。その後は、中国に行っていないが、もう大分変わっただろうな・・・。

07月19日(木)15:05:36 はれ K君 No 161
『K君』

彼は、ボクが可愛がってきた例の『選挙アルバイト』の学生の中での一番先輩格になる。ちょうどF君等とほぼ同期のアルバイト学生だった。『要領の良さ』は群を抜いていた。『目上の人』に可愛がられるタイプの男の子だった。サボるのも上手かった。しかし『憎めぬタイプ』だった。彼とは深い縁があり、もう20年以上の付き合いになる。今でも家族ぐるみの付き合いをしてるし、嫁同士がこれまた、メチャクチャ仲が良く、近所に住んでることもあってボク等以上に、よく会っているし、毎晩携帯で『メール交換』もしている。ボクもついこの間まで、ここの小学生の子供達にボランテイアの『お絵描き教室』をしていた。ただ、今、彼は『苦境』に立っている。『落選中』なのだ。2年前の県会議員選で、2期目の選挙で負けたのだ。それも数百票差でだ・・・。『落選』の悲哀は、本人以外誰にも解らない。ただ、『生活面でもメンタル面でも』尋常では無い苦しみはあるはずだ。彼は、大学卒業後は長谷川工務店に就職した。それもトップの成績でである。会社では『目上』に可愛がられドンドン『出世』した。その間、当方の選挙の度に、会社を休んで『長期間』手伝わされた。長谷工の社長と石井一が甲南大学の同窓だったという『縁』も深かった。ある時期は、『政治資金集め担当』で一年間程、会社からの出向形式で事務所に在籍したこともある。兎に角、ボクとの縁も深かったが、石井はじめさんとの縁も深くなっていった。そんなこんなの関係がボクが独立してからもずっと続いた。そして『日本新党』が誕生したころ、転機が訪れた。その頃ボクは、『日本新党』の代議士のコンサルテイングをやっていた。そして地方議員選挙まであと一年という頃に、ここの事務所が『地方議員候補者を公募』したのだ。ボクは直ぐに東京の彼に電話を入れた。』『選挙に出ないか?県会議員の選挙や!』と。数日して彼から『そっちへ行く』と電話があった。心は揺れ動いていたようだ。丁度その頃の彼は『長谷工のK』という枠がなかなか大きく、『K自身の自立感』が無いのを感じていた頃だったそうだ。結局、間もなく彼は『会社を辞めた』。『将来、間違い無く、会社の役員に・・』という社長の言葉も蹴って『辞めた』。ある意味『長谷工の今の現状』を見ると、『正解』だったかも知れない決断だったと思う。それからの彼は『背水の陣』だった。『必死』で戦い抜き見事『初当選』した。議員にはいろんなタイプがいるが、彼は『仕事の出来る議員』のタイプだった。ただ、欠点を言えば『やや、才に溺れる』きらいがあり、人が見たら『生意気なヤツ』と感じることもあるかもしれない。ただ、根っからの負けず嫌いと、『闘争心』で次期を目指し、踏ん張っている。グアンバレ!彼もホームページを開いているので又、覗いてやってください。ちと『堅くて全然面白くはない』けど。アドレスはwww.osamukato.comです。



07月18日(水)17:39:55 はれ 続:人は変わる No 160
『続:人は変わる』

M君も、『代議士秘書募集』の新聞広告で採用された後輩だ。ただ、彼は東京での新聞募集で応募があった『関東人』だ。東京勤務だと当然思っていたら、採用されて直ぐに神戸勤務となり、最初の頃はよく『騙された、騙された・・・』と言っていた。政治の世界には『ダイジョウブかな?』と思うぐらい『生真面目』で、『几帳面』な男だった。特に人前での『挨拶』が苦手で、内輪の会議でも発言時に『ドモル』癖があり、顔もよく赤くなっていた。ボクもよく『コイツ大丈夫かな?この仕事向いてないのとちゃうか!』と秘かに思っていた。そんな彼が『本領発揮』したのが『地道な選挙運動』だった。『真面目』な彼は、特に『精神力と体力』の要る『戸別訪問』にその能力を発揮した。いつも事務所スタッフ全員で『戸別訪問』の総訪問件数を競う時には、彼はボクについで『2番目』だった。時々『ごまかすヤツ』もいる中で、彼の『訪問』は確かだった。そんな彼に『試練の時』が訪れた。『選挙違反事件』である。1990年2月の総選挙で、我が陣営は『現職大臣』だったため『狙われた』。後で聞いた話だが当初から『我が陣営』を挙げるつもりだったらしく、衆議院解散と同時に、事務所のスタッフほぼ全員に『警察の尾行』がずっと付いていたらしい。それも選挙終了までである。まあ、それぐらいしないと『証拠』はつかめんか・・。この時、彼は兵庫区の担当責任者だった。彼は、投票終了後、間もなく『逮捕』された。アルバイトによる『電話作戦』のバイト料支払いの件である。なかなか、ボランテイアなんかでは、当てにならないので、普通のレートのバイト料で『人を雇う』のは、ゴク普通のことなのだが、これが『運動員買収』として選挙違反になるのだ。彼はボクより4日早く逮捕されたため、トータル37日間『拘留』された。あとで聞いたが『警察の人の、彼の評価も高かった』。彼もこの『事件』で一皮剥けたと思う。幸い、彼の事件の『バイト料の支払い』はマダだったので『未遂事件』の扱いとなり、『罰』は軽かった。確か懲役10ヶ月、執行猶予3年だったはずだ。彼は、その『刑』が満期となってから、『神戸市会議員選挙』に立候補した。阪神大震災の年の選挙だった。W君と違って、神戸市の最低得票だったように記憶してるが見事に当選した。当選は当選である。現在もう2期目である。勿論、人前での挨拶もメッチャクチャ『上手く』なり、『赤面』や『吃音』のカゲカタチも無い。何処から見ても『立派な市会議員』となった。彼も『人は変わる』の見本だ。


07月18日(水)11:17:50 はれ なんか、オカシイ No 159
『なんか、オカシイ』

今朝、朝日新聞の朝刊で県立近代美術館の移転のともない、来春に新しくできあがる『芸術の館』の展示作品として約5億円程かけて、作品を購入したという記事が出ていた。財政破綻度全国ランク4位の兵庫県にしては、大胆な『お金』の使いっぷりである。芸術分野にそれだけの『投資』は、見上げたものである。ただ、その『買ったもの』にイチャモンつけたい。なんとその費用の約80%を使ったのが『横尾忠則』の作品だそうな。一点や、二点ならまだしも『買い占め』に相当する点数である。なんか『裏』でもあるんかいな?と疑いたくなるような買い方だ。彼が兵庫県西脇市出身で、若い時に神戸で働いてたこともあり、『ゆかりの人』には違いない。でも彼の地元には確か『横尾忠則美術館』も最近出来たはず。アートの世界のバランスを考えれば、もうそれで『充分』じゃないですか。折角誇り高き『安藤忠雄』さんの設計で出来上がる、新しい『芸術の館』は、もっと『新しいコト』せんかいや!もう腹がたってきた。誰が、どういうふうにそう言うことと決めていくのか知らんが、なんでもっと、若手の無名の『命がけで絵を描いたり、アーテイスト活動をしてるような人』を探して、その人達への『支援』も兼ねて『お買い上げ』したらへんの?横尾作品の購入費だけでも何百人のそういうアーテイストへの『励みと力付け』になると思うの!?なんで、『税金』をそういう使いかたにせーへんの?横尾忠則の『絵やポスター』ってそれほどの魅力があるモンとは思わんけど。まあ、これは好き好きの問題やから・・・。とにかく、『公立美術館のあり方』『学芸員のありかた』についてもっと考え直してほしい。





07月18日(水)10:13:25 はれ アトリエと周辺の自然 No 158
『アトリエと周辺の自然』

裏六甲の緑の谷間にあるので、自然はまだイッパイある。冬から春にかけて、アトリエの庭の木に『グレープフルーツやオレンジ』を吊しておくと『メジロ』が毎日、何回も訪ねてくる。『ヒヨドリ』と競争でやってくる。庭の赤松の木には、『シジュウカラ』や『エナガ』が毎日、数十羽の群れでやってくる。この木についている『虫』が好きなようだ。たまに裏の空き地に『キジ』が降りてくることもある。直ぐ裏の小さな崖下には川が流れていて、上流には『ホタル』もいる。ココに住んでた頃には、庭まで『ホタル』が飛んで来たこともあった。庭の裏のフエンスの裂け目から、『タヌキ』も入ってくる。これは写真に撮ってるので『アトリエ写真』のコーナーで公開しときましょう。この『タヌキ』は、外でボクが飼っている『一匹の野良猫』のエサを盗み食いするために侵入してくるのだ。だけど、よく表通りの道で、『タヌキ』や『キツネ』が車に轢かれているのを見る。この谷間を県道が走っているのだ。アトリエの庭には、『アマガエル』がかなり沢山いる。また、これを狙って『ヘビ』が出入りしている。出入りというより、どこかに『住み込んでいる』かも知れない。いつも見かける『ヘビ』がいて、長さ『40センチ位』の小さい、細い、可愛いヤツだ。花の水やりをしているとき、よく出会う。小さな虫にいたっては、もうイロイロでござる。でんでん虫も大きなのがいる。最近こんなこと始めてだったが『クマ』が、ここから1キロくらいの所に出た。『ツキノワグマ』だ。こんなこと、ここ30年で始めてでござる。アトリエ周辺には、簡単な山歩きが楽しめるところが直ぐそばにあり、時候のいい季節にはお隣の『ゴールデンレトリバー』を借りて、散歩するのが楽しい。ほんまにエエトコデッセ。来訪歓迎。機会があったらおこしやす。






07月17日(火)12:53:01 はれ 高田賢三 No 157
『高田賢三』

昨日の、朝日新聞だったと思うが夕刊に『高田賢三』の記事があった。最近『リタイア』したことが話題になってたが、主にパリで活躍し、世界的にも『有名』なファッションデザイナーだ。姫路出身でもあり、よく彼の動向は神戸でも報道されてきた。その言わば『一流のアーテイスト』だと思っていた人が、今、週に2回、2時間絵画を描くことを『習っている』という記事だった。それも昨日の記事の写真には、『今日は、色つかいのレッスンを受けている高田賢三氏・・・』というコメント付きででていた。ボクはもう『ビックリ仰天』でした。『絵』を『習ってる』ですよ。『色使いのレッスン』ですよ・・・。今までの『高田賢三』って、一体ナンだったんですか?『ファッション』て『色』はスゴイ重要な要素でしょ。『色使い』に『絶大なる自信』は当然持ってたんじゃないんですか?誰がナント言おうと『自分の主張』をしてきたんじゃないんですか?何か事件でもあって、その自信を『根底から覆されたんですか?』。それとも本当は、今までのファッション作品も貴男自身が『創ってきた』のでは無いのですか?貴男ほどの『一種の達人』が、『絵を習ってなんか、描くモンじゃ無いってこと』が解らないのですか?それともその今、付いている『先生』がメッチャクチャ『凄い』人なのですか?だけどその『先生』がもし『ホンモノ』なら、『賢三さん、絵を描きたいのなら、貴男自身を、そのキャンバスに、あるがままを吐き出してイキなさい、技法や、手法には、必ず限界があります。それは、教えることが出来ますが、いずれ意味の無いことだと解るときがきます。色使いも、貴男流でイイのですよ。私が教える色使いの手法は、世界中の絵を習ってる人達が、殆どやってることで、ただ、キレイとか、感じがイイというだけのものですよ。折角ですが、高田賢三を「活かす」ために帰らせて貰います』と言ったはずです。



07月17日(火)10:24:41 はれ 愛するシエン No 156
『愛するシエン』

ボクは今、今年の始めに出会った、『シエン』ちゃんにぞっこんの日々だ。毎日、おなじベッドに入り熱い一夜を過ごしている。この子は、ボクの足の指とおへそを舐めるのが大好きだ。イツモ必死で舐めている。いとおしくなるほどに・・・。ボクが家に帰ると、玄関まで飛んできて、喜びのあまりに『オシッコ』をもらすほどだ。ボクは怒らずに、テイッシュで拭いてやる。目が凄く大きく、もう食べてしまいたくなるほど可愛いのだ。最近『髪』がだいぶロングになってきて、ますます可愛い。こないだから、ボクの目の前で、ぬいぐるみを上手につかって、それを股の間に挟み、『腰を突き動かす』ことを覚えた。ボクはそれに応えて、『シエン』ちゃんの、股間に手をやり、○○○をこすってやる。そうすると『シエン』ちゃんは、口を開け、舌もデレっと出して
恍惚の表情をする。・・・アーいやらしい。皆、なに想像しとん!シエンちゃんは今年1月11日に生まれて、2月11日から、家の子のなった、『チワワ』です。メッチャクチャ可愛いんです。マダ、6ヶ月なのに、もう『腰』をうごかすのです。誰も教えてないのに・・・。これが『本能』と『遺伝子の記憶』ってやつかな。

07月16日(月)13:24:04 くもり マサ・アキのルーツ No 155
『マサ・アキのルーツ』

自分のルーツというのは、気になるところで、以前より両親や親類からよく聞いていた。父方の3代前くらいまでは、鳥取県の河原町と言うところの山奥で『紙すき業』をしていたらしい。お祖父さんの代で事業に失敗し、夜逃げして神戸に流れ着いたそうだ。父はよく歩いて2時間かかって小学校に通ったと言っていた。事業の失敗は『お祖父さんの芸者遊び』が原因だったと聞いた。ただこの『お祖父さん』は『いい男』だったようで、よくもてたらしかった。ボクは小さいとき親戚が集まったら『この子は松太郎(お祖父さん)の再来やな』とよく言われたのを憶えている。顔がよく似ていたらしい。ボクは何故かこの『お祖父さん』に守られてるという気がいつもしている。母方のことは、結構詳しく聞かされた。母の故郷は、福井県小浜市だが、お祖母ちゃんは地元の名士の家の生まれだったそうだ。先祖は戦国時代に『賤ヶ岳の戦い』にも参加した武士だったと聞いた。お祖母ちゃんの弟が『小浜市長』にもなっていたから名士には違いないと思う。ボクの『政治がらみの血』はこのあたりにあるのかも知れない。母の父は滋賀県のお寺に生まれた人で、小さい時に神戸の御影の人に『養子』に出され、その時から『鈴本姓』を名乗った。ボクが今、御影に住んでいるのも『奇縁』か。この人は『大工さん』だった。それもその『腕一本』でいろんなところを仕事を求めて『渡り歩く』大工さんだったそうだ。ボクがウッドデッキを作ったりするのもこのルーツにありか・・・?そのお祖父さんが渡り歩く時には、いつも『肩にバイオリン』を持っていたそうで、たどり着いた町や村で『バイオリンを弾いて』人を集め、『家の修繕や改築等』の情報を仕入れていたようだ。これも頭のイイやり方だ。又、そのバイオリンも上手かったらしく、クラッシックではなく当時の流行歌を轢いていたらしい。なんかこの辺も『ルーツ』を感じる。そう言えば、姪が今『バイオリン』をやってる。小浜にお祖父さんが着いた時に、そのバイオリンを弾く『大工さん』にお祖母さんは、一目惚れだったらしい。結果、お祖母さんの『実家』には猛反対され、お祖父さんとお祖母さんで『新潟』に駆け落ちしたそうだ。直江津というところで住んだらしい。ここで『母』が生まれた。暫く直江津で暮らしたが、その後小浜へ戻ったらしい。多分、これも『夜逃げ』だったと思う。母が小学校の時だ。母は、小浜の小学校では『新潟弁』のためいじめられたそうだ。ただこのお祖父さんは40代で、血を吐いて亡くなった。だから長女である母は苦労したのである。


07月16日(月)10:52:51 あめ 兄弟ゲンカ No 154
『兄弟ゲンカ』

ライバル意識を強く持った兄弟がいる。弟のほうがやや早く『世間で認められ』大きな顔をしている。兄のほうは、よく弟にやりこめられた歴史があり、弟のことが本当は好きなのだが、時々振るうその『暴力』に耐えられない。ただ『世間』では、弟のほうが先にお金持ちになって、上手に『世間』をわたり歩いているように見えている。兄のほうも、『弟なんかに負けてたまるか』と必死になって、その弟の背中を見ながら『頑張ってきた』。今では、殆ど、力の差は無くなってきているが、総合力では、マダ弟のほうが強い。こんな時、弟が、『兄を馬鹿にした態度』を取ると、兄は異常なまでに、ヒステリックに反応し、この態度のデカイ、兄を兄とも思わない『弟』を絶対に許すことが出来ない。しかもこの『弟』には、つい60年近く前に、家族や親戚を『なぶり殺された』という、耐え難い『歴史の記憶』がある。同じ『家族』でありながらである。ところがこの『弟』は、そういう事実を『自分がやったこと』としてなかなか、認めようとせず『誠心誠意』謝ったことがない。世間に押されて『仕方なく頭を下げた』程度のものだ。兄は、弟のことは本当は好きなのだが、『許すことが出来ない』のだ。弟よ、もっと『オトナになれ』。弟がやることが殆ど『兄を怒らせている』。『近親憎悪』は普通より根深い。兄弟仲良くしよう。間違いなく同じ『血』の流れる『兄弟』だ。兄を常に『立てて』、兄を敬い、慕う気持ちが芽生えれば、この兄弟は、世界一の仲良し兄弟になれる。この弟こそ『日本』で、兄はどこか・・・わかるよね。

07月15日(日)11:17:03 はれ 須磨のアトリエ No 153
『須磨のアトリエ』

1991年から95年の大震災までの5年間、須磨の海岸沿いにアトリエがあった。須磨海岸は神戸市西部の明石海峡を望む風光明媚なところにあり、白砂青松の海岸が約2キロにわたっている。今頃は、しゃれた『海の家』が並び、週末は数万人の若者が訪れる。この季節の主に平日の午前中、ボクはいつもゴザとミニゴムボートを持ってビーチに行っていた。毎年夏は、ボクは『真っ黒』だった。アトリエは海岸沿いの10階建てのマンションの9階にあったので、目の前が『海』と『青松』が見える最高のロケーションだった。ビーチまで水着で行けて歩いて1分だった。マンションのテラスも幅が広く海を見ながらの『バーベキューパーテイー』が出来た。須磨の海は、冬はかなり水の透明度が上がり、『キレイ』のだが、夏はまあまあだった。でも一人乗りのゴムボートに寝そべり『プカプカ』浮いてるのは最高だった。夕方になるとカップルが、見事なほどの距離で横並びに埋まり渚は『恋のビーチ』だった。大体女の子のほうが『大胆』で『男』を押さえ込んで『キス』をしていた。ボクは『秋のスマ・ビーチ』が一番好きだった。人は極端に少なかった。後で聞いたが、『平松愛理』や『SAKURA』もよくこの秋の須磨海岸に来て曲を作ったそうだ。平松愛理の家がこの海岸から歩いて10分位の所にあった(あの『・・・とワイシャツと私』の大ヒットした子)。又、SAKURAは、この海岸から歩いて5分位のところのマリストブラザーズという外国人学校に通っていた。ボクは自転車もアトリエに置いていたので秋はよく塩屋の方までサイクリングした。海岸沿いをずっと『海』を見ながら走るこれまた最高のコースである。途中、源平時代の有名な『一ノ谷古戦場』も通る。ここはすぐに山が迫っている海岸でJRと国道2号線と山陽電鉄だけが通るところである。何故かここは『交通事故』のしかも『死亡事故』の多いところだ。よく『平家の呪い』と言われる。あー怖。話題変えよ。須磨海岸の東の端に川があり、この川尻に大きなヨットハーバーがあります。ここへもよく自転車で行きました。特に秋は、ここで魚が沢山釣れるので、その『釣れるところ』をよくジーット、ボーット見ていました。この辺りは、小学生の頃にもよく来たところで、まだその頃は、大きな岩場のイッパイある所でした。ムール貝を叩いて壊し、その身を凧糸にくくりつけ、岩場から海中に吊しておくと、よく大きなワタリガニが捕れました。昔はもっとイイトコロだったんです。


07月14日(土)17:28:21 はれ 知事選挙 No 152
『知事選挙』

今、参院選と同時選挙となった、ある県の『県知事選挙』の本命候補のコンサルテイングをしている。現職知事が勇退し、その後継者とされてる人で、ほぼオール与党体制が支援する現職副知事だった人が候補者だ。本来なら『なんの心配も無い』選挙のはずだったのだが、今までにない、三つ巴の闘いとなり有力な対立候補が2人もいるので、この県の『知事選』としては、珍しく『本格的な選挙戦』となった。実は、その対立候補のサイドからもオファーがあったが、結果としてこちらサイドについた。こちらサイドも始めての『本格的な選挙』になったため、急遽『選挙のプロフェッショナル』が必要となったと思われる。ただ、ボクとしてはこういう選挙は、全然面白く無い。選挙は大きいほど『面白く無い』のだ。ビジネスだから『それ相応のノウハウと知恵』は提供しているが、『燃え上がる、闘魂』というものが起きないのだ。ボクはやっぱり『大きな権力』や『強力な対立候補』に立ち向かう『金は無いが、ガッツと改革欲に燃える若い候補者』をやるときが一番燃える。これはもうしゃーないな。『サガ』やわ。アーア、今日も夜、その候補者の事務所に行くけど『燃えへんなー』。・・・でも、この仕事のお陰で『絵』を描き続けることが出来てるか。・・・・・合掌。

07月14日(土)12:02:17 はれ 財政破綻度ランク No 151

『財政破綻度ランク』

東京行きの新幹線で読もうと思って『週間ダイヤモンド』を買ったら、全国694市の『財政破綻度ランキング』なる記事があった。恐る恐る、その特集記事のページを開いた。ヤッパシ・・・我が愛す『KOBE』は『堂々』の一位だった。ちなみに郷土『兵庫県』も四位だった。ボクも世間並みに難しいことはよく解らないが、このデータの指標になったのは、会社だったら、収支バランスをみるところの『経常収支比率』。借金の状態が解る『起債制限比率』。そして通常の収入を全額『借金返済』に当てた場合、返済に何年かかるかを見る『純債務返済年数の偏差値』が主なものだ。アーア、情けなや、悲しいな。あれほど豊だった『芦屋市』までが、四位である。当然『大震災』の影響大である。ただ、そんなに『経営状態』が深刻なのに『経営努力』が全く足らないのでは無いか!?会社なら、当然『希望退職者』を沢山募り、先ず会社の人件費を削り、会社をスリムにして、そこから経営を立て直す。これはもう経済界では『ゴク、アタリマエ』のことである。神戸市は何やってんねん?人減らしと、給与の一律大幅カットは、先ず『常識』でしょ。それどころか、ポートピア81以来の『悪弊』とも言える『市長選の年にはイベント』というのを今回も、懲りずにやり。約60億円もの予算で、この4月頃から11月の市長選まで『復興イベント』として行事が目白押しなのです。そんなことをやってるときですか?『市財政の建て直しに躍起になる時』じゃないんですか?そんな、『無駄使い』を『ヤメロ!』と言う『市幹部も市会議員』もいなかったのですか?このつけは、すべて『市民』に廻ってきます。それも『弱者』にしわ寄せが来ます。福祉予算のカットや、補助金のカットが次から次と打ち出されるでしょう。それにしても『市民』へのこの『財政破綻状況』の誠心誠意の『説明』が全くありません。アメリカの大統領なら国民への『特別メッセージ』として大統領自らが『テレビ出演』して全米に『生放送』するでしょう。それほどの事態だと思います。市の広報紙を使ってでも、今回の『週間ダイヤモンドの記事ー財政破綻ランキング』についての『反論』を、もしあるなら『特集』するべきでないか?もし『反論』が無いなら、これはもう『深刻な事態』です。



07月13日(金)18:02:48 くもり 帝都の山手線で No 150
『帝都の山手線で』

東京の若い子は、ちとヤッパ『変』かな。今回、渋谷を中心によく『歩いた』ので、『若い子』を沢山、沢山見たが、『顔の表情が無機質』。なにか『仮面』を被ってるがごとく『無表情』。また、沢山の男の子が、その『無表情』で通行人の若い女の子に、『次から次へとナンパで声をかける』が、女の子も『無表情』で過ぎ行く。そう言えば、大阪の心斎橋でも似た光景があったか。どこもイッショか。でも大阪の女の子は、歩くスピードも遅く、結構『相手をおチョくったり』というゆとりもあったんちゃうかな?ところで、極めつけの『変なヤツ』に山手線で出くわした。渋谷から新宿へ向かった時、朝10時頃のことだ。渋谷で乗ったその男の子は、まさに、『無表情・無機質』の典型的な顔をして、混んでる電車の、ドアの前の電車中央部に立ち、立ったまま、手に持ってた『ケーキ』の箱を口のところに持ってきた。そして、箱から、『ケーキ』を取り出し、これまた見事なほどの『無表情』で大きな口を開け、ユックリとかぶりつき、『むしゃむしゃ』食べ出した。『美味そうに』食べてるという感じより、なにか『顔を洗ってる』という日常生活のような感じで、口のまわりをクリームだらけにしてパクついていた。すごい、ユックリとである。ある意味、アフリカの大草原で、シマウマが草をはんでる・・・と言えばその奮イキもあるほど、『無表情』で『何も気にせず』ケーキをはんでいるのである。しかし、ボクも含めて他のお客さんは『見て見ぬ振り』ちょっと、神戸では考えられない『異様な光景』だった。東京では、こんなことは、別に驚くことではないのでしょうか?あっ、そうですか。


07月13日(金)10:43:25 はれ 陶芸 No 149
『陶芸』

かなり、以前から興味があり、実は8年位前に半年間、区役所の文化教室の『初歩の陶芸』クラスに通ったこともあります。しかし『紙にクレパス』という感じでは、『陶芸』は入れないのです。『陶芸』にはイロイロ、最低限必要な『知識』がいるのです。この時ばかりは、『アマノジャクのマサ・アキはどこへ行った』と言うくらい『素直に真面目に大人しく』教室に通いました。『電動ロクロ』は結構『技術』が要ります。釉薬のことや、窯のコトなどかなりの知識も要ります。ボクが普段よく『口角泡飛ばして』言ってる『噴火芸術の世界』とはちと違います。最後のし上げも『窯任せ』で出来上がりは、ホントの『自然の成り行き任せ』の世界です。だからこそ『面白い』のかも知れません。でもだからこそ『個性』は出しにくいようにも思います。その教室を卒業して、又直ぐ、今度は違う区役所の同じような『陶芸教室』に入りました。ここで『事件』が起きました。ここの先生が教室の第一回目にこう言ったのです。『ここには、前にどこかで習ったとか、どこかの教室に通ったとかの人も来てると思いますが、今まで習ったことは、全部忘れてください。ボクの教室に入った限り、スベテボクの言う通りにして貰います。違ったことしてるのを見たら、怒らせて貰います』とのたまいよったのである。もう、会費は全額前払いです。しかしこんな、『変なヤツ』にご指導イタダクつもりは、毛頭ございません。『弟子入り』した訳や無いちゅうねん。たかが、『区役所の文化教室』でなに、のたもうとんや!このアホは!と怒り心頭。その場で教室を退場しました。こんな。アホのためにしばらく『陶芸』のとの字もイヤでした。でもでも、いつかボクはアトリエに窯を買って、ロクロも置いて、『ボク』の『アマノジャク陶芸』もやってみたいとずっと、ずっと思い続けています。でも『窯』って、結構、高いんですわ。


07月12日(木)11:21:15 はれ 『石井はじめ』 No 148
『石井はじめ』

以前のボクのボスだ。世の中に誤解もかなりあるので、ちょっと書いておく。見かけは大きく(180センチ近い)、声も大きく、いわゆる『押し出しの強い』タイプだ。実際はどうか、ほぼ事実です。負けん気が強く(特に、東大、京大とかのエリートには、かなり負けん気強い)、勉強家でもある。専門の分野には可成り強い。ただ、惜しむらくは、『敵』を作ることだ。最近では自民党の野中広務氏とやりあった。彼はどちらかというと政界では『一匹狼』である。そのあたりは、小泉さんと同じと言える。彼の元を離れて10年が過ぎた。この間数回しか会っていない。やや、昨年から、会うことが重なっている。とういうことはそれ以前は9年間で一度か2度しか会っていないと言うことだ。決して世間の評判にあるような『コワモテの人』『悪い政治家』ではありません。どちらかと言えば『お人好し』『イロイロ問題はあるが憎めぬタイプ』です。彼ももう会社員なら定年の年になります。ボクが勤め
始めた時は40才過ぎでした。今、10回当選。こないだ衆議院副議長・・という話もでましたが、その『野中氏』に潰されました。この『変革期』でなければ、その当選回数や実績はものをいう世界なのですが、もう時代は『彼のずっと後の世代』が力を持ち始めています。もう、そろそろ『引退』してもいいかな・・とボクは最近思い始めています。最後にいまだに、ボクの耳に入る彼の噂に『浅野ゆうこが彼の娘』というのがあります。これは根も葉もないコトです。彼女の母親は、今は知りませんが、以前後援者で、神戸で『バー』を経営していたのと、その店に何度か行ったのと、後援会の行事で『浅野ゆうこ』を呼んだことがあるので噂になったようです。念のため。

07月11日(水)14:59:13 はれ 『W君。』 No 147
『W君。』

今から10年ちょっと前に、彼の『顔』を選挙ポスターで見た。これが彼との最初の出会いだ。彼は、その時、神戸の灘区から市会議員選挙に立候補していた。かなり早い時期に、可成り目立つポスターを、可成りの枚数を張っていた。でも結果、彼は『泡沫候補』並の得票しか獲得出来ず、『落選』していた。最下位の人が4600票位、次点から5番目の1900票位だったと思う。その後、数年経って、ボクが契約した、ある代議士の事務所にスタッフとして彼がいた。その世界では、ボクはちょっと『有名』なので、彼が『ここで、ヤマグチさんとお会いできるなんて・・・』と近づいてきた。早速、彼は行動を開始し、当時のボク
の須磨のアトリエに訪ねてきた。彼は『今度は、県会に出たい。出る区は○区にしたい。ヤマグチさんがついてくださるなら・・・。なんとかお願いしたい。』と平身低頭に訴えた。でも『お金はありません』と言った。結局『熱意に絆され』最低料金で『契約』した。○区の県会議員選挙は、現職が強く難しいとこではあるが、ボクにとっては『こういう本来なら、泡沫候補がボクがやればどの位票が出るのか』に、興味があり、『実験的選挙』をやらせてモラッタ。期間は丸2年あった。期間は充分である。彼の誉めるべき所は、『猪突猛進』のところである。言われた通り、あらゆる運動を『実行』した。『ガッツ』も見上げたものだった。毎日、しつこいほど『イロイロ、聞いて来た』。たまには『自分で考えろ!』と怒鳴りたくなるほど何でも聞いてきた。しかし不運が訪れた。運動が一番盛り上がるべき時期にあの『阪神大震災』が起きた。
選挙まで、あと3ケ月というときであった。選挙というものは、普通、有権者には『遊び』の要素もはいる。この震災で『遊びの要素』の全くない選挙となった。6月まで選挙は延期されたが、『固定票や、組織票』を持つ人の断然有利な選挙となった。結果、10000票を少し超える票をとったが、『落選』した。しかし、この結果を分析すると、他の候補者はそれぞれ『自分の持ち票』を出しており、W君が獲った票は、彼が新しく『掘り起こした』票だった。しばらくして彼は又、動きだした。又、彼が頻繁にイロイロ聞いてくる体制が続いたが、前回『落選』した責任上、コンサルテイングは『ボランテイア』とした。運動方法は、もう彼に殆ど教えることはない位になっていたので、彼はまた『脱兎のごとく』活動を始めた。だんだんと『イロイロ聞いてくる』回数はじょじょに減ってきた。いよいよ次期選挙まであと半年後という時、彼にとっての『ターニング・ポイント』が現れた。彼がアトリエまで『苦悩の表情』で訪ねてきた。『アル市会議員が、衆院選に出るため、引退する。その後継者として神戸市会議員に出ないか?』と言われ、『悩んでいる』と言った。先ずボクは『そういう問題は、その話があるか無いかを前提とせず、自分は、今後のことを考えてどうするか・・を先ず考えろ』と言った。彼は続けて『ヤマグチさん、ボクがも
し、市会の選挙にかえたら当選確率はどうなります?』と神妙な顔で聞いた。ボクは即座に『県会より、当選確率は3倍』と明言した。この瞬間、『彼の表情が変わった』。『エーッ、そんなに違いますか?』とうわずった声で又聞いた。彼は、この時、アトリエから消えてから、もうあまり来なくなった。電話をかけてくることも殆ど無くなった。しかしその後間もなく、『県会から市会』にくら替えし、又『猪突猛進』していた。選挙まであと一ヶ月という時、ある党の依頼で、選挙の世論調査を実施した。この時、彼の選挙区も当然実施した。結果10数人の候補者のなかで、『知名度』も『支持率』も『トップ』だった。勿論秘かに、彼にこの結果を伝えた。電話の向こうで『大喜びする姿が見えた』。そして選挙結果も、神戸市内全市会議員のなかでも最高得票数という、おまけもついて『トップ当選』だったのである。ただ、その後の彼の『市会議員ぶり』があまりイイ『評判』が入って来ないのが、気になるところだ。

07月10日(火)21:06:54 はれ 『横浜と神戸』 No 146
『横浜と神戸』

同じような、歴史を持ち、かたや東京、かたや大阪を横目に見ながら、『独自の文化』を育ててきた街です。街同士の『ライバル意識』も以前は強くあったようです。でも、今は神戸はいざ知らず『横浜』は神戸をライバルとはもう思っていないと思います。ボクも2年程前に横浜に遊びに行った時、それは『痛切』に感じました。神戸の売り物だった『レトロなハイカラ』も、神戸はどんどん無くなりましたが、横浜には、マダマダ『レトロなハイカラ』が残っていました。『元町』比べも、神戸の元町より、『横浜・元町』のほうが、アーケードが無いためか、『圧倒的に、明るいイメージで、開放的』でした。ボクは、今まで、日本中(特に西日本)をよく旅行しましたが、『神戸・元町』のような『形式』の商店街はどこでもあります。もう『アーケード』なんて、『田舎の商店街の象徴』かと思いました。銀座もそうだし、『軽井沢銀座』もそうだし、『アーケード』なんかありません。圧倒されたのは、『中華
街』です。神戸の『中華街』のおよそ『10倍』の規模はあると思います。神戸の『中華街・南京町』も神戸観光の目玉として有名ですが、あっと言う間に端から端に行き着きます。『エリア』が小さいです。『中華街』はもう完全に横浜の勝ちです。そして何より違うのは肌で感じる『都市の勢い』です。ミナトみらいの俯瞰には、『未来都市』のイメージがありますが、神戸の『自称、未来都市』ポートアイランドはなんか『沈没寸前』のイメージがあります。六甲アイランドはいい感じの『人口島』ですが、ただのおしゃれな『住宅団地』です。しゃれた店舗は『出店』しては『消え』を繰り返しています。『空き店舗』が結構あります。鳴り物入りで数年前にオープンした『神戸ファッションマート』って、今どうなっているのでしょう。『消息』を聞きません。『神戸ファッション美術館』も一体、なんの為に作ったんや?と言いたいぐらいの『企画』ばっかりやってます。なんの『知恵』も感じない『経営』です。『立派な建物』だけを作ればそれで『ホボ、仕事は終わり』だと思ってんのか?と言いたくなる現状です。ある意味『僅かなパイ』の『購買客や観光客』なのに、『目玉』を作っては、その『僅かなパイ』の『購買客や観光客』を新しく出来た『目玉』に『移す』から、『移された』ところは、その後『閑古鳥』状態にされます。『新神戸オリエンタルホテルのオーパ』『北野町』など『ハーバーランド・モザイク』に『客』を取られ『瀕死の状態』です。『僅かなパイ』なのに、スポットを『分散』しすぎなのです。もうちょっと、そういう観点で『神戸市』を考えるヤツはおらんのかい!?『こーべー、わめいてどうなるのかー、・・・・・・誰か上手い、神戸作る、ひとをさがすーのーをよー』。でも、ボクは神戸『大好きッコ』です。

07月09日(月)15:25:19 はれ 一番の悪党 No 144
『一番の悪党』

ハッキリとここで書きたいのだが、それは余りにも『非難、中傷』と取られるので、可成り控えめに書く。50年生きてきて、『コイツが、一番の悪党やな』と、『認めるヤツ』がいる。付き合うと賢い人は、解るので彼を遠ざける。『君子、危うきに・・・』である。その悪事をここでイッパイ書きたいが、やめとく。ただ、そいつは普段は、『紳士面』していて、『弁は達ち』、見かけサワヤカで、初対面の人はちと『見抜きにくい』。ただ、会社なら食い物にされるし、人は『利用するだけ利用して、用が無くなればポイっと棄てる』。公金の使い込みもする。詐欺的行為の常習犯。でも警察には『捕まらない』。でも何度かは、その『犠牲者』達が『告訴』まで踏み切ったが、巧妙なため、事件にならず『不起訴』になった。イマデモ彼の『悪事』は続いている。こないだ、その今、現在進行形の『犠牲者』の関係者と偶然出くわした。その『犠牲者』は数年経った今、やっとその『事態』に気がついたようだった。『詐欺的使い込みというか取り込み』はもう億単位のお金となってるようだ。この『犠牲者』はもう『気がついている』ので、『告訴』はいずれするだろう。もし、この件が『表』に出たら、ここでボクも書きましょう。でも、しぶといから、また『生き延びる』かも。



07月09日(月)11:36:32 くもり ジョン君 No 143
『ジョン君』

あだ名を『ジョン君』と言う。彼も、選挙の学生アルバイトのリーダーだった。歴代のアルバイトのリーダーの中でもボクがとびきり『可愛がった』男の子だ。兎に角先ず『カッコイイ子』だった。女の子にもモテモテで『遊びまくっていた』子だ。でも、仕事はキチットしてくれた。何故『ジョン君』と言うの?と聞いたら『ジョンレノンへの憧れで』と答えた。間違いなく『タレント』にもなれる『キャラクター』と『魅力』を持っていた。彼は神戸大学の夜間部を卒業し、ミサワホームに就職した。確か8年位は東京にいた。時々、連絡をくれた。よく頑張っていた。その彼が、突然、神戸勤務になった。勿論、ボクのところに真っ先に『報告』に来た。嬉しそうだった。何か『おみやげに仕事の話を・・と』思い、神戸市北部のある『財産区』の話をした。財産区というのは、『町や村に共有の土地等ヲ持つ団体のこと』である。その神戸市北部にある『財産区』は、裏六甲一帯に○○百万坪という広大な土地を持っており、大手住宅会社なら『是非、お付き合いを』と言う団体である。彼はその存在を知らなかったが、会社に帰って調べて『その凄さ』に度肝を抜かれた。『日本中、何処探してもこんな大都会に、こんなに広大な土地を持ってる団体は無い!』と。早速、彼から電話があり、『是非、紹介してください』と言うことになった。この団体の当時の理事長は『ボクの非常に親しい人』だったので、話は早かった。結局。この縁で、当時、日本最大規模の『定期借地権付き分譲住宅』がミサワホームの事業として『神戸市北区の藤原台』で始まったのだ。今でこそ、『定期借地権』は一般的にも『定着』したが、当時は『画期的』なコトとしてマスコミでも騒がれた。アレヨアレヨという間に『ジョン君』は『定期借地権のオーソリテイー』と言うことになってしまい、ミサワホームの社員でありながら、官公庁の定期借地権分野の顧問や、『定期借地権をテーマに講演』をする有名人となっていった。当然、ミサワホームの社長『三澤千代治』の耳にもその『活躍』ぶりは入ってくる。社長も彼と会った。社長も彼が『凄く気に入った』。社長の方からこう言った『貴男、会社辞めなさい。ボクとイッショに商売しましょう』。当然、『ジョン君』はミサワホームを退職し、ミサワの社長の肝いりで新しく作った会社の『社長』となった。ミサワへ入社して確か10年目位の『快挙』である。そうして『独立』してマダ4年目位だと思うが、今では資本金数億円の会社の社長を始めとして数社の会社を経営する『超・ビジネスマン』に成長した。しかもマダマダこれから伸びてゆくのは間違いない。ボクの過去の『ライブを映すビデオ』には、ボクのバックで踊ったり、はしゃぎまくる、学生時代の『ジョン君』の『遊び人』専門家風の姿が映っています。『遊び上手は仕事上手』の典型的な見本です。『ジョン君』又、遊びに行こなー!




07月08日(日)14:13:24 はれ 幽体離脱!? No 142

『幽体離脱!?』

このことは、書こうかどうか迷っていましたが、真夏が近いので、『涼』を呼ぶために書きます。コワイデスヨ。恐がりさんはココでサヨナラ。それは丁度25年位前のことです。今のアトリエにしてる家で親子3人で住んでる頃、ボクは2階部分を全部使っていました。寝るのは3畳の間の和室で寝ていました。暑い夏の夜のことです。あー怖い。今この部屋は、物置にしています。寝る前に扇風機を廻していたのを消して寝付きました。夜中に金縛りにあい、『ウーン、ウーン』と出そうとしても出ない声に、苦しい思いをしながら、うなされている自分には気がついていました。でも体の自由は利かないし、声も出ないしという感じでした。その時、後頭部の首の後ろ辺りから、『自分が抜け出してる』のです。抜け出して3畳の間を天井近くまで浮かび、部屋をグルグル飛び回りながら『寝ている自分』を見ているのです。そして窓が開いていてそのまま『外へ飛び去ろう』としたときに『うわーっ!!!』と声が出て『目が覚めました』。体は『ジーン』と何か『音』を出してるような感じでした。心臓もドキドキしていました。丁度、『足がしびれた』という感じの感覚が『体中しびれてる』感じでした。目が覚めてフト『扇風機』が廻ってるのに気がつきました。寝る前に消したはずの扇風機が強い風のところで『ブーン』と廻っていたのです。そのせいかボクの体は『冷やされ』、肩なんて冷たくなっていました。夜中に暑くなり、無意識にスイッチを入れたのかも知れません。ひょっとしたら、窓から外へ飛んで行ってたら『あの世に行ってた』かも知れません。その、部屋をグルグル飛び回っている時の感覚は、現実の皮膚感覚と全く同じの存在感と現実感でした。この後1時間位、ボクはずっと『震え』が止まりませんでした。ああ怖ーっ。


07月08日(日)11:06:43 はれ 影武者 No 141
『影武者』

ボクはホントに『悪い子』です。又、ヒトツ『懺悔』話をします。『影武者』という黒沢映画がありましたが、『秘書』という仕事も、どこか似たところのある仕事でした。『本人の代理』で、日本中、どんな人でも『衆議院議員、○○秘書』の肩書きの『名刺』があれば、会ってくれました。本人の代理ということで、『肩書きのある世界』ほど厚遇してくれました。だからある意味『誤解』して、『道を誤る』秘書もよく生まれました。『自分』がそうなったと『錯覚』してしまうのです。あくまでも『肩書き』なのに・・・です。『黒子』という言葉もあります。この言葉には『自分』は無く、『見えない存在』と言うことになります。『秘書』にはそういう一面もありました。ボクの『仕事』のやり方はやや『極端』で『徹底』するところがアリマス。ボクは先ず、とびきりの『影武者兼黒子』になろうと徹しました。先ず、『石井はじめ』さんの『声色』を練習しました。非常に特徴のある『太い声としゃべり方』なので、これは可成り早く『マスター』しました。外出先から事務所に電話を入れるとき『あーっ、何かある?』という、よく石井さんが、事務所に電話を入れるときと同じ調子で『声色』を使うと
常時事務所で電話を受けている女の子でもよく『本人』と間違えました。ボクのいたずらだと思い『ヤマグチさん、止めてくださいよ!』と言ってしまったら、『本人』からの電話だったこともあります。それほど、よく似ています。これは、使わぬ手はありません。『選挙』で使いました。選挙中は本人もかなりの電話を入れますが、有力後援者に選挙中、一度出来ればいいとこです。ボクは事務所の責任者もしながら神戸の北区も担当していましたので、北区の後援会幹部への2回目の電話は『ボクの声色』でしていました。先ず『秘書役』の女の子に『石井一本人からでゴザイマス・・・』と言わせてから、ボクが電話を取り『アーッ、会長ですか、やあやあ、石井です。イツモ、スンマセンなー!・・・・・』と戦況や、最後の引き締めのお願いをします。もう『効果抜群』でした。皆、騙されていました。ボクが結婚披露宴をした、有馬グランドホテルの社長も、石井さんとは、同じ大学で数十年のつきあいの人ですが、やはり『騙されました』。ほんまにスンマセンでした。宣伝カーで広い農村部を廻るときもよく『石井さんの声』で『やあ、皆さん、いしいはじめです。あーっ、やあやあ石井です。』と廻り、遠くで、田植えをしてる人達がよく『手をふりかえして』くれました。又、もう一つあります。サインです。これは色紙に書く『毛筆のサイン』と『インキで書くサイン』がありました。どっちも、猛練習しそっくりのサインが出来るようになりました。石井さんは『色紙』をよく頼まれるので、帰神の度によく『色紙』を書いていました。たまに、急いで色紙を届けるコトが起きた場合、石井さんの帰神を待てないので、書きためた色紙にボクが『衆議院議員石井一』と書いたのが結構あります。『大事にもってる方』余りいないとは思いますが、『スンマセン』そんな、色紙もあります。ほんまにスンマセン。でも本人も解らんくらいソックリです。当時の事務所のスタッフの誰が見てもそれは認めていました。スタッフからもよく『依頼』されましたから・・・。ただ、石井さんは、イマデモこの事実はご存じおまへん。これほんまです。ハイ、ほんとうに申し訳ございませんでした。合掌。


07月07日(土)15:00:35 はれ 画壇 No 140
『画壇』

画壇という言葉を、時々新聞で見る。『画壇』てなんでっか?たったいま、辞書で調べた。『絵画の世界・画家の社会・絵描きの世界』と書いてました。なるほど、そういうことか、念のため、翻訳ソフトで英語を調べたらペインテイング・サークルとあった。なるほど、そういうことか。英語なら『軽いイメージ』で伝わるけど、日本語ちゅうのは、底が深いのか『重たくカンジル』。ほんでその世界は一体、何処にあるの?ナントカ会のグループのことか?例えばあの二期会とか、二科会とかそういう世界のことやな?それはほんで、そこでみんな集まって、何しとん?『公募展』あーあれか。○○会入選とかいうて時々。経歴に書いてる人おるけど、あれやな。そうか、そういう世界か。ほんで、みな年に何回か集まって、ゴハン食べたりするの?あー、そんなんは無いの?ほな、みな普通はナンのためにその『会』に入るの?なーなんで?なーなんで?ほんで、その『画壇』を抜けたり、入らない人は、なんで『孤高の画家』になるの?どこが『孤高』やの?なあ、おせーて。もともと『孤高』なんてモンじゃなく、それは『アタリマエ』のことで、『画壇』たるものが、『芸術活動には不自然なモノ』と違うか?大体、『組織』というものが生まれると、必ず『縦割り組織』になってきて『トップの権威』が生まれだし、『政治』がその組織内で生まれてくる。そしてその『組織』は10年位立つと『腐敗』が始まってくる。これはどの『組織の世界』でも殆ど『適用』できる話です。クリエーターの皆さん、今、『組織』に入ってる人は『脱会』しましょう。未来のある若いクリエーターの皆さん、間違っても『組織』に入るのは止めましょう。『自立』しましょう。ネットワールドが世界中を席巻している今のイイ時代に、例えば、ボクがよく『投稿』している『シンカネット』をはじめ、誰でも『審査無く』登録、公開できる素晴らしい『ネット美術館』がかなり出来ています。これは素晴らしいことです。もう、その世界で充分でしょ。日本から、『美術年鑑』や『○○会』ちゃなものが無くなった時、始めて日本人全般が自分の目で『好きな作品・作家』を探せるときが来るのと違うかなーと以前は思っていましたが、もうネット世界では、その時代が既に始まっています。


07月07日(土)12:00:18 はれ CO-OPを斬る No 139
『CO-OPを斬る』

神戸には、コープ神戸という、所謂『生協さん』がある。140万世帯程が加入する『日本一』の生協である。生協とは言え、企業で言う『売り上げ』も年間3000億円を超える『巨大企業』です。実に神戸市民の殆どが生協に加入していると言ってもイイくらいです。このあたりは神戸市民の『市民レベルの高さ』の証明とも言えます。でもその役員の選出方法を始め、経営内容はかなり不透明です。企業ならまあ、それは『アタリマエのこと』かも知れません。でもこと『生活協同組合』となるとそれはやや違うと思います。ウチのアトリエにも毎週『家庭係』が受注と配達に廻って来ます。毎月の支払いが平均4万円位あるので『マア、上得意様』でしょう。つい2〜3年位前から『増資にご協力を』と、何度も宣伝するので気前よく5000円ずつ『増資』を重ねてきました。アットいう間に当初の出資金の5千円から3万円程になりました(細かいな、オレは主婦か・・)。今頃、何でか気がつきました。2年位前から、どうもかなりの『経営の危機』だったようです。今は、それを発表してますから『切り抜けた』のでしょう。その時は『その気配すら』感じさせませんでした。経営は『オープン』では無いということです。どうもその危機は去年あたりがピークだったようです。そりゃ天下の『ダイエー』がもう死にかけてる時代です。その事態もまあ、考えればアタリマエかも知れません。今年やや、『オープン』にした生協創立80周年の新聞を読んでると、『希望退職』や『不採算店舗の閉鎖』など、いろいろ『企業努力』はしてるようでした。ただ、相変わらずその『役員』のズラット並んだ『顔写真』を見ていると、『ナンで、この人が役員?』という人もあります。どうやって『人選』しているのでしょう。又給料は払ってるのでしょうか?そうとしたらどの位払ってるのでしょうか?気になるところです。そして、一番『問題』だと思うところには、マダ全然、本当の意味での『経営改善』されてるように思えません。『生協運動』の原点は『協同購入』です。それにより、『生活必需品』が大量に『安く』仕入れられるはずなんです。そのメリットが活かされることこそが『生協』なんです。今の店舗、商品の羅列等は、全く『大手スーパー』と変わりません。値段も平均すると大手スーパーや大手ホームセンターよりもやや『高め』です。『オカシイじゃないですか』。もう、そろそろその方向性は止めましょう。生協の原点に戻りましょう。『組合員世帯』と『倉庫兼配送センター』と『家庭係』さえ要れば純粋の『組合員だけの生協』になれます。そうすれば例えばテイッシュペーパーの5ヶ組セットも200円をキレルはずです。今、それヒトツとっても、民間ホームセンターや大手スーパーより高いのですよ。何度も言います。『おかしいじゃないですか!』アーッ、腹が立ってきた。年間数百億円の利益を出してどうするんですか!そんな、経営改善なら『出資金』返して貰って脱会するぞー!という人達がどんどん出て来だしたらどうするんですか!方向が間違っていまっせー!


07月06日(金)17:36:55 あめ 罰当たりな話 No 138
『罰当たりな話』

これは、反省文として書きます。今、丁度結婚20周年でやんす。そこで、我が『結婚式』の話です。ついこないだのような気がしますが、もう20年も前のことです。すべては『時効』とお許しを。ボクが結婚を決めた歳は30才の時でした。恥ずかしながら、『貯金ゼロ』でした。会社を閉鎖して、『ノビノビ、資金繰りの心配もなく』遊び呆けていましたので、代議士秘書の給料も大体、貰って10日位でほぼ無くなっていました。貯金なんか、出来るわけありません。昨日、新聞で『結婚にかかる費用』の記事が特集であり、今は、少なくなる現象だが(地味婚の流行で)、それでも平均500万近いお金を使ってると出ていました。ちょっと前までは800万円近かったそうです。当時のボクは貯金ゼロ。ボクは一か八かの『賭』をしました。石井はじめ代議士夫妻に仲人をお願いし、会場は有馬温泉の一番デカイホテル『有馬グランドホテル』に決めました。このホテルの社長は親しいので『スベテうち明けて(お金がないこと)』相談に乗って貰いました。社長は『苦笑い』しながら、渋々こう言ってくれました。『ヤマグチ君なあ、ウチのホテルで結婚式ちゅうたら、ひとり最低でも2万円かかるねんで、普通は皆一人、3万円や。そやから、来るお客さんは、皆大体、最低でもお祝いは、2万円は包んでくるわ。そこでやなー。まあ、お前さんへのお祝いのキモチもいれてやなー、一人1万円でやったるわ。そしたら100人集まったら、多分100万残るんちゃうか。それでどうや。』『ハハーッ!それでお願いします』と最敬礼でした。いよいよ案内状発送です。こうなれば『人が多いほど』お金が残ります。濃い関係からメッチャクチャ『薄い関係』まで案内状を出しました。でも『ボクとは薄くても』仲人さんが石井代議士ですから『その顔』でドンドン『出席』の返事が集まって来ました。欠席の人からも『お祝い』が届きました。
約200人程の披露宴になりました。ウチ『嫁さんの親族、友人』は10人だけで、残り全部が『ボクの関係者』です。『資金集め披露宴』は大成功でした。総収入は約4百数十万円。約2百数十万円が残り、引き出物代とかを支払っても約200万円程、残りました。ホント『罰当たり』ですね。皆さん『スンマセン』でした。お笑いですが、それから数年後に、そんなに親しくもない『後援者』のお家を偶然訪ねた時、応接間に見たことのある『花瓶』が飾ってありました。『あーっ!あれボクの結婚式の時の引き出物や』と秘かに気がつきました。全然、ボクの記憶のなかに『いない人』でした。お話を聞けばやはり『出席者』でした。『本当に、スミマセンでした』
これが、ボクの正体の一部です。


07月06日(金)13:35:40 くもり 自信喪失 No 137
『自信喪失』

今日、『ウーン』とうなってしまうコトがあった。このあいだ、鹿児島で18才の女子学生が一人住まいのアパートで殺される事件があり、『推理好き』のボクはイロイロ状況から『これは、この同じアパートの住人の犯行』と睨んでいた。今朝、ワイドショーで捕まった犯人のことが出ていて、ボクの睨んだとうり同じアパートの3軒隣に住む25才の男が逮捕されていた。ボクが驚いたのは、その犯人の『タイプ』である。映されていた犯人の映像は、事件直後に、その現場のアパートを出てきたところを報道陣につかまり、『インタビュー』されてる場面だった。昔から『人はウソをつくとき目をつむる』と言うのはよく聞いたが、これはもう宛にならない。その男は『大きな目』をバッチリ開けて、もう全く何時間か前に『隣人の殺人』を犯したと想像もつかない落ち着きと、タレント並の容貌でスラスラとインタビューをうけているのである。今まで、50年生きてきてこういうタイプがボクの廻りにいたら、ボクは『感じのいい子』としてつきあい、多分人には『あの子は、いい子やで』と言ってしまいそうなタイプなのである。ボクは今まで『人をみる』ことには、結構自信があったのですが、きょうのこの事件で、完全に『自信喪失』です。
今の若い子は、ボクらの時代の、『殴ったろか!』が『殺したる!!』なんでしょうか・・・。

07月06日(金)11:15:59 あめ セメントマッチ No 136
『セメントマッチ』

プロレスの専門用語で、『本来の約束事』を破り、事実上の『ケンカ』に近い『試合』のことを言う。今、毎週ボクが楽しみにしているプロレス番組は、ケーブルテレビで放送している、世界最大のプロレス団体であるWWFのプロレスだ。つい最近この団体はそれまでの強力なライバル団体だった、WCWを買収し、名実共に世界最高の組織となった。世界中のケーブルネットで数十億人のファンが毎週見てるというお化け組織だ。以前、全盛期のアントニオ猪木もこの両方の団体でメインエベントを(つまり、トリ)を張っていたこともある。ただこのWWFは典型的な『ドラマ仕立てのストーリープロレス』で『セメントマッチ』や『本当に強いものが勝つ』という設定は殆ど無い。次ぎのチャンピオンは『誰』。その次ぎは『誰』とかなり先まで決められている。だけど『シナリオライター』が上手いので、これがまた『解ってても、面白い』のである。ただ、この団体でも本当は『仲が悪い同士』とか『強いのを誇示したくなる単細胞のレスラー』が闘った場合、『筋書きどうり』にいかなくなるときもある。それがまた、かいま見えた時『より、面白い』のだ。日本のプロレスの現状はK1やプライドのリングに代表される『超過激な格闘技』ブームにあって、やや埋没ぎみなため、猪木時代の『過激なプロレス』より、より一層『超・過激なプロレス』の方向に進みつつある。だから又、面白くなってきた。アントニオ猪木は外国のレスラーから、『セメントマッチ・レスラー』として、嫌われ、ある意味恐れられていた。特に猪木があのモハメッド・アリと闘ってからは、『猪木を倒す』と有名になるためあらゆる格闘家の挑戦を受けた。又、この一連の闘いは『セメントマッチ』だった。パキスタンの英雄『アクラム・ペールワン』と現地で10万人の観客の前で闘った時、猪木は相手の『腕ヲ決めて、骨折』させ勝った。観衆は大騒ぎ。猪木も命が危なかった。普通のプロレスなら『興業』としてお客さえ集まればもう『適当に試合をしてくれて猪木は地元の英雄をたてて負けてくれればいい』という筋書きとなるのだが・・・。燃える闘魂、アントニオ猪木という男は『それを許さない』。ここがスゴイところだ。ただ、猪木も『商売』のことは理解できるのでWWFの『シナリオプロレス』に付き合うときもあった。ただ、そんな時も『観客には解らぬように』相手の腕の関節を決めたり、タチの悪い相手には『相手の目のなかに指を入れたり』して『自分の本当の強さや、怖さを思い知らしたそうだ。だからアメリカのプロレスラーは猪木と闘うのを凄く嫌ったのだ。ヒトツ、『セメント』の見方を教えると、プロレスのリングは鉄で組み立てた上に分厚い板が敷いてあって、その上にウスイマットが敷いてあるのだが、リングの対角線上の下にその鉄部分があり、板だけのところで投げられるより、下に鉄があるところで投げられると数倍こたえるのだ。そんなことひとつでも、『普通の試合』と『ケンカに近い試合』が見分けられる。勿論、場外のコンクリートの床に投げつける場合は相当『気合い』が入っている。


07月05日(木)12:04:32 はれ 御影の野生動物 No 135
『御影の野生動物』

神戸の御影の山の手地区は六甲山の麓に位置し、斜面にはりつくように、マンションや大邸宅があります。この六甲山は国立公園で、鳥獣保護地区のため、イノシシ・狸・狐・サル・そして沢山の野鳥が生息しています。人口150万人の大都会ではちょっと珍しいかもしれません。そしてこの御影地区には、ウチの周辺にもイノシシや狸がよく出没します。特にイノシシは、山にエサが少なくなる秋から春にかけてほぼ、毎日出没します。阪急御影駅から歩いて1分位の住宅地にまでドンドン出てきます。時間帯は大体、夕方から夜10時くらいまでです。地元に住んでる人は慣れているので、『オドロキもせず、見向きもせず』という感じでやりすごします。実は、この対応が一番『安全』なのですが、地元以外の人は『驚いたり、怖がったり』してそれがその人から『波動』で出るため、イノシシもとまどい、『恐がり』ます。そんな時イノシシも『自衛』のため『威嚇・攻撃』する場合もあります。となりの阪急六甲駅や阪急岡本駅周辺も良く出ますが、どちらも商店街等があるため『いろんな人達』がいるのでたまに、そんな事故があります。御影地区は住宅街で地元の人だけがよくウロウロする地区なので、『皆、良く心得ています』ので事故は聞いたことがありません。とは言うものの幅3メーターほどの路地が多い地区ですし、そこで出会うとやはりちょっとは『緊張』します。でもそんな時、イノシシも『あら、困った』という感じで、道の端に移動します。それで、お互いが『どうも』と言う感じですれ違います。その時。イノシシもやや小走りになります(かわいいでしょ)。親子連れと出会う時も結構アリマス。母親と子供2〜3頭連れで、その狭い道で出会います。子連れの時は『注意』とはよく言いますが、別に対応は同じです。イノシシの子供は『ウリ坊』と言って横縞がくっきり入り、キレイし、メッチャ可愛いです。絶対禁止は『エサを与えること』です。これは絶対してはいけません。あくまで『野生』を守ってやらねばです。オトナのイノシシはビックリするほど大きいですよ。とくに『お尻』が迫力あります。狸も駅周辺からウチの近くまで、数カ所に『巣』があり、夕方からこれは一年中出てきます。この子達は、人を恐れていません。まるで『野良猫』と同じノリで徘徊しています。ウチのマンションの直ぐ隣りに、デカイ家だけど数年『空き家』の屋敷があって、そこにも住んでいました。毎日、夕方6時前後にそこから出てきて『エサ探し』に徘徊していました。ところが2日前からそこが『売れた』のかあっと言う間にその家が取り壊せれました。狸は頭がイイそうですからもう『別天地』に移住はしてるとは思いますが、ちと淋しいでやんす。

07月05日(木)10:27:29 はれ JAW No 134
『JAW』

JAPAN・ASIA・WORLDの頭文字をとって『JAW』です。これは、ボクが長い『構想』でもって考えている、国際的市民運動の『組織名』です。政治の、特にアジアでの政治活動の、市民による国際的ネットワーク・NGO設立構想なのです。特に、『アジアの中の日本』が背負うべき国際的な『責任』を考えた時、今の日本人や、日本の政治家の『国際感覚』では、とてもじゃないがそのことを考えるまで行かないのでは、と悲観的になるので、数年前から、とりあえず廻りの人間を手始めとして少しずつ訴え始めています。今でも、アジア、特に東アジアの人達は、『日本国と日本人』を余り信用していません。これは『日本軍による悲しい侵略の歴史』があるからです。今の『自衛隊』による『軍事的脅威』も日本人が考えるのとは、遙かにギャップがあるほど『脅威』を感じているようです。話が今から、かなり飛躍しますがお許し下さい。全く興味のない人は、ここで、お帰りください。ボクは特に、『東アジア』の今後の『政情』にかなり不安があります。日本人は本当に『長い間』平和ボケしてますから、ピンと来ないかも知れませんが、この『東アジア地区』は以前中東が『世界の火薬庫』と呼ばれた時がありましたが、今まさに、『東アジア』はそれに近い状況か・・・とボクは思っています。ボクは結論を言うと、早急にこの東アジア地区の各国が参加した『NATO』のような機構が必要と考えています。いわゆる『軍事同盟』です。勿論、アメリカ、英国にも参加して貰います。『環太平洋条約機構』という名前を付けましょう。これが出来ると、アジア各国の『日本への脅威』は恐らく解消するでしょう。『日本軍(自衛隊)』は『日本軍』では無くなり、『環太平洋条約機構軍』として存在することになります。これが出来上がれば東アジアの『安定と平和』に、必ず寄与するはずです。きれい事、理想主義では『安定と平和』は保てません。先ずその大きな仕事の実現へのほんのささやかな第一歩が『JAW』の仕事なのです。『JAW』の本部は日本に置き、アジア各国に支部を置きます。そして、それぞれの国でNGOとして活動を始め、その実現への市民運動を起こしてイキマス。世論を形成していくのです。これは急がねばなりません。本来なら、この仕事をリーダーシップを発揮してやるべきは『我が国・JAPAN』の政治家の仕事なのです。ひょっとしたら、もうすでに『防衛省』と『外務省』でこのことの『研究』は始まっているかも知れません。でもマダマダ日本人には『戦争アレルギー』があり、こと『軍事』に関する議論は、なかなか表だって出来ないというのが実情です。もうそんなこと言ってるときではありまへんでー。皆、少しは考えはじめやー!こんなことは、若い人の仕事やでー!ボクはただ、言うだけ、口だけの男やでー!世界中の『ブランド』ばっかり追いかけとったらアカンデー!。『日本人』さん。・・・・・・大言壮語でした。○。』

07月04日(水)16:11:06 はれ セロウンパラム No 133
『セロウンパラム』

ハングル語で『新しい風』という意味です。日本人に一番欠けていると思われることのヒトツに『国際性』があります。今でこそアジアの人を始め、南米、中近東辺りからかなりの人が、日本に働きに来ていますが、本当の意味での彼等との『交流』も余り無いのではないでしょうか。彼等は彼等で『働くコトが目的』つまり『ジャパンマネー』が目的で来ていますので、彼等にもそんな『ゆとり』は無いでしょう。ボクは以前から、国際社会のなかの『日本』を考える時、『世界の日本』を考えるより先ず『アジアの日本』。そして『アジアの日本』を考える前に、まず一番先に考えるべきことは『隣国の韓国』とのことを考えるべきだと、ずっと廻りに言い続けて来ました。ボクは戦後間もなく生まれた世代ですから『日本人と韓国・朝鮮人』との間の『いろいろな諸問題』をずっと見て育ってきました。今は『教科書問題』がありますよね。でもボクは神戸の下町『長田区』育ちですから、『韓国・朝鮮人』の人達と密接に関係して育ってきましたし、今でも、お世話になってる人や、知り合いに『韓国・朝鮮人』の人達が沢山います。そんな環境もあって、ボクが提唱して、昨年に『セロウンパラム』という名前のNGOを立ち上げました。これは先ず『友好』は『交流』からと言う考えを基本にして、両国の未来を背負う、主に『小・中学生の相互ホームステイ交流:5日間』というのを柱の事業としました。ただ、実態はマダマダ形になっていません。今は『教科書問題』がネックです。サッカーワールドカップがイイきっかけだと思っていたのですが、ちょっと難しい時期とタイミングにぶち当たっています。ボクのプロフィールのコーナーにあるようにボクは『金大中大統領』とお会いしたことがあります。ただそれはマダ大統領になる前の時でした。写真の場所は金大中氏の『私邸』の応接間です。ちょっと話がそれますが、続けます。この時は10数年前の盧泰愚氏が大統領になった時の大統領選挙の直前1ケ月前でした。国会議員10人と『韓国大統領選の視察』に団長秘書として参加しました。盧泰愚氏、金大中氏、金泳三氏、金鐘必氏の4人の候補者とそれぞれ意見交換と対談をしました。その時同席したボクの4人の印象は盧泰愚氏ー軍人、金大中氏ー政治家、金泳三氏ー学者、金鐘必氏ー官僚、と言う感じでした。私邸に招いてパーテイーをしてくれたのは『金大中氏』だけです。その時、彼は全員を玄関で迎え、当然ボクにも温かい歓迎をしてくれました。ボクはその時から『彼のファン』でした。今は『大統領』としてさすがと思われる『活躍』をされています。そんなこともあって、日本人が『国際感覚』・・・というなら先ず『隣の外国』だろ・・というのがボクの考えです。幸い今、日本でも『韓国ブーム』が起きています。『韓国市場』が至るところにできかけています。キムチも完全に『浸透』しています。ボクがやらなくても『自然にそうなる』時はもう目の前かも知れません。でも、このVOICEを読んでくれてる人でこの『セロウンパラム』運動に関心ある人はこの運動を全国に拡げたいと思っていますので、それぞれの地元で立ち上げてください。ネットワークを作りましょう。先ずはメール下さい。


07月04日(水)14:07:34 はれ IQゲーム No 132
『IQゲーム』

『選挙はIQゲーム、殺し合いのない戦争』というコピーはボクが『選挙』に関する『講演』をするときのテーマです。ボクなりに良くできた『コピー』だと思います(またまた自慢)。やはり一度『選挙』の面白さを知ってしまうと殆どの人が『ハマル』のは『いくさごっこ』の楽しさです。候補者には、やや申し訳ないが『参加』する人達は大体似たような『感覚』は持っています。勿論『真剣勝負』に近いほど『熱く燃え上がり』ます。とくに『妙味』は『知恵比べ』です。『敵』の出方を読んだり、いろいろ作戦を立てたりが、やはりたまらなく面白いのです。これはホントに『IQゲーム』です。最近、ある選対の幹部でIQ220の、東大を首席で卒業したという人に出会いました。さすがに『呑みこみ』は早かったです。でも、ボクの長年の経験と直感と実績をもとに打ち出す、こと『選挙』に関する『戦略と戦術』の話を、『目を丸くして聞き』、何度も、何度も、彼から出た言葉は『頭、良いですなー!!』でした。ある意味ボクは『痛快』でした。ちなみにボクのIQは150です。『知恵』というものは、『知識』とは全然違います。脳のそれぞれ『違う場所』にそれぞれの『機能』する場所があるはずです。『知恵』は『お勉強頭』からは出にくいかも知れません。『知恵の泉』という言葉にあるように、『湧き出でる』ものなのです。『知識の保存室』は、ただ『保存』してあるだけ。全く、『異質』のものです。いかに『知恵』と『知識』をバランス良く持つかで『勝負はキマル』ように思います。でもよく、選挙の話をして、夢中に喋ってるとき、『なんで、こんなエエ案が浮かぶんやろ』と、喋ってる自分が驚くことも多々あります。それも多分『突然、湧きだした』のでしょう。日本では『東大』が最高に『頭のいい子』が集まる学校と誰もが思っているでしょう。でも東大出の官僚や雇われ社長は沢山いますが、東大出の『起業家』や『ワンマンオーナー社長』はあまり聞いたコトがありません。まあ、彼等の人生は、東大に入った時点でもうなかば『燃え尽き』、ほぼ終わっているかもしれません。そういう意味では、そういうエリートコースを歩みながら、なんの不自由もなく、高収入と、将来の安泰を『保証』されてるのにも関わらず、突然、すべてを投げ打ち『政界』に転出するというヤツ等も時々いますが、こういう奴らは、見上げたものです。ほんとに、心底エライなと思います。そういうヤツらがボクとこに来たら、『商売』二の次になるのはアタリマエです。ハイ。


07月03日(火)15:21:39 はれ 愛車の歴史 No 131
『愛車の歴史』

車歴は長い。30年前の大学生の時から我が『会社』の専務をしてたので、最初のマイカーはマツダ・ファミリアクーペだった。1200CCのスポーツタイプだ。この頃はモータリゼーションのハシリの頃で、トヨタスプリンター、日産サニークーペとスポーツタイプが人気があった。その次ぎはマツダルーチェ・日産セドリックと続く。そして『オイルショック』後の大不況時には、セドリックからスズキ・フロンテ(軽四)にさっと乗り換えた(カッコイイ)。会社閉鎖して石井事務所に勤めてからは、中古のトヨタカリーナで再スタート。間もなく中古のいすず・117クーペに乗り換えた。これは、高校の同級生のN君が中古車のセールスをしていて薦められた。ジウジアーロのデザインでカッコは抜群だったが、六甲山を登ってるときに、突然、フロントの計器辺りから『煙』が出てきて、間もなく『炎上』。中古の怖さを思い知った。その後はイギリスのオースチンミニクーパー。これは見かけはメッチャカワイイ車だった。ただ『問題』だらけの車だった。英国病に冒されたメーカーではまあ、『驚くこと』ではないそうな。先ず走ってるとき『どこからか火花』を出してた。自分では見れないのでどんな感じか解らなかったが、夜によく対向車に『火花出てるで』と言われた。夏には一日で『ラジエーターの水』が無くなった。毎日『水』をイッパイ入れねばならなかった。余談だがボクが乗ってる姿が『小さい車に大きな顔の男』でやや『異様』だったという評判もあった。『新車』で買ったのに散々で、デイーラーに言っても『あたりが悪かったデスナー』でチョン。間もなくやはり『ドイツ車』か!とワーゲン・ゴルフに乗り換え。これは文句無し。トラブル無し。何も言うこと無し。3年は乗った。その後アウデイ80。やや『高級車』に乗る。やはり『いい感じ』。でも『女っぽい車』のイメージにスグ飽きる。それから今の車。
BMW525i。それも2代目。初代は約12万キロ強乗った。これといった故障、殆どなし。耐用年数切れでエアコンを取り替えた位。しかもそれだけ乗って、7年間乗ってなんと『下取り』がデイーラーで100万円。もち、それで2代目のBMW525iに買い換える。これももう2年乗り、約4万キロ走行してるが、まだ故障一回も無し。さすが『ドイツ車』チト違う。なにせヨーロッパでは殆どの人が平均25万キロ位まで乗るらしい。日本人と『考え方』が違うのである。


07月03日(火)10:49:19 くもり 燃える闘魂 No 130
『燃える闘魂』

ボクは、40年来の『歴史』ある『プロレスファン』である。期間が証明するがごとく『筋金入り』だ。勿論ピークは『アントニオ猪木』全盛期だ。ボクの『なにくそ、負けるか』の『ネバーギブアップ精神』は猪木に教わった。ボクにプロレスの世界を語らせるといつも、『熱弁』になると言うのがボクの『プロレス好き』を知ってる人達の言い草だ。猪木が全盛期を過ぎ引退してからの『新日本プロレス』は元気がない。今、日本中にプロレスを始めとする格闘技の団体は40団体位あると思うが、やはりまだその中心は、猪木のいた『新日本プロレス』だ。猪木は引退後も『格闘技関係団体』の最高顧問格として『リーダーシップ』を取っている。昨日、夜中にあった『新日本プロレス』の放送をさっきビデオで見た。日本武道館での『新日本対全日本』の5対5、シングルマッチと新日本の実力ナンバーワン『永田』と猪木の弟子でフリーの格闘家『藤田』の一騎打ちだった。すべてが『ベストバウト』だった。新日本対全日本は1勝4敗で新日本の完敗。これは、以前の猪木全盛期には考えられない『結末』。全日本はジャイアント馬場の率いる『お笑いプロレス』だったのが、馬場亡き後、造反や引き抜きで『解体寸前』まで追いつめられ、残ったメンバーの『悲壮感』たるや相当なもの。『燃える闘魂』は今や、新日本には無く、全日本で生きていた。永田と藤田のタイトルマッチも藤田が勝った。元々、藤田も新日本の出身で永田の後輩にあたる。永田は『弟』がこないだのオリンピックでメダルを取ったアマレス一家育ちの実力者だ。イイ勝負だったが『紙一重』の差で藤田が勝った。藤田は猪木の弟子として『プライド』という何でもありの『格闘技のリング』に上がっており、そこで実力をみがいた『猛者』だ。テレビコマーシャルで猪木に張り手をかまされてる男と言えばわかるはず。『セメントマッチ』に近い試合では『プロレスラー』は不利である。でも、今日の試合は『強い方が勝つ』という『イイ試合』だった。興味ない人には、このVOICEつまらんやろなと思いながら書いてます。でもプロレスを始め『格闘技』の世界の話も時々書きます。
結構『底は深い』のです。

07月02日(月)18:26:31 はれ バンドマン No 129
『バンドマン』

時々、『エーッ、君もバンドやってんの?』と驚かせられる人に出会う。今の時代は僕らの若かりし頃と比べて、『楽器』もいいのが安く手にはいるし、レンタルスタジオもそこらにあり『練習所』には苦労しない。ボク達のような『オジサンバンド』も結構多い。音楽好きには
ホントにイイ時代である。今日会った彼も『仕事』の顔しか知らなかったし、『笑顔』を見たことがない子だったので、殆ど『会話』もしたことが無かった。今日書いた、F君の関連会社のマダ31才の社長だ。今朝のF君との『月曜コーヒータイム』に同席していて、『音楽』の話になったとき、その『本性』が出た。なんと『暴威』の熱烈なファンで、バンドも『暴威』のコピーバンドをやっていて、『ドラムス』を叩いているそうな。しかも、驚くことに、その彼から『大それた計画』を聞かされた。神戸のライブハウスの『殿堂』である『チキンジョージ』を借り切って『元・暴威』のドラムス担当『高橋まこと』をゲストに招き、『暴威祭り』をする計画をうち明けられた。もうさっき言った『笑顔の無い、仕事の顔』とは全く『別人』の『明るさ』と『元気さ』だった。ボクの去年のライブはほとんど『暴威』の曲が中心だった。もう『話』が会わないはずがない。それどころか不思議なもので『音楽』でつながる『きずな』は一気に深くなるのである。ボクが彼を見る目もころっと変わり『彼の仕事』にも協力しょうかなと思ってしまうのである。勿論、その『チキンジョージ』も例のM氏がメッチャ親しいのでナントカ『安く』借りれるだろう。その気になれば『ボク』もステージに立つかも知れないし・・・。ちなみにそのM氏も元バンドマンだ。こないだアトリエに来た大阪の劇団のプロデユーサーも現役のバンドマン。彼は『ベース担当』。今日の子は『ドラムス担当』そうか、これで『KOU,S BAND』は『出来上がった』。ヨッシャー!オレも
オリジナル曲での『初ライブ』やるどー!べべー!



07月02日(月)14:51:10 はれ F君 No 128
『F君』

彼が大学生の時、やはり良く役に立つ、選挙アルバイトのリーダーだった。学生の頃から何かしら『風格』のある子だった。聞けば中学、高校と『硬派』としてならし、教師や生徒から、一目置かれる『存在』だったらしい。大学卒業して、神戸のお菓子メーカーで有名な『風月堂』に就職したが、交流は続いた。その後、彼が『選挙戦力』としてどうしても欲しくなり、『説得』。代議士秘書となった。持ち前の『外交力』と『気前のよさ』でメキメキ頭角を現し、ボクが筆頭秘書の時には『右腕』となった。特に代議士事務所というのは、右翼や○○組さんが関わってくるときもあり、そういう場合、ボクは殆ど彼に仕事をふっていた。そんな経験と元々の『硬派』ということもあって、風貌も『カタギではないな』という感じになってしまった。これはある意味、ボクは『責任』を感じている。ボクが辞めた後は彼が筆頭秘書として何年か勤めた。その彼も、その後一度だけ神戸市会議員の選挙に出た。だけど落ちた。借金も残ったらしかった。実は彼はこれまでに3度結婚している。ボクなりに『分析』すると、彼は『情がかなり深い』『恋愛に落ちやすい』という性惰がある。勿論、ここでは書けない複雑な理由もあることでしょう。その彼が、政界から『足を洗って』5年前に住宅建設会社を設立しました。持ち前の『気前の良さ』で儲かっている時は、事務所の後輩が立候補した時や、知り合いの議員にかなりの資金カンパをしていました。しかしこの未曾有の『長期不況』と、信頼していた『番頭』さんに、集金分を持ち逃げされ、結果、昨年の暮れに『倒産』しました。総負債額は億を超えます。倒産から3日間位は落ち込んでいましたが、持ち前の『外交力』でこの未曾有の『苦境』をほぼ、乗り切りました。彼が偉かったのは先ず『逃げなかった』こと、そして債権者と正面から『向かっていったこと』です。ボクの前だけは『弱気』なところを見せたり、『グチ』も言ったりしますが、なんとか切り抜けました。もうひとつホメテやったのはその間、死ぬほどの『苦しみ』の時にも、なんとか『お金』を工面して、離婚した2組の家族への『養育費等』をきちんと送っていたことです。今の奥さんとの間に2人、前の奥さんとの間に1人、最初の奥さんとの間に2人の子供がいるのです。その最初の奥さんとの間の長男はもう大学生で、彼の会社にずっとアルバイトに来ていました。その後なんとか『大波を乗り切り』2ヶ月前から、新しい仕事をスタートし、債権者とも『話がついて』今のところ順調に進んでいます。ボクと彼は、毎週月曜日の朝、御影の『にしむらコーヒー』という大きな、『喫茶店』でコーヒーを2杯ずつ飲み、小一時間、世間話や、・・・の話で盛り上がるのです。今朝もコーヒを2杯ずつ飲んできました。


07月02日(月)12:54:07 はれ シンガーソングライター No 127

『シンガーソングライター』

いつも『ご趣味は?』と聞かれたら、喜んで『音楽!』とお答えしております。思えばハジメテ『音楽』に目覚めたのはボクが小さい頃『姉』がよく口ずさんでいた『美空ひばり』の歌で『港町13番地』という歌でした。そしてその後がやはり姉が夢中になってた『石原裕次郎』の歌でした。小学校2年生くらいの時に、越境入学だったため、朝通学時、1時間かけての道すがら『すなやまのーをすうーなーあをゆびでほおーてたら、まあかにさあーびたー・・・』と唄いながら歩いてました。4年生位からは自分の『好きな歌手』が出来、その歌をよく唄っていました。松島あきらの『湖愁』というのがお気に入りでした。5年生位から主にアメリカのポピュラーソングがお気に入りになってきました。ラジオの『9500万人のポリュラーリクエスト』という児島正雄がDJする番組は特に好きでした。日曜日の午前中は殆どヒットパレードの連続で楽しみにして聞いていました。『ヘレンシャピロ』の『悲しき片思い』なんて涙を流して聞いていました。ニールセダカやポールアンカも好きでした。間もなく中学生になると『ザ・ビートルズ』が席巻しました。大ヒットした『抱きしめたい』が始まるとラジオなのになんか『興奮して心臓が踊った』のを憶えています。ちなみに今、ラブサイケデリコのヒットしてる歌は、イントロ部分にこの『抱きしめたい』のイントロがフューチャーされています。このビートルズが出てから日本でも『自作自演』の歌手がちょこちょこ出てきはじめました。そうです当時は『自作自演』と言ってたのです。なかでも一番は『若大将こと加山雄三』でした。ボクは彼を見たとき『これだ!』と思いました。今ではホントニ『いいオジサマ』だけですけど、当時はホントに『カッコイイ生き方をしてる人』だなと思いました。ボクが青春時代、一番憧れたスターは彼でした。日本のミュージシャンもそんな人多いそうです。彼の影響で日本でシンガーソングライター・ブームが始まったと言っても過言では無いと思います。その頃から遅れること30年余、ついにこのボクもその仲間入りを果たすことが出来ました。ボクは歌を唄うことは大好きですが、楽譜も読めないし、詩なんてモット無理だと思っていたので歌を作るなんてこの50年間、思いもいませんでした。去年の暮れに姪の『かずき』のホームページで彼女の作った『詩』を読んでるとき、ふとその詩に『メロデイー』がうかびました。あっというまに『曲』がつきました。他の3曲も同じような感じで、あっというまに、出来上がった『曲』です。ボクが詩も曲もつけてる分は、大体ほぼ同時に出来上がってきます。これも考えて、頭をひねって作ると言う感じではなく、ほぼ、あっというまに出来上がります。その様子を自分で『客観的に』見てて、『絵』とイッショだなと思いました。出るときは『自然に』出てくるのです。マダ、ボクのオリジナル曲を聴いていない人は、是非一度聴いてみてください。これは『コマーシャル』でした。


07月01日(日)13:52:56 はれ 人は変わる No 126
『人は変わる』

代議士秘書時代の先輩で、アマノジャクのボクが結構『認めた』先輩がいました。彼は、ボクが入所したとき筆頭秘書だった人で、『仕事の出来る人』でした。でも普段は『昼行灯』のようにボーットしてて、大石内蔵助のような人でした。ボクが入った時には、すでに秘書を10年以上務めていました。石井さんと甲南大学の先輩、後輩の間柄で、石井さんが初出馬の時から応援していて、初当選してからは、それまで勤めていた大手商社を辞め、石井さんの秘書となった人です。特に資金集めを得意とし、『選挙運動』はどちらかと言えば『嫌い』なようでした。確かに彼が事務所の『金庫番』をしてる時は、『お金が無い』という状況は余りなかったように思います。時々『照れた笑いをする仕草』が可愛く感じる人でした。でも怒る時は『しっかりと怒り』そのあたりのメリハリもある人でした。彼だけはボクが新人の頃の『集団のいじめ』にも参加していませんでした。ヒトツには彼はちょっと『別格』で、秘書仲間とも余り仲良くしていなかったからもしれません。ボクが『結婚問題』で悩んでいるときも『相談』に行ったぐらいで、いろんな知識も豊富でした。ある時、その『選挙嫌い』の彼に、突然『選挙に出ないか?』という話が降ってわいたのです。彼は『自分を知っているので』かなり悩んだと思います。でも結局出ました。そして『落選』しました。県会議員の選挙でした。タイプ的には、『衆議院議員』でもやれるタイプです。でも落ちました。いったん、ついた火は消えないのか、今度は市会議員の選挙に立候補しました。これは見事にトップ当選しました。イメージと全然似合わぬ、50CCのミニバイクに乗り、デカイ頭にデカイヘルメットをかぶり、よく廻っていました。あれから約15年。市会議員として常に連続トップ当選を果たし、それなりにイイ『生き方』をされてるとは思うのですが、ここ数年の先輩の動きや、『評判』を聞いていると、なんか以前の先輩からは考えられないくらい人間のスケールが『小さく』なったように感じます。頭はいつも『地元の選挙区のことだけ』のほんとに『小さな人』になっていませんでしょうか。先輩、今、貴男は本当に『これで良かった』と思われていますか?余計なお世話ですか・・・ハイわかりました。

07月01日(日)10:49:34 くもり 空を飛べる街 No 125
『空を飛べる街』

神戸のこれからの『事業』としては『観光・KOBE』しかないんじゃなかろうかと思っている。それも『中途半端』はもう絶対ダメで、少なくともアジアから年間数百万人の観光客、日本中から年間1000万人以上の『入園者』が来るような『施設』を造らねばならない。タダ、『施設』といっても東京デイズニーランドやユニバーサルジャパンのようなモノではない。ボクが考えているのは、『市街地オール遊園地化計画』である。ハワイにこれまで3回行ったが、ホノルルの街にいるだけで『リゾート気分』になれた。ホテルから水着でビーチへ行けるのも魅力だった。神戸市はよく年間2000万人位の観光客が神戸に訪れていると発表してるが、どの人数を数えてその大きな数字になるのか聞きたい。恐らくハーバーランドに毎日来てる人や、タダ、単に通勤やら、仕事で六甲有料道路を走っている車の人も入れてると思う。三宮センター街を毎日歩いている人も当然入れてるのでは。ほとんどが『本当の観光客』ではありません。明石や、加古川や姫路などの近郊から週に一回来る人もカウントに入ってるはずです。おみやげを買ったり、地元のホテルに宿泊したり・・・という『本当の観光客』はハッキリ言ってほとんど数はシレテマス。有馬温泉も土日以外はいつもよく空いています。市内に沢山ある有名ホテルもウイークデイはガラガラです。確かに『オシャレでエキゾチックな街』でその要素は充分備えています。でも代表的な北野異人館街も夜はまるで『ゴーストタウン』。昼間の観光客は団体でぞろぞろ歩いて、買い物もほとんどせず2時間ほどいて又、バスに乗り『次ぎの地』へ移動しています。神戸には美味しいケーキ屋さんがイッパイあってもそれは『地元の人』のためのモノで、団体観光客はそれをも味わえません。そうなんです。神戸は『通過地点の観光地』なのです。別に『団体客』が欲しいだけと言うことではありません。
『誰もが泊まりがけで来たくなるKOBE』を目指したいのです(オレは市長か?)。ところで、ボクのその『市街地オール遊園地化計画』はどういうモノかと言うと、先ず『空を飛べる街』がメインテーマです。かといって『テーマパーク』を想像しないでください。未だ、具体的な『設計図』は出来ていません。『空を飛ぶ』というのは、『人類の夢』です。飛行機、ハングライダー、熱気球とそれなりに『実現』してきました。でも、『ひとりで本当に空を飛べる感覚』が味わえるのは『ハングライダー』でしょう。しかしこれは誰もが『それを』味わえません。ボクが考えてるのはその『ハングライダー』のイメージは同じで、ひとりの人を『安全に吊し、羽のようなものもつけ、ミナトから山まで一気に飛ぶ』施設です。ポートアイランドの『新・ポートピアランド』辺りから、市街地の上を飛び、新神戸の上のハーブ園まで飛んで、Uターン。又『新・ポートピアランド』に帰ります。滞空時間は約30分。生田川の上空を飛びます。勿論、親子で飛ぶタイプ、恋人同士で飛ぶタイプもアリです。『新・ポートピアランド』はポートアイランドに、今ある『王子動物園』と『須磨水族園』を共に移転させ、今ある『ポートピアランド』と合流し『新・ポートピアランド』として再生します。それから次ぎに、今既にある六甲・有馬ロープウエーをJR三宮駅まで『延伸』し、三宮から六甲・有馬へロープウエーで直行出来るようにします。三宮〜有馬を60分の空中ドライブです。そして三宮から『新・ポートピアランド』への直行便は『リニアモーターカー』です。三宮から、『1分』で『新・ポートピアランド』着。あと『1分』乗れば『神戸空港』です。とりあえず今日はココまでにしときましょう。


06月30日(土)17:59:20 はれ キングの報酬 No 124
『キングの報酬』

リチャード・ギア主演のハリウッド映画で『キングの報酬』という映画があります。今から15〜6年位前の映画ですから大きいビデオ屋さんでは古い映画をまとめてるコーナーによくあります。今から丁度15年位前に知り合いのデザイナーのN君が、わざわざボクのところに『ヤマグチさん、この映画メッチャ、オモシロイですよ』と言って持って来てくれました。ボクがマダ『現役秘書』のときです。その時に『この映画』を見ていなかったら、ボクは今の仕事をしていなかったかもしれません。この映画はアメリカの『選挙コンサルタント』の日常と裏の仕事振りをえがいた映画でした。アメリカではこの『選挙コンサルタント』というビジネスが完全に確立され、有能な人は社会的に高い地位で認められています。歴代合衆国大統領も必ず複数の『選挙コンサルタント』と契約しています。大体『弁護士』と似たような立場です。彼等は又、『選挙』以外でも『政策』でもかなり口を出します。我がJAPANでは『選挙ゴロ』は沢山いますが、キッチリとした『選挙コンサルタント』の会社はまだ、全国でも10社もありません。アメリカでは恐らく数万社はあると思います。ある意味ではこれからのJAPANでは、ベンチャービジネスかもしれません。ちなみにその『選挙ゴロ』というのは、ある程度の選挙に携わった経験はあるのですが、プロデユーサーとしての能力も公選法の知識もないのに、選挙事務所に暗躍し、なかば『詐欺的』にお金だけを獲る人のことです。結構いますが、『狭い世界』ですのでその『烙印』をおされると、もう『消えゆくだけ』です。ボクのやってるIMA選挙戦略研究所は、法人名は別ですが、資本金800万円の会社です。選挙のノウハウを持ちながら、イメージ戦略の印刷物(ポスター・チラシ等)のデザインもすべてボクひとりでやります。映画のなかのリチャード・ギアはそこまでやっていません。ポスターやチラシ等のデザインだけをする会社は腐るほどありますが、こと『選挙のノウハウ』まで兼ね備えていて、コンサルタント部門まであるのは殆どありません。又、その逆でコンサルタントをしてる会社でもそういう『デザイン関係』は『外注』してるのが殆どです。
昨日の夜も、ある日本最大の広告代理店の幹部級の人達の会議に招かれ『ボクの選挙哲学と理論』を、ぶちかましました。興味ある人は是非その『キングの報酬』をレンタルして見てください。ボクの仕事ぶりとソックリです。ただ、『リッチぶり』は全然違いますけど。オレってホンマニ『自慢しい』やな。トホッ・・・。



06月30日(土)15:26:50 はれ ランチメニュー No 123
『ランチメニュー』

エヘン、ボクは料理』が上手い。アトリエに来る『お客様』には、出来るだけ『ランチタイムにどうぞ』と言います。気前がイイのです。アトリエにはちゃんとした『MENU』があります。将来、アトリエを訪れるつもりのお人は、どうか何を食べたいか、今から考えといてください。そこで今、現在のメニューを書きます。先ず得意の『パスタ』から★カルボナーラ★トマトソース(自家栽培・生バジル入り)★トウガラシとニンニク★ミートソース★オリジナル・カリーパスタ★ナスとほうれん草のパスタ★ツナとコーンのパスタ。『お好み焼き』は★ヤキソバ★豚焼き★そばメシ。『丼物』は★ウナギ丼★牛丼(吉野屋)★海老天丼。『麺類』は★ざるそば★ざるうどん★天ぷらうどん。『中華』は★冷やし中華★焼きビーフン★揚げ焼きそば★中華丼★オリジナル麻婆豆腐丼。・・・以上でございます。なを、スペシャルメニューにウッドデッキでの★焼き肉バーベキュー。もございます。これは5月〜10月までの季節メニューとなっております。又、お食事のあとのテイータイムは、美味しい神戸、御影のケーキ屋さんの『ケーキ』と自家栽培のハーブによる『ハーブテイー』がオススメです。毎度有り難うございます。なんのコッチャ。

06月30日(土)12:05:31 くもり 奥様フェアー No 122
『奥様フェアー』

もう、神戸の政界では『伝説』となって語られているイベントです。筆頭秘書となり、スベテの『企画』をまかされる頃になると、ボクはもう好き放題のイベントを企画していました。海外旅行を始め、自分のライブをやるX,masパーテイー、など『公私混同』もいいとこでした。まさに『我が天下』状態です。ヒトツ『デカイこと』がしたくなりました。当時、神戸で一番大きな会場は、ワールド記念ホールというところで、10000人収容のミニドーム型の大ホールです。今でも一番だと思います。ここに、『オバチャン』ばっかり10000人集められたら、これは凄いな。こんなこと誰も思いつけへんで・・。誰もようやらへんで・・。と考え始めました。思い立ったら、『即実行』がボクのいいところでした。『企画』を練りました。事務所ではまだ、それでも反体制派の分子は少し残ってましたが、表面は『従順』です。企画会議でその内容を説明し、代議士の『やってみ』の言を取りました。会費1000円で、お弁当付き、おみやげ付き、メインが、高橋英樹のショーです。終了後は会場の外一帯で、野菜や、魚の大安売りという『青空市場』開催します。1000円の内訳には弁当代500円、おみやげ代(灰皿)300円位、で高橋英樹のギャラ分が持ち出しというイベントでした。A4サイズの案内チラシを約20万枚、神戸市内にまきました。後援会の約3万人に往復ハガキを出しました。チケットを作りスタッフに前売り販売させました。会場はプロレスなら1万人入るが、ステージを組むと最大でも8000人位までです。ドンドン『成功』に向けて驚くばかりのエネルギーで進んで行きました。ボクは『難しいことへの挑戦』の時スゴイ、エネルギーが出るようです。最終の会議で、『読めてる参加人数』は4500人位でした。ハガキとチラシでの参加希望者が2500人、前売りチケットの販売枚数が約2000枚です。もうひにちはありません。後は、もう成り行き任せです。イベントの中身をつめる作業に重点を置きました。いよいよ当日が来ました。用意したお弁当は8500食です。開場2時間位前から、ポツポツと『オバチャン』が電車の駅から下りてきだしました。1時間前にはデカイ、ワールド記念ホールの周囲にとぐろを巻くように『オバチャン』が集まり出しました。マダマダ、駅からドンドン、ドンドン、下りて来ています。ポートライナーが臨時便を出しました。もう大変な『オバチャンの洪水』です。インカムで会場内の担当者と連絡を取りながら『交通整理』です。ドンドン会場が埋まっていってる報告を聞いていますが、『オバチャンの津波』は止まりません。そんな時、お弁当担当から『お弁当終了』の連絡がインカムに入りました。会場入り口で受け付け時に渡しているのです。直ぐに会場内担当に『入りはどうや?』と尋ねました。『今で、6000人位だと思います』と返事がありました。『エーッ!!そんなん!!』。さすが『オバチャン』です。4人にひとりが弁当一個を余分に分取っているのです。『ナンノコッチャ、しゃーない、お詫びして、弁当無しで入ってもらう』ということにしました。さてこの後が大変だったのです。しばらくして会場内担当から、インカムに『すべて満席となり、通路に座って貰ってましたがそれもイッパイです。もう入れません』と報告がありました。ボクは並んでまだ待ってる行列を見ました。マダなんと会場一周の、それも3〜4人が一列の『オバチャン』がいたのです。この時のボクは一瞬気を失いかけました。
マダ、外に2000人はいたと思います。『ドヒャーッ』です。おもむろにボクはハンドマイクを持ち、気合いを入れて『誠に、申し訳ございません。もうこれ以上会場には入れません。もう超満員となりました。恐れ入りますが、それぞれ、お近くにいるスタッフにお名前とご住所を書いてお渡し下さい。後日お詫びに参上いたします。』と大声を張り上げてマイクで叫びました。その時です、パニックが起きました。2000人のオバチャンが一斉に『怒った』のです。まあ、当たり前でしょう。皆、ボクに詰め寄り『津波のように』押し寄せてきました。もう体が潰れそうでした。この時スタッフの殆どは『逃げてしまいました』。もう大変な騒ぎでした。よく知っている後援会のオバチャンもいて『コワイ顔』でボクを睨んでいました。皆『言いたいこと言って、好きなだけ暴言を吐いて、会場を後にしました。この間『地獄の20分』でした。しばらく『放心状態のボク』でしたが会場内の石井はじめさんを始め、入れたお客さんは『ゴキゲン』です。もうすでにショーは始まっていましたし、場内は順調に進んでいました。大分、時間が経ってから場内に入りました。もう『壮観』でした。それはその事件を忘れさせる程の圧倒されるほどの『オバチャン』の数でした。ある意味では驚異的な大成功のイベントでした。その頃からボクにはヒトツの『選挙哲学』が出来ました。『一票減らせば、二票作ればイイんだ』と。


06月29日(金)15:26:03 はれ 支離滅裂な恋愛論:番外編 No 121
『支離滅裂な恋愛論:番外編』

先ず『男の浮気』ですが、これはこの世の男100%が『その虫』を飼っています。『実行する』か『したくてもチャンスも無い』か『そんな元気も無い』かの程度のものです・・・・・と以前に書きました。
これでは余りに『女性』が可哀想なので、もう少し『追加』します。『その虫』は世の男は皆、『飼っています』が『虫が老衰で死んでいる』のもいます。又、『虫が冷凍保存』されているのもいます。また、なかには『虫を解き放った仙人』のような男もいます。ただその『仙人』でも15才〜35才位までは『エサを与えて飼っていた』のは間違いありません。そうなんです。個人差はありますが15才〜35才位が一番『ピーク』なんです。男の『発情期』は・・・。
最後になりましたが、『もの凄い強い意志で、その虫が暴れるのと闘っている男』も稀にはいることも追加しときます。ホイサッサ。

06月29日(金)11:59:28 はれ 思い出のコーヒー No 120
『思い出のコーヒー』

ボクが中堅秘書となったころ、新規募集で新しい『秘書候補』が入ってきた。兎に角、『人の出入り』の激しい事務所で、『辞めたり』『入ったり』が多く、もうそれは数え切れないほどです。代議士事務所というのは、概して『人使い』が荒く、まるで『使い捨てゾーキン』のような扱いをする。ドコノ事務所でも似たり寄ったりである。そんな中を10年以上勤めるのは『それはそれは大したもの』という評価を得ることが出来ます。その、新人秘書はU君と言って、それまでコンピューターのプログラマーだったという。今から20年位前のまだ、パソコンなんて無い頃だ。丁度事務所も後援会名簿管理にコンピュターを導入した頃なのでタイムリーな入所だった。余談だが、当時、約3万人の名簿管理とプログラムその他に数百万円かかりました。又機械はそれだけの処理には2000万円程する畳一枚を立てた位の大型コンピューターが必要でした。その新人U君を、ある日『戸別訪問』のサブとして外に連れ出しました。ボクが当時担当していた『北区』に車で向かいました。神戸の北部、裏六甲にひろがる『北区』は緑がイッパイの田園地帯です。神戸市の面積の約40%を占める程広く、近郊農業も盛んでした。その『人情味溢れる』農村地帯を廻ることにしました。ボクなりにU君に『この仕事はこんなエエ面もあるデー』と教えたいという、『優しい先輩ごころ』だったのです。狭い農道を走り、次から次と『農家』を訪ねました。『戸別訪問』というのは、選挙の時だけではありません。普段から何も用事がなくても『ご用聞き』のように『ゴキゲン伺い』をするのです。殆どのウチで『滅茶苦茶、甘い、しかし濃いインスタントコーヒー』をよばれました。もう、かなりの量を飲んで『お腹チャップチャップ』で廻ってました。もうこれで終わりにしようか・・と行った家で、『あー、このコーヒーはいける』と美味しいコーヒーを出してくれました。その家を出てU君に『今の、コーヒー美味しかったなーっ』と言うと、U君は、呆れた顔で『山口さん、今のは紅茶です』。・・・・・トホホ。このU君こそ、若き日の『アルクマン』さんなのです。ちなみにボクも15年、『アルクマン』も15年、事務所に在籍しました。

06月29日(金)10:28:01 はれ 男と女 No 118
『男と女』

最も、違うところは凹凸かな。凸である男は、遺伝子に『バラマクコト』を『指令』されている。凹である女は、遺伝子に『強い、スゴイ男を選べ、その為には出来る限り守りぬけ』と『指令』されている。女は、その『指令』を堅く守り、簡単には『許さない』。男は、その『指令』通り、ひろい『許容範囲』で『バラマコウ』とする。『本能の快楽』は神様はホボ男女同等に与えた。共にその『快楽』を他の誰とも共有せぬことで『愛の証』と取り決めた。女はもともと『守り』の体質で『守りやすく』。男は『攻め』の体質だから『守りにくい』ということか・・・。ナンノコッチャ。

06月29日(金)10:17:52 はれ 新人秘書のころ:番外編 No 117
『新人秘書のころ:番外編』

こんなこともありました。マダ事務所に入って2週間目のことでした。突然、朝のミーテイングで『今日、午後一時から北区の大池にある老人会の敬老会に石井はじめの代理で行って来い』と命令されました。そして『お祝いにお酒2本持っていけ』とも言われました。会合というものもハジメテですし、それも『石井はじめ代議士の代理』ですから、緊張しつつ会場にむかいました。マダ25才の時です。会場は弁天さんをまつるお寺でした。ボクが着くと、そこには当時敵方のS代議士の中堅秘書も来ていました。会が始まる頃には会場に約100人位のご老人で埋まりました。ボク等は『来賓』ですから壇上に上げられました。地元の市会議員も全員出席していました。会が始まり、先ず『会長さん』の挨拶がありました。その後のことです。司会者が『続きまして、お忙しいなかをご来場下さいました、ご来賓の皆様方より、お祝辞を・・・・』と此処まではタダ、ボーットして聞いていましたが、次の瞬間に『おつむが真っ白』になりました。『先ず最初に、衆議院議員の石井はじめ先生の代理の方からお願い致します』と司会者が言ったのです。ボクは挨拶があるなんて『聞いてないよー』でしたし、挨拶の仕方も事務所ではオシエテ貰ってませんし、もう『エーッ、エーッ』の状態でした。何を、どんな風に、どんなことを、挨拶するのか『全く見当もつきません』。心でうろたえてる自分が解ります。ただしその『状態』を『顔』には出せません。思い切って『立ち上がり』気合いを入れてマイクの前に立ちました。そこでボクは、正直に2週間前に採用された『新人』であることや、今朝突然この会に行けと言われて殆ど何も解らず来たことや、どんなことを話せばいいかも解らないことを正直に話しました。そしてタダ、ボクがこの2週間の間に感じた『石井はじめさんの優しさ』について少し触れ、そういう人だから『皆様の福祉向上にはそのやさしさで邁進するものと思います』と結びました。心の中は『冷や汗ダラダラ』でしたが、『無事、切り抜けました』。後々に聞いた話ですが、ライバルのS代議士の中堅秘書は帰ってから、『石井のところに手強い新人秘書が入って来た』と言っていたそうです。

06月28日(木)13:29:30 くもり 白髪一雄展 No 116
『白髪一雄展』

ボクが絵を描きハジメテ数年経った頃、美術館に勤める『妻』が『具体展』なるパンフと図録を持って帰ってきた。いつも彼女が『そういうもの』を持って帰ってきても、殆ど見たこと無かったのだが、何故か『目にとまり』図録を開いてしまった。第一印象は『ボクの絵と似てるな』だった。イロイロ見ていくと『ボクの絵と似ている絵』が、又『描く人達』がイッパイ載っていた。その時ハジメテ『他人の絵』に興味を持った。その時ハジメテ『具体美術協会』なるものが『過去にあった』のを知った。それも我が街『阪神間』が根城だったことや、なにかを『ぶち壊しているな』というインパクトを感じ、共感も持った。ボクがハジメテ、ある意味真剣に『他人の絵』を見つめ、『好きな絵』が出てきたのもこの時だった。特に兵庫県立近代美術館には、この『具体美術協会』所属の作家の作品を集中的に収集した『山村コレクション』なるものがあるため、この美術館では、『この系統』の企画展が普通より『多く』開催される印象がある。今もその『具体系』の代表的な一人である『白髪一雄展』が長期に開催されている。『妻』に『お客さんの入り』を聞くと『少ない』と言う。彼の作品は日本中の至る所の美術館で『お買い上げ』され、又一部外国でも高い評価を受けている『もう、ある意味充分に認められている作家』である。ボクが妻に『なんか、不公平を感じるな!未だ、現役で、絵も販売してて・・なんか、その作家のセールスに公共の美術館が協力しとるような、感じもする。』と言うと、『常識人の妻』は『そんなことありません、美術館というのは学芸員さんの考えとおり企画したらいいんです。それでいいんです』と厳しく、ボクは『叱られる』。でも今の時代でも、お金が無くて、画材も思うように『買えず』、キャンバスなんてとてもじゃないが『買えず』、でも『溢れ来るものを描かずにおれない、描きためている、』人達が『イッパイ』いると思うのです。当然彼等は『個展』なんて出来ようもありません。ボクの経験でも『個展』をひらくと、会場費、案内状、額縁代などかなりの費用が要ります。『公共の美術館』はもっとそういう人達に『目を向け』『光りを当てる』べきです。大金はたいて『セザンヌ展』『シャガール展』をやったり、何度も何度も同じような『具体系』ばかりやったり、もう『エエ加減にしいや』とボクは思います。そう言えば『県展という公募展をやってます』と反論するかもしれんが、これは『審査』があるでしょ。『審査』なんか、一人や数人でしてはいけません。無審査で応募者全員を展示したげるべきです。年中、そういう所謂『無名』のアーテイストの作品ばかり『次から次と展示してゆく美術館』が日本にヒトツくらいあってもイイじゃないですか。もうすぐ来年からだったか、新しい『県立美術館』として、神戸の灘浜に新築移転するそうです。これを機会に『美術館の構造改革』をやってくれんかのー。タダ、余談ですがこの新美術館の設計は例の『安藤忠雄』さんです。アーア、無理やろなー。オレが『県知事』にでもなろかな。そんな、アホな。


06月28日(木)10:39:15 はれ 新人秘書のころ:VOL2 No 115
『新人秘書のころ:VOL2』

秘書になって2年目、ハジメテ石井さんから『若い奴らの企画をやってみい!』と命令されました。『チャンス』をくれたと思いました。大体『企画』というのは一番のベテラン秘書で、なかでも一番『頭のイイ』秘書の仕事だったのです。それを部分的にも『やってみい』と任されたのです。心の中では『やった!』でした。でも当時すでにボクは『出る杭』状態でしたので、同期の新人からも妬まれ、疎まれと言う感じでしたし、先輩秘書からも『睨まれる』日々でした。そんな、事務所内の勢力図ですから事務所内でボクの味方は男ではいませんでした。仲のヨカッタ、例のT君は他に出向し、『飛ばされていました』。ただ、神様の思し召しというか、事務所の事務の女の子達はすべてボクの味方でした。今の『ボクの妻』もこのなかの一人でした。ボクが考えた企画は船を借り切っての日帰り『小豆島ツアー』でした。3000トン級の関西汽船の船を一日貸し切りにして、定員1500人程で瀬戸内海のクルーズと小豆島での海水浴がメインです。往復6時間の船の中では『イベント満載』にしたプランを立てました。先ず事務所の秘書会議にかけられました。皆、『猛反対』でした。『そんなもん、政治家のイベントに若い奴が1500人も集まるかい!』というのが殆どの意見でした。『大赤字になるぞ!』と脅されました。確かにその位の船を一日貸し切りすると当時で300万円位だったと思います。いろんなイベントの費用、準備費用を考えると総額500万円位の大イベントです。今、参院議員で当時マダ、兵庫県議だった、石井の実弟、一二氏からは『失敗したら、首やぞ!』と恫喝されました。『コワイモノ無し』のボクは全然、自信は揺らぎません。その様子を見て石井はじめさんは『ヨシ、やってみい』とゴーサインが出たのです。当然、他の秘書は『協力』する気は全くありません。『勝手にせんかい』という感じでした。当時いつもボクが外出すると残った事務所の秘書連中で『ボクの悪口、中傷』の大合唱だった・・・と『妻』からよく聞かされました。ボクが頼りにしたのは『外のスタッフ』と『事務所の女の子達』でした。『外のスタッフ』は主に後援者の息子、選挙アルバイトのなかのリーダー格、の人達でした。その『会議』はいつも15人位集まり、『熱気』のあるものでした。当時のメンバーでいまだに付き合っているのが数人います。一人は当時高校生でしたが今は、神戸市会議員をしています。一人は当時、大学生でその後お菓子会社に勤めた後、ボクがヘッドハントし石井事務所に入所、つい最近まで事務所の筆頭秘書でした。彼等の『爆発的な力』でこのイベントは『大成功』で終了しました。船は定員オーバーの1700人位で溢れ、各種船内イベントも、どの会場も超満員。たこ焼きや飲み物類もスベテ『完売』。事故も無く、事務所の他の秘書達も『スベテを忘れて』大喜びで遊び(エエ加減にせい)、石井さんは若い男女に囲まれ『超ゴキゲン』で、もうなにも言うこと無し。しかも約80万円の黒字を出したのです。
カッコイイ。へへへ。


06月27日(水)17:40:29 はれ 新人秘書のころ No 114
『新人秘書のころ』

代議士秘書になって間もない頃の思い出に、印象深いことががいくつかある。『事件』はマダ見習いの頃、事務所に入って僅か2ヶ月目位の時にあった。ボクと同じ年のT君と二人で神戸西部の塩屋地区を『戸別訪問』しているときに起きた。T君はボクより半年程早く、東京で採用された新人だったが、ボクら4人の新人が神戸で採用された時、神戸に『修行』のため送り込まれてきたのだった。T君とはいまだに付き合いがあるが、当時もよく『気が合い』仕事も遊びも共に行動していた。塩屋地区は幅3M程の狭い道がほとんどで、又坂道が多く、『廻りにくい』ところである。慣れない『戸別訪問』を住宅地図を見ながら、手に『宣伝チラシ』を持って二人で『ワチャワチャ』言いながら廻っていた。その時、その狭い坂道を上から『おじいさん』がトボトボと下りてくるのが見えた。そして間もなくその後ろの大きな洋館の入り口から、乗用車が出てきた。勿論、車一台通るとギリギリの狭い道である。おじいさんはちょっと、あわてて振り向き、道の端に体を寄せた。車がおじいさんを通り過ぎようとしたときおじいさんが『ウワッ!』と叫んでドタっと倒れた。車は気がついたのか、付かなかったのか、何もないかのように走りすぎた。直ぐに、ボクとT君はおじいさんのところに走った。おじいさんいわく、『タイヤが右足を轢いていった!』と。これは大変だと、二人で先ず、おじいさんを近くの病院に運んだ。そして『ボク達はスベテ目撃しました。今からその轢いた人の家へ行って、事情をお話してきますので、ご安心しててください』と言って二人とも『名刺』をおじいさんに渡し、直ぐに病院を出て、その大きな洋館の家に又向かった。『洋館』には留守のお手伝いさんしか居なかったので、その人に『一部始終』を話し、やはり二人の『名刺』を置いてそこを離れた。もう完璧な『処理』だと思っていた。そしてまた、二人で『戸別訪問』を再開し、夜になって事務所に帰ったのである。事務所につくと『大騒ぎ』になっていました。誉められるかと思いきや、先輩秘書や、当時の筆頭秘書から『糞味噌、ボロカス』に二人とも怒られたのです。なんとその『加害者』のご主人が当時の兵庫県公安委員会の委員長さんで、地元の名士中の『名士』、しかもウチの代議士の後援会の大幹部だったのです。怒鳴りこんできたのは『加害者』であるその人の『奥様』です(念のため)。三宮にあるその人の会社が後援会名簿に登録されていた為、その塩屋の自宅はなんの『マーク』も入って無かったのです。又、新米のボク達は名前すら知りませんでした。その『加害者』がカンカンに怒ってきたそうです。『オマエとこの秘書は、ウチを陥れる気か?、ウチを誰やと思とんね。どれだけ世話になっとるんねん』ともう大変だったそうです。ボク等二人はつるし上げにあいました。二人で『もう、事務所辞めようか』ともその時話し合いました。でも結局、数日間悩んだ末、ボクは『スベテをゴクンと呑み込みました』。彼も残ったからそうだったと思います。その時に思ったことは此処では世間の常識、法律、よりも優先するのが、『石井はじめ』だということでした。これは『企業』の世界でも同じようなことがあると思います。

06月27日(水)14:21:40 はれ テクニック No 112
『テクニック』

技術・手法・技法と辞書にあった。こないだも愛する『KOU君』が『もっと、ギターのテクニックを上達させたい!』と飲んでる席で叫んでいた。彼は今結構『上手い人達のバンド』に参加していて、間違うとよく怒られるそうだ。それも『そんな、怒り方をしなくても・・・』というほど怒られるそうだ。プロのバンドの話ではありません。音楽を趣味とし、集まってバンドをつくり仕事の合間のタノシミとして『ライブ活動』をしてるはずです。プロならある一定以上のテクニックは当たり前でしょう。だけどプロじゃないんだからテクニックを磨く必要はありません。『向上心』は大事です。でもKOU君の話を聞いてると『可哀想になってくる怒られ方』をしてるのです。ボクは『そんなバンド辞めて、自分が好きな人を集めて、遊びながら、楽しみながらやったらイイやん』と言いますが、KOU君は彼なりに『上手くなって見返してやりたい』というところもあるようです。でも一度そのバンドで演奏するKOU君を見ましたが、『真剣な目で、小さくなって、音を間違えないようにとの思いで、ビクビクしながら仕事をしている・・・』という感じだったのです。ちなみにボクのアトリエでKOUsBANDとしてボクの曲を演奏するときは、『普段のKOU君』そのままに、『ノビノビ、イキイキ、メッチャ楽しく、ハジケテ』演奏、録音しています。すべてに通じることですが、ボクはいつもよく言ってるように『技術・テクニック』の『無用論者』ですから、『何か違うやろ』と思うのです。ある曲を作った人がいる。その人は『もがき、苦しみ、悩み、死を考えて』作ったとする。でもその人は楽器を弾くどころか、譜面も当然書けない。でもその『生活』のなかでその作った『歌』を毎日その生活のなかで唄っている。同じ歌を譜面におとし、どんな名演奏家が演奏しても、どんな世界的な歌手が最高の歌唱力で唄ってでも、『その作った人が生活のなかでアカペラで唄う歌』には絶対に越えられない・・・とボクは思うのです。


06月27日(水)11:31:12 はれ 殺意 No 111

『殺意』

時々、あることだが2車線の追い越し禁止の道路で、前は数珠繋ぎ状態で車が並び、、それぞれが規則正しい『車間』をとって、ほぼ、標準以上の速度で走っているのに、ピタッとウシロにくっついて、所謂『ケツを掻く車』がいる。右へ、左へ蛇行しつつ、『はよ、走らんかい!』と『威嚇』する。ボクはこの時『本性』が出てくる。『ナンやね、コラ、』とバックミラー越しに睨みをきかす。これで、スーット車間距離を保つところに戻る車もたまにはあるが、大体は続けて『ケツを掻く』こうなるとボクは、チトスピードを緩めたくなってくる。相手をミラーで睨みつけながら『喧嘩やったら、こうたるで』と臨戦態勢に入る。ここで又スーット後ろに下がっていく車もある。マダそれでも『ケツを掻き続ける』車も当然いる。ミラー越しにその車の運転手の『顔』を見ると、これが意外に『ヤサオトコ』が多い。見るからに『怖そうな兄ちゃん』は余りいないのである。ここでもう『知らんぷり』が始まる。『オレを追い越しても前がこんだけつまっとるのにコイツは正真正銘のアホやな』と、そして車線が広くなると『コイツ』は猛スピードで右車線を走り抜けていく。この時ボクはいつも『コイツ』に言葉を贈っている。『オマエみたいなアホはどっかにぶつかって死んでしまえ!』とこれはもう『殺意』に他ならない。ボクは今まで何人を『殺してきた』ことか・・・。南無妙法蓮華経。南無阿弥陀仏。アーメン。

06月26日(火)16:02:27 はれ 小泉新党 No 110
『小泉新党』

もう、出来るだけ早く『小泉新党』を立ち上げるべきだ。
『改革派』が小泉さんを中心に与野党を問わず結集し政界大再編を行うべきである。もうその時が来た。どうやらその後の小泉さんの『動向』を見てると、彼の『本気』が伝わってくる。それなら何で、この『守旧派』がマダマダ大勢を占める『自民党』を小泉さんが『助ける』必要があるのか?『自民党圧勝』ではイカンじゃないか。今の政府と与党自民党の関係を見ていると、これこそが『政治』かなと思わせる『理想の形態』に近いモノがある。『政府』は『小泉新党が生まれる前の卵』で与党自民党との間に『距離』がある。表には出ていないが、ある意味ないがしろにされている自民党の政調会の各部会は『歯ぎしり』しているだろう。今までの自民党政治は大体党内の政調会のなかにある各部会長が大臣並、いや政治家によっては大臣以上の実権を持ってきたのである。今やその『各部会』が政府にかなり『無視』されてる状況がうまれているのである。確かに小泉さんは結構『無血革命』をじわじわと実施しているのだ。ボクもこんな政治家はハジメテ見た。ちょっと見直している。ただ、そうは言ってもマダ『自民党総裁』である。この参院選はもうこのまま流れるとして、次ぎの衆院選の前には、自民党総裁が自ら自民党を離脱し『小泉新党』の旗を掲げ、与野党を問わず『改革派』を結集し『真の新しい日本をつくる政党』としてスタートすることを願うのみである。勿論国民の90%が拍手喝采、ついていくことになるだろう。


06月26日(火)14:27:42 はれ 田中真紀子 No 109
『田中真紀子』

どうも、『違う』みたいやな。歯切れのイイ『弁舌』で人気がでたのはよく解るが、どうもタダの『金持ちのワガママ娘』の要素も多々あるようだ。やっぱり『仕事』をみてみないと人はわからんな。政治の世界だけでなく『芸能界』でもよくあることだが、テレビやマスコミを通じて感じてるその人のイメージと『実像』の大きな隔たり・・・という話はよくあるが、どうもその類の『人物』かも知れない。ボクは前の仕事が、当時田中角栄が全盛期の田中派の中堅代議士の秘書だったので、研修会や、パーテイー、又、田中角栄邸でも田中さんと会ったことがあるし、もう『カリスマ』とはこれか!という思いでいつも目の前を通り過ぎる『田中角栄』の強いオーラを感じていた。ボクは実は政治家としての田中角栄を高く評価していて、彼の『金を使う』という政治手法は、彼が自分の『政治』の実現のために、その手法が一番『手っ取り早い』のなら手段を選ばずという考えにのっとったものだったと思っています。彼の私生活の『質素さ』は余り知られていませんが、彼が『拝金主義者』でなく、モノも大切にし、エンピツ一本にも『愛』をこめて使いこんでいたのを知っています。小学校しか出ていないため、『金』を最大の武器にせざるをえなかった彼の『哀れ』を感じます。そうなんです。『武器』として蓄えていったのです。当時、気に入った『新人候補』には何千万円も無償でカンパしていました。それも一人や二人じゃありません。でもいまの真紀子さんを見ているとやっぱり『娘』には甘かったのかな・・・。真紀子さんに田中角栄をだぶらせてかなり『期待』をしていたのに、ちと物事の『イロハ』が解っているとは思えない行動をする。残念じゃのし。

06月26日(火)11:15:16 はれ UFO No 108
『UFO』

未確認飛行物体について書きます。ボクも生まれてから50年の間に何度か見ました。最初は中学2年生の時、近所の男の子と銭湯に向かって歩いてるとき、丁度夜9時頃、幅3メートルほどの下町の路地の間の夜空の空間を滅茶苦茶、大きく見える『火の玉』がちょっと見上げた角度で、目の前を猛スピードで横切りました。ボクとその子と同時に見て、顔を合わせました。『今の見た?』と・・。次は町工場時代、ヒマで仕事が無く、夕方5時頃、親子3人で車に乗り家に帰る途中、丁度山陽電鉄板宿駅の東踏切で最前で踏み切り停車中、ふと西の空を見上げると仰角45度くらいの夕焼け空によく言う『葉巻型の光るモノ』が丁度、タバコの大きさ位に斜めにポッカリと浮かんで、片方の端がピカーッと光っていました。『うわーっと、』思い、直ぐに同乗してる両親に告げ一緒に踏み切り待ちの間ズット見ていました。これは翌日の神戸新聞の『イイミミ』という投稿電話のコーナーにその現場より20キロ程東の神戸市東灘区の人がほぼ同じ時間の目撃談として掲載されていました。次は、25才頃のボクの誕生日でした。当時は今のアトリエが自宅だったのでいつも、家に帰ってから飼い犬の散歩が日課でした。夜7時頃、家の近くを犬と散歩中、ふと空を見上げると、北の山側の山頂付近から、フワフワフワと光が昇り、仰角45度くらいでピタッと停止し、一旦『ピカーッ』と光り、又、少しウスイ光りを出したまま、北の有馬方面にゆっくりと飛んで行きました。ボクの目撃談は以上です。ボクが見たものがUFOかどうかは別として、宇宙からの飛来物を全く信じなかったり、宇宙人の存在を全く信じない人はどうかしてますよ。地球人もれっきとした『宇宙人』です。この宇宙のことを地球人だけが考える『物理学』で検証したり、解明しようとすること自体がほぼナンセンスです。ある程度は当たってるでしょう。だけどすべてのモノサシは一日24時間の地球だけで通用する物理学です。スベテが『無限』の宇宙には通用しません。同じ人間の形をした生物がいる星があって、その人達の寿命が地球の人間の1000万倍と言うことだって考えられるのが大宇宙です。今、大宇宙の『進んだ星』の人達のイチバン流行してる『宇宙ツアー』は『宇宙のガラパゴス、地球へ行こう』かもしれません。そしてその解説書には『ちょっと、遅れた進化の人類が住む星です。貴重な宇宙遺産ですから、決してさわらないように、着陸しないように、驚かせないように、まちがっても乗せないように、』と書かれ、そして『彼等は未だ凶暴人予防接種をしていないので厳重注意のこと』と書かれているかもしれません。へへへ。

06月25日(月)14:18:07 はれ 個人の発信:VOL2 No 107
『個人の発信:VOL2』

ネット上で『ボク』を発信するようになってから、この『発信』することがある人は、この世に一体どれくらいいるのだろうと考えだした。ホームページを持ってる人が当然『それ』なのだが所謂『ビジネスサイト』を抜きにして調べた場合、一体今、現在我がジャパンではいくつ『個人』のホームページがあるのでしょう。誰か知りませんか?知ってたら教えてください。興味がアリマス。ボクはこの『発信』することがある人というのは、ネット上のバーチャル世界にありながら、『地表に芽をふいたり、花を咲かせたり、木になってたり・・・要するにハジメテ、アンバーチャルと言われる『現実世界に生きてることがハッキリと解る人』つまり『個』として自己が確立し、誕生しているのではないかと思うのです。勿論、『大木』から目にも見えない程の『苗』の状態もあるでしょう。なんらかの『自分』の『作品』もしくは『意見』を大体必ず持っているわけです。これはほんとに、素晴らしいことだと思います。ある意味『選ばれた人達の世界』かも解りません。勿論、今の世で、そういう『発信』するモノを持ちながらネット世界に入って来ていない人達もマダマダ沢山いるとは思います。でもいずれそういう人達も間違いなく100%近く入ってくるはずです。一時期『自己の確立セミナー』の大流行の時期がありましたが、もともとそういうセミナーに『参加』しようとする時点で『自分で確立』が出来ない・・・と言う証明なのです。多分今の『現実世界』には自分が『透明な存在』と感じながら生きている人達は、驚くほど沢山いるとは思います。ボクはそれを『否定』はしませんし、人間なんて基本的に『無い』に等しい存在だと思っていますから、それはそれで全然オーケーなんです。だって高度10000メートルの高さから地表を見たって『人間』なんて全く『見えない存在』になるわけですから。でも『発信』してる人というのはネット上では間違いなくその人から『電波』が出て地球の廻りをグルグル回っているのです。考えたらスゴイことです。ボクのアクセスログを見ても解るように、マサ・アキドットコムには、アメリカ、カナダ、英国をはじめとして北欧各国、フランス、ドイツ、中近東、南アフリカ、南米アルゼンチン、メキシコ、オーストラリア、ニュージランド等世界中から訪問者があります。ホンマに呆れるほどこのインターネットというのはスゴイです。ひょっとしたらその『電波』はUFOにもキャッチされていて『宇宙人』もマサ・アキドットコムをのぞいているかもしれません。へへへ。

06月25日(月)12:08:21 くもり 行き帰り No 106
『行き帰り』

自宅のマンションは神戸市の東部の東灘区住吉山手というところにあり、海抜100M強のところに威風堂々と立ってます。昨日直ぐ南隣りに一年前から建築中だった高級マンションが完成し、ウチのマンションの住民だけを対象に内覧会がありました。物見高い『嫁』は当然参加し、夜『報告』を聞きました。見かけは16世帯位の大きさのマンションですがオール賃貸で、戸数は8世帯のみの豪華マンションです。なんと毎月の家賃が80万円だと。『ドヒャー』でした。しかもすでに全戸、六甲アイランドにあるP&Gが借り切ったとのこと。全部『外人』が住むらしい。やはり『日本沈没』です。毎朝いつも10時前後に自宅を出て、『愛車』に乗り込み『自分のオリジナル曲』を聴きながら表六甲ドライブウエーにむかいます。この料金所までが約10分、ここから『六甲トンネル(2.7Km)』を抜けると『裏六甲』に出ます。景色は一変し、緑一色となります。このトンネルを抜けて直ぐ下の谷間のところが我がアトリエが立つところです。特に紅葉の季節、新緑の季節は最高の景色を見ながらの『通勤』となります。料金所からアトリエまでが約10分。合計20分程のドライブです。でもよく事故の多い路線なのです。一応すべて『ドライブウエー』のため観光客やサンデードライバーも多く、しかも『産業道路』も兼ねているためだと思います。特に『下り坂』が長いためベーパーロック現象で大型トラックのブレーキが効かなくなり、信号待ちの車に『激突』という事故が一年に何度かあります。ボクが走ってるときトンネル内で数台前の車に、居眠り運転の対向車がはみ出て『正面衝突』というのも2ヶ月ほど前にもありました。いつもノンビリと景色を楽しみながら『死』も考えて走ってるという不思議な現象です。アトリエを出るのは大体、冬は夕方5時頃、それ以外は夕方6時前後です。デスクトップのパソコンはアトリエに置いてあるので『ネット・ライフ』はアトリエのみです。でも今、凄く、『ノートパソコン欲しい』噴火のマグマがたぎってます。

06月24日(日)17:25:07 はれ 無題 No 105
『好みの顔:VOL2』

男の『好みの顔』の許容範囲は個人差はありますが、大体かなり広いです。『結果』でそれは証明されています。なんの『結果』かというと恋人同士、結婚相手の『結果』です。男の100%が認める『とびきりの美人』『とびきりの可愛い子ちゃん』はこの世でほんの一握りです。あとは大体『個性的』な子です。誰かが『こいつ可愛いやろ』と言ってその子の写真を見せられても『そうかなー?』は男同士の会話ではよくあることです。男という動物はある意味『人類の繁栄』のため神様から『ドンドン種をまけ、まけ』という遺伝子を植え付けられているため、その広い許容範囲の『顔』の女の人なら、愛情も感情もなくても、出会って直ぐでも『SEX』が出来ます。これは100%の男がそうです。『真面目くさった顔のそんなこと想像も出来ないタイプ』と思われる男でもそうです。それが又、ある意味『正常な男』なのです。だからこそ女の人は『守らねばならない』のです。女の人の『そういう生理』は全く解りませんから何とも言えませんが、ボクは女の人で、相手のこともよく解らないのに、求められたら『受け入れてしまう』女の人は嫌いです。ですから最近の若い女の子達の『援助交際』をはじめとした『お金のためなら・・』という考えには全くもってついていけません。男の性惰が又その『商売』を繁盛させてるのもよく解るのですがボクにはその女の子たちの『考え方』は全く理解できません。ただその『拡がりの実態』には驚くばかりです。ボクは知り合いの『範囲』が広いですから、ある男の知り合いはその『援助交際』をし続けてますが、その女の子を通じての『紹介ルート』もありひとつのビジネスを見る思いです。昔の日本の農村で女の子が生まれると、貧しい農家なら、『口減らし』のため『女郎』として12才位から売られて行ったそうです。その時代の『女の子』が今の『実態』を知ったら、どういうふうに見るでしょう。想像もつきません。なんか、『好みの顔』の話がだいぶそれてますが、お許しを。まあ、いいじゃない。

06月24日(日)11:29:03 はれ N君のこと No 104
『N君のこと』

N君は、もう確か42才くらいか?ボクと同じで未だに『ロックンローラー』が止められない。前々回のボクのライブではバックバンドをしてもらった。N君もやはり選挙のアルバイトの『手配師』だった。ボクと違って見るからに『ロックンローラーの風貌』を漂わせている。それも『退廃的な、どっちかと言えばブルースっぽい』イメージである。声も憂歌団のそれとにて味がある。神戸の新開地という昭和初期に日本でも有数の繁華街だったところのはずれに彼の『拠点』がある。昼間の仕事は、ミニ広告代理業、イベントプランナー、そして工務店である。工務店は主に『店舗改装』が主力だ。そしてこの工務店が夜は『バー』に変身する。『新開地復興』を旗頭に彼なりに、さびれた新開地を『起こそう』と頑張っている。よく新聞の神戸版でよく取り上げられる『地元の有名人』だ。ボクも時々その『バー』には出没する。その彼が今年の2月ころだったか、突然ボクのアトリエに来た。『メジャーデビューしたい』と彼なりに思い詰めた表情で『もう、この年くらいがほんまに最後のチャンスかなと思う』と言った。彼は最近、ミニFM局で番組を持ってて、そのお陰でライブしても会場超満員になるし、盛り上がるし・・・でその気になったらしかった。彼は『長年の夢』を語った。いろんなヤツを『見返してやりたい』と言った。確かにボクのまわりの彼も関わるその選挙バイト連中のOBのなかでは、所謂『成功者』が多く、彼はそれなりにライバル視してたその連中らに『負けたくない』というキモチが強いとも言った。ボクはそのキモチはよく理解できました。でも『先ず、インデイーズやろ』と言いました。『そんな、メジャーデビューなんていくら金があっても足らへんで』と続けました。最悪、CDの売れ残りは買い取りしなければなりません。場合によっては数千万円要ります。『とりあえず、1000枚位にしとき。また完売したらそれから又考えたらエエやん』と言いました。そして彼が落ち着いた時にこう続けました。『なあ、N君。有名なんかならんほうがエエで。今の状態が最高やんか。昼間、普通に仕事して、夜は自分のバーで歌えて、ウマイ、好きな酒飲めて。オマエさん、オレから見たら最高の生き方してんねんで。これ以上なんで、有名になんかなりたいと思うんや。今までどれだけの有名な芸能人が出て、消えていった?有名になったら、普通に歩いてても、指さされたり、呼び止められたりするねんで。最初はそら、ウレシイかもしれん。そやけどそれはもうすぐに苦痛になる。プライバシーが無くなるのやで。今が自由で気ままでこれ以上のもんはナイナというのはその時にわかるわ。出来ることなら考え直し。』と言いました。でも一旦『ついた火』は消えませんでした。CDを1000枚プレスし必死で売りました。ミニスポンサーが付いたこともあり2ヶ月程で完売しました。2日前彼の『バー』へ行きました。彼の顔は満足はしてるものの何か『迷ってる』顔でした。地元新開地では今まで以上に『有名』になってましたが、早速子供からオトナまで、しかも『コワイ兄さん』までもが、何処にいても近づいてきて『歌、うたえや』現象だそうです。彼はもう、すでにそう言う状況にうんざり状態でした。それで、街歩いてもバレないようにと、CDジャケットやポスターとは別人のように髪を短くしていました(どっかにもこんな人いたな)。ボクは又、そこで言いました。『ここで好きなときに好きな歌を唄い、こういう毎日を送るのがイチバンなんやで・・・自分の歌をいろんな人に聴いて欲しいンやったらインターネットで発信したらエエやんか』と。



06月23日(土)17:45:48 あめ 個人の発信 No 103
『個人の発信』

ネットをやるようになって本当にヨカッタと思う日々です。それ以前のボクは典型的な『ネット不要論者』でした。ボクはアマノジャクですから、世間がインターネット・・・・とやかましく言い出すと『ボクはしないもん』と思うタイプであることはもう、皆さんよく解りますよね。特に義兄が大学でIT関連の教授をしてたり、別の義兄がIBMに勤めるシステムエンジニアだったりして、よく親戚があつまるお正月なんかは、よくコンピューターのことやインターネットのことが話題になり『なんのことやらサッパリわからん』ボクは小さくなっていました。そして義兄から『山口さんもやったらどうです。オモシロイですよ』と最後には、よく言われていました。ボクのアマノジャクさはこんな時大いに発揮され、心の中でいつも『誰がするもんか』と思っていました。どうしていいかも、コンピューターが自分がさわれるとも思ってもみなかったからです。パソコン屋さんに行く勇気さえありませんでした。これは去年のお正月までそのパターンでした。そこへ神様の思し召しが降りてきたのです。去年のお正月のことです。沢山きた年賀状に一枚『気になる』のがありました。大きな字で『ワッハッハッハッ、笑いが止まらん』と年賀状一面に書いていたのです。年賀状ですからまあ『初笑い』かなとも思いましたが、差出人が後輩のU君だったのでちょっと気になりました。U君は同じ石井はじめ事務所の後輩で、ボクが辞めたあと事務所の責任者になった男です。そして彼はその後県議選や市議選に出て落選し政界から足を洗ってサラリーマンになってると聞いていました。ほぼ一年前に出た市議選の時には時々顔を出し激励していたのですが、落選してからはお互い『ツライモノ』があり遠ざかっていました。その彼の年賀状です。やはり気になって彼の義兄でボクも親しい人のところへふらっと立ち寄りました。その義兄から『イロイロな彼のその後』を聞かされ謎が解けました。直ぐにU君に電話をしました。留守電でした。数日してU君から電話がかかってきました。兎に角『会おう』と翌日会いました。U君の口から『イロイロないきさつ』を聞きました。大変だったようです。『今の仕事は』と聞くと昼間はホームページを作る仕事。夜はあるところで『夜勤』していますとのことだった。『ウーン・・・』とボクはうなったように思います。そのホームページを作る仕事もまだそう沢山なかったようでした。ボクはつい『ボクの選挙のやつ作って』と言いました。そしていろいろ聞くと自分で機械が使えないと意味がないと解ったので、『機械買うから、使い方教えてや。又機械買う時付き合ってや』と言いました。間もなく彼と共に数件のパソコンショップを廻りすべてそろえました。この時ほんとに『こんなよう解ったプロがついとかんと、へんなものつかまされるな』と思いました。必ず何処の店も最初『専門用語』をポンポンと言って相手の反応と受け答えを聞いて『客のシロウトさ』を判断してるようでした。そして買い揃ったその日から『特訓』が始まりました。でも意外に簡単でした。メールとかワープロとかも直ぐに使いこなせました。教えられたとうり『記憶』するだけで大体使いこなせました。一週間後には特訓は終わっていました。ただ余談ですが、此処まで来ると又、ボクのアマノジャクで『解らないことが出ても、なかなか聞けませんでした』お笑いなのは、ワープロで『を』の文字の出し方が解らず2ヶ月位、文章に『を』が出ないように文章を作っていました。間もなく選挙のページ『IMA選挙戦略研究所』のホームページが完成しネット上に発信するようになりました。それから1ケ月後に『絵』のホームページを作る決心をしました。いいのが出来ました。去年4月12日のことです。マサ・アキウエブギャラリーの誕生です。マサ・アキドットコムはその後ヤフージャパンを始め、ヤフーアメリカ、カナダ、イギリス、スエーデン、ノルウエー、インド、香港、アジア、シンガポールのそれぞれの芸術・絵画・アーテイストのコーナーに掲載されています。この一年の総アクセス数(リクエスト)も50万件をすでに越え、昨日までで575628件もあります。ボクがイチバン驚いています。世界各国からも覗きにきてるのですから。ちなみにこれもビックリですがIMA選挙戦略研究所のページを見たといって来た選挙の仕事は未だ一度もありません。問い合わせはありますけど。兎に角『個人の発信』でこれだけのパワーと拡がりを持てるのはネット上だけでしょう。しかも『見せるだけ』に徹底も出来、身内にも言えない、言ったこともない話が出来、自己主張が出来、『生きている証』を自ら客観的に観察もできるし、確認できるのですから。U君こと『ミスター・アルクマンさん』アリガトウ。これからもタノムデ。



06月23日(土)13:37:19 あめ 幻のテレビ番組 No 102
『幻のテレビ番組』

東京のあるテレビ局にH君という若いプロデユーサーがいて、最初に出会ったのは、9年位前だった。彼はボクの知り合いから『ボクのことや、絵のこと』を聞いて興味を持っていたらしく、仕事で来阪したときに、当時の須磨のアトリエに訪ねてきた。マスコミの人らしく『聞き上手』でもあったが何か『熱いハート』も感じさせる青年だった。彼もやはり、『ボクの話と絵』に彼なりに感動して帰っていった。その後は機会あるごとに出会う関係となった。そして4年前、ボクのアトリエが裏六甲に変わって間もないころ、彼から突然、『今から行ってイイですか』と電話があり、小一時間後に訪れた。彼は一人だったが、肩にテレビカメラを担いでいた。再会を喜び、話が弾んだ。彼が『絵を描いてるところを撮りたい』というので『ああ、イイヨ』と絵も描いた。ハリガネも曲げた。彼はカメラでドンドン撮った。ボクもアトリエの内も外も・・・。ほぼイロイロ撮った後、ウッドデッキでお茶タイムとなった。その時彼が切り出した。『実は、間もなくボクがプロデユースする15分程の番組がシリーズで始まるのです。アースビートという名前の番組になると思います。名前のごとく地球の波動を何かしら受けて創作活動をしているアーテイストをドンドン取り上げていきたいと思っています。放送一回分で一人のアーテイストを特集します。そこでボクはマサ・アキさんを取り上げたいのです。前によくマサ・アキさんから、有名になったりとか・・・には全く感心が無いとお聞きしていたので、どうかとは思いますが・・・。また、その趣旨を言ってしまったら『テレビカメラ』は持って来なくていいとマサ・アキさんに言われると思ったので突然来たわけです。』と真面目な彼は『真剣な顔』でボクに話ました。ボクは趣旨は当然よくわかりました。またわざわざその『取材』のため『断られて無駄になる』かもしれないのに東京から神戸の裏六甲まで来た『彼の気持ちと熱意』は痛いほど解りました。でも迷うことなく断りました。彼はヤッパリという顔ですぐボクの考えを理解しました。今インターネットでこんなに『公開』してるやん・・・とほとんどの人が思うかもしれません。でもボクは今時点のネット世界とテレビメデイア世界は全く異質なものと思っています。これからの進化は解りませんけど。今のテレビメデイアは日本だけでもいつも一億人が目にしています。多種多様の人が見ています。番組制作者の意図と違う方向、違う見られかたもあるでしょう。ネット世界は『関心ある人、興味ある人』しか全く見ないでしょう。そして来ても、見ても『イヤだ、キライだ』と思った人は二度と来ないでしょう。リピーターで残っていくのは『気になるか、気に入った』からでしょう。それとあくまでも最後まで『我流』で電波を発信できます。ボクはその後も彼と時々『交遊』していますし、彼をある意味信頼していますから彼が作る番組に出ていても恐らくなんの問題も無かったとは思っています。でも一事が万事ですから『主義』をとおしたのです。


06月23日(土)11:20:12 あめ 好みの顔 No 100
『好みの顔』

ひょっとしたら女の人も先ず『好みの顔』で選んでいませんか?『顔で選ぶ』というのは実はスゴク道理にかなったことだと思っているのです。人間を表面・裏面で考えた場合、間違いなく顔のあるほうが表面です。又、その表面のなかで『表情』を持つのは『顔』だけです。いわゆる『人相』もです。人相学が当たる当たらないは別として『顔に現れる』という現象はよくわかります。苦しい時、悲しい時、ウレシイ時、不安な時、すべて顔に現れます。人間が常に『振動し、波動をだしてる』物質としてとらえた場合、その現象がイチバン現れるのが顔であり指紋や手相等です。つまり物質の先端部にその現象の結果として形を見せて現れるのです。手相は変化すると言います。指紋は多分変わりません。変わらないということはその『振動・波動』の根本部分かもしれません。その人の『基本振動』的なものです。顔が『顔つき』としてよく変化してゆくのは、後天的な『振動と波動』の変化でイチバン変わるところだからだと思います。夫婦でよく『似た顔の夫婦』にでくわします。これはヒトツには『顔の似てる人』は『振動・波動』が似てるという証明で、多分内面が似てるのだろうと思います。又、夫婦になってから年月を経て『顔が似てきた』夫婦も時々見ます。これも長年の間の『すりあわせ』で内面がよく似てきて、同じような『振動・波動』になったということでしょう。とにかく『顔』を見て選ぶということは『本能的に』その内面の『振動・波動』をキャッチしようとしているということにもなるのです。つまり『好みの顔』は『好みの振動・波動』をある程度探し出せる基準になると思うのです。

06月22日(金)18:13:41 くもり 支離滅裂な恋愛論:VOL2 No 99
『支離滅裂な恋愛論:VOL2』

男が女の人を好きになるときは、『顔』でキマルのがほとんどだと思います。『美人』とか『カワイイ』とかの基準も当然入っては来ますがイチバンの基準は『好みの顔』です。その女の人が『仕事が出来る』とか『頭がイイ』とか『元気』だとかはほとんど余り考慮には入れません。勿論入れるヤツも少数派でいるかもしれないけれど・・・。特に『たくましい優しさを持った、仕事の出来る、元気な男』は多分ほとんど、考慮にいれないと思います(統計は無いですよ)。でも、『好みの顔』から入って、次ぎに気になり出す『女の人の部分』は、『女らしい優しさ』です。『ジコ虫』は最初はガマンできても、結婚の対象では無くなります。そこまで『合格』すると男は『結婚生活』を想像し始めます。そこで気になってくるのは『料理なんかスキだろか?ウマイだろか?とかです。また、それが『合格』すると男は『この子となら結婚してもいいかな』と思い始めます。さてそれからです。結構大事なことです。そうSEXです(アー、ハズカシ)。早い人で初対面の時(ダウンタウン松本)遅い人でも3ケ月以内にソウなるでしょ。結婚を意識して付き合ってるのに半年経っても『手を出さない』男は異常です。今時いないとは思うけど。これの『相性』がやっぱりアリマス。ただこれを『やる』のは付き合ってる時と結婚してからの合計5年間位が『頻繁』でその『期間』が過ぎるともう『だんだんしなくなる』のが正常です。結婚して20年も経ってて週何回という人はいないとは思うけど、いたら『異常』です。男女の結婚適齢期は、動物に置き換えると『発情期・繁殖期』のようなもので、その時期を過ぎると落ち着いた人間関係、SEXがなくても愛し合い、敬愛しあって協同生活をしてゆくことが出来ます。丁度お互いの『結婚前』のそれぞれの『家族関係』と同じです。当たり前だけど親兄弟とSEX無しのイイ家族関係だったでしょ。そういう『日常生活』です。その領域まできたらこれは『死ぬまで続くイイ関係』になれるでしょう。ただ、相変わらず『我流』の考え方ですから鵜呑みはしないように。それと最近、ネットをやるようになって『不思議な現象』に遭遇しています。ネット世界というのは今此処でボクが言う『顔』を見ない世界です。男はボクも含め、顔を出してる人結構いますが、女の人はほとんど『顔』を出していません。たまに出してる女の人はいますがそれなりに『自信』がある人なんでしょう(そう言えば、かずきも出してたな・・かずき、そういうことじゃなかったらゴメン)。ボクのページを見て、いろんな人から、それもほとんど女の人からメールが来ます。なぜか女の人はネット上のフットワークは軽いです
(でも軽いの大歓迎)。お返しでその人のページを覗いても『顔』の出てる人は今まで一人もいません。でも『お付き合い』に入ります。最初に言った『顔』から入れないのですネットでは。でも『お付き合い』に入ると不思議にその人の『感性・雰意気・可愛らしさ』などは電波を通じて伝わってきます。不思議だなーっと思っています。ひょっとしたらこれからの世界は『ネット上だけの恋愛・結婚』も充分あり得る世界になるかも、いやもうそこらにイッパイ始まってるかもしれません。この世界は一種『文字と電波を媒介にする意識だけでつながる世界』として始まっているのでしょう。


06月22日(金)14:12:15 くもり 死ぬ予定 No 98
『死ぬ予定』

毎年、日本で交通事故により死ぬひとが大体10000人にひとり。
同じく交通事故でケガをするひとが、重傷から軽傷までで、約100人にひとりだそうな。これがざっと20年近く続いているそうな。毎年ほぼ、変わらぬペースらしいから、これからも毎年、交通事故で死ぬ人が10000人にひとりおるちゅうことですわ。怖いですな。今年は半分済んだから、今から年末までに必ず『死ぬ』ひとが約5000人にひとりで『決まっている』のです。もう決まっていて『変えようのない運命』なのです。交通事故だけでですよ。来年、必ず死ぬことになってるひとが、又10000人にひとり。コワー。あーこわー。財産がある人は『遺書』を書いておきましょう。


06月21日(木)17:26:40 くもり 男のたくましい優しさ No 97
『男のたくましい優しさ』

生活力があったほうがイイのは言うまでもありません。『お金は無くても・・・』と考えはハッキリ間違ってます。ただ女のひとの方に『生活力』があって、『男を養うつもり』の人はノープロブレムですよ。大金持ちにはならなくていいですが、『サラ金』から借金・・というタイプの男は駄目です。特に結婚してからは『健全な家庭生活は、健全な収入に宿ります』。
仕事が出来るか出来ないかで言うと『出来る男』のほうがいいです。仕事が出来る男は大体『頭のいい、元気な男』です。特に男の世界では一緒に仕事をするとその男の『器量も度量も能力も』大体つかめます。又、会社では上司からよりも、後輩の男性社員から慕われ人気のある男のほうが大体『いい男』です。そう言う場合、『実力主義』じゃない普通の会社では出世は難しいかもしれませんが、この男が『頭のいい、元気な男』を兼ねていたら、いずれ会社を辞めて『独立』するでしょう。そしてその事業は多分『成功』します。さりとてその男が『仕事一辺倒』の場合はかなりの減点になります。仕事と遊びをキッチリ区別し『仕事の顔』と『遊びの顔』が全く別人に見える位の男が又、『いい男』となります。この『切り替え上手』な男は、結構女性といるときもその女性を退屈させません。頭の中が『遊びモード』の時は、仕事のことを殆ど考えていませんので女性のグチや世間話もよく聞きます。それもゆとりをもって聞きます。反対によくグチを言う男は駄目です。特に会社の上司や仕事へのグチを女の人に言う男は全然駄目です。男の仕事の世界は『男の世界』だけで解決すべきものです。次ぎにメチャクチャ大事なことですが、マザコンは絶対駄目です。この『マザコン』を見抜くのは結構難しいことですが、特にその男が結婚相手の時は大事な『課題』です。この『マザコン』が結構多いんですから。又、大変なことに、つきあってる時はなかなか解りません。結婚後に判明する場合が多いです。『意外にマザコン』やったと・・・。ただ見抜く方法としては結婚前に何度か必ず母親同席で会うことです。その時の『母親の貴女を見る目』が『女の目』でとても『母の目』に感じなかったら要注意です。それと彼氏への呼び方が『・・・ちゃん』とか『・・・クン』とかちょっと『甘いモノ』を感じたら、これも危険信号です。こういう男はいざと言うときに『母親の意見』にかなり左右されます。又とことん母親が反対したら『結婚をあきらめる』という事態もあり得るタイプです。これは見抜けずに『同居』なんかした場合、地獄になります。『旦那が母親のかたをもつ』ケースが日常生活のあらゆるところで出てきます。『貴男、一体どっちの味方なの?』という事態に陥ります。一旦結婚すれば『親を棄てた』くらいの気持ちで、舅や姑と何が起きても『貴女の味方』をする男でないと駄目です。これは理屈ではありません。『理屈は親の方が正しくても貴女の味方』をする男でないと駄目です。ここまで書くとナンカ訳解らなくなってきましたけど、結論は貴女のことだけを考えますと、その『男のたくましい優しさ』が貴女にイチバン強く発揮されることが望ましいということです。やっぱり、支離滅裂。ゴメンナサイ。

06月21日(木)14:55:53 くもり 神戸のこと:VOL3 No 96
『神戸のこと:VOL3』

神戸は今や、ベッドタウンかなと思います。夜の三宮、特に北野町なんか、これがあの有名な北野町?と旅行客が来たらビックリするほど人が歩いていません。そして『暗い』です。人気のハーバーランドも夜は早くから人はドンドン減ってきます。観光神戸は『昼間』だけです。でも、それはそれでいいんです。東京の新宿のような街は神戸には要りません。ただ『観光神戸』も中途半端です。観光バスを意識した駐車場も余りなく、団体ツアー客が昼食を食べる場所もありません。ただ、『都市』というものが事業をしないと税収だけでは成り立たなくなるときがもうそこまで来ています。『人口島を作って切り売りする』程度のアイデアと知恵だけでは『生き残れません』。それでも神戸は自治体としては『企業』のように日本中から一時期見られていました。だけど『企業』と見るには、現状は余りにもオソマツです。普通の企業ならとっくに『大リストラ』をして『社員』を先ず減らしているでしょう。最近、固定資産税のことで区役所に行きました。必要な書類は窓口の一人と『一台の機械』で事足りました。なんとその窓口のウシロに何十人もの『社員』がいるのです。なんの仕事をしているのでしょう。『帳簿』は『機械』が管理しています。機械をさわれる人が一人いれば例え数十万件のデータでも、証明書でも直ぐ獲れます。あとの『大の男』達は一体、毎日、何をしてるのでしょう。どんな、仕事があるのか知りたいです。多分一事が万事だと思います。IT(高度情報技術))をもっと積極的に導入すれば今の『全社員』の半分で市役所業務は事足りるかもしれません。こんな『革命』は市役所から出てくる順送り人事の『市長』さんでは絶対に出来ないのです。何故なら職員の『票』も大切なものだからです。どこの役所でもよくあることですが『市民のための役所』というより『職員の生活のための役所』になりがちなんです。役所というのは、表向きはよくこういう手を使います。『10年で10%職員を減らします』・・という施策です。これに騙されてはいけません。新規採用を止めれば、自然退職者との合算で毎年1%の削減は自然減と同じなのです。『今、いる人』には痛くもかゆくも無い話です。リストラでも何でもありません。失業者?当然出ます。だけど一般の『企業社会』では当たり前の話です。一般社会の人達はそういう『厳しい社会』にいながら、キッチリと『税金』を天引きされてるんです。普通なら『なんでやね!』の世界の話です。しかし神戸市の現状隠しが巧妙なのか、赤字再建団体寸前にも等しい『市財政』の現状を市民のほとんどが知っているのやら、知らないのやら。兎に角、この『危機』を切り抜けるのは『大リストラ』とあっと驚く『新規事業』しかありません。
この『新規事業』についてはまたいずれ気が向いたら書きます。


06月20日(水)15:00:19 くもり 不思議な出来事:VOL4 No 95
『不思議な出来事:VOL4』

今から、5年前のことです。明日からお盆休みという8月11日の夕方、アトリエから家に帰り着いてからすぐに、妻と姪と3人で阪急御影駅前にある『マリールイス』というレストランへ夕食に出かけました。明日、早朝には車で軽井沢に立つ予定でした。途中、妻は近所のスーパーに寄り道したため、レストランの入り口の階段を上がった踊り場のところで姪と二人で談笑しながら妻を待っていました。その時のことです、急に気分が悪くなりアーッと・・・・・『オジチャン!』『オジチャン!』と呼び叫ぶ姪の声と、揺り動かされたので目が覚めました。もう3日間位眠り込んでたのでは・・・と思うほどの時間が経ってたように感じましたがほんの3分ほど気を失ってたそうです。姪によると『崩れるように、ウシロにドターっとゆっくり倒れていった』そうです。後頭部を少し打ったようでちょっと痛みがありました。明日から軽井沢やのにどうしょう・・・とちょっと暗くなりました。でも起きあがると『普通の感じ』に戻れたので『大丈夫かな』とも思いました。しばらくして妻が来たのでその出来事を話すとビックリし『病院に行こう』と言いましたが、『大丈夫』と言いかけた時、又気分が悪くなってきました。危ないのでその場にしゃがみこみました。『これはオカシイ』とボクも思ったのでタクシーで直ぐ近くの甲南病院に行きました。当直医が偶然『循環器』の先生だったので、すぐ安静にされ『検査の必要』を言われました。脳のCTをはじめ心臓の各機能の検査をする必要があるとのことでした。しばらくはこのベッドで寝ててくださいと言うことになりました。『もう軽井沢は無理やな』とあきらめました。夜10時頃、ちょっと『いい感じ』になってきたので先生に自宅へ帰りたいと言うと『ちょっと、見ましょ』と聴診器を当てられたりしていました。先生が『そうですな、そしたら検査の時に又、来て貰いましょか』ということになって帰りかけたときです。又気分が悪くなって倒れそうになりました。先生があわてて『これは、入院や!帰ったらイカン』ということになってしまったのです。一週間の検査入院ということになってしまいました。その翌日の夕方のことです。妻が顔色を変えて病院に飛んで来ました。『義兄が亡くなった』と、ボクの姉の旦那です。葬儀が明後日だと。もう驚きで声が出ませんでした。軽井沢に行ってても、直ぐにトンボ帰りをしなければならなかったところでした。そして一週間の検査入院が終わり、緊張の結果発表でしたが『すべてどこも異常無し』だったのです。

06月20日(水)11:39:13 くもり 支離滅裂な恋愛論 No 94
『支離滅裂な恋愛論』

ボクの初恋は幼稚園の時の同級生『浜美恵子』ちゃんだ。『オトナっぽかった』女の子だった。『好き』というだけの、いとも単純な『感覚』である。当たり前のことだが『抱きたい』とか『キスしたい』という感じはまだ無かった。小学校3年生位からハッキリと『手を握りたい』『髪に触れたい』という感じを持ち出した。でも女の子のほうは『キス』(ただしホッペ)までいっていた。大体この頃は女の子のほうがおませで積極的だ。やはり本当の意味での恋愛というのは思春期の頃からのものだった。ここで『恋愛遍歴』は書けないので、今思う支離滅裂な『こんなものかな』を書く。『恋』に悩み、苦しむ若い人(気持ちの人も含めて)のすこしでも参考になればと・・・へへへ。先ず、恋愛経験は多いほど良いと思います。ただし『その中身』は自分で責任を持ってください。特に男は失恋経験が多いほど良いとおもいます。『相手』が『ツワモノ』ほど精神的にかなり『鍛えられます』。ボクは『女の気持ち』は語れませんので、『男の気持ち』を中心に『恋愛論』を展開します。先ず『男の浮気』ですが、これはこの世の男100%が『その虫』を飼っています。『実行する』か『したくてもチャンスも無い』か『そんな元気も無い』かの程度のものです。今、世界中で約3000の民族が存在し、その約80%が一夫多妻制だそうです。もともと『男』という動物は原始の時代から、『強い男ほど沢山の妻(女)を持つ』という自然の法則があるのです。『男』の遺伝子に100万年以上の期間にまたがってずっとインプットされ続けてる『情報』なのです。これはまた『強い男』『元気な男』ほどその『遺伝子情報』は濃縮されて『濃く』なっています。又、大体においてそういう『濃い』タイプの『男』は『征服欲』が強く『女』を『愛する』というのでは無く『奪い、征服する、束縛する』という性惰があります。本当の『愛』というのは、その性惰とはほぼ反対側にあるものだと思うのです。どうか女性の皆さんこの『濃いタイプの男』にはご注意下さい。狙った女を『征服』すると『次ぎのターゲット』をもうさがすというのがこの『男』の性惰ですから。間違いない男を『選ぶ基準』はその男の『たくましい優しさ』をモノサシにしてください。勿論、恋愛の場合はよくその反対に『クールで、冷たそうな男』にひかれたり・・・とかはよくあることですが、それは必ず『後悔』するときが来ます。『男のたくましい優しさ』を見極めるのは、又なかなか難しいかもしれません。なにか『事件』があったときの『処理』の仕方でそれはよく出るときがあります。あの阪神大震災の時でも『妻子』を放って自分だけ先に逃げた『旦那』が離婚されたというのがちょっとあったようです。やっぱり長く付き合わないと解りません。でも恋愛中は優しかったのに、結婚したら全然優しくなくなった・・・という話もよく聞きます。難しいですね。恋愛中の『男』はいつも自分のイイトコロばかり見せようとします。本当の『裸の自分』をなかなか見せません。『SEXが優しい・・』は違いますよ。あれは『好み』のもので『優しい男』でも『その時』は『アニマル』になるのもおります。なんか書いてて恥ずかしくなってきたから止めます。またいつか『男のたくましい優しさ』について書きます。


06月19日(火)14:01:42 あめ 日本の農業 No 93
『日本の農業』

神戸市の西北部には未だ『農村部』が残っていて、皆野菜やお米を作っています。この地区に、代議士秘書時代によく入っていったので、その頃の近郊農業の実態をよくみていました。農業全体の詳しいことは、よく知りませんが多分、全国で似たり寄ったりの実態だと思います。当時、大体10年位以前の話ですが、就農年齢は平均60代後半だったと思います。跡継ぎというのは殆ど、どの家庭にもいない・・・という感じだったと思います。その人達(息子)は、殆どがサラリーマンでした。減反政策で米を作らなくても、『保証金』が入って来ていたので良かったという側面もあります。ほとんどの農家では『自給自足』分だけ作るという感じでした。都市近郊は自宅から会社に通えますが、東北や、地方には、通う『会社』すら無いため、都会に出稼ぎにきています。これはかなり昔からそうです。兎に角、今、全国の就農者の平均年齢は恐らく70代位になってる可能性があります。殆ど、跡継ぎがいません。どうなるのでしょう。これも日本人は『ワーット、恐慌状態』にならないと、気がつかないのだと思います。これから先の10年で『真の改革』が実現した場合、間違いなく失業者1,000万人・・という時代が来る可能性があります。その時は、みんなこぞって『帰農』しましょうね。そうすれば最低限『飢え死に』することは、ありません。
ボクは21世紀の日本は『農業の時代』だとひそかに思っているのです。国民『自給自足』運動にむけて動き出す時だと思っているのです。

06月19日(火)10:55:45 あめ あるフィクサー:VOL2 No 92
『あるフィクサー:VOL2』

フィクサーと呼ばれる人のところには多種多様の人が訪れてくる。ある意味『人脈交差点』と呼べる『場所』である。
ある時、或るフィクサーの家でとりとめのない『雑談』に花が咲いていた時、彼が一枚の写真をボクに見せた。『よく見たことのある顔』の人とその人の家族が、彼の家に『遊び』に来たとき、彼の家族と一緒に撮った写真だった。ただ、その『よく見たことのある顔』の人はいつもマスコミに出てる時とは人相も見違えるほど穏やかな笑顔だし、いつも短い髪が『長い髪』なのである。彼にそのことを聞くと『これはな、カタギであるウチの家に遊びに来る時は、ウチに迷惑をかけたくないから、絶対に誰にも解らないように、髪を伸ばしてからくるんや』と言った。ボクは『へーっと、感心した』。彼は『遊びに来るときは、家族全員で来て、普通にくつろいで帰る。普通の家族や。ウチに来るときは子分衆も誰もつれてこん。家族だけで来る』と言った。もう一度ジックリその『写真』を見たが確かに『普通の家族』の写真だった。それから何ヶ月後かに伊丹空港に行った時、到着ロビー周辺に異様な『雰囲気』が立ちこめてるところに出くわした。或る一定の距離を置いて『コワモテ』の人が配置されていた。それも普通の数では無かった。『コレハ大物やな』とボクは直感した。飛行機が着いて到着ロビーにドンドン人が出てきた。人の流れが止まったころ、出口に近づいてくる数十人の集団が見えた。このパターン何かと似てるな・・・と思った。そうそう『総理大臣が動く』時と似ている。『ぶら下がり』が数十人ついているのである。そのコワモテ集団の中心に、その『写真』の男がいた。数十人を引き連れて颯爽と早足で歩いていた。髪は短く、ある意味『堂々』としていた。全くその『写真』とは『別人の顔』だった。



06月18日(月)13:26:06 くもり 義父のこと No 91
『義父のこと』

この人もボクの人生では『見たことのないタイプの人』です。ボクが『畏敬の念』を持った唯一の人かもしれません。ただお会いしたのは『結婚』してから13年位経ってからです。ボク等の結婚は『反対された』ものでした。当時『自信満々』のボクは、誰の反対も何も、スベテ自分でドンドン決めて、突き進んでいました。披露宴が近づき、それでも『一応、ご挨拶しとこかな』と思い、式の一週間前に嫁の実家を訪ねました。事前に連絡はしていましたが『母親』だけが会ってくれて、『義父』は顔を出してくれませんでした。考えれば当たり前のことです。顔も見たくなかったのでしょう。でも『義父の気持ち』は理解できました。ボクは当時、嫁には『親とは縁を切るつもりで・・・』と言っていました。『結婚』はたとえ反対されたもので無くてもその位の覚悟でするものと思っています。でも結婚後も嫁は頻繁に実家に顔を見せたのである意味、少しは『安心』してくれたかもしれません。でもボクのことは論外でした。『強気』のボクは気にも止めずドンドン歳月が流れました。ただ、その間に嫁から『義父のこと』をいろいろ聞かせて貰いました。その『生き方』と『日常』に畏敬の念を持つようになったのです。10年後、ボクの例の『オリの中』事件がありました。この時『義父』はどう感じ、思われたことでしょう。考えるに余りあるモノがあります。この時ボクは『オリの中』でこの『義父』との関係のことも考えました。極めて冷静な状態で、いろいろ考えていたときです。『このままではイカンな。それにお詫びをしなければ』と思いました。いわば略奪結婚です。しかも交際しているときから『反対』されていたため、一旦『別れた』ことにして、1年以上『義父』を騙し続けたのです。突然『結婚』と聞いた時の『義父』のショックは計りしれません。『そうだ、とりあえずお詫びからしなければ・・・』と『お会いしに行く決心』をこの時にしました。『オリ』から出てしばらく経ってから嫁の兄のところへ行きました。4人兄弟で嫁は末っ子、直ぐ上が兄、あと姉が二人です。義兄は夫婦で披露宴に来てくれていました。勿論『反対』だったと思いますが、『誰も出ない訳にも・・・』という感じだったと思います。ボクは嫁の兄弟とは普通の親戚付き合いは許して貰っていました。義兄は『いやーっ、実はボクもそろそろ父と会って貰ってても良いかな・・・と思い始めていたんです。そうですか・・・いや、解りました。今度、父と会った時に話してみます』と言ってくれました。それから2ヶ月位返事がありませんでした。『やはり駄目かな・・』と思っていると、義兄から電話があり『父に話したのですが・・・、父はやはり会わないと言ってます』と返事が返ってきました。『そうか・・・。』とドンと突き落とされた感じを味わいました。でも『凄い人だな』とあらためて『畏敬の念』を持ち直しました。やはり『凄い人』でした。ただ、ボクの気持ちは通じたものと考えあきらめました。それから3年ほど経った師走、義兄から突然電話が入りました。『父が会いたいと言ってます。このお正月に家に来てください・・』という電話でした。今から7年位前のことです。お正月の2日に訪ねました。嫁の先導で玄関に立ち『オメデトウゴザイマス』と挨拶をすると奥の座敷から『オーッ、よう来たなっ。お上がり。』と大きな声が聞こえました。結婚13年目にしての初対面です。ボクを初めて見た、義父の第2声は『オーッ、元気そうで何よりや!』でした。ボクは先ず、両手をついて、これまでの非礼と無礼をお詫びしました。しばらく広い座敷で『二人っきり』にされましたが、ほとんど会話はありませんでした。でもボクはなにかしら『あったかいモノ』を感じていました。白髪で着物を着て細い体の人でしたが『威風堂々』とした人でした。『裕福だが質素な日常生活』を送る典型的な旧家の家長でした。そしてその後は何の問題もなく、穏やかなお付き合いをさせて頂いてます。


06月18日(月)10:47:13 くもり テキ屋 No 89
『テキ屋』

世の中には『テキ屋』という職業がある。皆よく知ってるはずです。そう『フーテンの寅』さんも『テキ屋』の一人です。しかし現実の世界はあんな『笑い飛ばせる世界』ではありません。ある意味『体を張った命がけの世界』です。『テキ屋』の親分は、大体懐に『ドス』か『ピストル』を忍ばせています。正式には『神農商業協同組合』と言います。確か『地割り』と言ったと思うが(間違ってるかも)神社のお祭りの時に出店の場所を決める時が『勝負』のときです。やはり皆イチバン『いい場所』が欲しいのでトラブルことがあるそうです。由緒正しい歴史もあります。大阪には『神農さん』と呼ばれる神社がありますが、ご本尊のヒトツだと思います。病気を治すのが神様で、その神社の門前でその神様の『秘薬』である薬を売ったというのがもともとの話だったと聞いたように思います。ですから所謂『ヤクザ』ではありません。ただ、『儀式』はよく似たところもあります。その由緒正しい『儀式』は将来は『無形文化財』としてのこることになるかも解りません。石井はじめ代議士が毎年神戸の『えべっさん』に立って街頭国政報告をするのは地元では知らない人はいません。柳原戎神社の門前近くで、3日間の夜通して参拝者と握手するのです。もう30年近くやってるはずです。ある意味たいしたものです。実はこの場所を借りるのに毎回『テキ屋』の親分さんへ『仁義』を切らねばならないのです。いつもこれの『担当者』は決まっていました。同じ人間のほうが『人間関係』が出来てるからです。ある時この『担当者』がちょっとへまをして『仁義』が遅れました。親分さんが『怒りました』。大変だったんです。『担当者』はその『怒ってはる会食』の場から『コレハ危ない』と思ってすきをみて2階の窓から抜け出し、屋根づたいに逃げ、下の道に飛び降りたところで、直ぐそこにいた『飼い犬』にガブリとお尻を噛まれました。(かわいそうに、だけど後で皆大笑いでした)噛まれた痛みも忘れて逃げたそうです。その後『手打ち式』があった時全員で『頭を下げて』なんとか収まりましたが、やはり怖かったです。やっぱり『親分』という人は『迫力』があります。でも石井さんも腹は据わってました。『迫力』ではひけをとってませんでした。でもこういうところがあの人が『コワモテ』に見られるとこかな・・・とも思います。

06月17日(日)17:03:50 はれ 神戸のこと:VOL2 No 88
『神戸のこと:VOL2』

今、神戸は迷走中だ。行き先がわからなくなってしまっている。今までどれだけのキャッチコピーを神戸市は作ったことか・・・『国際都市』『ファッション都市』『アーバンリゾート都市』『コンベンション都市』など皆、その後どうなったの?と聞きたくなる。神戸は明治初期の居留地時代からのイメージを多かれ少なかれ大事にして今日まで来た。明治政府の『海軍増強』政策で造船所が出来、近年まで三菱、川重、神戸製鋼などの天下だった。今殆どが縮小してしまっている。ファッション関連業界も一時ほどの勢いは消えてしまった。国際会議が年間にどれだけ神戸で開かれてるのか市民は余り知らない。震災後、特に神戸は『意気消沈』している。市は『神戸空港』にこれからのスベテを託すようだ。次は『医療産業都市』だそうだ。またすぐ消えると思うけど・・・。ボクは今の市長も嫌いだし、神戸市の行政のあり方も文句はイッパイあるが(又、いずれ此処で書く)、ボクは空港は絶対あったほうがイイと思っている。神戸空港が出来たら、『伊丹空港』は閉鎖すればいい。当然、神戸空港は『国際空港』にすべきである。『国際都市KOBE』でしょう。当たり前でしょう。『ミナト神戸』の時代は『終わった』のです。『船便』が今の時代にそぐわぬ事ぐらい小学生でも考えたら解る話だと思います。『騒音』なんて技術革新でいずれ無くなります。伊丹を閉鎖すれば『航路』の安全は確保されます。もう着工してるから良いけど、反対で潰されてたら100年の大計を誤るところだったと思っています。ところで、ボクは東京に行っても、地方に行ってもそこにある有名デパートの地下へよく行きますが、洋菓子のコーナーには必ず、『神戸の洋菓子屋』さんが数店でている。それもいい場所を占拠している。でもこないだ東京に行った時、『アンリシャルパンテイエ』の話になって、ボクが『それも神戸やで』と言うと(正確には、芦屋なのだが東京の人は芦屋も神戸だと思ってる人が多い)、なんと『東京の人』は『エーッ、パリだと思ってた』とビックリしたように言っていた。つまり『売る側』にとってもう『神戸』を匂わすことは『売り』にならないと見ているのかもしれない。そう言えば『神戸コロッケ』にはもう行列は出来てなかった。でも銀座の有名デパート数店の地下食品街で、『行列が出来てるな』と見るとたいがい『神戸の洋菓子屋』さんの店である。だけど買ってる人達は『神戸』だと知らずに買ってるということか(スベテでは無いと思うが)・・・と思うと淋しくなる。


06月17日(日)13:17:29 はれ あるフィクサー No 87
『あるフィクサー』

世の中には、いつの時代でも世間の表舞台には殆ど出ず、『ウラ社会』で『オモシロイ生き方』をしてる人がいるようだ。先のM氏なんかもある意味で『フィクサー』とも言えるだろう。ボクの人生50年のなかでも何人かの『フィクサー』との出会いがあった。なかでも特にボクと関わりの多かった『フィクサー』のことを書く。彼は、『オトナ子供』のような人だった。でも頭の回転は早く、行動力もあり、そして未曾有の資産家だった。彼の父は彼以上に『フィクサー』だった。彼の父が健在の時は彼の家に時の総理をはじめそうそうたる人物がよく『秘密裏』に訪れていた。この彼の父は『怖さ』を感じさせる『フィクサー』だった。彼の父は『鉱山』で未曾有の財産を築いた。戦後の或る総理誕生の時には、その資金源ともなり政界を裏で牛耳った。彼はその頃から父にくっ付いて秘書的に動き『フィクサー業』を見習いしたと言っていた。特に彼の父は『宗教界のドン』だった。終戦後間もなくGHQが統治した頃、『神道につながる宗教』は危険思想につながるとして、天理教をはじめ解体されかけた。その時その事態を救ったのが彼の父だった。だからその後そういう新興宗教団体にとってはホントの『救いの神』と崇められたのである。当然そうなると『組織票』がのどから手がでるほど欲しい『政治家達』は彼の父のところにあしげく通うことになるのである。与野党を通じて人脈は凄かった。20年位前に彼の父は他界したが、人脈も財産も引き継いでほぼ同等の立場を彼は世襲した。なにせ相続の時に総額数百億円とも言われる美術品の数々を博物館に寄付をしたんだから、その底深さは感じ取れるだろう。ボクは特にボクが独立してから彼とかなり親しくなった。と言っても彼はボクより15才位年上だった。だけど彼は所謂『横柄』なところは全く無く、金持ち風も吹かさず、『山ちゃん、山ちゃん』と可愛がってくれた。よく突然、家に『チョット、来てくれるか?』と電話がかかり、彼の家に朝、夜かまわず呼ばれた。いつもそんな時は彼の家の広い応接間に『誰か』が待っていた。この場でよく話が決まり、その後その『誰か』が『市長』や『国会議員』や『地方議員』となった。彼は口も出すが『お金』も出していた。沢山の政治家が彼から『カンパ』を受けていた。政治家だけでなく、確か何年か前に山口県の有名なキリスト教会が火事で焼失したときその復興にも多額の寄付をしたのを知っている。彼は『選挙がメシより好き』というタイプだった。あらゆる選挙によく顔を突っ込んでいた。ボクと反対側にいたこともある。でも彼は何も言わなかった。その彼も数年前に亡くなった。味のある人だった。嫌みのない人だった。懐の深い人だった。そして心の優しい人だった。

06月17日(日)10:14:47 はれ M氏 No 86
『M氏』

彼は、数年前にある大手レコード会社を辞め、今は新しい『売れるタレント』の発掘と『売り出し』の総合的な『デイレクシヨン』をする会社を経営している。大手レコード会社にいるときも殆ど、同じような仕事をしていたそうだ。彼が独立してからの『手柄』は華々しい。先ず『パフィー』。あの子達が、初めてテレビに出た『ヘイヘイヘイ』をみたとき、ボクはこれ『外タレ』か?と思ったくらい、日本人アーテイスト離れした『ノリ』だった。こないだ彼に、そのことを言うと彼は『そう!それやねン!それでいっててん!』と言っていた(彼も、関西人で神戸に縁ある人なのだ)。『パフィー』は『丸一日、遊園地で遊ぼう!』という普通は無いような『オーデイション』で募集したときの応募者だそうだ。亜美ちゃんも由美ちゃんも丸一日、一番屈託なく、無邪気に、上手に、遊んだらしく、それで選ばれたそうだ。亜美ちゃんは『良家のカワイイお嬢さん』。由美ちゃんは『そのままのヤンキー』だったそうだ。由美ちゃんとの『個別面接』の時、あまりに『歯』が綺麗ので、質問すると『コレナー、前ツキアットッタ彼氏ガナー、鳶デナー、イッショニヨウ、同じカッコウして現場にツイテイットテン。ホナラナー、イツモ鳶の日当貰えてン。ソヤカラ、お金タマッタカラナー、歯ナオシテン』と言ったそうだ。次ぎに『ラルクアンシエル』。彼が『おもろそうな新人』をインデイーズの情報誌等で探してるとき、ふと目にとまったのが『hyde』の写真だった。彼はもうその『顔』だけで『コレヤ!』と思って手をつけたそうだ。そして『ラルク』はメジャーデビューを果たしたのだ。その後、彼は『ゴスペラーズ』『コブクロ』と成功させている。この実績を聞くと、彼のことを『シャープな仕事が出来るタイプ』を想像する人が殆どだろうが、全然違う(Mさん、ゴメン許せ)。『火』がつくまでにかなり時間のかかりそうな『ボーッ』としたようなタイプである。それにボクのような『自信満々』タイプでもない。意外な一面が伊勢神宮を心から崇拝しているというところ。時々、話をしていても、信じられない程の『綺麗な目』で『一点を見つめて何かを考えてる』ような時がある。ちょっと『あまりみない不思議なタイプ』の人間だ。


06月16日(土)13:59:52 はれ 神戸のこと No 84
『神戸のこと』

生まれ育った『神戸』には、言い表せないほどの『愛着』があります。下町育ちのくせに、今は『御影』の『イイところ』に住んでます。人間はコンプレックスを誰でも持っています。ボクは貧乏育ちのため、『山の手』への憧れは『人3倍』ありました。代議士秘書になるまでは神戸の東部の『山の手』には殆ど来たことがありませんでした。秘書になって『世間が広くなる』と同時に選挙のため神戸じゅうを隅から隅まで歩きました。この時、最も『へーっ!』と思った地域が御影の山手地区でした。伊藤忠の社長、大林組の社長、武田薬品の社長、朝日新聞社主、日本毛織社長、白鶴酒造社長、ファミリア社長、小寺元神戸市長、乾汽船社長、小原流家元、とそれまでのボクの人生で見たことも無かった『大豪邸』ばかり集まっていました。背の高い『緑』にイッパイ被われた、屋敷の長い、長い『塀』のなかに、一体どういう『日常生活』があるのだろう・・・と想像を巡らせました。『世の中には、スゴイ金持ちがおるもんやな・・・』と思うだけでもう声は出ませんでした。そのあたりは道の端を流れる『溝』も『せせらぐ小川』でした。それも飲めそうな綺麗な水でした(結構この水が震災時役だった)。ふる里『長田』では考えられない事でした。ボクが育った長田の『溝』は『ドブ』でした。近所のチビガキがしでかした『ウンコ』がいつもプカプカ浮かんでいました。その頃、『いつかこの御影辺りに住むのが夢やな・・・』と思っていました。結婚して20年、今はその地域の一角にあるマンションに住んでます。もうこのあたりに住んで10数年経ちました。住んでしまえばそういう『有り難み』はもう、直ぐに無くなります。人間てホンマ『エエ加減』なもんです。『慣れる』というのはある意味ホンマ恐ろしいものです。ちなみにボクが住んでるマンションは神戸では有名な『小磯良平』という画家のアトリエがあったマンションだそうです。ボクの部屋は5階にあり、ミナトは勿論、紀伊半島、大阪、生駒、淡路とすべて大パノラマで見渡せます。高台の5階ですから遮るものは何もありません。ここ数年といっても震災後から『気になっていること』があります。『キリン』が動いているのを見たことがないのです。『キリン』とは、ミナトに着いた船からコンテナを降ろす時に使う馬鹿でかいクレーンのことです。これが『動いていない』と言うことは、ミナトに船も荷物も着ていないということです。聞けば『ミナト神戸』はコンテナ船にとって係船料などの料金が高いそうで、殆ど名古屋、横浜、大阪、釜山などのミナトに船を獲られてるそうです。もう『ミナト神戸』の時代はとっくに終わっていたのです。


06月16日(土)11:54:01 はれ 安藤忠雄 No 83

『安藤忠雄』

と言えば、今では超有名建築家だ。苦労して、独学で『我流の建築家』として成功し、認められているようだ。神戸の北野町には、彼がこんなに『売れる』前からの『作品』が結構ある。ボクが過去にやった5回の個展のうち、彼の『作品』である建物で開催したのは3回である(但し、偶然です)。皆、建った当時は個性的でかなり注目されていたのを憶えている。『ローズガーデン』は何か賞も貰ってたのではなかったかな・・・。去年ボクがライブをやった『楽屋』もこのローズガーデンの2階にある。いわゆる『商業・雑居ビル』である。ボクの知り合いも安藤氏に同様のビルを北野町に依頼し以前に建てた。その時の話によると安藤氏は最初に『顔』を出すだけで、後はすべてYさんという人が仕切るそうである。実際の仕事も殆ど、弟子のような人達がするそうである。『まあ、そんなものかとも思うが、それで良いのか?』とも思う。ちなみにそのビルはもう、知り合いから人手に渡っている。ハッキリ言って『使い勝手は滅茶苦茶、悪い』そうだ。デザイン性を重視し、機能性は良くないらしい。現実問題、『ローズガーデン』をはじめとした、彼の北野町周辺の『作品』は『商業的』にはスベテ『失敗』している。テナントが入っても直ぐ出ていく。『客が寄りつかない』のである。お客さんが寄りつかない『商業ビル』を『作品』で残してどうするの?と言う感じなのだが・・・そういえば阪急六甲の北に『OLD NEW』というこれも彼の『作品』である『彼らしいおしゃれな飲食雑居ビル』が10年ちょっと前にも出来たが、ほぼ2〜3年で殆どのテナントが潰れるか、撤退していた。ある意味彼の地元である神戸で『惨憺たる実績を有する建築物の歴史』がこんなにあるのに、それをかき消すがごとく『世間ではドンドン認められて行っていた』。これってなんなん?と『アマノジャク』のボクは黙っていられない。同じく、阪急六甲の山手に彼の設計する大規模マンション群が去年完成した。すぐ隣りのマンションの幼稚園児のところに『ボランテイアお絵描き教室』で行ってたので、そばで見たことあるが、下から見上げると、まるで『刑務所』のようだった。兎に角『彼の作品』は『冷たい』し『人を突き放す』のである(ボクの感想ですが)。このマンションも恐らく余り『売れていないのじゃないか』とボクは思っている。(売れてたらゴメンです)ボクは彼になんの『恨み』も『嫉み』もありません。彼の商売の妨害をする気もありません。でも『評価』ということの基準が『有名』というだけで『オーケー』ということになっていないか・・・ものの『評価』についてはもっと深く、厳しく・・・というのが今の日本人には、ちょっと足らないのじゃないかと言う感じがするので、ひきあいに出させてもらいました。安藤さん、そして彼の『心酔者』の皆様、ゴメンナサイです。


06月15日(金)14:37:21 くもり ユニクロ:今昔 No 82
『ユニクロ:今昔』

ボクは代議士秘書を辞めて、今の生活スタイルになってからこの10年、スーツは一着買っただけ、それも生協さんの上下20000円程度の物。でもこの10年で着たのは5回位。ネクタイは買った事もないし、締めたこともない。冠婚葬祭でもTシャツや、セーターで行っている。(多分、ひんしゅくを買ってるかも)妻には、いつも『止めて』と言われるが『これで、エエ』と言ってワガママをとおしている。腕時計はもう15年程していない。今、着ている服はここ6年前から、ずっと『ユニクロ』御用達だ。6年前は未だ未だユニクロは知られていなかったし、店舗数も少なかった。その頃のユニクロは『粗悪品』もよく売っていた。今でこそ品質はスゴク良くなったが、当時のダウンジャケットなどは、ダウンじゃなさそうな毛が直ぐにイッパイ表に出てきて困ったし、よくタッグを見たら『ダウン』ではなく『ダウソ』と書いていた。ウソじゃないですホントです。今は背広(ジャケット)は置いていないが、当時はあった。ボクは今、靴下からズボン、Tシャツ、セーター等、年中オールユニクロである。いつも全身10000円までの『男』だ。もうボクのまわりの人達は、『ボクのどこでもこのスタイル』になれてるので、誰もが皆『ワカッテくれている』と思っている。何処へ行くのも、誰と会う時でもこのスタイルなのです。東京であろうが、国会であろうが、偉い先生と会うときであろうが、いつもイッショです。これから初めてお会いする方は、何卒ご理解下さい。ただ、もうユニクロには飽きてきました。どうしょうかなこれから・・・というのが小さな悩みです。

06月15日(金)11:10:06 くもり 日本という国:VOL3 No 81
『日本という国:VOL3』

どうも戦後日本は経済至上主義で邁進したため、置き忘れたり、捨ててしまったりしたことが多くあるようだ。小泉さんの『構造改革』はもう当たり前のこととして、ボクはボクなりに『日本人の意識改革』について書いてみる。ボクなりだから、次元は低いですよ。先ず『正義の味方』は何処へ行った?ボクらの少年時代は『テレビ、ラジオ、少年サンデー、少年マガジン、少年キング(週刊誌)』等に『正義の味方』が溢れていた。『怪傑黒頭巾・少年ジェット・怪傑ハリマオ・風小僧・鉄腕アトム・鉄人28号・遊星王子・まぼろし探偵・七色仮面・エイトマン・隠密剣士・月光仮面・ライフルマン・・・』まだまだ幾らでもある。今、何があります?ボクが知ってるのは『ポケモン・仮面ライダー・アンパンマン・ウルトラマン』くらいかな・・間違いなく少ないのじゃ?兎に角、ボク等の時代は『正義の味方』の全盛期だから、それを真似ることがカッコ良かったため『弱い物いじめ』はあまりなかった。必ず、『やめたらんか!』と恫喝するガキ代将もいた。特に『特徴』だなと思うことは、小学校低学年から中学校高学年の子までが同じ『パイ』で遊ぶことが多かった。小さい子はよく『ほうらく』と呼ばれて一緒に遊びに参加するけど『ゴルフのハンデイ』に似たシステムがあった。又、みんな子供は外で遊んでいた。暗くなるまで走り回った。ボクには子供がいないので知り合いの子供しか『子供の実態』を知らないが、大体先ず『塾』をはじめとした習い事に追われている。それも親の送り迎えつきが多い。間違いなく『遊び』より『習い事』優先のように思う。そして性惰として『すぐキレル』子が多い。皆『ストレス』を抱えているように思う。クラスにも『正義の味方』は殆どいないのじゃないか。誰かが誰かをいじめてても、皆『見て見ぬ振り』をし、ある時は全員一緒にいじめたり(先生まで一緒になって)もあるようだ。マア、先生や校長先生までがが『買春』したり『痴漢』したりで捕まる時代だから、別に珍しい事でもないようだが。時々、事件があって『校長先生』の会見がある時があるが、なんでこんな『能力のなさそうな人』が校長なん?というのにもよくお目にかかる。例の池田の事件でもいつも『副校長』が会見をしてるが、『校長』は頼りなくて出れないと言うことか・・・と思ったり。昨日の『殺人方法を教えた先生・・・』のいた学校の校長も、テレビのインタビューに『ニヤニヤ笑いながら』答えていた。まあ、こんなことがどれだけ多いか・・・。まあ現状はもうあきらめてこれからの日本を背負う子供達への『教育』により『意識改革』を進めていけないものかな・・・と思う次第です。兎に角、『教育の大改革』が必要です。どこの県、市にも教育委員会という組織があって、これがある意味『癌』です。校長の選任もここで決まります。内部は『ドロドロの権力闘争』もあります。能力があっても『校長』になれない人もいるようです。組合活動のため授業は年に一回も出ず高い給料を持って帰る『教員』もいます。ここには今まで誰も『メス』を入れません。東京のある区で民間人を『校長』に招いた区のことをテレビで見ました。『スゴイ抵抗』を現場がしていました。やがて『潰される』のでしょう。我が兵庫県にも『兵教組』というのがあり約40000人の教員と教育委員会の職員がいます。膨大な人件費を県の予算から獲っています。歴代知事は自分の選挙のことを考えると、とても『メス』は入れられませんでした。ゼネコンだけが選挙の集票マシン兼利権集団ではないのです。兵庫県の子供だけが日本の子供達より少しでも『違う』という実績があるならこんなこと書きません。『事件』は兵庫県でもよく起きています。あーあなんとかならんもんかな・・・。

06月14日(木)14:39:30 あめ 学校の構造カイカク No 80
『学校の構造カイカク』

先ず、校門は一カ所に限定します。その他の門等は機械警備に変え閉じます。校門に隣接して『門番詰め所』を建てます。よくある高級マンションの『管理人棟』のようなものです。ここで常時入校者のチェックをするようにします。現在ある『用務員』制度を抜本的に改め、『管理人制度』にします。管理は民間警備業者に委託します。これが取り急ぎの改革案。第2段階は大きな改革です。教育機関警察を新たに発足します。アメリカにある『スクールポリス』のようなものです。『警察』業務というのはこれからの安全社会において、より密接に市民生活の『守り』となるべきです。画一的な、『地域交番単位』の警察業務を改め『犯罪単位』、『安全優先単位』の勤務体系に変えます。『子供達』の沢山いる学校は『安全優先単位』基準では上位にランクされ各学校の『門番詰め所』には常時警察官が配置されます。この『教育機関警察』は学校の安全維持は勿論として、弱い物いじめなどの指導取り締まり、校内暴力の指導取り締まりも業務に入ります。教員のセクハラの取り締まりも当然行います。もうここまでしなければならない時が来てるのじゃないですか。


06月14日(木)12:02:30 あめ ライブ活動 No 79
『ライブ活動』

初ライブは高校3年生の時、同級生のバンドにボーカルとして参加させて貰い、西神戸の板宿振興会館の2階ホールを借りて女の子を集め『ダンパ』をした時だ。この時は当時、旬だったローリングストーンズ、キンクス、ビートルズの曲を主に歌った。その後は32才くらいまで休止していた。『多忙』だったのだ。代議士秘書をして丁度7年目、事実上の『筆頭秘書』になった時から、『我が天下』になったので、又寝てた子が起きた。選挙が終わるたびに、選挙で集まった『いい子』のアルバイト達を集めやっていた。又クリスマスの頃には『クリスマスパーテイー』としてライブをした。『芸名?』を『神摩甲六』と名付けていた。シンマコウロクと読みます。一番多く集まった時は、メリケンパークのフイッシュダンスホールでのクリスマスパーテイーで350人位若い子ばかり集まった。この時は殆どの子がボクが『秘書』だとは気づかず『ドサマワリのポップ歌手』と思われていたようだった。知ってる子は知っていたのだが・・・。この頃は主に、佐野元春が中心で大滝詠一や安全地帯も歌った。コレハホントニ『楽しい』イベントでした(すべてビデオで残っています)。神戸のライブハウスはチキンジョージを除き殆どのところでやった。いまでも『チキンジョージ』を借りてやるのが夢だ。一番最近は去年の8月に北野町の『楽屋』を借り切ってやった。座席数80チョットの会場で120人位集まった。この『楽屋』は、今ちょっと売れてきたR&Bの歌手のSAKURAが去年の春まで5年位、毎月ライブをやってた会場だ。倉木麻衣も売れる前に此処で歌っている。ちなみに去年のライブの主な曲はBOWY(暴威)の曲だ。クライストチャーチという神戸のアマチュアバンドをバックに唄った。ボクのライブはいつも会費は取りません。全費用持ち出しです。もち飲食つきです。こういう『趣味の道楽』に使うお金は全然惜しくありません。『お金を取ったら誰も来ない』とも言われていますが。ただ、このライブ活動のことは『妻』には内緒です。こんな『無駄使い』がばれたら『お尻ペンペン』です。皆様、くれぐれもご理解のほど・・・。なお、次期ライブはすべてオリジナル曲でいつかそのうちやるつもりです。勿論会場はチキンジョージを目標にしています。興味ある人はお楽しみに。

06月13日(水)14:03:01 くもり 日本という国:VOL2 No 78
『日本という国:VOL2』

日本では、議論さえしても『タブー』と言うことが結構あります。天皇制、徴兵制、核保有、他にもイロイロあるでしょう。議論すらしないというのは、滅茶苦茶、不自然なことです。普通ではありません。自由党の小沢党首が『普通の国』というような題名の本を出してましたが(ボクは読んでませんが)多分、小沢さんもそのことを指摘していたかもしれません。人間は成長し大人になったら、自分のことは、自分で考え、
自分で決めます。当たり前のことです。無法者や、強盗が家に押し入り可愛い女、子供が危ない目に遭おうとするとき手近な武器を持って家族を守るのは、普通の男なら誰でもするでしょう。これも当たり前のことです。『国』のことになるとどうして、皆『立ち止まる』のでしょう。『国家』も大世帯の『家』ですね。『国民』は『家族』ですよね。『父』は誰でしょう。『天皇?』違います。そんな権限ありません。そうですね『総理大臣』です。『総理大臣』がその気になれば『議論』は始まり、変える必要があるものは、『変えていける』のです。戦後のもう一つの大きな不幸は、その自覚を強く持った『総理大臣』がいなかったということでしょう。小泉さんはどうでしょうね。ボクもほんのチョットだけですが『期待』はしています。でもかなり悲観的な見方はしています。日本の国の本当の『独立』は『アメリカとの決別』と先に書きましたが、別に『喧嘩別れ』ということではありません。友好関係は維持する『協議離婚』です。勿論その時は日本中からアメリカ軍は撤退します。本当の意味での『占領・進駐』状態は終わるのです。と同時に自分の国は自分で守らねばなりません。これは『当たり前』のことなんですよ。『戦争』をどうこうとは、次元の違う話です。ボクはこれからの半世紀は、東アジアが世界の『火薬庫』になる可能性があると悲観的に見ています。今でも、インドネシア、フィリッピン、台湾と中国、とやや政情不安です。日本の悲しい歴史の中に、先の大戦がありますが、軍部と兵器産業の関係は余り表には出てきていません。しかし密接にあったと思います。現在、アメリカを始め、世界中に兵器をつくっている企業が沢山あります。それぞれの企業がそれぞれの国の政治家と密接につながっています。企業にとっては『紛争』は『商売繁盛』なのです。怖いことですが現実です。『レベルの低い指導者』が出てくると『賄賂のためにちょっとした紛争』を起こす『指導者』が出てきても不思議ではありません。こういう世界は『ウラ』の世界の動きですから『表』には出ません。ただ『外交』だけではどうにも解決しない場合は、『ウラ』にそういう動きが無いとは言い切れないと思います。『企業』にとっては『国』は必要ありませんからそういう『企業』にとっては『国』がヒトツ無くなることは別に何でもないことです。
兎に角、これからは『国防』ということを大切な問題として考える必要があります。すべての国民がです。


06月13日(水)12:26:40 はれ 母が No 76
『母が』

ボクのことが、だいぶ解らなくなってきたようです。春からの季節の変わり目は、よく変化が激しくなる傾向があります。所謂『木の芽時』です。はっきり言って『辛い』ものです。機嫌が悪いときは、ボクがいつも歌ってあげる『石原裕次郎や東海林太郎』の母が大好きだった唄を歌ってあげても『もう、止めて!』と突き放します。『悲しく』なります。機嫌の良いときはいつも『エエナー!』『ウマイナー!』と大きな声で曲が終わるたびに言ってくれるのですが・・・。今日も午前中に特養に寄ってからアトリエに来ましたが、ずっと『機嫌』が悪かったのです。何を言っても『無表情』。『歌聴くか?』と聞いても『イラン!』。淋しいものです。悲しいものです。でも、仕方ないです。

06月12日(火)16:48:00 はれ 日本という国 No 75
『日本という国』

ボクは代議士秘書という仕事の『お陰』で右翼の人とも、左翼の人とも、又新左翼と呼ばれる人達とも知り合いだった。どの組織、団体もリーダー的な人達は、皆『普通の人』だった。ある意味、それぞれが信じる『哲学』で、日本と言う国を考え、憂い、ナントカせねば・・・と活動していた。ボクもボクなりに物心ついた頃から、『日本』という国のことを考え続けている。先ず、よく日本人は『単一民族』だという人達がいるが、ボクはそう思わない。日本人は『原住民と、南方、北方、大陸、半島』から移動してきたいろんな民族の『混血』だと思っている。だからこそ『ある面では優秀な民族』なんだと考えている。実は、選挙戦略というボクの本職の上でもこの『日本と日本人』の特性や本質を探ることがかなり重要な事なのである。『風土と民魂』『歴史と民動』そして科学的にも証明できる『日本人の遺伝子』等、それを突き詰めて考えたりして選挙戦略を考えたりもするのである。未だ、これだという結論はないが、常に試行錯誤している。ボクは1950年生まれで、大戦後からの復興日本とともに大きくなった世代として、戦後の日本人の行動や日本という国が世界の経済的超大国のなる様を『リアルタイム』で見てきたので『自分がこの目で見てきたもの』が考え方のスベテである。ボクは『本』というのを殆ど読まない。ボクの考えというのは、スベテ『我流』です。ですから『鵜呑み』はしないでください。『こんな、考え方もあるのか』という程度で留め置きください。これはVOICEのコーナーの文章すべてに共通します。日本人は革新か保守かというと『保守』だと思っています。『天皇制』がそれを象徴しています。それでいて『新しいもの』が好きかというと、特に戦後の日本人は大好きです。これはアメリカの占領の影響が大きいと思います。ヨーロッパの国が占領していたら今の日本はかなり違った国になってたと思います。これはボクは、第一の戦後日本の不幸だったと思っています。アメリカ人の美意識、プライドの持ち方を100%否定しませんが、ヨーロッパ人の方がそれは勝っていると思います。
アメリカ人は『木』の文化、ヨーロッパ人は『石』の文化だと思います。『木』はウッドデッキを自分で作って解ったのですが3年で腐るところは腐ってきます。アメリカ人の家は2×4住宅、殆ど『木』で作ります。ヨーロッパの『石』で出来た家は500年経っても、まだヨーロッパのあちこちで、『現役』で沢山残っています。所謂『使い捨て文化』はアメリカから来たものです。資本主義は基本的に欧米とも同じはずなのですが、例えば『自動車』ヒトツとってもアメリカはほぼ毎年モデルチェンジ、ヨーロッパは10年位同じモデルと・・・全然違います。
日本がそして日本人がなかなか、スベテの意味において『独り立ち』出来ないのもアメリカの『過保護』状態で戦後育てられたからです。『企業』の社会だけは『独り立ち』が早く出来ました。これだけはある意味、アメリカ式資本主義のお陰と言えるでしょう。ただ『企業』というのは、個人より企業、お国より企業を優先させる・・という生き物で、国は滅びても企業は生き延びます。特に国際的に成功した大企業ほどそうです。兎に角、本当の意味での『日本の戦後の独立』は
アメリカ及びアメリカ文化と『決別』した時に始まると思っています。

06月12日(火)11:34:50 はれ ガーデナー:マサ・アキ No 74
『ガーデナー:マサ・アキ』

自分で言うのも何やけど、ボクはガーデナーです。ページのアトリエのコーナーの写真にある『花』はボクがスベテ『種』から育てたものです。よくアトリエに訪れるお客さんが『誰がお世話されてるのですか?』と聞かれますが、『ボクです』と声を大きくして言ってます。どうもイカツイ感じのボクと『花』のイメージが合わないらしい。アトリエの建物はボクが設計して30年前に建てましたが、その時からボクは『元祖ガーデナー』でした。庭の植木も全部ボクが植えました。すぐ近所の山から盗んできた赤松の50センチ位の苗木が3本、すべて高さ9メートル位の『大木』に成長しました。同じく写真にある『ウッドデッキ』も『野外用家具』もボクのお手製です。2階立ての高さのあるウッドデッキは14〜5人位のガーデンバーベキューが出来ます。よく『器用やなー!』と言われますが、その気になれば誰でも作れます。春から秋は庭の花の水やりに小一時間かかります。でもその時間はもっとも『無念無想』になれる時です。ジット『ホースの先から出る水』と『花』と『土』を見ています。アトリエは裏六甲の谷間の海抜340メートル位の高地にあるので夏でも夕方は涼しくなります。今の季節は『インパチェンス』を種から育てています。こないだまでは、ビオラ。来月にはこの花で、アトリエは又『花屋敷』状態になります。

06月11日(月)18:06:10 はれ 続:許せない No 73
『続:許せない』

小泉さんは、なかなかやな。刑法の見直しの検討を指示した。ただ、思ったとおり、日弁連や人権擁護・・・の人達が猛反発しそうだ。要は、『隔離』の方法だろ。それを新たに考えればイイのじゃないか。ボクの言う『島流し』は昔のイメージのモノとは全然違う。『離れ島の楽園』構想である。こないだ『ハンセン病の人達』の隔離の話しも知ったが、あれとも全然違う。細かに考えてる訳ではないが、島の中では、自由で人権は尊重され、そこだけの社会生活が普通に出来る『島』を作るのである。一般社会の人達の安全度はかなり向上する。日弁連や人権擁護団体の人達が、兎に角『現状の維持』を強く主張するなら、その人達の責任で、『彼等(精神異常者)の日常の監督、万一の事件の時の被害者への補償』はその人達に持って貰いたい。人権、人権と口で言うだけで無く、体と時間と賠償責任を負うべきである。『彼等』はそれを負えないのだから。


06月11日(月)14:51:28 はれ 町工場物語:VOL2 No 72
『町工場物語:VOL2』

18才の大学入学時から25才までの7年間、ボクは父親の町工場を借金経営から救うため、骨身を惜しまず、油まみれになって働いた。ボクの何をも恐れぬ自信はこの時ついたと今でも思っている。父は『後を継いでくれ』とは一度も言わなかった。とにかく放っておけなかったのだ。だからボクは大学生でありながらテスト前に一度行くくらいで殆ど学校には行ってなかった。普通誰でも、ゼミを獲るが、それを獲ると行かねばならなくなるので、3ケ目、12単位余分に取り、やり過ごした。だけどその授業も全然出なかった。しかし4年でちゃんと卒業した(エエ加減なもんやなー)。ただ、卒業アルバムの写真を撮るときにいなかったので写真は載っていない(卒業証書はあります)。ボクにとっては、町工場界隈の人間関係学と商業実践、現実の中小企業の実態を肌で勉強する方が楽しかったし、有意義だったと今でも思っている。兎に角よく働いた。感心するほど働いた。月に一度しか休まない時もよくあった。爪の中はいつも油汚れで黒かった。鼻の穴も鉄粉でいつも真っ黒だった。350キロの重量制限の軽トラックに500キロ程積んでよく明石まで走った(ハンドルを取られ怖かった)。でも生き様に勢いがあった。『ハイヤー、ハイヤー』と馬を飛ばしてる感じだった。ウチのやり方は親会社に図面を貰い、材料から完成まで請け、月末の締め切りまでに納品すると翌月の25日に決済して貰えると言うよくあるシステムだった。材料もすぐには入ってこない。加工も工程が多く、数カ所の下請けを経由して機械加工が終わり、その後熱処理やメッキ、研磨などで完成という普通でも30日間位はかかる行程が多かった。それを受注から締め切りまでにどれだけ完成させて、納品出来るかに『売り上げ』の成績がかかっていた。下請けの職人にいかにウチの仕事を先にやらせるかに勝負がかかっていた。相手はウチだけではなく、他の会社の仕事も請け負っているのが殆どだったからだ。そんな諸条件をクリアしながらドンドン売り上げを伸ばしていったのだ。あっという間に無借金経営となった。そして前にも書いたようにスベテを綺麗にして25年前に閉鎖したのである。今、長田界隈には、町工場は殆ど無くなった。『ダライ粉』という鉄のキリクズが長田の道路にはよく落ちていて、車がよくパンクしたものだが、もうそれも無い。時代は完全に変わった。

06月11日(月)12:48:24 はれ 姉のこと No 71
『姉のこと』

姉とは異母兄弟だ。だがそのことを知ったのは、ボクが24才位の時だった。それまで両親から聞いていなかった。ある時、父と父の古い鉄工所仲間の所へ行った時に、その人が『ポロッ』と言ったのを聞いてしまった。でも帰り、父はやはり一言もそれに触れなかった。ボクも『ゴクン』と黙って呑み込んだ。ただ姉とはずっと縁が薄かった。姉に可愛がって貰ったという記憶もない。ボクが赤ちゃんの頃、ボクを抱いてた姉が、ボクを下に落として右後頭部打った。勿論、ボクが憶えてるわけはないが、母が後遺症が心配だと小さい時によく言っていた。今でもその時の『大きなヘコミ』が右後頭部にある。前にも書いたが、母によく折檻されていたのをよく憶えている。母は、『先妻の子』だから可愛くなかったのだろう。姉が中学生の時、熊内(今の新神戸駅あたり)の方へ手を引かれて行った事が記憶にある。ボクはまだ小学校2年生位だった。広い通りに面したところの『喫茶店』だった。中学生の男の子が5〜6人位待っていた。他の客はいなかったので店は休みだったと思う。何故かボクはそこで置いてきぼりにされ、みんな店の2階へ上がっていった。かなりの時間待たされた。今でも何をしていたのか謎である。姉は中学校を出て直ぐに家出した。夜、母と一緒に近所を探し回った。この時は母も、姉の名前を大声を上げて呼び、真剣に、必死に探していた。この日から5年位、姉は行方不明だった。ボクが中学生の時、姉が見つかった。父や母はそれなりに『指名手配』をしていたのかもしれない。須磨の若宮商店街の中の八百屋さんの2階に男と住んでいた。両親の『ガサ入れ』に何故か、ボクも連れていかれた。父が男を殴ったように思う。八百屋さんが仲裁していたように思う。男は『カッコイイ、男前』だった。当時石原裕次郎の全盛期だったが、似ていた。そういえば姉は北原三枝に似ていた。それから直ぐに、結婚式を挙げた。男はゴム会社に勤めながら夜間高校に通う青年だった。男は間もなく独立しミシン加工の会社を始めた。スポーツシューズを縫う仕事である。時々会いに行ったことがあるが、いつも裕次郎のように照れ臭そうに笑っていた。気だての優しい、お人好しだった。だからだと思うが他人の保証人をして、よく借金に追われていた。又事故やケガの尽きない人で、よく入院していた。姉も苦労をしたと思う。ボクが高校生位の時、姉は一度自殺をしかけたことがある。男の浮気が原因だったようだ。病院へ飛んで行った時、死んだように眠っていた。睡眠薬をたくさん飲んだと聞いた。発見が遅かったら、死んでいたそうだ。そんなこんなを繰り返しながら男は数年前に50才過ぎの若さで病死した。姉の人生はまだまだ大変である。


06月10日(日)16:58:20 くもり 議員は必要か? No 70
『議員は必要か?』

選挙コンサルタントをしていながら、こんなこと言うのは誠に矛盾しますが、市会議員や県会議員て本当に必要かな・・・とも考え始めています。神戸だけの例をとると、神戸市会議員の年収は歳費や諸手当を含むと大体、平均1500万円位あります。兵庫県会議員も大体、同じ位かちょっと少ないくらいです。我が国に議会制民主主義が始まって100数十年経ち、当たり前の制度として息づいています。ボクは本来の政治家の活動の原点は『ボランテイア精神』だと思います。又、政治の原点は『独裁』だと思っています。『独裁』と言えば、聞こえは悪いですが、『優れた政治家の独裁』なら問題無しと考えます。タダ、永く『独裁』が続くと、必ず『腐敗』するとも思いますので10年以上続く『独裁』はいけません。『議員』というのは『多数決』の『コマの一人』で政治的には、活動はかなり制約されます。つまり『政党』や『会派(議員の派閥、グループ)』というシバリがあるのです。ボクのところには、『政治家になりたい』という人達がよく来ますが、最近ボクは彼等に『政治家になりたいのなら、首長を目指せ。議員になっても、なかなか思うことなにも出来ないよ。』とよく言います。『行政のチェック機能』というなら他にも方法があるはずです。よくある話しに『議会と行政の馴れ合い』というのもあります。市民の代表でありながら、市民の過半数が反対してることでも、『議会は賛成』ということもよく聞く現象です。いろんな新しいシステムが考えられますが、アメリカには市会議員というのはいなくて『マネージャー』というシステムがある市もあるようです。ボクのヒトツのプランですが、基本的に無報酬、タダ議会招集日だけは一日2万円位の手当と交通費を支給する。任期は一年、有権者名簿から20000人に一人の割合で無作為に選び、本人が同意したら年間のべ20日〜30日間位、議会に出席する。ただ『何も解らない人達』が多いかもしれませんから、政策に詳しい民間の有識者で組織されたボランテイアNPO集団が、彼等の公式常任顧問団となる。この顧問団の任期も一年とする。そうですアメリカの裁判にある『陪審制』と似たシステムです。市民の政治への感覚と意識は間違いなく向上します。こうなると議会はいつも『夜』の開催になるかもしれませんね。又、各地区の自治会長から互選で選ぶというのも良いかもしれません。勿論報酬その他のシステムはさっきと同じです。


06月10日(日)11:21:17 くもり 若松塾 No 69
『若松塾』

西神戸では、かなり有名な私塾だ。ただ、普通の進学塾とは一味も二味も違っていた。もう創立40年近くなるはずで、いまでは神戸の西北部に10数教室があり、5000人近い、小中学生が通っているという。ボクが行ってた頃は、まだ、長田の南部に2ヶ所しか教室がなかった。井沢塾長が創設してまだ間がないころである。当時は中学生だけを教えていた。一学年に50人ずつ3クラスあった。皆、近隣の中学校でクラスで10番以内の子が殆どだった。男はハンサムボーイ、女は美人や可愛い子が溢れていた。当時は今ほどの進学熱は無く、自由な気風がかなりあった。『行きたいとこへ行けばいい』という感じである。授業も笑いがタップリ盛り込まれた誠に楽しいものだった。井沢先生の授業のあとは、いつも唄を歌う時間がおまけについていた。井沢先生がアコーデイオンをひき、ロシア民謡や美しい日本の唄を教えて下さった。20分位、歌の時間があったときもある。授業が終わる頃には、次ぎのクラスの子達が外に集まり出す。入れ替わる時に他のクラスの『美人や可愛い子』と出会うのが密かな楽しみだった。夏には2泊3日でキャンプがあった。この時初めてキャンプを体験した。テントを張り、そこでままごと遊びのように寝るのは楽しかった。同学年は全部一緒に行くので『美人や可愛い子』がイッパイ参加していて、それがもう飛び上がるほど嬉しかった。夜にはキャンプファイヤーがあり全員でスタンツをしたり、肝試しをした。昼間は水泳や、フォークダンスである。このフォークダンスというのもこの塾で教えて貰った。メッチャ楽しかった。お目当ての『美人や可愛い子』が廻って来たときは、胸がドキキュン、ドキキュンとした。
『美人』の手は『手も美人』だった(あー思い出す)。塾では年に一度、小学校の講堂を借り切っての『学芸会』もあった。
この塾のモットーは『よく遊び、よく学べ』でホントニそれを見事なほどに実践していた(今はどうか知りませんが、多分脈々と続いてるでしょう)。ボクはその考えをベースに『よく働き、よく遊べ』という人生観に行き着きました。ボクが生涯に出会った『教育者』で最も敬愛する人は、この井沢督二塾長です。今の教育の荒廃を見る時、こんな先生が学校に沢山いたらなーといつも思っています。

06月09日(土)17:49:39 はれ 町工場物語 No 68
『町工場物語』

長田には、ゴム会社が多かったが『町工場』もたくさんあった。ウチもその一つだった。町工場は殆どが川崎重工や、三菱重工、神戸製鋼等の下請け、孫請け、ひ孫請けだ。『町工場のオヤッサン』は皆、それぞれが個性的だった。一人で旋盤などの機械を買って、小さな場所を借り独立している人もたくさんいた。腕さえ良ければ、仕事はいくらでもあった。高度経済成長期である。うまく切り盛りした人は『家』を建てていた。『オヤッサン』は、皆頑固だった。でも情に厚い人が多かった。それぞれでよく『融通手形』のやりとりをしていた。出来る限り助け合っていたのだ。『須磨金のオッサン』『柳瀬のオッサン』『赤松のオヤジ』『梶本のオヤジ』『岡田君』まだまだ沢山いるが、もうみんなドラマに出てくるような個性溢れる人達だった。『須磨金のオッサン』は元々『よせや』から身を起こし、大きな金属材料屋さんにしたてあげた人だ。人情味溢れる人で、工場の敷地の裏にたくさんアパートを持っていたが、貧乏な人の家賃の滞納にはかなりの温情で対処していたのを知っている。資金面では、ウチの父がよく助けて貰っていた。大きな商売をしているのに、『アバラヤ』のような汚い家に住んでいた。『柳瀬のオッサン』はこれぞ偏屈の見本というような人だった。一人で溶接屋をしていた。いつも機嫌が悪く、仕事を持っていっても、返事ヒトツしない時もあった。でも、たまに機嫌が良い時は、『お茶でもいこか』と直ぐ近くの喫茶店に連れて行ってくれた。大学生だったボクによく『後を継ぐのか?』と聞いた。付き合ううちに、この人が『沢庵和尚』のような人に見えてきた。宗教の世界、哲学の世界にメッチャクチャ詳しかった。口は悪いが、いつも真理をついていた。気が短いどうし、ウチの父とよく喧嘩をしていた。でも言い分は『柳瀬のオッサン』の方が正しかった。今思えば『哲人』のような人だった。『赤松のオヤジ』は名前が示すように播磨の豪族、赤松一族の末裔である。いつも背筋をピンと張り、何があっても動じぬという感じの人だった。20代の息子二人と共に商売していた。不景気な時もどっしりと構えていた。ただ、息子二人はちと頼り無いタイプだった。『梶本のオヤジ』は典型的な『商売人』だった。いつもエネルギッシュで、大きな声で、長田でもトップクラスの町工場だった。いつも最新機械をそろえ『どれほど資金があるんやろ?』と周りを思わせた。高利貸しもしているという噂もあったくらいだ。いつも戎さんのようにニコニコしていた。事務所には、いつも美人の事務員を置いていた。『岡田君』はボクより10才位年上なのだが、ウチの父がそう呼ぶので、ボクもそう呼んでいた。彼は、努力家の見本だった。中学校出てから、町工場に就職し、腕を磨き、30才位で旋盤一台買って独立し、ウチが新聞で『旋盤工募集』の広告を出した時に、『仕事あるなら、廻して』と自転車に乗って、突然訪ねてきた。彼が独立して間がない時である。それから付き合いが始まった。その後ウチの『最も信頼できる下請け』となり、家族のような付き合いになった。ウチが商売を辞めた時に、ウチの要らなくなる機械をスベテ彼にプレゼントした。そしてウチの親会社を紹介し、ウチの仕事を引き継いでもらった。彼はその後、西区に3階建ての自宅件工場を建て、今でもその親会社と取引が続いているそうだ。

06月09日(土)13:39:39 はれ 許せない No 67
『許せない』

いつまでこういう、やるせない、許せない事件を見させられるのか。『善、悪の判断がつかぬ状態だから、無罪』だという。それで間もなく又、野放しにする。どれだけ今まで『精神病院を退院して・・・』というヤツや、『精神科の病院』に通院云々のヤツの殺傷事件を見てきたことか。『善、悪の判断がつかないから、隔離』だろが。今まで何人がこういうヤツの犠牲になったんや。いつもニュースで隣り近所の人のコメントが出て『奇声を発してた』とか、周りに迷惑をかけてたとか、兆候が出てる場合が多いし、『防ぐ方法』は考えたらあるのと違うか。兎に角、もう法律を変えらなイカン。『善、悪の判断がつかん場合は、隔離』じゃ。昔の『島流し』を復活してもイイのと違うか。

06月09日(土)12:04:00 はれ 長田下町風情:VOL3 No 66
『長田下町風情:VOL3』

近所にある『三角公園』と『新長田駅前』には夏には必ず『夜店』がでた。前者は1と6の付く日、後者は3と8の付く日である。いつも滅茶苦茶、楽しみだった。『三角公園』は震災の時に有名になった、鷹取駅南地区である。この公園で火勢は止まったがここから東はほとんどが燃え尽きた。この地区も、ボクは大人になってから、震災前までに何度も来ていた。この地区の『算盤塾』には、小学校6年の時通っていたしこのあたりは『庭』だったからである。夜店に行くときは、浴衣を着て、首にイッパイ『テンカフ』を塗って貰って行っていた。今時、見ない格好である。お小遣いは20円〜30円。殆どの単価が5円位だから、イロイロ買えたし遊べた。いつも子供でイッパイだった。夏には盆踊りもあった。この風習は今でも殆どの地区で残っているようだ。この盆踊りの時にボクは初めて『異性のフェロモン』を感じたように思う。綺麗なおねえさんがイッパイいたのである。秋には、近くの『権現さん』と呼ばれる神社の秋祭りがあった。小学校5年生から神輿が担げるので参加した。夜何度か、近くの公園で練習があった。『シャーントセー!シャーントセー!』と何度も神輿を高く掲げる練習をした。そんな練習の合間にある出来事があった。同じアパートに住む、同学年の女の子で清楚な美人タイプの『平松良子ちゃん』とお転婆のおませな『立岩正子ちゃん』がボクに会いに来たのである。練習を抜けて3人で町内を散歩した。暗い夜である。『変な感じ』を味わった。その頃ボクはその『平松良子ちゃん』が好きだったのだ。だけど、その頃はそう思っているだけでイイ頃でした。でもその夜は何か『疼き』を感じました。思えば、コレがボクにとっての初めての『デート』だったかもしれない。でもどうしてあの時二人でボクの所へ来たんだろう・・・





06月08日(金)17:32:36 はれ 長田下町風情:VOL2 No 65
『長田下町風情:VOL2』

小学校一年から六年までは若松町8丁目8番地の湊川荘というアパートに住んだ。ここはもう今は無い。加藤さんという韓国人の経営するアパートで60世帯位の住む大きなモノだった。勿論そのアパートの入り口は加藤さんの経営するゴム会社だった。ここは、前の家と比べれば快適な家だった。窓はガラス窓だった。6畳と3畳と小さな土間の台所があった。
台所には、セメントで出来た流し台があった。都市ガスも来ていた(前の家はかまどだった)。ここもやはり韓国、朝鮮人がたくさんいた。彼等はいつも口癖のように『朝鮮、朝鮮、バカするな、同じメシくてどこ違う』と唄を歌うように言っていた。ボクらは、皆仲良しだった。九州や四国、沖縄、奄美大島などからの移住者もたくさんいた。皆いろいろな方言を使っていた。沖縄や、奄美の人からはよくサトウキビをもらった。スゴク美味しかった。小学校4年までここから越境入学で前の家の近くの学校に一時間かけて歩いて通った。その小学校は『志里池小学校』といい一昨年『廃校』となった。生徒数が少なくなったかららしい。行き帰りの道で不思議と『お金』をよく拾った。だからいつも道のハジッコの溝(ドブ)を見たり、下ばかり見ながら歩いた。アパートに神野さんという韓国人のオジサンがいて、内の父と負けないくらい『気の短い人』だった。大きな声で『暴れてる』のは内の父か神野さんかどっちかだった。大人の女の人は、夏には殆どスリップ(下着)だけで外をカッポしていた(眩しい人もいた)。家の中にいるとよく『外から聞こえる響き』があった。夏の早朝は毎朝『あーさりややー、あーりゃりゃー』と枕に響いた。アサリ貝の行商人である。自転車で廻っていた。昼間によく聞いたのは、『たまちー、たまちー』である。これは、所謂廃品回収で古着、古新聞などを安く買い取っていた。大体おばあちゃんが天秤棒を持って、大きな風呂敷を担いで廻っていた。『たまちー』は『たまっていないか?』という意味だろう。『さおだけー、さおだけー』もよく来た。これは洗濯物を干す竹ざおの行商だ。重そうに数十本の太い、長い竹を担いでいた。『麦茶に、はったいこー』もよく来た。やはりおばあちゃんが風呂敷に『麦茶とはったいこ(麦の粉?)』をたくさん入れて担いで売りに廻っていた。火事も長田の名物だった。とにかくよく火事が起きた。ほとんどがゴム会社が火元だった。サイレンが聞こえて飛び出すと、大体近くの走っていける距離だった。よく見に行った。夜はその方面の空が真っ赤だった。この時は思ったより現場は遠かった。ゴム会社はシンナーや引火物の薬品が多いため、よく燃えた。いつも周りの大人は『あれは、保険金目当ての放火やで』とよく言ってた。ある時『火事やでー!』という男の人の叫び声で目がさめ、飛び起きると窓の外が真っ赤になっていた。家主の加藤さんのゴム会社から出火したのだ。夜中の2時ころだった。玄関のほうは真っ赤なので家族皆、裏口から逃げた。父親は買いたてのテレビを外に運んでいた。アパートの半分が全焼した。幸いウチの家は無事だった。でも震えながら、燃え崩れ落ちるアパートを見ていた。こわごわウチに帰っても未だ、目の前の家がパチパチとくすぶっていた。また消防車が来てくれた。一週間以上はずっと焦げ臭いにおいがそこら中に残っていた。独特の臭いである。結局残ったアパートも取り壊すことになった。当初からその計画だったようでもあった。そして間もなくそこは立ち退きになった。



06月08日(金)12:36:14 はれ 長田下町風情 No 64
『長田下町風情』

昭和30年代の神戸の下町『長田』のおもいでを綴ろうと思います。アパートや『文化住宅』が密集し、隣りには殆どゴム会社がありました。ボクが最初に思い出す場所は、と言うよりそこから『記憶』が始まります。最初の記憶は母親の『ねんねこ』のなかでした。背中におんぶされていた時『可愛い子・・・』と誰かが言ってたのを憶えています。そこは大きな鋳物工場の広い敷地のなかの一番奥まったところにある、アバラヤでした。6畳一間位の板の間と小さい土間の台所(といっても水道があるだけ)だけの壁は板を張っただけの家でした。窓も板をつっかい棒で止めて開けるものでした。若松町一丁目八番地です。今でもこの鋳物工場はそのまま操業しています。隣りというか、工場以外は家とその家しか敷地内には無かったのですが、『隣り』はこの工場の恐らく社長さんの家だったと思います。大きな家でパーゴラ付きのテラスがあり夏にはいつも葡萄がたわわに実っていました(盗んだことあります)ピアノもあって時々聞こえていました(この頃長田でピアノのある家なんて殆どなかったと思います)。なんて神様は残酷ないたずらをするのでしょう。貧乏とお金持ちを隣り合わせに住まわせるなんて・・・とは今だから思うことですが。その敷地の裏は、韓国、朝鮮人がたくさん住む長屋でした。勿論大きなゴム会社もありました。小学校一年生まで此処に住んでいましたが、いつも裏の長屋の細い路地で遊んで(いや、遊ばれて)いました。ボクがそこへ行くと皆で『マーキー、まんじゅう持って来た』とはやし立てるのです。いつもそう言われました。中学生くらいの大きい子が『バイ』をするのをよくじっと見ていました。鋳物でデキタ小さなコマをミカン箱をひっくり返したところにゴザを敷き、少しへこませたところでその『バイ』を回してぶつけ合い、ゴザからおいだされたら負けで、そのバイは相手に獲られるのです。よく泣かされもしました。でもその頃は必ず『やめたらんかい!』と言う正義感の強い子が周りにいました。この頃、みんな鋳物工場に入って磁石をヒモでくくりそれを引きずって鉄を集め、『よせや』に持って行ってました。空き缶をイッパイにすると5円位貰えたのです。当然ボクもやりました。隣りのお金持ちの家にはボクより一才位下の『マユミちゃん』という可愛い女の子がいました。ボクは多分時々いじめていたと思います。その子はいつも『そんなん、あくけーや』とヨク言っていたのを憶えています。『そんなことしたら、イカンやないか!』と言う意味です。鋳物工場の一角に大きなドラム缶があって防火用水が貯められていました。濁って、アブラも浮いてる汚い水でした。ある時近所のガキ共と遊んでる時、『この水が飲めるか?』という事になり、アホなボクだけ飲みました。どうなったか憶えていません(ナントもなかったかも)。幼稚園まで歩いて(小さい足で)5分位のところです。多分、台風が来てるとき、傘をさして一人で暴風雨のなか行きました。幼稚園は当然休みです。入り口の門は閉まってたと思います。先生が見つけた時は門の前でボクは倒れていたそうです。幼稚園で母親が迎えにくるまで寝ていたのを憶えています。この頃、母は当然ながら近所のゴム会社で、朝早くから夜遅くまで働いていました。アバラヤは冬になると滅茶苦茶寒かったのを憶えています。板を張っただけの壁ですから隙間風だらけでした。衣類や新聞等をフトンの上にイッパイ置いて寝ていました。こんな貧乏な家なのに泥棒が入ったことがあります(何を獲るもんがあるねん)。なんで隣りの金持ちに入れへんねん。変な泥棒やで。


06月07日(木)14:34:15 はれ 軽井沢のジョン・レノン No 63
『軽井沢のジョン・レノン』

毎年、夏には軽井沢へ行きだして10数年になる。夏の定番旅行となっている。万平ホテルという古いホテルに大体3日〜5日泊まる。後で聞いたのだが、ここにジョン・レノンもよく泊まっていたそうだ(オノ・ヨーコはいつも小野家の別荘に泊まったそうだ)。しかも、ボクらはいつもアルプス館というホテルでも又、一番古い部屋を取るのだが、彼もいつもそうだったらしい。部屋は和洋折衷で、部屋の中がやや傾いている位古いのだ。でもボクらは、そのレトロ感が好きなのです。
軽井沢へ行った人はヨクわかると思いますが、緑の深さが全然違うのです。たくさん繁る木々も背が高く、『緑に包まれる』という感じになります。コレが又たまらなく好きです。ある時、ダンデム車(二人乗り自転車)で南軽井沢方面を散策してると、木々に囲まれたスゴク感じのいい『喫茶店』を見つけ、その店のウッドデッキの一番奥にある席をとりました。デッキから見える景色は深い森です。所々にリスのエサが置いてありました。先ずボクは『自家製ブルーベリージュース』を注文しました。しばらくして、お店の中を見渡すと壁になにかイラストのような絵がかかっていました。そばにいってみると、それは、この店に来たジョン・レノンが、ココで描いた息子や自分のイラストでした。へーっと思って見ていると店のママさんが『ジョンが好きですか』って聞くので、まあ嫌いでもないから『ハイ』と答えました。席に戻り今度は『コーヒー』を注文しました。その時です、ママさんがボクの席まで来て一通の手紙を見せました。その手紙はオノヨーコがママさんに宛てた手紙でした。それにはこう書かれていました。ジョンが凶弾に倒れて数年後、オノヨーコが一人でこの店にきたそうです。勿論ジョンの面影を求めてです。2時間位いたそうです。そして帰ろうと立ち上がった時に突然ジョンが現れたそうです。そしてヨーコに『ヨーコ、ちょっと待って』と言ったそうです。その時ママがヨーコの前に現れ『これ、ジョンが最後にこの店に来られた時に忘れて帰った、ライターです。貴方にお返ししときます』と言ったそうです。ジョンはいつも首からヒモでつるしたライターを持っていたそうです。その時の様子や、オドロキ、喜びを
オノヨーコがママさんに書いた手紙だったのです。ボクは感動しました。そしてママさんが言いました。『ジョンもいつも、貴方が今座っているところに席をとり、ずっと森をながめていました。いつも3時間位いました。万平ホテルの自転車で来て、帰りは秘書の人か、ヨーコさんが車で迎えにきていました。ジョンもいつも最初は、ブルーベリージュースであとコーヒーだったんですよ』と。ボクはオドロキでサブイボがたちました。その店の名は、『離山房』といいます。その時から毎回必ずたちよる店です。


06月07日(木)10:36:48 くもり 田中外相問題 No 62
『田中外相問題』

いろいろ、議論噴出状態だが、おおまかに聞いてると、『コレまでの政府声明を越えてる』だの『勝手な思いつきでしゃべってる』だの『アメリカのとの外交に悪影響』だのとある。ボクは彼女の言ってることが正しいか、正しくないかは別として攻撃されてるポイントが、戦後から、今日まで脈々とつずく『日本の外交』と関わりを強く感じるので、書きます。常に日本は『事なかれ主義』『問題先送り』『臭いモノにフタ』『お詫び外交』『先例主義』でやり過ごして来たように思います。以前は、外国の首相や、大臣が日本を批判する発言があった時は、あわてまくり、口をつぐんでしまったりと言う外交じゃなかったか?つまり官僚主導の『先例主義』による外交にまかせきりだったのではないか。『黒船騒動』の時と相も変わらぬ『腰抜け外交』をやってきていたではないか。常に批判を気にし、金だけをドンドン、ドンドンばらまいて築いてきた外交ではないか。今の外務官僚のやっている裏リークは誠に持って『弱虫だけど、直ぐ先生に言いつける』嫌われ者のしてることではないか。『外務大臣』である。日本外交の責任者である。その考えは新しい政府の考えとしてまな板にのせるべきである。『アメリカ批判』大いに結構じゃないか。いよいよ対等に付き合うべき時が来たなと感じさせる。『先例』は新しい『例』が出来れば『先例』となる。そういえば新聞によると、田中さんと外務官僚の以前のやりとりにこんなのがあった。『あなたは、国家公務員法を知らないのか?さかのぼっての処分は出来ない!』と外務官僚が例の機密費事件の処分の件でほざいたらしい。それなら『国家公務員法を改正して、処分できるようにするのが政治家の仕事』なのである。官僚というのは『前』をあまり見ていないのである。



06月06日(水)15:08:56 あめ 県は、要るか? No 61
『県は、要るか?』

ボクの教養はシレテマス。歴史も余り詳しくありません。すべての知識も浅いです。でも『なんでやろ?』というアマノジャク精神は人一倍です。神戸市という『政令指定都市』に住んでいるからこんな事考えるのかもしれません。生まれてから50年経って、『県庁』に必要な事があって行ったと言う記憶がありません(県警はあります、エヘッ)。県会議員選挙も何度も手がけてますし、神戸市の県会議員も知っていますが、彼等も『仕事は少ない』と言ってます。思えば『廃藩置県』により『県』が生まれて100数十年が経ちました。『県』という区画の線引きはいにしえの頃からの地域割も参考にしてるようです。『県』という組織は本当に必要なのでしょうか、最近つくづく思っています。この間、貝原知事が突然辞職を表明し、井戸副知事を事実上の後継指名をしています。そのウラにある『権力の構図』をかいま見るとよけいに声を大に書きたくなりました。『県』の大きな仕事はその職員数でわかるように『警察』と『教育』です。ここだけで約50000人います。あと一般行政部門に約10000人です。年間に何兆円もの予算が使われ、そのうち人件費は30%位だと思います。明治時代には郡役所というのがあったそうです。今は○○郡という呼び名はあっても役所はありません。兵庫県を5つくらいの政令指定市に分割、再整理すれば事実上の『県』は必要なくなるかもしれません。警察や教育をはじめ、消防、斎場、上下水道、環境事業(ゴミ)などは『広域行政システム』としてとりあえずその『県』単位で新しい組織をたちあげヒトツに統括すれば良いのです。そうすれば現在の『県』予算から年間数千億円の血税の削減が出来ることになるかもしれません。


06月06日(水)11:27:25 あめ 宗教の話し No 60
『宗教の話し』

国会議員の事務所に15年もいると、あらゆる世界の人達と知り合う事が出来ます(その政治家にもよるが)。そんな中で所謂、新興宗教の団体との付き合いもありました。変な話しですが、代議士は(特に自民党の)それぞれの団体の信者となり、その団体の信者さんの票をいただくのです。ようもまあ、罰があたらんことやとも思いますが、罰は当たりませんでした。クールに見て『この団体はチョットおかしいな』『この団体はなかなかのモンやな』と勝手な診断をしていました。意外に驚いたことは、結構、大企業の社長さんとかや、社会のリーダー的な人もいろいろな宗教団体に入信していたことです。ボクの価値観でいくと、そういう人は『自分が神様』と思ってるようなタイプだと考えていたからです。いろいろなそういう情報がはいってもきました。『あの有名な○○氏は○○に入ってるで』とかの話しです。へーっと思うような人もありました。大体、ボクなりの勝手な評価は、『毎月の会費』が安い団体は『マトモ』かな・・・と思っていました。『寄付』も強制でなく自由なのもそうです。それと、勝手な話しですが『政治家と付き合う宗教団体』もチョットオカシイな・・・とも思っていました。組織としてキッチリと確立されてる宗教団体は『企業』と同じでした。独自のブランドの野菜を信者に宅配したり、集まった膨大な寄付金で美術品を収集し『美術館』を建てたり、『ナンのコッチャ』と思うのもあります。でも『一般の信者さん』はどこの宗教団体でも所謂『真面目』な人が殆どでした。気の毒なくらい『真剣』に信心されていました。一番オカシイと思ったことは、教祖が亡くなった時の『世襲』です。本来なら、その宗教の教祖の一番弟子が継ぐべきでしょ。と言うよりボクは、教祖が亡くなった時点で、本当なら一旦、解散すべきとおもうのです。あくまでも『教祖の考え方』は『教祖』しか解らないと思うのです。『組織』が出来てしまうとその『組織』のほうが大切になってしまうのです。キリストや仏陀や昔の偉いお坊さんたちは、決して『組織』を作ってないと思うのです。彼等を慕って集まる『弟子』はいたかも知れません。だけど彼等は修行も恐らく『ひとり』でしたはずです。本当の宗教は、『組織』も『団体』も作らず『ひとり』でするもの・・・と思うのです。

06月05日(火)15:01:51 あめ 小泉人気 No 59

『小泉人気』

選挙でよく世論調査の仕事を受けます。結果を見るたびに思うことがあります。『支持率の共通性』ということです。政党の支持率なんか特にそうです。どの地域を選んでも、同じような支持率になります。以前は都市と純農村ではやや違いましたが、最近はほぼ似た結果になります。意識のレベルが似てきているのです。又、似ているどころか『共通の意識』がはびこっているという感じがします。ボクが考えるところの『意識波動の伝播』というのがあるようです。意識波動はスベテの人間が出すことが出来ますが、勿論何も考えていない人や、意識を持っていない人は波動を出していません。又、同じ考え、意識の人でも体機能的に強い波動を出す人、波動の弱い人もあるようです。ボクは強い波動を出す人が、全人口の数パーセントいるだけで、ほぼ何も考えていない人や、弱い波動の人を洗脳出来るのではと考えています。この考えはボクの選挙戦略にもとりいれています。又、テレビというのは、強力な波動増幅機です。例えば、ニュースステーションで強い波動を出す人が、強い考えと意識を持って、それをテレビという強力波動増幅機を使って全国に波動を流すと一瞬に、かなりの人が洗脳されます。小泉人気の支持率90%というのは、あまりの異常です。皆が皆、同じ方向を向いてたら、『オレはコッチを向く。』というアマノジャクがいなくなったように思います。調査の仕方にも問題があるようです。回答が『支持する』と『支持しない』の2者択一が殆どで、『未だ、何とも言えない』があったり『未だ決めれない』の回答があれば、どういう結果になったか解りません。マスコミを基本的に100%信用してはダメです。小泉氏は今のところ、彼なりにガンバッテいますが、彼の歴史が彼の行動の限界を証明しています。彼は、ついこの間まで森政権を最後まで支え、森派の会長として森さんの擁護をし続けた人です。とてもじゃないが、当時(と言っても、まだ2ヶ月程前のことですよ)は『国民の視点』に立った政治家ではありませんでした。なぜか、今は『国民の視点に立った政治家』としてマスコミまでもてはやしています。兎に角まだ、評価は早い。参院選後の動向を見てからだと思います。彼が本当の『改革者』なら今の自民党を分裂させるところまでいくでしょう。そうなれば政界再編第3幕の始まりです。その時はボクも拍手喝采をおくります。

06月05日(火)10:01:48 くもり 死にかけた話し No 58
『死にかけた話し』

ボクは何度か死にかけた(誰や、死んどったら良かったのにと言うヤツは!)。最初は2才位の時、『疫痢』という恐ろしい病気にかかったそうだ。医者が『もう、駄目やろ』と見放してから、持ち直したそうだ。2回目は20才位の頃、父親を横に乗せて、軽トラックを運転中のことだ。場所は第2神明道路を大蔵谷で出て、伊川谷へ向かう長い下り坂をほぼ下りきった所にある信号で、何台かの車と信号待ちをしているときのこと。
ボクの車は最後尾だった。バックミラーに後ろから来る大型トレーラーが見えた。普通のスピードに見えた。チラチラ見てると、スピードの緩む気配が無い。ドンドン近づいてくる。スピードは緩まない。『アーッ!!』と思った時、大型トレーラーは気がついて急ブレーキと共に右にハンドルを切り、対向車線に反対向きに止まった。こんな時、すくむというか逃げ出すなんて出来なかった。まさかと思う気持ちもあり、動けなかった。隣りの父は、その恐怖を味わってない。ボクだけがバックミラーで見ていた。対向車線が遮断され大渋滞となったが、対向車線で一部始終を見ていたトラックの運転手が『良かったナー!危なかったで!』と笑いながら、言ってくれた。3回目は、ハワイでのこと。30才の時だ。後援会旅行でハワイに添乗で同行した。添乗と言っても旅行社の人がいるので、殆ど遊べる。
調子にのって、浮き輪に乗りワイキキビーチで遊んでいた。ド近眼のくせに(泳ぐから)眼鏡をしていなかったので距離感があまり解らない。プカプカと波にまかせて漂っていた。その時、大波がきた。浮き輪ごとひっくり返され、浮き輪は外れ陸からの強い風に追われて、沖のほうへ『ポーン。ポーン』と飛んでいった。『アリャー!』とまだこの時は事態の深刻さを呑み込んでいない。泳いで、浮き輪を追いかけたが、バカするように沖へ、沖へと飛んでいった。きびすを返して陸の方を見た。
遠くのほうに、ハイアットリージェンシーが見える。ド近眼だからボーット見える。かなりの距離がありそうだった。『兎に角、泳いで帰るしかない。体力を消耗せぬようにユックリと泳ごう』と決め、陸に向かった。途中、足下を見ると透き通って、底が見えた。深さ3〜5メーターはありそうだった。『ここは、足が着きそうだと思って、足をつけると立てる所もあった。深い、浅いと繰り返してあった。でも、浅いと思って立とうとすると足がつかないこともあり、こういうときはパニックになりそうだった。もうクタクタになってきた。『こんなとこで、死ぬのか?』と考えがよぎった。そんな時、前方20メーターくらいの所で外人のカップルを発見した。すかさず『ヘルプ!ミー!』と言いながらそこまで、力を振り絞り泳いだ。外人のカップルは怪訝な顔をして何か言っていた。安心して、足を立てるとそこはもうヘソくらいの浅瀬だった。多分外人は『ココ、足立つよ』と言ってたのだろう。ボクは『助かった』と独り言を言いながら、
浅瀬を岸まで歩いて帰った。

06月04日(月)14:39:27 はれ 悲しい話し No 57
『悲しい話し』

8年程前のことです。神戸の中心地、加納町の交差点で信号待ちしていた時、ふと横の車を見ると、石井はじめさんの車でした。運転手は、もう10年近く石井さんの運転手をしているH君でした。後ろの座席に石井さんは乗っていませんでした。久しぶりなので、ウインドウを開け『オーイ』と声をかけました。H君は人懐っこい顔を、より笑顔にして『オーッ』と叫びました。近くのロイヤルホストへ行きました。ボクが事務所を辞めてから、2年ぶりに会ったので、話しが弾みました。突然彼が『オレなんかでも議員になれるやろか?』と言い出しました。彼はこう続けました『今まで、代議士の運転手してて、いろんな選挙や、候補者を見てきたけど、オレが見ても、オレよりアホみたいなヤツが議員になってる。最近、何か、オレでもできるんちゃうかと思いだしてんねん・・・。』そして彼は、神戸の市会議員はどうやろと聞きました。いろいろ話しが続いてふとボクが『明石の市会議員くらいやったら、なんとかなるかもしれん』と言いました。彼は、暗闇に光明という感じで『ホンマですか?』と言い、『ちょっと、一週間ほど考えてヤマグチさんとこ訪ねていいですか?』と続けました。しかし、彼は翌日、ボクの須磨のアトリエに来て、思い詰めた目で、『一晩、考えた、ボクを明石の市会議員にしてください。言うとおり動きます。選挙まであと2年あります。どうかお願いします』と頭をさげました。2年間の彼は、本当に一生懸命でした。言うとおりのメニューをドンドン、エネルギッシュにこなしていきました。顔には自信も溢れてきました。2000票を越えれば当選圏内ですが、明石と言うところは、所謂『村型選挙』のところで、それぞれの現職がキッチリ固定票を持ってるおり、浮動票を掘り起こすにはかなり難しい選挙区でもありました。ですから、ボクは、彼の政策その他、かなり目立つように考えました。メインの政策は『神戸市明石区』というもので、神戸市との合併を打ち出したのです。又、ポスターも他の候補者は背広にネクタイばかりでしたが、彼にはサッカーボールを持たせ、サッカー選手のスタイルにしました。結果、見事に当選しました。
その時の彼の喜ぶ姿は言葉では表せないくらいです。運転手としては10年選手でしたが、秘書的な仕事は殆どしていません。ある意味見事な転身でした。その後よく議員バッジをつけてアトリエに訪れました。いつも嬉しそうでした。ボクもいつも『いい仕事したな・・・』と思っていました。ところが2年後、彼は自ら、命を絶ったのです。いまだに誰も原因はわかっていません。亡くなる一週間前にも、ボクに『もうすぐ代表質問するねん』と言って張り切って言っていました。子供も二人いました。奥さんもすごく優しい、賢い人でした。本当に人って解りません。でもあの当選したときの喜びを味わって良かったはずだ。あれだけ喜んでいたんだから・・・とボクは自分に言い聞かせています。


06月04日(月)11:16:07 はれ 失する人達 No 56
『失する人達』

ある意味、『成功』した人達の話しが続いているので、失敗した人の話しをします。とは言うモノの『成功』してる人でも、いつ『失敗』するかはわからず皆、紙一重の世界を生きています。皆、崖っぷちを用心しながら、手探りで歩いていると思います。S君も何度かは失敗を経験してるはずです。ただ、どうしようもなく『救われないタイプ』の失敗者もいました。その人達の名誉のため今、それぞれがどんな仕事や、『コト』をしているかはここでは、書けません。今思うに、彼等にはそれなりの共通点がありました。先ず、『人が良い』か『悪い』かで言うと、どちらかと言えば、『人の良い』ほうのタイプです。結構、他人の保証人にもなったりしています。又、その為にその『債務』を負わされ、つぶれていった人も少なくないです。もうひとつ大きな共通点は、どちらかと言えば『努力家』ではなく『怠け者』のタイプです。人生の分岐点の時に彼等は大体『安易な道』の方を選んでいます。決して困難なほうに『向かって行く』タイプではありません。それから、彼等には、程のイイ人間関係による『群れに属する』という癖もあります。所謂『仲良しグループ』を形成します。一人の努力家がコツコツやってると『そんなに、一生懸命にならんと、適当にしときや』というふうに近づき仲間に引き入れようとします。ただ、この『仲間』というのも、その時だけのもので、仲間割れも多々あります。大体、企業でもこの『仲良しグループ』が幅を利かすといずれ倒産します。


06月02日(土)12:21:52 はれ S君の話し No 54
『S君の話し』

代議士事務所というのは、選挙の度にたくさんの学生アルバイトを使う。だからその時に知り合って、選挙後も、そしていまだに付き合っている男の子が結構いる。だから長い付き合いの子は、もう20年近い付き合いである。なかでもS君は個性的な子だった。大学生の時に、マントを翻して神戸の元町をカッポしていたとも聞いている。いつもなにか挑戦的なまなざしをしていたようにも思う。彼には、彼を慕う後輩もいた。だからアルバイト集めにはよく役にたった。よく挑戦的にボクにいろんな事を質問した。政治にも少しは関心があったようだ。『熱血漢』という言葉の似合う男の子だった。でも大学卒業後は意外に普通の企業に就職した。でも神戸らしいファッション関係のおしゃれな会社だった。小さな会社だったのですぐに管理職になってたように思う。就職後も時々、何かしら会いに来ていた。そのうち、おとなしそうな美人と結婚し、そして数年後には離婚した。なにがどうあったのかは知らない。この頃、自宅が火事になったり、いろいろと身のまわりで大変な事が起きていた。会社も辞めたり、又辞めた会社が倒産したりと・・・振り回されていたように思う。しばらく顔を見ないなと思っていると、突然現れるというパターンが続いた。ある時は高架下でコンテナブテイックを始めたり。いろんな、記念品にネーミングを入れたのを売るという商売をしていたりしていた。でもいつも『オレの仕事じゃないな』と悩み、試行錯誤の毎日だったようだ。4年ほど前、又突然現れた時に、やや自信を持った顔つきで訪ねて来た。『イロイロ、やりましたけど、ボクには”食”しかない。メッチャ、食いしん坊やし、料理作るの好きやし、もうこれしかないとおもいますねん』と彼は遠くを見る目で言った。全額借金で大阪のアメ村の北の外れに最初のカフェレストランをオープンした。つぶれた材木屋の建物を一棟ごと借りた思い切ったものだった。何度か顔を出したが、いつも若い女の子でイッパイだった。『当たった』のである。間もなく2年後くらいだったと思うが、一号店よりもっと北の『こんなとこ誰が借りるねん!』というような普通のオフィス街のそれも倒産した紳士服問屋の5階建てのビルを一棟ごと借り、二つ目の店『ガーブ』をオープンした。コレも又バカ当たりした。彼の凄いところは、内装とかを全部、自分とスタッフでやってしまうと言うことである。それも店が終わって夜中にである。『エライナー』といつも感心した。その後は所謂『トントン拍子』というやつで、たったこの4年で、京阪神と東京とで計16店舗を経営し、注目される起業家としてテレビ、雑誌等に取り上げられている。

06月01日(金)16:12:50 はれ 代議士誕生 No 53
『代議士誕生』

彼が知人と共に、元町のトアウエストにあったボクのアトリエ兼事務所に訪ねてきたのは、やはり1991年の新春だった。彼は、まだ31才の時だ。『恰幅のいい』というタイプではなく、何処にでもいるような、等身大の普通の若者に見えた。話しを聞けば、1990年2月の総選挙に出馬、35000票位で落選したと言う。次点まであと50000票は足らないと言うほどの完敗である。しかしイロイロ詳しく聞くと『ようもまあ、そんな選挙で35000票も獲ったナー!』と驚くほどの、情けない選挙運動だった。松下政経塾を出たらしく、政治には結構小さい頃から、関心があったらしい。特にその『動機』の部分を詳しく聞くと、『障害者が身内にいて、社会的な弱者のために将来は働きたい・・・と思った』とか言っていたような気がする。見るからに、爽やかなタイプでこれからの政治家はこういうタイプの時代かな・・・と直感した。選挙運動には、印刷代をはじめ、かなりの経費がかかるが、『ところで、今お金は幾ら残っとるんや?』と聞くと屈託のない顔で『40万チョットですわ』と答えた。続けて『子供がもうすぐ2人目ができますねん』と言った。『大変やな、それ』とボクが言うと又、屈託のない顔で『そうですねん』と彼は答えた。ボクは内心、『コイツは、ひょっとしたら大物になるかも!?』とその時思ったのである。『これは、もう神様の引き合わせやな、コイツを兎に角やったれということやな』と悟り、タダ同然でコンサルタント契約を結んだ。金が無いので、出来る運動は限られる。数少ないメニューを彼は淡々とこなしていったように思う。約2年間、地道な運動が続いた。そして突然『風』が吹き出したのである。これはまさに『神風』であろう。『日本新党』が生まれたのだ。当時、今の小泉政権並の期待感があった。当然入党した。そして間もなく総選挙があった。そこで彼は自民党の大臣経験者を落とし、勝ったのである。その後連続して3回当選し、今では民主党の3回当選以下の約80名近い国会議員のなかの実質的なリーダーなのである。でも相変わらず『恰幅のいい』というタイプではない。未だ41才、次期政界再編では、必ずや、表に出てくるだろう。そして将来は、総理大臣も夢ではない。その名を樽床伸二。いい男である。

06月01日(金)11:38:29 はれ 阪神大震災:VOL2 No 51
『阪神大震災:VOL2』

震災の翌日、やっと電話とか通じだしたので直ぐに、裏六甲の母の自宅や、脳梗塞で入院している父の病院(母の自宅よりまだ北部)に電話をし、状況を聞くとそんなに被害は無いとのことでした。でも午後になって妻を車に乗せ、六甲山を越えて、母のところに行きました。いろんなところに小さなヒビは入っていましたが、大したことはありませんでした。母を乗せて父の病院に行く途中、パチンコ屋が営業していました(市内では考えられない事)。又、藤原台のダイエーも普段通り営業していました。買い物客も少なく、当然食料品は溢れるほど売っていました。ここでかなりの食料を買い込みました。神戸の北区(裏六甲)は有馬を除いて殆ど被害は無かったのです。そのダイエーから、父の病院はすぐです。病院もほぼ普段通りでした。当時の市内の各病院が修羅場だったのとは大違いです。ある意味一安心して御影のマンションに帰りました。一番困ったことは、トイレの水です。マンションの前を流れる溝の水を風呂場に貯めることにしました。飲み水はペットボトルの水が充分にありました。幸い、電気はすぐに復帰したので、電熱器が調理器となりました。歩いて2分のところに避難所となってる住吉中学校があり500人位の被災者が、避難していました。そこには食料が無料でいつでもありました。ただ、どこの避難所もトイレは酷かったようで、どこでするねん・・と言うくらい、ウンコの山だったそうです。何度か怖い余震もありました。心臓がドキドキしたものです。いつもヘリコプターの飛ぶ音が空イッパイに聞こえていました。一番嬉しかった時は、『自衛隊』が大挙入ってきたときでした。滅茶苦茶、頼もしく映りました。一週間後のやっと須磨のアトリエまで自転車で行くことが出来ました。往復6時間かかりました。途中、神戸の都心部の被災状況や、長田の焼け跡地区も通りました。もう自分の住んでる御影の山手地区との違いに驚愕の思いでした。当時のボクのアトリエは須磨の海岸線に立つ10階立てのリゾートマンションの9階にありました。マンションに着くと先ずビックリしたのが隣りの建物が全壊してペシャンコになってたことです。マンションも上から下まで幅5センチ位のひび割れが数本走っていました。『こら。アカンな』と思いました。部屋に入ると、部屋のなかのモノがすべて5メートル位移動していました。何故か大きな窓も全部空いていました。9階だからクルクル回るように揺れたかも知れません。でも絵は全部無事でした。粘土で作った魚は500匹位が死にました。ボクがこの石粘土で魚を作り出したのは震災の半年前からで、震災までに1000匹位作っていました。ボクの須磨のアトリエの床はその魚たちでイッパイでした。何故か口を大きく開けた魚を作っていました。やや、こじつけかも知れませんが、震源地は直ぐ目の前の明石海峡です。その海から魚たちがドンドン、ボクのアトリエに上がってきて『大地震が来るよ!危ないよ!』と言ってくれてたのかなー?と思ったりするのです。


05月31日(木)10:46:09 くもり 全国初の女性市長 No 50
『全国初の女性市長』

1990年の師走、元町のトアウエストにある事務所兼アトリエにある人の紹介で、恰幅のイイ老人の男性と、60才を越えた位の女性が訪ねて来ました。男性はついこの間まで芦屋市の教育長だった人。女性は同じく教育委員長だった人でした。芦屋市長選に出たいとのことだったし、男性の方ばかりしゃべるのでっきりその男の人が出たいんだ・・・と早合点していると『わし、ちゃいまんねん、この人でんねん』と、女性の方だったのでした。詳しく聞くと、『勝ち負けより、現市長に一矢を報いたい、現市長は自分の選挙の論功で、先月、ある人を教育長にし、わしの首を切った。・・・この教育委員長もそれに反発、同調してくれて辞任した。・・・』というような事だった。そして『ただ、この選挙、勝ったら全国初の女性市長になるんでっせ!』とまくしたてた。長い話をややボーット聞いてたボクは、ここで目が覚めた。『なに、勝ったら日本史上初の女性市長!?』ボクは、背筋に電気がはしりました。いっきに話しがまとまりコンサルテイングを引き受ける事になりました。選挙は翌年の4月21日が投票日です。小さい街ですから時間は充分あります。最初の選対会議を早速、招集し幹部を数名集めました。そして『先ず、ボクがついてることを絶対に誰にももらすな!プロが付いてると知ったら、相手陣営は警戒して、100%の力を発揮してしまう。とにかく素人集団だと思わせ、油断をさせろ!・・・いまから、必要な印刷物、プロモーションビデオ、カンバンなどの制作物のデザイン・印刷・製作にかかる。ほぼ出来上がり次第、正式な出馬表明の時期を決める。しばらくは、まず身の回りから意志表明をするぐらいに留めておけ・・・』と指示を出しました。約一ヶ月たち翌年の1月末までにほぼ制作ものは出来上がってきました。『記者会見は2月8日。』と決めました。その日にはスベテの制作物が出来上がってました。ここからでも選挙までは2ヶ月強の時間がありました。すべてがこちらの指示通り、順調に進んでいました。ところが3月の始めの選対会議に出ると幹部全員が『うなだれて』います。どうしたと聞くと『謀放送局の世論調査によると8:2で相手の現職の圧勝や・・というとる』とのこと。ボクは呆れて『当たり前やん、運動始まってまだ3週間ほどやで、向こうは現職やで、しかも向こうは自民、公明、社会、民社、など共産党を除くオール与党体制やで、それだけでなく芦屋の各種団体、経済、商工団体等約300団体が推薦出してんねんで、それに市会議員もほとんどが向こうについとるんやで・・当たり前やんか!』と叫びました。この時もその後も、我が陣営には表だっての支持、支援はどこの団体からも殆どありませんでした。『兎に角、これからです。ボクを信じて、ボクの言うとうり動いてください。未だ勝ち負けは何とも言えませんが、イイ闘いには必ずなりますから・・・』と勇気づけました。皆それからボクの出すメニューを、着々と実行し、ボクが出すノルマの倍以上の数値を上げてきました。ボクは心のなかでは『たいした人達だ、見上げたもんだと感心していました』世間では、相変わらず素人集団の集まりというふうにつかんでいました。そして告示一週間前になり独自の世論調査を実施しました。知名度は互角、支持度は6:4となってました。しかし精査すると『決めてるけど言えない』人が、普通の基準の倍以上もいました、現職市長との一騎打ちです。しかも表向きすべては向こうについてます(各政党、各種団体など)。そんな時に『決めてるけど言えない』はこっちの可能性大です。それを加味して支持度を再評価するとひっくり返ります。告示の3日前に調査結果を持って選対会議を招集しました。その結果を丁寧に説明し、ボクは候補者に『勝ったら、世間が大騒ぎになる。全国初の女性市長や!市長としてのコメント考えとかなあきませんで・・』と言いました。そしてその日から10日後には、芦屋で全国初の女性市長が誕生したのです。翌日のテレビや新聞などは、もう何かをひっくり返したような大騒ぎ。海外のマスコミにまで取り上げられていました。


05月30日(水)15:19:42 あめ 市長誕生 No 48
『市長誕生』

選挙コンサルタントと言う仕事は、日本には未だ殆ど定着していません。ボクがつかんでるだけで数社しか企業としてはありません。アメリカでは、弁護士業のように社会的地位も高く、驚くほどの数の企業があります。例えば大統領などは数10社のコンサルタント会社と契約するのが普通です。上院議員も下院議員も複数のコンサルタント会社を抱えています。日本には会社は少ないけれども、所謂『選挙ゴロ』的な、才能もない、間違った戦術を教えたりの・・・なかば詐欺師的な輩は少なくありません。ですから実績がモノを言います。ボクが会社を設立したのは『オリ』から出た翌月です。でも裁判が始まりましたので、活動は自粛です(選挙違反で捕まり、選挙の会社を興す訳ですから)。その年、1990年11月30日に結審し、懲役1年10ヶ月、執行猶予5年の判決がでました。責任者としての厳しい判決です。判決を貰ったその日の夜、政界では有名な、あるフィクサーから電話がありました。『ご苦労さんやったな! ちょっとウチに来てくれるか』・・・よく知ってる人なので直ぐにその人のウチに行きました。応接間には既に一人の客が待っていました。フィクサーは『彼は○○市で、市長選に出る。選挙は来年の2月、もうすでに今年の夏から動いてるが、マダマダだ。・・・』と詳しい状況分析をボクに話ました。市長候補のその人は、深刻な顔で『この間、謀放送局の世論調査によると候補の中では、5:3:2:1で私は4番目のその1らしいです』と言いました。5は現職の市長、3はある県議、2は共産党の候補者、で本人は1だそうだった。あと、丸まる2ヶ月しかありません。詳しく今までの運動方法と組織を聞くと『そりゃそうやな』という感じでした。これがボクの判決後の最初の仕事でした。契約書も交わさぬまま、即『手』を入れました。みるみる組織としても動きは変わったはずです。告示の一週間前の1月末頃、独自で世論調査を実施しました。告示の前日、集計が出て候補者と早朝に会い説明しました。知名度は現職とほぼ並び、支持率では現職を7ポイントも上回ってトップになっていました。候補者は信じられないと言う顔をしていました。『ホンマですか?コレ』と何度も聞きました。その日から一週間後には彼は市長になっていました。

05月30日(水)12:11:43 あめ 阪神大震災の時 No 47

『阪神大震災の時』

その前日の夕方、ボクと妻はあの長田にいました。いつもよく行く『青森』というお好み焼き屋さんで『そばめし』を食べ(ちなみに今、全国的に有名になったそばめしはここの店のおばあちゃんの考案で始まったのです)、機嫌良く、懐かしい長田の街を散策していました。例えば、この時グラットきていたら死んでたかも知れません(この界隈は殆ど、焼け尽くされました)。夜8時頃、東灘区の御影にあるマンションに帰りました。夜10時頃、近所に住む衆議院議員の高見裕一氏が会合で貰ったと言って『高級チョコレート』を持ってお茶を飲みにふらっと訪ねて来ました(これが、非常食となる)。小一時間ほどいて彼は帰りました。普段と変わらずその後、就寝しました。ボクは暗い時に、目が覚め時計を見ると午前5時でした。それから眠っていません。『オシッコがしたいけど、どうしょうかな、起きたくないな・・・』とずっとフトンの中でウジウジしていました。その時です。何か最初は『ゴーッ・・』という響きを感じました。間もなく外に青白い光が走り、『ガン、ドスン、ドスン』と体を浮かせる程の、非常に強い、今までに味わった事のない衝撃がありました。とっさに隣りでスヤスヤ寝ている妻を起こし、すぐ引き寄せ、ボクの体の下に妻を被い、フトンを上から被り揺れが収まるのを待ちました。ガチャン、ドシャンとモノが割れる音や倒れるおとが聞こえました。凄く長く感じる時間でした。『死ぬかも知れない・・』と思いました。実際はおよそ40秒くらいだそうです。午前5時47分です。妻はこの時のことを殆ど憶えていません。揺れが収まり、懐中電灯でウチのなかを見渡しました。食器棚が倒れ、ほとんどの食器が割れてました。意外にそれ以外の被害は余りありませんでした。ガラスの破片に注意しながら部屋を探索し、トイレへの通路が破片だらけで行けそうもない・・と悟ったので、ベランダに出て、外の様子を見ながら、オシッコをしました。外は、意外に静かでした。ウチは阪急沿線より北側で被害の少ない、地盤の堅い地域だったのです。それからすぐにラジオをつけました。NHKで『東海、名古屋地方で大きな地震があったようです・・』と、第一報が流れました。地震発生から10分後位です。それから又10分後位には『』京都、大阪で震度5の地震があったようです・・・』という報道でした。マダ外は静かでした。二人は又、『明るくなるまで寝ていよう』と言う結論に達し寝ました。7時半ころには薄明るくなってきて、目がさめました。窓の外を見ると、煙が上がってるのが見えました。『アレーッ、火事かな?』とやっとこの頃のニュースで、『阪神間の大地震、震度7・・・』と流れ出したのです。部屋の中の掃除を済ませ、外へ出ました。ウチのマンションの近くは目立った被害は余りありませんでした。マンションへ戻りしばらくすると高見代議士が『オーイ無事か?』と訪ねてきました。そして彼は『こんな時、おれはどう動けばいいんや?』とボクに尋ねました。ボクは、『市か県の対策本部が出来るはずだから、そこに入って、国とのパイプになればいい』と言いました。彼はその後、東灘区から中央区の市役所までずっと歩き、途中救助活動をしたり、総理官邸に電話を入れたりして現場の生の声を送りました。彼が災害対策本部に着いたのは夜遅くだったそうです。お昼前に妻と二人でJR住吉駅のあたりまで様子を見に行きました。所々で火事になってました。歩いてる人もかなりいましたが、皆、『夢遊病者』のようでした。
山手幹線より南は考えられないほどの大被害でした。住吉駅前の生協本部のビルも粉々になってました。家はほとんどが倒壊していました。午後になって、大阪の樽床伸二代議士から電話が入り『どうですか?』というので現状をかいつまんで報告をしました。大阪は、揺れはひどかったが被害は殆ど無く、かなりの『感覚のギャップ』がありました。実はボクはこの日の夕方に東京で樽床代議士の選挙対策のことで小沢一郎代議士と会うことになっていたのです。その会議に『来れますか?』という質問が出たくらいですから、かなりのギャップです。当然、新幹線も止まり、飛行場への道もズタズタなのですから、ただその情報がニュースでは未だ流れて無かったのです。この日から約3ヶ月にわたる耐乏生活が始まるのです。

05月29日(火)16:12:11 はれ 代議士秘書時代のこと:VOL3 No 46
『代議士秘書時代のこと:VOL3』

代議士秘書にはいろんな人達が、いろんな事を頼みに来ます。後援者や、知り合いは当然としても、いわば見ず知らずの人なのに、とんでもない事を頼みに来たりもあります。ある種、有名になった芸能人に会った事もない親戚から電話があったりする・・とかと似ているとこがあります。依頼に来る時点で彼等はあたかも『後援者』のような顔で来ます。特に選挙が近くなってから来る輩は、大体ロクな奴がいません。『足下を見ています』。普通、事業やその他『マジメにコツコツ生きている人』に政治家の力は殆ど必要ありません。しかし、やはり『左回りの渦をドンドン巻いてる人』は特に積極的に近づいてきます。『何かの時に役に立つ』と考えるのです。政治家のほうもギブアンドテイクで献金や集票をしてくれたら彼等と積極的に付き合います。よくいつも政治家が一番悪人のように思われてますが、企業家のほうがもっと上をいくかもしれません。勿論すべてがすべてじゃないですよ。ところで政治家にいろんな事を頼むとどうなると思います?これが、今の世の中は出来ることも多いのです。21世紀にはいって、だいぶん政治も改革されてきましたがボクが現役の頃はバブル全盛期の頃でしたからスベテが変でした。勿論絶対出来ない事もあります。しかしそれを出来ないとすぐ返事したら終わってしまうので、『気を持たせ』『努力したふりをし』『ダメでした』となるのである。そのダメも依頼先から『先生から・・お話がありましたが・・・』とダメダしの連絡を入れてもらうと『アーホントニやってくれてたんだ』となります。そんなもんです。詐欺みたいなもんです。しかしまあいろんな事を頼みに来ますよ。ほんの一例をあげときますと・・・子供の就職、幼稚園から大学までの入学、喧嘩の仲裁、商売のトラブルの仲裁、各種キップの手配(コンサート、野球、サッカー、飛行機、等)、資金融資の後押し、交通違反、家庭内のトラブル、役所幹部への紹介、企業間の紹介、仲立ち等まあピンキリです。でも人助けをするときも結構あります。生活保護の申請、母子家庭の人の就職の世話、身障者への補助金受給、など所謂弱者にもその力を発揮します(在職中に結構、人助けもしました)。

05月29日(火)12:29:26 はれ タマリの話 No 45
『タマリの話』

ほぼ毎日、各所轄の警察署から被疑者をあつめ護送車で検察庁に送ります。ボクは『凶悪犯?』だったのか、乗用車でウシロの座席に、左右に私服警察官を従え、前の助手席にも私服警察官がついて、手錠をされて、ウシロにヒモの姿で3日に一度くらい検察庁に送られました。でもこの時唯一、外の空気が吸えるのと、外の景色が見れるためある意味気分転換にもなりました。でも2度ほど、その護送車で数珠繋ぎで行ったこともあります。検察庁の取り調べは警察のそれとは比べモノにならないほど、厳しいものです。人を最低にこき下ろし、完膚なきまでに打ちのめします。又不安をあおり精神的に追いつめます。今日は検察庁の日・・・というときはかなりの緊張もしました。
検察庁に着くと、全員がとりあえず『タマリ』という庁舎内の『オリ』に入れられます。ひとつのオリに10数名入るのが5つ位あります。それぞれがなんらかの犯罪者ですから、ここでもやや緊張します。でもそれぞれの顔を見ると、これが結構、皆『普通の顔』なのです。『人相学なんて嘘やなー』とこの時思いました。みんな、チョットした弾みで道を踏み外したんやなーと思いました(オレもか)。ある時斜め前に座っていた爺さんがボクをジット見つめているのに気が付きました。ボクがその爺さんのほうに目をやると、爺さんが口を開きました。(本当はこのオリのなかの私語や、会話は禁じられてます)爺さんは『あんた、一体何をしたんや?悪いことする顔してないのに・・・』と言いました。ボクは規則を守って返事をしませんでした。そしたら又、別の人が『多分、この時期やから、選挙や!』と言ってました。ボクは又黙ってました。何度かの、検察調べの時にエレベターの中で、ボクより先に逮捕された後輩のM秘書に出会いました。会話は禁止ですので、お互い無言ですが心の会話は交わしました。『がんばっとうか?』ボクのウシロにいた彼が、ボクの背中におでこをもたれかけて来ました。『山口さんこそガンバッテ下さい』と彼の心の声が聞こえました。彼も有罪になりましたが、後に神戸市会議員になってがんばっています。

05月28日(月)14:46:16 はれ 意識の渦巻きの話:VOL2 No 44
『意識の渦巻きの話:VOL2』

そういえば台風の渦巻きも確か『左回り』だったはず。そうそう、台風が出来るときのエネルギーと似てるかも・・周りをドンドン破壊しながら、突き進むと言うところも。強い念や、意識を持つと、その人の魂が回転を始めると、前にも言いましたが、何故回転し始めるのか?というと、それは恐らく人体の中で所謂『低気圧』の状態が起きると、『左回り』、『高気圧』だと『右回り』ということでしょう。地球上で起きることの原則は、すべて人体にも共通します。『高気圧』の状態というのは、穏やかで、争いを好まず、その人自身が出す『電磁波』もまことに緩やかで、当然周りの人への悪影響は何もありません。『低気圧』が強い念や、意識で発生すると、回転もそれにあわせて強く、速くなっていき強い『電磁波』もその人から発信しだします。この『電磁波』のパワーがある意味凄いのです。渦巻きの外まで飛び出し、その『波動』をかなりの遠いところまで飛ばします。これはラジオ放送とほぼ同じ原理です。そしてその『波動』に共振する人をどんどん渦巻きの中に吸い寄せてきます。これは『音叉の共鳴』と同じ原理です。この強い念、意識というのは大体、金銭欲、野心欲、征服欲、功名心、名誉欲、物欲、等が原因で生まれます。つまりほぼ『欲望』が原点だと思います。さて、現世にあるいろんな新興宗教団体のうちこの考えがあてはまる団体は、どれくらいあるでしょうか・・・。キリストや釈迦は、勝ってに付いてくる弟子や、側近はいたようですが、決して彼らの手で『団体』はつくっていません。彼らはほぼいつも『ひとり』だったように思います。魂は強い意識を持たなくても『崇高な意識』を持つことにより、回転は『右回り』の穏やかな回転を続けながら、きれいな球体にドンドン成長し、その球体の発信する『波動』は人に安らぎと癒しを与え、苦しみから救うほどのパワーを持つのかなと・・・おもうのです。

05月28日(月)12:15:07 はれ 男の世界:VOL2 No 43
『男の世界:VOL2』

男同士の友情を信じるか?と聞かれたら、ボクはいつも『絶対に信じないし、ボクは男の友人はいない』と答えます。ボクには男の知り合いは普通の人よりかなりたくさんいます。年齢もバラバラです。相手がボクをどう思っているかは別の問題で、ボクはすべてを『知り合い』と思っています。親しさには、勿論、人によって差があります。メッチャクチャ親しい人でも『知り合い』です。それが『友人』て言うのや!と言いたいでしょうが、ボクにとっては『友人』ではありません。男同士というのは、ボクはスベテがライバルだと思っています。『助け合う友情』なんて信じませんし、美しくもなんともありません。ある意味『気持ち悪い』です。又、ボクは男は助け合ってはイカンとも考えています。男は強く、強くなければいけません。『自分のプライド』を唯一の『人生の友人』として付き合うべきと思っています。ボクは多分、この世では『はぐれ狼』かも知れません。でも『一匹狼』の生き方が好きです。群れをなしてその一員になるのは絶対いやです。思えばモノ心付いた頃から『一匹狼』だったような気がします。所詮、男同士は、求めるものが同じモノになったとき、目標が同じになったとき、利害が重なった時、即ライバルになります。今『友人』と思っている『男』も例えば同じ女の人を好きになったとき完全な『ライバル』になります。男同士はいつでも、そういう状況は想定出来るわけで、『知り合い』だけに徹底したほうがイイ。只『知り合い』は多ければ多いほどいいですよ。対等の付き合いとギブアンドテイクは全然オーケーです。

05月27日(日)14:46:22 くもり 親が痴呆になったら・・ No 42
『親が痴呆になったら・・』

最初は物忘れの症状から始まります。『あれ、何処置いたかな?』とかガスレンジでよく料理を焦がすとか、今話したことを忘れ又、同じ話をしだすとか・・・です。今は介護保険がありますから、早めに要介護の認定審査を受けた方がイイです。本人や家族が思うより症状は進んでいます。ボクの母は3年前に転けて大腿骨骨折で入院したときに、ある精神科の病院で(痴呆の専門医は精神科です)診断を受けましたが、『即強制入院の対象となる重度の痴呆』と診断されました。要介護1以上の認定だったら、即希望の特別養護老人ホームへの申し込みをしておいたほうがいいです。ホームへの申し込みは今すぐしても平均的には、2〜3年は待たされます。希望者はどのホームも数百人かかえています。これから老人人口増えるので、この傾向は続くと思います。よく歯を食いしばって、家庭で介護してる人や、お嫁さんを犠牲にして介護生活を送ってる人もいますが、いずれ『地獄』になります。ボクの母は、今、要介護2の認定ですが、自分のウンコをはじめ、セッケン、お花、石ころ、タバコ、と何でも食べます。24時間ズット監視なんか絶対出来ません。又、お嫁さんに介護をまかせて、自分は親孝行している、と『間違った考え』の男も時々いますが、お嫁さんにとっては、『赤の他人』です。自分の赤ちゃんの『おむつ交換』は難なく出来ますが、『他人の大人のおむつ交換』は汚くて、臭くてガマンなんか出来ません。今、ガンバッテそうしているお嫁さんも結構いるかも知れませんが、もうそんな人は『観音様』のような人だと尊敬します。人間は酷な生き物です。自分の親や、ご主人の親に『はよ、死んでまえ』と思うときが来ないように、介護は絶対専門の特別養護老人ホームにお願いしましょう。ただしホームを選ぶときは、慎重に、よく評判も確かめて、選んでください。政治家の秘書をしてたのでホーム設立にもいろいろと関わったことがありますが、ひとつの『金儲け』としてビジネス感覚でスタートしてるところも多々あります。そういうところに入ってしまうと、『粗雑』な扱いをされてしまいます。ボクの母がお世話になってるところは、神戸の六甲アイランドにある『協同の苑』というところですが、ここはもう何も文句のない『イイホーム』です。ヘルパーの人達を始め、皆真剣に、真摯に介護と取り組んでいます。ボクは週に2回、必ず母の顔を見に、ホームを訪ねますが、いつも帰りの車のなかで『アーッ、良かった、いいとこ入れて良かった、神様アリガトウ』と思っています。

05月27日(日)11:24:42 くもり 男の世界 No 41
『男の世界』

と書けば何かカッコイイ感じがしますが、実際は戦場です。精神的な殺し合いの世界です。暴力までいってしまう人もいない事もないですが、それはある意味、今の時代では敗北を意味します(刑事罰は受けても、自分のプライドを守るためにヤッテしまう場合はそうでない時もあるでしょうが)。現世は『言葉と行動』を武器に勝ち進む世界です。『言葉』だけの男は最初は評価されますが、『行動』が伴わないと評価はガクっとおちます。『アイツは口だけの男』という烙印を押されます。この烙印はなかなか消えません。日本では明治時代以前はまさに命がけの男の世界でした。『刀にかけて』男としての自分のプライドを守り、勝ち進んだようです。今は、刀が使えないぶん、『言葉と行動』の限界はありません。それはまことに厳しいものです。『言葉と行動』で『男のプライド』を完膚無きまでに切り捨てます。昔なら切り捨てられたらこの世とオサラバ出来ましたが、『言葉と行動』での攻撃ですから、『心も、魂も出血多量で即死』の事態でも、体は残っています。今の世には、そんな状態に陥ってる男の人はたくさんいると思います。重体、重傷、から軽傷まで入れたら凄い数になるでしょう。でも彼らは妻子の前だけは、『勝っている男』として振る舞いたいし、そんな状態を決して悟られないように頑張り続けています。自殺してしまう男の人はそれに耐えられなくなった人達です。家族にしたら、『どうして話てくれなかったの?』とよくなりますが、それはその人の『男のプライド』のためと『家族に心配はかけたくない』というある種の『男のやさしさ』です。『言葉と行動』でとことん闘い抜けない男たちは皆『男のやさしさ』のほうが勝っているのです。非情になりきれないのです。相手とやり合っているときふと『こいつにも可愛い子供や、いい奥さんがおるんやろなー』とか、いろいろよぎってしまい、その時点で負けてしまうのです。人間的には、その『男のやさしさ』のほうが勝ってる人、非情になりきれない人のほうが『格』は上だと思います。

05月26日(土)14:18:20 はれ 代議士秘書時代のこと:VOL2 No 40
『代議士秘書時代のこと:VOL2』

就職一日目は研修がありました。須磨にあるホテルに一日缶詰状態で、注意事項や、秘書の仕事についての説明がありました。目の前に現役のベテラン秘書がズラット席に着き、新米を目で威圧していました。最初の印象は『なんや、秘書ってこんなようけおるんか・・』でした。秘書は大体、東京と地元で平均して20人位はいたのでした(これはどの自民党代議士もほぼ同じです)。そして又、それぞれのベテラン秘書が海千山千の顔つきでした。結局その日の研修でハッキリ解ったことは、秘書の仕事というのは、殆どが『選挙運動』ということでした。ボクの第2印象は、『そうか、選挙運動員の募集やったんや・・!』ということでした。でも後々解ったことですが選挙運動の下手な秘書は、東京の秘書でも、地元でもドンドン首を切られていました。そうなんです、今の政治家にとっては、政治活動より選挙活動のほうのウエートが高いのです。これは地方議員の世界でもほぼ同じです。研修会が終わって、ボクはこう思いました。『あーっあ、こんなに秘書がようけおるんやったら、先ずこのなかのトップにならないかんなー。石井さんが一番の信頼を置く側近にならな、意味無いナー。』と・・・
でも、選挙運動というのは、企業と違って『売り上げの成績』というハッキリと解る数字の評価方法が投票結果までしかありませんのである意味、普段の仕事ぶりの評価のしにくい仕事でした。ですから所謂『御忠臣・・!』タイプや、要領よく小回りのきくタイプが、評価が高くなる傾向のある世界です。最初に新人全員で手がけた仕事は神戸市全域の団地に残すところなく、『宣伝ビラ』をポステイングする仕事(運動?)でした。体力と根性だめしのような仕事でした。これが半年位続きました。新人ではボクが最年少なのでボクはなんとか持ちこたえましたが、最年長は40代の人もいたので苦しそうでした。そんなこんなで1年程過ぎ、最初に自分の力を発揮できそうな『仕事』が出てきました。自民党の党員獲得運動です。これは秘書全員の獲得競争になりました。党費1000円を頂き、入党申し込み書を集めるのです。こうなるとボクは燃えるタイプです。今までのあらゆる人脈と知り合いを駆使してかき集めました。約1ケ月後の締め切り時点で各秘書の獲得最終人数が発表されました。ボクは500数名集めました。
秘書歴15年のベテラン秘書もボクより10人多いだけでした。ボクは2位で同期の新人は平均100人ずつ位でした。ある意味ボクは『鼻高々』でした。当然、石井一さんの評価はグット高まり、秘書会議ではなにかとボクを引き合いに出してよく誉めるようになりました。でもこの頃から、信じられないような陰湿な『男の嫉妬による、集団のいじめ』が始まりだしたのです。ところがこのボクは、全然負けませんでした。とにかく気にせず、ドンドン突っ走るので、皆あきらめたようです。戸別訪問のトータル件数や、年会費1000円を頂く後援会入会者集めなどなんでも数の出るモノは、すべてトップになりました。それも他をかなり引き離してです。そんな日々が続き、何度か選挙も経験し、入所7年目には事実上の筆頭秘書になりました。その頃から、選挙はすべてボクが仕切るようになったのです。

05月26日(土)11:13:44 はれ 意識の渦巻きの話 No 39
『意識の渦巻きの話』

ひとりの人間が、強い念や、強い意識を持ち出すとその人間の魂が回転を始めだし渦巻きを形成していきます。普段も穏やかな意識の時も穏やかにユックリと回転はしています。つまり強い念や意識の時には早く回転し始めるのです。洗濯機の渦巻きを想像してください。下の回転板が速くて強く廻るほど、渦巻きが強く大きくなるでしょ、あれと同じです。ボクは、善なる回転は右回り、悪なる回転は左回りかな・・と思っています(科学的な根拠はナニモナイですよ。ボクの話はある意味すべて)ただ、善なる回転は動きが緩く、穏やかなため渦巻きとしてのパワーは弱いのです。悪なる回転は、速く、強くドンドン大きな渦巻きとして急成長もします。これにはドンドンまるでブラックホールに吸い込まれるように周りが吸収されていきます。資本主義社会の企業活動はこれと似たところがあります。悪とは言い切れないところは多々ありますが、視点を変えれば原価が10円のものをいかに高く売るかという、まあ詐欺とどう違うねんというところはあります。善なる心は絶対にそんなことは出来ず、それが良いものなら原価のままで分けるはずです。企業活動はどの企業でも、法律ギリギリかちょっと外してることはあるはずです。よく出世する人やワンマン企業のオーナー等は強い念と意識を持った人です。完全な悪とは言いませんが、彼らは人情に流されたりすることのまず無い人たちです。
そして自分が中心で回る渦巻きをドンドン形成していきます。この人達は絶対自己中心ですから、対等に付き合っているようでも、信頼関係が出来てるようにも感じるときがありますが、彼らは最後には、土壇場には、自分を取りますから30年の信頼関係が瞬時で崩れる場合があります。しかし彼らには、郷愁も同情もありません。ただ、そういう人がたまに、敗北して追放されていることもありますが、それはまず、その人の念が弱くなっていたのと、追放組の『悪』の念、意識が強くなったからです。追放した後は、追放組の渦巻きが始まるだけのことですから。

05月25日(金)15:09:44 はれ 代議士秘書時代のこと No 38
『代議士秘書時代のこと』

父から引き継いだ山口工作所という、長田にあった町工場を無借金経営のまま閉鎖を決めてから、ボクの初めての就職活動が始まりました。ボクが25才、今から25年も前のことです。この時既に、今のアトリエがボクの財産として残っていました。両親は父の年金で充分生活は出来るようになっていました。もう資金繰りの心配はありません。この時のボクが得た解放感は『オリから出た時』とやや似ています。会社の残務整理をしながら、新聞の求人広告を見る毎日が続きました。なかなか『ピンとくる』仕事は見つかりませんでした。2ヶ月位して
夕刊に『男子代議士秘書募集!明朗でファイトある方・・年齢25才〜35才まで・・・衆議院議員石井はじめ事務所』と出ていました。ボクはこれを見たとき、背中に電気が走ったのを憶えています。早速、翌日会社で、生まれて初めての『履歴書』を書きました。そして顔写真も貼らずに速達で投函しました。後で聞いた話ですがこの時応募者が百数十名ありましたが写真を貼っていなかったのは、ボクだけだったそうです。最初の面接は、当時県議だった石井一二氏(弟)と筆頭秘書によるものでした。この時に既に10数名にしぼったそうです。そして石井一さんによる面接がありました。当初は二人だけ採用の予定だったらしいのですが『今回はオモシロイのが多い』とのことで4人採用に急遽変更になったそうです。結果、石井一二氏と当時の筆頭秘書はその4人の中にはボクを入れませんでした。それを聞いて石井一さんは、『オレはあのヤマグチちゅうのがどうも気になる・・スマンけど補欠で5人目として採ってくれ』と言うことになったそうです。面接の時、給料の話になってボクは『別にいくらでもイイです』と言ったことや、履歴書に写真が無いことなどが、先の二人には論外だったようです。『常識のない、生活意欲のないボンボン』と映ったようです。
ボクが給料のことにどうでも良かったのは、もう資金繰りや来月の仕事の心配もしなくてイイ・・という解放感に包まれてたからです。面接の時、ボク以外すべての人が『最低○○位欲しい』とか『幾ら貰えるンですか?』と聞いたそうです(当たり前か!?)。結局1975年9月1日からズッコケ秘書生活がスタートしたわけです。


05月25日(金)11:52:06 はれ 人体のはなし No 37
『人体のはなし』

人間は五体の形をしてて、水や雪(氷)の結晶体とほぼ同じ形をしていますが、これは人体が約80%〜90%が水分で出来ているからだと思います。人類が今、生きている宇宙の3原則は『球体・渦巻き・五体』だと前にも言いました。とすると人体のなかにその原則も必ずあります。そうです『頭のつむじ』『指紋』そしてすべてを構成する染色体も遺伝子もたしか『らせん』の状態です。球体は・・・?そうです『眼球』です。かなり地球の形にちかい楕円です。すべての天体はどうして球体なのでしょう?ボクは理由は解りません。とにかくこの宇宙にはすべてのもの『球体・渦巻き・五体』にしてしまうパワーが間違いなくあるのです。植物も基本型は五体で、枝、葉はその変形、タダ年輪は渦巻きですよね。種はほぼ球体です。『眼は口ほどにものを言い』という言葉がありますが、球体である『眼』にそういう力があるのも興味あることです。又、頭部も球体といえば『球体』です。ところでボクは人間が持つ『魂』なるもの、その人の意識が、精神が作り出す『魂』なるものの形も、それが崇高で気高く、品格が高いほど球体にちかいのではないか・・・と思っています。それが宇宙の原則のような気がするのです。キリストや仏陀はきれいな球体だったんだろうなと思っています。人間が同じ意識を持って、心をひとつにしたときには集団が作り出す大きなきれいな球体の魂も出来るのでは・・・とも思っています。そしてその球体がきれいな球体ほどこの宇宙に飛び回っているいろんな良い影響をあたえるエネルギーを受け入れやすいのではないかと思うのです。こんなことがあるかも知れません。ある大きな新興宗教の団体があるとして、その教祖は本当は普通の人で、ある意味、ビジネスとして宗教団体を作るとする。しかしそこに集まる人達はそんなことを気付きもしない善良な人達ばかりとする。つまり教祖以外の人達がつくる集団の魂は、きれいな球体である可能性があります。ところが負けるのです。強い渦巻きの力に・・・。つまり善良な人達、数万人の崇高な意識が作り出す『きれいな球体』を作り出すパワーより、ひとりのある意味『極悪人』が強い念のちからでつくりだす渦巻きパワーのほうが強いのです。まるでブラックホールのようにその球体をひきつけて、自分のまわりに軌道を廻らせているのです。これも宇宙の原則と言えば原則です。似たような話が身近にたくさんありませんか?

05月24日(木)15:34:20 あめ 母のこと:VOL2 No 36
『母のこと:VOL2』

今日も母と会ってきました。母は今、六甲アイランドの特別養護老人ホームにいます。6年位前から所謂「痴呆症」になりました。今ではボクのことも解ってるような・・解ってないような・・という感じです。
今78才ですから、体は元気なためヨク動き廻るため、ホームでも一番の世話がかかる人のようです。でもこのホームの人達はヘルパーさんを始め、職員の皆さんの意識が高く、家族のように母を介護してくださっています。思えば10数年前から、同じことを何度も繰り返して話すという癖がありました。時々父が「お母ちゃんは、ボケとんと違う。物忘れがヒドイだけや」と言っていたので、そう思ってました。アレっと思った最初が、父が脳梗塞で倒れた6年前です。ふと、虫の知らせで
夕方実家に電話を入れたとき、父が出て「アーウ・・アーウ・・」と言ってるので「どうした?どうなったんや?」と実家に飛んで行くと、父が、リビングに布団をひいて寝込んでました。そばのソファーで母は足をブラブラさせながら何事も無いかのようにいました。異様な光景でした。父に問うと、「朝倒れた、頭もうった。言葉がうまく出ない。右手と右足が動かない。」とのことでした。直ぐに近くの医者に連れて行くと『脳梗塞です』と言われ、すぐ又救急車で専門病院に移されました。CTの結果、梗塞から10数時間たっておりアブナイとの事でした。でもまだこの時、父はシッカリしてました。事態を呑み込み「えらいことになった」という顔をしてました。そしてボクに「お母ちゃんを、たのむで」と言いました。翌日から父はもう人が変わったかのように脳梗塞の症状になってました。目は別人、よだれをたらし、右半身不随となってました。毎日昼間に母を迎えに行き、父の見舞いにいきましたが、夜になると母から、『お父さん、何処行った?知らないか?』と電話がかかってきました。エーッと思いながらも『今日、病院一緒に行ったやんか!』と言うと『アーッ、そうか』と言ってたのでまあいいかって感じでいました。(なにせ、ボクも痴呆症とは始めての出会いだったし、そうだと思いたくもなかったので)そんな日々が4ケ月ほど続いて父が亡くなりました。臨終の時、母も泣いていました。ところがお葬式の時、母は『お父さんが、おれへん。どこいったん?』と言ってました。この年は阪神大震災の年で、震災から2ヶ月目の頃でした。震災を契機にボクはアトリエを須磨から、今の場所に移してましたので、昼間はずっと母と一緒にいました。母が足を骨折して入院するまでの約3年間、ずっと母をそばで見つずけていました。老人性痴呆症には相当詳しくなりました。(母は病院から特別養護老人ホームに移れたので、今のボクは介護から解放されています。)母と過ごした3年間はまさに恩返しの期間だったように思います。3度の食事を作り、布団を敷いてから御影の家に帰っていました。母は、痴呆症とはいえ普段は穏やかでした。(興奮させてはいけません)毎日、決めたことを続けると痴呆とはいえ『憶えました』。いつもオヤツを置いて帰ってましたが置いてる場所を憶えました。おかしなこともイッパイしました。(書けないことだらけです)スリッパもよく隠しました。モノを隠す・・というのは代表的な症状の一つです。大体、朝ボクが母とこに着いたら先ずモノ探しから始まりました。スリッパの隠し場所は、主に冷蔵庫の中、タンス、押入、布団のなか等です。『なんで!?』といつも心で叫んでました。このことを問いつめる・・・は絶対だめなのです。必ず『そんなん知らんで』と言います。本人は何も憶えていませんので。数分前に食べたご飯のことさえ憶えていない・・・というくらいですから。
ボクは、時々思っています。あの時、母が足を骨折していなかったら今、どうなっていただろうと・・・ボクは精神的に耐えられていただろうか・・・と。

05月24日(木)12:17:14 あめ 幽霊のこと No 35
『幽霊のこと』

生きた人間には、底知れぬ力があります。特に人間の脳が持っている能力はまだまだ解明されていないところが多々あるようです。ボクは幽霊や心霊写真とかは、すべて生きている人間の脳が物理的に作り出す自然現象のひとつではないかと思っています。ボクもいままでに『怖い』と思った体験をよくしてます。寝ててふと目が覚めたら足下に50代後半の男の人がぼーっと立っていて隣りのベッドで寝ている妻をジット見てました。ボクが大きな声で『誰や!なにしとるんや!』と起きあがって叫ぶとスーット消えました。これはボクの脳が作り出した映像だったと思います(そう思いたいです)。ただ、この時とっさに妻のほうを見ると、妻の姿が見えません。ビックリしてオーイと叫ぶと妻はベッドから落ちていまして、何もなかったかのように『どうしたん?何か、ウワウワ言ってたよ・・・』と言いました。又、こんな事もありました。夜中に妻が苦しそうに、うなされているので隣りのベッドの妻を見ると妻の膝のあたりのフトンの上に白いシャツのような服を着た人(男女不明)がいたのです。ボクが見たとたんにその人は消えましたが、妻もその人を目をあけたときに見ていました。これは多分妻の脳が作った映像をボクの脳が見ることがデキタのでしょう。そう思わせてください。

05月23日(水)11:50:24 あめ 母のこと No 34
『母のこと』

母は頭のいい人でした。父も賢い人でしたが、IQは母のほうが高かったと思います。でも昔の人はお金持ち以外皆そうだと思いますが、
小学校しか出ていません(父もですが)。6人兄弟の長女でしたので、すぐに鐘紡長浜工場で女工さんになりました。給料はいつも親が取りに来ていたそうです。寮生活ですから食べることと寝ることの心配は要りません。間もなく「父、危篤」の連絡があり、小浜の実家へ飛んで帰ったら、もう冷たくなってたそうです。母に益々負担がかかり、もっと高い給料を求めて、大阪に出ました。船場の呉服問屋で女中奉公をしたそうです。(この時、母はいろんな料理を憶えたようです)そしてこの頃、一度郷里に帰り小学校の先生と結婚しています。しかしほんの僅かの日々で破綻、離婚したそうです。その後神戸に出てきました。はたち位の時です。昭和初期のモダニズム溢れる神戸ですが戦争中でした。灘区の小泉製麻に女工として就職しました。まもなく頭の良さを認められ組合の書記になったそうです。当時女工さんは数千人働いていました。ここで戦後、父と出会ったそうです。父もその頃、先妻の子供(ボクの腹違いの姉)を連れてやもめだったそうです。(父からはその先妻のことは最後まで聞けなかった)昭和22年頃、二人は結婚しました。兄が生まれ、ボクが生まれました。
小さい頃、母はよく姉を折檻してました。ボクが多分4才位の頃、母の言いつけで買い物に行った姉が、帰ってきてから頭からバケツ一杯の水をかけられてました。「あつやき」と「おやき」を間違えて買ってきたのです。ボクも後で母の書いた買い物メモを見ましたが「あつのつが小さくておの点に見える」メモでした。「姉が可哀想でした」この頃姉は小学校1年生位だったと思います。その後、姉は小学校を出たら間もなく家出しました。5年位行方不明でした。母は気性の激しい人でした。会社でも筋の通らぬ事には、立ち向かったようです。ですから後々のゴム会社でも組合活動のリーダーでした。又、若い人達から「山口のおねえさん」として頼られていました。姉には鬼のように厳しい人でしたがボクら兄弟には、本当に優しさの溢れる人でした。ボク達の成長が生き甲斐だったような人でした。怒るときもちゃんと説明しながら愛情一杯に怒ってくれました。両親共に、愛情は滅茶苦茶深いものを感じながら育ちました。ボクが二十歳前後の頃、『結婚なんかせずに、この両親と死ぬまで一緒に生活しよう。これからは、親子交替だ』と思わせてしまうほどでした。それだけボクは両親から、深い愛情を感じて育ってました(兄はどうか知りませんが)。母は小さい頃からずっと貧乏生活だったので、貧乏生活には慣れてたようで、ボクが小学校低学年の頃、ボクの手を引いてよく質屋に行ってました。この頃は神戸の下町の長田に住んでましたので、質屋がたくさんありました。流れる時もあったようです。父が独立してからは、借金に追われながらも、収入もそれなりに増えてきたので、編み機を買ったり、生け花をならったり、やや充実した生活を味わってたようです。そんな時でも資金繰りは大変だったようでしたけど、母はいつも腹は据わってました。父が「やや小心で心配事があれば機嫌が悪くなる」のとは大分違いました。だからよく喧嘩になっていました。母は腕力では負けてボコボコにされてましたが、そうなってても口では言い返してました。そしてまたボコボコにされました。今思えば、それでも母は父を憎む・・ということは無かったなあ・・と感じます。商売がやや順調にいってるとき、母は毎日、市場へ買い物に行くといつも和菓子を10個買ってきました。まだ、洋菓子全盛のころではありませんので、和菓子だったのですが、貧乏な頃から和菓子は高級品ですから食べた事が無かったのです。その頃のある意味「夢をかなえていた」のでしょう。ですからボクはその頃(高校生くらい)4つ位一度に食べてました。
又、この続きはいずれ・・・)


05月20日(日)18:29:08 はれ 宇宙のこと No 33
『宇宙のこと』

前にも少しだけふれましたが、『宇宙は無限』とよく言いますが、これは最大だけでなく最小も無限だと思っています。原子も素粒子の世界もそうだと思っています。ボクは科学の勉強をしてないので科学的な分析での話ではありません。しかし、クオークだの、最小の素粒子が見つかっただのと新聞で過去に見ましたが、最小の粒子も無限にあると思います。これから少しずつ、年月を経て人類は発見してゆくでしょう。夜、何故眠くなるか・・・も宇宙的に解明すれば太陽が裏側にいってるからで、その太陽の引力が人間の体重の約80%(90%?)の水分を地球の裏側から強く引っ張るため立っていられなくなるのです。そして脳内の血液や水分も人間の体の裏側に集まるため脳の活動がボーっとしだすのです。朝になると又、太陽の引力で体は引っ張られて起き出します。これは、下敷きの上に鉄くずを置き、磁石を下敷きの下にすると、鉄くずは寝て、上にすると鉄くずが立つ・・・というのと同じ現象です(小学校の時よくやったね)。地震は何故起きるのか?これはマントル対流・・・とはよくある説明ですが、じゃ、何故マントル対流が地球にあるのか・・・これは説明してくれてません(聞いた人いますか?)。これはこうです。地球は凄いスピードで自転してます。地球一周を24時間だから、時速1500キロ位?と同時に太陽系、銀河系と共に猛スピードで宇宙空間を飛んでいるのです。ですから各惑星間、特に月との距離や太陽との距離のバランスを地球自身でとりながら自転の中心を狂わせないように、地球自身もバランスを取っているのです。そのために必要なのが流動体であり海水と地球内のマントルです。海水は常にバランスをとっています。それが潮の満ち干です。特に太陽の引力のバランスが崩れた時は地球のマントルが大きく動くため、大地震や噴火がおきます。


05月20日(日)15:09:03 はれ 万引き少年 No 32
『万引き少年』

ボクは小学生の頃、悪い子でした(なに!今でも悪い!?)。しかも一番タチの悪い子だったと思います。クラスでは、ずっと委員長をしながら、地元では悪ガキと一緒に万引きの常習犯でした。(本当にゴメンナサイです)近所の一学年下の男の子の誘いで長田から三ノ宮のそごうデパートまで行き、地下のキャンデイー売り場で何度かやりました。マダ小学校4年生位の時です。映画館へのタダ入り(忍び込む)。市電(路面電車)のタダ乗り。須磨水族館へのタダ入り。何度か捕まりかけたこともありました。近所の駄菓子屋さんでも何度か万引きしました。本当に悪い子でした。すべてにゴメンナサイです。でも、すべて小学生で卒業しました。
(でも、本質が変わらないのなら、ボクはやっぱり今でも根は悪人かも知れません・・・コワイゾー!)タダ、自己弁護をさせてもらうと、その頃ボクは家が荒れてて、情緒不安定だった。又、近所の子は殆どそういうイベント?に参加する子ばっかりで、皆で野球して、その後・・・いこか!という感じでいろいろやってたので、ある意味深い罪悪感は無かった。又、運悪く見つかった時も大人は、『大目に見てくれていた』ように思う。そしてみんな、貧乏だった。だけどみんな、いい奴だった。小学校1年生の頃から、皆、クギを拾って空き缶に一杯にして『よせや(金クズ屋)』に持っていき5円貰ってた時代のことである。


05月20日(日)11:13:48 はれ オネショ No 31
『オネショ』

ボクは小学校5年生の夏まで「オネショ」をしてました。かなりの情緒不安定児だったのでしょう。(いまでもそうか!?)ちゃんと寝る前にオシッコ行ってるのに・・・です。でも家が荒れてたから小さい胸にイッパイ心配事や、不安を抱えて寝ていたんだろうなあ・・・と自己弁護。
でも、来年は修学旅行がある・・ということでボクも親も焦り、人のすすめで『灸』が効くと聞き、近所の鍼灸師のところへ治療にいきました。おへその下1センチ位のところに灸をしました。『熱い!』と叫ぶとモグサを取る・・・繰り返しました。でもこの日一日の治療で結局治りました。
そのかわりへその下の灸痕は高校生の時まで残ってました。
高校生のころ、司馬遼太郎原作のNHK大河ドラマ『龍馬がゆく』を見てたら坂本龍馬もかなり大きくなるまで「オネショ」をしてたと知り
なにか、ウレシクなりました。それだけでなく龍馬がド近眼だったことや、背中に毛が生えてることなど共通点がイッパイありました。
そして誕生日も彼が11月15日、ボクは11月17日など・・・この頃からボクは坂本龍馬にハマッテいったのです。


05月19日(土)15:13:03 はれ 父のこと:VOL2 No 30
『父のこと:VOL2』

機嫌の良い時は考えられない位、優しいひとでした。幾たびかの商売の危機もいろんな人に助けられて乗り切ってました。母の力も大きかったと思います。夫婦というものは不思議なもので、晩年の二人は滅茶苦茶に仲の良い夫婦でした。どこへ行くのもいつも二人一緒。
それでも、年に数回はささいなことで夫婦喧嘩はしてましたが、父が暴力を振るうことは無かったです。その頃はボクは二人の間では『怖い存在』になっていて、何かあっても母が『そんなことしたら、マーチャンに言うよ!』というと収まったそうです。
ボクは高校生の頃から、仕事を手伝い始めました。大学に入学してからは、自由がきくので、殆ど学校は行かず仕事にのめり込みました。ボク達を大学へ行かせるために頑張ってきたのに、父は『いいのか?』と時々聞きましたが、『仕事のほうが大事やん』というと納得してました。ボクが本格的に手伝い始めた大学一年生の夏の頃は、マダ会社は創業の時の借金そのまま、借金返しと手形を落とすのに四苦八苦していたのです。ボクは独学で機械、金属のことを本で勉強しました。得意先廻りや、下請けに行ったりと、最初はいつも父と一緒で行動しました。今思えば、『父の秘書』だったような気がします。いつも一緒に仕事をしてると父のことが良く解って来ました。父の怒り出すポイント、機嫌が悪くなる原因、父の若い頃の話、人生観、等々本当に良く理解出来ました。機嫌が悪くなる最大の原因は大体『物事がうまく運ばなくなり、心配になる』ことでした。ゴクゴク簡単な事でした。
こんな、簡単なことで『ようあれだけ暴れまくったなあ・・・』とあきれる気持ちになりましたが、父のとっては大変な心配がストレスとなり
それを解決出来ない自分に苛立ち・・・という感じだったのでしょう。又、その状態の父に、母は厳しい言葉を浴びせてました。母は本当に強かったです(精神的に)。いくら殴られても、髪を引きちぎられても言葉では、言い返してました。ボクの結論は『母には、なんの問題点モナイ。父は、心配事や、不安を取り除いてやれば、鼻歌の毎日なのだ・・・』と言うことでした。仕事はドンドン覚えました。父から仕事をドンドン獲っていきました。大学2年生の頃には、父と熟練工が頭くっつけて悩んでる図面を見て『これは、こうだからこうだ』と指摘できるまでになりました。この頃から、嬉しさとなにかしらさびしさを感じてる父の姿がありました。ボクは、手伝い始めてほぼ2年で専務取締役になり、殆ど経営の実権を握りました。父のやり方もそれなりに良かったのですが、父の気短な人間関係が、特に下請けの職人との間でトラブルが多く仕事がスムーズに流れない等、問題があったのです。ボクが実権を握ってからは、売り上げも倍増し、借金もみるみる返していけました。父はいつも『鼻歌の毎日』でした。この頃から、父はボクの言うことを何でも素直に聞くようになりました。何か親子が交替したような感じでした。当然『暴れる』ことも殆ど無くなりました。大学卒業の頃には、完全無借金経営になってました。手形も一枚も切っていませんでした。ボク自身も給料は高く獲っていたけども殆ど、遊ばず貯金していたので、その頃すでに、当時家が一軒買える程の貯金が出来てました。今、ボクがアトリエにしてる家もその頃建てたものです。そしてその後しばらくして、オイルショックがきたのです。未曾有の世界同時不況でした。だけどそれも経費節減と固定経費の極端な圧縮で無借金で乗り切りました。しかしもう先が見えました。『もう、町工場の時代は終わる』と直感したのです。無借金で乗り切れたのは、『ボクの貯金』のお陰でした。ボクが25才の時です、これ以上続けると借金をしなければ・・・というターニングポイントがあらわれました。ボクの貯金が会社にすべて穴埋めしてとうとうゼロになりました。ボクは両親を目の前に言いました『もう止めよ。今なら無借金で、誰にも迷惑かけずに止められる。オヤジももう年金貰えるし、お母さんはどこかで又働くも良し、好きなことしたらいい。ボクも今から自由に、何か仕事探す。何でもするし、何でもいいと思ってる』・・・両親は黙ってうなずきました。会社をやめてからの父と母がなんの心配事もない平穏無事な余生を送ったのは言うまでもありません。(ただし、ある時期まで・・・後世また大変なことに・・・))
倒産したわけでは無いので、会社は2000年まで登記上存続し、新世紀を目前にして正式に解散いたしました。』

05月19日(土)12:55:56 はれ オリの中:VOL3 No 29
『オリの中:VOL3』

33日間、外からカギのかかる部屋に閉じこめられてると『自由と言うことの有り難さ』を痛感します。ボクの場合『接見禁止』の厳しいお達しで、本すら読むことが出来なかったので『もの思う・考える』ということしか出来ませんでした。最初の10日間は、警察、検察とのやりとりの作戦を考えたりとかに費やしました。ある程度先が見えてきたら、今度は生まれてから、ここに至るまでの自分の人生をジックリ、ジックリたどりました。『あんな事があったなー・・・こんなことも・・・』て感じです。最後は『さーて、これからどういう風に生きるかナー』に費やしました。この時に今の仕事である『選挙コンサルタント』の会社をやろうと決めました。会社の名前もシステムとかもこの時じっくり考えました。お金をたくさん持ってる人でも『イヤナ奴』の仕事はせんとこ・・・とか、又その反対にお金は無いけど『イイ奴』ならタダ同然でやったてもエエ・・・とかも考えてました。(今でもその方針で実践してます)
考えごとが無くなった時は、ずっとオリの中の壁を見つめてました。
何か、背筋が寒くなるような冷たい、汚い壁でした。黒いシミが所々に意味ありげについていました。ジット見ていると、顔のように見えたり、なにか強い情念をはじき出してるようにも見えました。一度コワイ夢をみました。寝ていたら、オリの外に凶暴なネズミの大群があふれ
ボクのオリにいまにもなだれ込んで来そうな夢でした。後で弁護士から聞きましたが、閉所恐怖症の人はオリに入れられると『気が狂う』人もいる・・・と聞かされゾットしました。



05月17日(木)17:11:40 はれ 父のこと No 27
『父のこと』

ボクの父はすこぶる気の短い人でした。小さい頃からお膳(食卓)がよくひっくり返りました。母もよく紫色のアザを顔や体中につけられました。ボクが小学校3年生位までは、サラリーマンでした。いつも殆ど夜中に酔っぱらって帰って来ました。神戸の長田という典型的な下町の6畳と3畳間だけのちいさな密集したアパートに家族5人で住んでましたので(近所は韓国・北朝鮮の人や九州、四国、沖縄の人がたくさん住んでました。みんな仲良く住んでいました)大きな声で暴れると近所四方にその声が響き渡り『あそこのヤマグチさんはコワイ人』と皆陰で言ってました。深夜、酔っぱらって帰って来たときも、大声を上げて『オーイ!開けんかい!』とドアをガンガンたたくのです。近所の人も慣れてたとは思いますが、ボクは小さい胸を痛めてました。そして皆を起こし『オミヤゲや!食え!』と言って寿司オリをひろげることも多々ありました。悲しい思いをしながらも、父が怖くて皆で食べます。貧乏だったのに今思えば高級なお寿司だったように思います(食べればオイシカッタ)。後々に母から聞いた話ですが、この頃父は給料は殆ど家に入れてなかったそうです。母はその頃長田にたくさんあったゴム靴会社で貼工をしていました。母の給料で家計を支えていたのです。ボクが大人になってから、父のこの頃のことを問いつめると悔悟の念でこう言いました『あの頃は、○○機械の工場長として職人さんと経営者との間にはいってストレスが多かった。又そこに工業大学を出たエリートが入社してきて小学校しか出てなかったオレはみるみる追い越され、くやしくてくやしくて仕方無かった時やった・・・』それで、子供だけには同じ悔しさを味合わせたくはない。子供は絶対大学へ行かそうと強く思ったそうです。
そして、その為には独立しかない・・・と一念発起。ボクが小学校4年生の時に脱サラをし、全額借金(コレが又後々まで大変なことに)で
独立、住んでるアパートの直ぐ隣りの場所を借りて、山口工作所という町工場を始めました。この頃から父は夜遊びを一切しなくなりました。商売は借金はあっても経費としていろいろモノが買えるというオモシロイ構図があり、どの家よりも早く、テレビや冷蔵庫や車がウチに備わりました。車といっても軽四のトラックで冷蔵庫といっても当時はマダ氷を中に入れて冷やす原始的なモノです。テレビはマダ、街頭テレビや、お風呂やさんのテレビが全盛の頃で、下町ではテレビのある家は珍しかった。毎日学校から帰ったら『テストパターン』という動かぬ画面をズットながめていました。でも一年後くらいからテレビは爆発的に普及しだし、番組も増えた。父が借金で独立したお陰で生活はみるみる変わっていった。当時、高度経済成長期の黎明期だったのです。このあたり、父は先見の明があったと言えるでしょう。しかし当時の景気はほぼ4年ごとに不況が廻ってきました。ボクが中学生の頃、ひどい不況がありました。この頃両親はよく揃って服装をきちっとして夜出かけて行ってました。母も父の独立後は、ゴム会社を辞めて、経理や簡単な機械作業を油まみれになって手伝っていました。いろんな人のところに『借金のお願い』に出かけていたのです。ある夜遅くに二人で帰ってきて、フトンのなかでの二人のヒソヒソ話しが聞こえてきました(狭いウチなので)。ボクは耳を澄ましてフトンのなかで聞き耳を立てると『青酸カリ・・・』という言葉が耳にはいりました。場合によっては『一家心中』も考えていたのかもしれません。(青酸カリは焼き入れに使うのでいつも工場にありました)翌日、ボクは母にこそっと聞きました。『お金どの位足らんの?』母はビックリして、スゴク優しく『子供は、そんなこと心配せんでヨロシイ』と答えました。でもつっこんで聞くと『今月の支払いが400万円位あるのに集金が20万ほどしかない・・・でもナントカするから心配せんでエエ!』と言うことでした。当時の400万円は今の5,000万円位だと思います。家一軒が200万円位で売ってましたから。とにかく父も母も必死で切り抜けてました。この頃も夫婦ケンカは毎週やってましたが、母はボコボコになりながらも、髪をつかまれ振り回されてても口では父をやりこめてました。ボクはただ泣いて『止めてくれー!』と叫ぶだけでした。こんな父でも機嫌の良いときも多々あり、(と言うより暴れていない時はスベテ機嫌が良い時と言った方が正しい。)そんな時はいつも鼻歌でした。だから『鼻歌』が聞こえると『あーっ今日は機嫌がいい』と胸をなで下ろすのです。でも『鼻歌』から一瞬にして『地獄』の時も多々ありました。まだまだ長くなりそうなのでこの続きはいずれまた・・・・・


05月17日(木)11:02:28 はれ 政治家のこと No 22
『政治家のこと』

仕事ガラ、国会議員や地方議員や市長、そしてその候補者と会う機会が多い。最近の候補者は所謂「地盤・看板・カバン」(支持母体・二世・お金)もなく政治家になりたい・・・と言う人が多くなってきた。これはある意味スゴク良い傾向である。しかも結構ピュアなヤツもいるのである。ただ、ボクが彼らによくする話がある。『議員と政治家は別だぞ』と・・・つまり『議員にならなければ政治家ではない』と、よく勘違いしてるのである。議員バッジがなくても政治活動はいくらでも出来るし、又ある意味、政党のしがらみなく市民運動的な拡がりで政治活動ができる。この間から、マスコミによく登場する話題に『首相公選制』があるが、ある民間人が孤軍奮闘、この実現のため政治活動を行っている。しかもあらゆる政党も巻き込んで・・・。こういう人こそ本当の政治家では・・と思うのである。阪神大震災の時、ボクは政治家の原点を見た・・・と思っている。あの時、日本中から救援活動に何万人ものボランテイアが集結しました。この人達こそ、普段は政治とかそういう胡散臭いものに関心は無いが、人の生死にかかわる国難の時に『動き出す』人達で、丁度明治維新の時の志士のような人達なのです。こういう人達はすべて普段は大人しく、息を潜めるように巷で、目立たぬ生活をしていると思います。とてもじゃないが議員バッジをつけたいと思ったりするタイプの人達では無いと思うのです。つまり『本当の政治家は国難の時には必ずどこからともなく現れる』そして仕事(役目)が終われば『水が引くように消えてゆく』のです。最初に言ったようにピュアな若者が政治家・・・と言う傾向は未曾有の国難がもうすでに我が国に始まりかけているのかも知れません。」


05月16日(水)14:50:21 はれ 不思議な出来事:VOL3 No 20
『不思議な出来事:VOL3』

やはり初めての個展の時のことです。あと2日で終わると言う頃に
会場からふらっと外に出てギャラリーと隣りのビルの間の狭い袋小路によく錆びた80センチ四方位の薄い鉄板を見つけました。丁度その頃は汚い壁の模様や、そういうサビが作り出す模様にかなり興味を引かれていた頃なのです。その鉄板は元々うすい水色が塗ってあったらしくそこへサビが面白いようにからみ絶妙の模様があったのです。まずそれを写真に撮りました。それから絵の具を取り出しチューブのまま直接その鉄板に色を付けていきました。2〜3分位で「錆びた鉄板の上に描いた絵」として完成しました。そしてそれを新たな作品として会場入り口に展示し、写真もとっておきました。個展終了後、知り合いの人が「コレ頂けません?」というので「イイヨ」と言ってプレゼントしました。それから一週間後のことです。写真が出来上がってきてこの写真を見ていると、『アレーッ』と思う出来事があったのです。
サビだけを撮った写真が3枚、絵を描いた写真が一枚です。なんと絵を描く前の写真3枚にすべて「頭にターバンを巻いたようなお婆さんのような首から上だけの横顔」があるのです。ハッキリ見えます。今までアトリエに訪れた人の約30%の人がこの写真を見てますが(スベテのお客様に見せてない)その人達の98%が見えます。(どうしても見えない人もいます)そして、ボクが描いた絵はその「お婆さん」の横顔を3倍位に拡大した感じの、やはり頭に何かを巻いたような横顔(抽象的な)を描いていたのです。コワイような話ですが、ボクはいつもこの写真を見た人達に「怖がることはない。これは絶対、多分良いことなんだ。チョットした偶然で起こるよくあることなんだ。」と言っています。ただ、描かされてる絵とはこういうモノなのかなとも思ったりしています。ちなみにこの絵を持って帰った人はこの話しを知りません。



05月16日(水)10:59:41 はれ オリの中:VOL2 No 19
『オリの中:VOL2』

朝10時に生田警察所に出頭してその日の夕刻『逮捕』と言うことになりました。1990年2月23日のことです。選挙が終わって5日目の身も心もクタクタの時でした。なにせそれまで半年以上一日も休み無く、夜遅くまで働き続けていたので・・・。『逮捕』の瞬間から所内で「手錠」をかけられ「ヒモ」をウシロに回されました。(別に逃げる気なんて無いのに)そして留置場に移されました。ボクは33日間ずっと一人でしたが、ほかの房は2〜3人ずつ入ってました。全部で10数房あったと思います。翌日朝8時頃、「手錠とヒモ」の姿で三宮の金沢病院に連れて行かれました。私服刑事3人と一緒です。体の不調を訴えて入院・・と言う形で逃げられないように健康診断です。後で思えば、理由はそれだけでなく、大勢の人の前にさらして「プライドを壊す」為だった・・・とも思ってます。何故なら所内でも医者を呼んで出来るのです。確かにたくさんの人にジロジロ見られて、この時がある意味一番ツラカッタように思います。結果「全く異常無し」と出ました。留置場と取り調べ室まで歩いて1分くらいの距離ですが(3重トビラくらい厳重)その時も、いつも「手錠とヒモ」でした。慣れてきてサット「手を出す」自分がイヤでした。房は当然、冷暖房はありません。いつも取り調べが終わって暗い房に帰ると係りの人がアツイお茶を差し入れてくれました。(余り大きな声で言えませんが、警察の人は殆ど、スベテの人が優しいのです。コレが結構、心の支えになりました。)フトンに入ってから、いつもイロイロ考えゴトをしました。丁度40才でしたから(厄年か!)その40年をジックリ振り返りもしました。これからの人生をどうしようか・・・も考えました。「いつここから出られるかな・・・?いやヒョットしたら出られずにそのまま拘置所に移されることもあり得るな・・・そうなると3ケ月位出れないかも・・・」とイロイロよぎったりもしました。そうこうしてる内に2週間ほど過ぎ、妻の誕生日が近づいてきました。「心配してるだろうな・・毎年、花をプレゼントしてるのに、今年は無理かな・・・」とあきらめてました。そして前日取り調べ室で思い切ってそのことを担当官に話すと、彼は快く応じてくれボクのメッセージ付きの花束を手配してくれました。メッセージには『心配ご無用!すこぶる元気!』と書きました。この時、妻はまさか花が贈ってくるなんて・・・と、考えもしていなかったことが起きて感動したそうです。それに不思議なことにその花に『白いモンシロチョウ』が一緒についてきてて、部屋中を飛び回ったそうです。



05月15日(火)18:01:05 はれ 有名と無名 No 18
『有名と無名』

芸術家が有名か無名か・・・ということを考えるとき、先ず『無名』のほうがいいだろうと思う。ただ、『有名』の基準がどのラインを越えれば『有名』なのかという論点もあるが・・。ボクも自己顕示欲は小さい頃から人一倍強いので、特に若い人が「有名になりたい」という気持ちがあることは良くわかる。人つてに口コミでその評価、話題が広がることは止めようがないし、それで名前が知れわたることは仕方がない。ただ、ボクにもそのような話が時々くるが、ある画商(と言っても画廊の経営者という感じではなく、企業家のイメージ)は、コレと目をつけた画家に、『全国のデパートを展示会で廻ろう。宣伝をかけるから、すぐ有名になる。数千万円かけて宣伝しても儲かる』とウマイ話しで近づき、画家が得るお金はほんの僅かにすぎない。特にバブルの頃はひどかったのではと思う。マネーゲームの手段に使われるだけである。こういう道を歩みだすとそのゲイジュツ家はこう言い出す・・
『これは、売り絵です』と。なんと情けない言葉か!貴方は自分の産んだ子を『この子は、売る子です』と言えますか?そのゲイジュツ家も心では泣いて『売り絵』と言ってるかもしれない。自分の芸術の為の絵と、マネーゲーム用の絵とを描き分け、使い分けしているのだろう。
でも、なんか、違うだろと言いたくなる。絵を描くことが好きなら、誰の目も気にせず、誰の束縛も受けず、自由にドンドン、黙々と描き続ければいいのです。他人の評価や、そういう雑音に惑わされずに・・・ちなみに、ある芸大の元学長さんもあるところで『これは、売り絵です』と自分のある作品を指してました。



05月15日(火)10:10:21 はれ 絵は誰でも描ける No 17
『絵は誰でも描ける』

ボクはいろんな人と会う機会が普通の人より多いので、それぞれの人達の反応に興味がある。ボクのアトリエには絵が約60点位と粘土で作った魚が500匹くらい、それと変なハリガネ細工など展示してるが、仕事オンリーで訪ねて来る人には、時々この作品群が全く目にも入らない人種がいる。まさかボクがそれを作ったり、描いたりしてるとはこれっぽっちも思わないのだろう。又、自分の用件のことで頭がイッパイで見るゆとりもないのだろう。ある意味可愛そうな生き方をしてる人達だな・・と思ったりする。それと出会う80%位の人が必ず言う言葉がある。『僕(私)には絵なんか描けない』そんな人達に又ボクが必ず言う言葉がある。『絵は誰でも描ける』・・・と。普通、人は目の前に紙とクレパスを置かれて何かを描け・・と言われてもなかなか描かないし描けない。それは何を描くかも思い浮かばないし、描いて下手だと思われるとイヤだしとか、・・イロイロ頭が動いて、考えてしまうからである。ボクは続ける『何も、考えずに、クレパスを手にとり手を動かせ』と。ボクのホームページの表紙にあるように『あなたを今から、部屋に閉じこめ外からカギを掛けます。3食は毎日差し入れます。トイレは中についてます。一週間は何もせずに過ごせるでしょう。8日目から紙とクレパスを差し入れます。ほとんどの人がその日からなにかを描き始めるでしょう。そして一年後には部屋中が絵だらけになってます。しかもそれなりに、技術も独自に進化してドンドン面白くなってるでしょう。』と続けて話すと、ほとんどの人が「そうかなあ」という顔をします。ボクは100人中100人がそうなると確信をもっています。ボクのこの話を聞いてここ10年の間に今まで絵なんか描いたこともなかった、また描けるとも思っていなかった人達がたくさん絵を描き始めました(何故か女性がほとんどですが)。一年間で500点程描きためて、個展を開いた子もいます。トップページのフリーペインテイングアートスクールのコーナーにある「生徒の作品」がその彼女の作品です。』



05月14日(月)11:41:17 くもり デッサン? No 15
『デッサン?』

よく絵描きさんは「先ず、デッサン・・・」とよく念仏をとなえるがごとくおっしゃる方が多い。それに付随して「よーく見よ! 内面を見よ!」とかもよく聞く言葉だ。出来上がった(完成した)絵を見てどの部分が内面かどうか・・・なんて全然解らない。その対象物のどの部分までが内面と考えるのだろう。この地球上のあらゆるものはすべて、又今人類がこれが大宇宙ですと決めている範囲のものすべてが、つきつめてつきつめて掘り下げてゆくと同じ原則のモノ、形になる。
『球体・渦巻き・五体型』である。そしてそれ以外は『無空間』である。
ただ、大きな目でみると『球体・渦巻き・五体型』が見えるが、小さな目で見ると『無空間』しか見えずナニモナイと思ってしまう。例えば手のひらを合わせて作る直径7センチ位の小さな空間が、今の人類が考えている大宇宙と同じ広さの空間なのです。信じられないでしょうがこの宇宙というのはそんなものなのです。(ちょっと脱線して宇宙のはなしをします。地球人は今地球上にある最大の電波望遠鏡や反射望遠鏡で見えてる宇宙を大宇宙といい、一番遠くに見えてるところを宇宙の果て・・と言ってますがナンセンスですよ。最大といってもたかだか直系数メートルの望遠鏡でしょ、頭のなかで太陽と同じ直系の望遠鏡をつくって今の宇宙を眺めてください。エーッと思うものが見えますよ。それと正反対の顕微鏡の世界も同じです。ミクロもマクロも無限なのです。)話が大きくなりすぎましたが、要するにボクが思うのは、デッサンは、あくまでも写真をとるがごとくそのモノの外形形態を写し描くことじゃないかな・・と。
特にカメラが無かった時代にはまことにもって大事な技術だったに違いないと思います。特に植物学者や、動物学者さんとかには・・・。
つまり『技術』の世界の話ではないかと思うのです。つまり『先ず、デッサン・・』は『先ず、技術・・』と言ってるということでオカシイと思うのです。先ずは『噴火』でしょ。

05月13日(日)11:53:05 はれ あるゲイジュツ家のこと No 14
『あるゲイジュツ家のこと』

多分、10数年前からだったと思うが、あるアイデアである意味注目され、そのアイデアがオモシロイので、ドンドン有名になっていき、その作品は多分高値で取引され、又ある有名な美術館も買い上げて常設展示している。一瞬の(多分)アイデアでここ10数年芸術家の扱いをされている。昨日も謀巨大新聞社の主催でそのゲイジュツ家の同じアイデアの延長上にある○○展の広告が載っていた。もう日本ではかなり有名なので(一般的にはどうか知らないが)そのゲイジュツ家の作品やそのことを紹介する記事をここ10年の間に度々見るが、いつも初めてそのアイデアの作品を作ったかのようにでることが多い。『いい加減にしたらどうだ』と言いたい。ボクは絵の技法とか、技術のことは良くわからないので絵そのものは、なんとも評価のしようが無いが、ただ感動とかエエナーとか好きやなーとかの対象になるような絵ではないことは確かで、ただそのアイデアがオモシロイだけの絵だと思う。厳しい芸能界ならいわゆる『一発屋』(ヒット曲を一回だけだして後は消えてしまう歌手のこと)である。そういうゲイジュツ家をいつまでもいつまでも取り上げるマスコミや今の日本のアートシーンもどうかと思うが、取り上げられて「断らない」ゲイジュツ家もゲイジュツ家だ。外国の現状は良く知らないが、今の日本の『芸術家を育てる』と言う感覚はちと違うのではないか。決して有名にする・成ることでもなく。経済的に豊にしてやることでもなく。その『噴火』がいつまでも、自然のままに続くようにちょっと離れたところから見続けてあげること・・・と思うのである。自然にその存在が知られ、ある意味有名になっていくのは仕方ないが。

05月12日(土)12:59:43 はれ オリの話 No 13
『オリの話』

ちょっと、ヘビーな話ばかり続いてるので全く違う世界の話をします。
普通の人には、一生縁のない話しです。「オリの中」の話です。(これもヘビーかな?))選挙違反も立派な?刑事犯で捕まると留置場に拘留されます。会社であれば普通の日常業務でも選挙では法律違反ということが多々あります。ボクのケースは学生や主婦のアルバイトに支払う給料が違反となったケースです。ある程度の決められた人数までは問題ないのですが、それを遙かに越える多くの人を組織的に使っていたため摘発されました。1990年2月のことです。その事件当時我が代議士は現職の国務大臣だったのとボクが公設秘書で最高責任者だったため出頭して逮捕された時は、NHKの全国ニュースや久米さんのニュースステーションででたそうです。(ボクは見てません)その日から『オリの中』に33日間も入りました。普通は22日間で終わるのですが、ボクの場合、総括責任者のため連座制により当選取り消しの可能性があったため色々と当局とのかけひきがあり時間がかかりました。オリは、大体四畳半くらいの広さで動物園のオリとほぼ同じ感じです。隅っこに完全オープンなトイレがついてます。(用を足すとき外から丸見え)オリの端の下に15センチ四方くらいのトビラがついててそこから食事が差し入れられます。ウラ憶えですが朝6時起床。布団を自分で布団部屋に運びます。この時オリがあきますが通路や各所にエーッと思うくらいの警察官が並び、厳しい目でにらんでます。7時に朝食が差し入れられます。主に具のほとんど無いみそ汁とご飯です。8時に「運動ー!」と声がかかり皆オリの外に出されネコの額ほどの狭い隔離された野外で背伸びが出来ます。この時一人2本までタバコが吸えます。この時はその狭いエリアに殺人犯やら、詐欺師やら傷害事件犯、覚醒剤中毒者が集まるわけです。幸い、ボクは取り調べの時間が早くから始まっていたためそこには一度も行かずにすみました。ボクの場合朝8時ころから夜10時ころまで毎日取り調べでした。
オリに帰ったらもう皆寝てるか、歌タイムでした。
歌タイムというのはオリのなかの殆どの人が順番に歌を唄って夜をすごすのです。皆、結構うまいのです。あまりに上手いやつがいるなと思ったら彼らの会話を聞いてたらナゾが解けました。そいつは元グループサウンドのボーカルで当時は、全国を渡り歩く結婚詐欺師でした。そいつのはなしをちょっと続けると、神戸でも数人が彼にだまされて金を取られたらしいが、その被害者がこれまた、全員がメッチャクチャ美人で賢そうな人やったと、ボクの担当刑事が言ってた。風呂は冬場は週一回のみ(夏は二回だそうな)。五日目位に頭がかゆくなり死ぬほどの苦しみを味わう。食事は三食で約1400カロリーに抑えてて、予算は三食で約400円ちょい。粗食です。しかしお腹が空くからメッチャクチャ上手かった。特にブリのあらだきはなかなかのものだった。お金を持ってたから何でも自由に出前をとれるのだったが、何か意地でその食事を33日間食べた。おかげでこの33日間に7キロも減量がデキタ。時々夜中に大声(普通じゃない大きさ)をだす覚醒剤中毒者や、酔っぱらって暴れて逮捕されオリに入れられるヤツがいた。(これがまた中で大騒ぎをする)翌朝、全く別人のようにおとなしいのが可笑しかった。ある日、全く普通のギャルが入ってきた。どうやら、無免許運転中に捕まり、逃走したらしい。女子は専用のオリが一つしかないため麻薬密売人と殺人犯の入ってるオリに2日間入れられていた。この『オリの中』で思ったことや、考えさせられたことは沢山ある。またいつか気が向けば書きます。

05月11日(金)12:36:13 はれ 不思議な出来事:VOL2 No 12
『不思議な出来事:VOL2』

これは少し長い話になります。やはり1991年の初めての個展での話からはじまります。この時、その爺さんはある国会議員と一緒にやって来ました。会期中ボクが会場にいる日時はあらかじめ案内状に書いてましたが、丁度その時は本来ならボクのいない時でした。爺さんは以前から、その国会議員にボクの話しを聞かされてて興味を持ってたらしく、「その個展に是非連れて行け」と言うことで突然来ることになったそうでした。しかし議員が「今、行ってもヤマグチさん居ません。この日に行かんと・・」と言っても「いや、会うことになっとるヤツとは必ず会う!行けば居る」と言って聞かず、来ることになったそうです。ボクは何故か会場にいました。それも会場でいつものように勝手な絵を描いてました。何故かめったに描かない真っ黒一色の絵でした。会場の入り口に立った爺さんの一言目は「ほら、居るやろ!」で議員はやはりビックリしてました。しかも、爺さんの姿は上から下まで黒一色の黒ずくめの服装だったのです。爺さんは絵を見ながら大きな声で「ワーッ、これはひどい!」と何度も繰り返して言いながら見てました。(他の客も居るのに)後で、喫茶室でお茶を飲みながらボクは爺さんに「何がそんなにヒドイんですか?!」と聞きました。爺さんは「イヤーッ、ワシはながいこと神さんに仕える仕事しとるが・・・中略・・絵を見て涙をながすほどの感動を今日の今日まで与えなかった神さんがヒドイ・・と言う意味じゃ!」そして「ヤマグチさん、一体どんな絵から始まった?」と聞き「最初は渦巻きばっかり描いてました」と言うと「やっぱりな!!」と言い「ヤマグチさんの絵は雲と一緒や!」「何点かからシンインが聴こえる」と言いました。「シンインて何ですか?」と聞くと「神韻」と言う漢字を書いてくれました。「神の世界に流れてる音楽」だそうです。「ヤマグチさん、あんた絵を描いてる間はメシの心配せんでええで」とも言いました。(ボクが描きつずけるのはここにも理由がある!?)とにかく大騒ぎして帰られました。その後ひと月くらいして、爺さんを慕う人達の集いに呼ばれたときのことです。爺さんが10人ほどのその人達に「ヤマグチさんは、描かされてる。・・そういう絵にはその世界からのメッセージがある場合もある・・いずれ解るだろう。」と言いました。ボクは数日してから気になることが出てきました。ボクの絵にはもともと題名は無かったのですが(今は、便宜上つけてます)1990年の8月〜9月に描いた絵だけそのとき題名がついていたのです。何故題名がその時だけついてたか・・それは知り合いの画廊の人が当時、ロサンゼルスで開催されたアートエキスポに50点程スライドにして持っていったのです。勿論売るためでなく、見せる為だけです。それで便宜上その時も絵をマジマジと見ながらかなりええかげんに題名をつけたのです。・・そのことを思い出し題名をイチイチ検証しました。なにかそこにそのメッセージとやらが・・・と思ったからです。それから2ヶ月後に爺さんご一行様が10数名でアトリエに来られました。皆さんはアトリエでなんか大騒ぎでした。「パワーだ!なんのと」暫くしてボクが「あの時、なんか、メッセージ・・・。実は、気になる絵が数点あるんです。一つはコレなんですが、実はコレ、ボク去年にゴルビーと題名つけた絵なんですが・・なんでそうつけたかと言うと、
ここにゴルバチョフの顔が左半分だけあって、首からしたが無くて真っ赤っかで、・・なにかゴルビーに起きるちゅうことでしゃろか?」と言ってみんなにその絵を見せました。「ホーッ、ナルホド!」皆、解ったような解らんような反応でした。そしてその日から2ヶ月ほど経った8月19日のお昼過ぎ、アトリエで寝転がってテレビを見てるとニュース速報が出て『ソ連でクーデター発生、ゴルビー失脚か!?』と流れました。『エーッ!と思ってそのゴルビーの絵を(実は、直ぐ前に飾ってた)見ると、ナント丁度1年前の8月19日に描いた絵だったのです。ボクは背筋がサブークなったのを憶えてます。家に帰って妻にこの話をするとやはり気持ち悪がりました。
何日か悶々として、一ヶ月後くらいに爺さんとこへ、妻と二人で行きました。爺さんに「アノー、ゴルビーの絵のこと憶えてます?」爺さん「アー、ようおぼえとる」ボク「あれ、丁度失脚の一年前の・・」爺さん「アー、これからそんなことがよくあるぞ」と軽く言われ、爺さんの奥さんまでが「ナア、爺さん、爺さん、そんなことばっかりやもんなー」と言ったのです。ある意味、妻とボクは気が楽になりました。
多分、そんなに不思議なことでもないのでしょう。ただ、ボクはその事件からもう題名の意味とか、メッセージとかは探らないようにしましたが・・。









05月10日(木)11:17:25 くもり 魂の地核変動 No 11
『魂の地核変動』

何やら、たいそうな響きがありますが実のところは、誰にでもほぼ毎日起こっている人間の自然現象です。地震の規模に例えると、愛する肉親や、かけがえのない人の死などによって起こるのは、マグニチュード7クラスの激震。失恋などの悲しみ、信じていた人の裏切りによるショック、不慮の事故の遭遇などいろいろな要因によって起こるもの・・弱震から激震まで(これは震度には個人差がある)。大体解るように、喜びとかよりも悲しみのほうが地殻変動が多く起きる。過去の芸術家の作品の歴史のことは余りしらないが、多分ボクの推察ではリアルタイムでも、後々でも人々の魂に訴えるような作品は、それぞれの芸術家が激しい地殻変動のときに生まれた作品だと思う。打ち拉がれるほど悲しい時、絶望のどん底の時、死に直面した時などそんな時にその地殻変動で溢れるマグマのように吹き出した作品は、多分見る者を「黙らせてしまうほどの圧力と迫力」があるはずだ。その芸術家のそんな事情を知る、知らないにかかわらず。芸術家もそんな状態の時の創作はそれこそ「その作品を売ることや、人に見てもらうとか」そういうことは全く何も考えず、ただ無心に無我に、自分をある意味癒しながら、手を動かしていると思うのである。

05月09日(水)16:19:11 はれ 不思議な出来事:VOL1 No 10
『不思議な出来事:VOL1』

「何も考えずに描いてると言うけど、裸婦も結構描いてるヤン。あれはモデルを見ながら描いたンやろ?」とよく聞かれる。確かに裸婦はかなりの点数があります。しかしモデルはいません。一番最初に描いた裸婦はボクのホームページのギャラリー1にある
007びーなすです。正確に言うと「描いた」ではなく「出てきた」というのが正しい。これは1990年10月4日の作品ですが、この日までのボクの絵の描き方は紙にドンドン色をつけていって左右、天地ひっくり返したりして「オモシロイ」と思ったらやめる(完成)。という感じで大体1点の作品が5分から15分位で完成します。(これはイマでも殆ど同じ)その日も、同じように
白い紙の上にピンク色の堅いパステルをナイフで削って落とし始めました。時々、「フッ・」と軽く吹いたりしてピンクの粉を拡げたり、飛ばしたりしてました。数分していつものように紙を左右、天地ひっくり返したりしてふと紙面を見ると、女の人が後ろを振り返るポーズをとってるのがハッキリと見えたのです。体のラインその他、見えてるとうりに指でなぞりました。それ以外はどこもさわっていません。もうビックリしました。こんなキレイナ絵が描けないことは自分が一番よく知ってます。その翌日から同じように試してみるともう「ドンドン・・」出てきました。それもいろんなポーズをとったり、数人で出てきたり。これは翌年の1月28日まで続いたのです。そしてもう一つ不思議なことにその殆どすべてが後ろ姿なのです。

05月09日(水)11:36:10 くもり 『○○会○○展』 No 9
『○○会○○展』

よく人に「○○展には出品されないのですか」と聞かれる。これに関しては全くもって興味も関心も無い。ヤフーに掲載されて以来、いろんな人がマサ・アキドットコムを覗くようになって所謂現代美術展の団体などから「貴方の作品は無審査で通しますので
是非、ご出展を・・」とメールがくる。「審査?なにを基準に?」バカバカしくて返事する気もしない。自ら生まれる作品の最高の審査員は自分であるべきです。子供を産んだ親が自分とこの子供がこの世で一番・・」と同じです。又、審査って言ったって所詮その審査員一人か、数人の好みで決まるだろ。ある団体○○会では「去年はこの人が入ったから、今年はこの人に・・」というものもある。又、公の展示会でも審査員によっては自分の弟子を入選させる場合もあるそうだ。ボクは絵は素人だが、自由自在に手を動かしてて、「オモシロイなー!」と思った瞬間に手をとめる。
その時、ボクは自分の作品の審査員となっているのだろう。ただ、他人の目は又違ってて、ボクがその時はオモシロイと思ったが後になってみて「ナンジャ、これチョット恥ずかしいな」と思ったりする作品は沢山束ねた絵の後ろのほうに隠してると、わざわざそれを取り出し「これ、メッチャオモシロイヤン」て言う人もいる。つまり個人の好みは千差万別、一人や数人で審査なんかスルもんじゃないと思うのである。




05月08日(火)17:01:49 あめ 絵の勉強? No 8
『絵の勉強?』

芸大を始めとして、いわゆる美術系の短大、大学って一体、日本にどれ程あるのかな?又、その授業の中身を全く知らないボクはある意味「なにをやってるのかな?」と興味がある。ただ素朴な疑問が数点ある。「絵を描きたい。だから芸大へ行く」これはおかしい。絵はいつでも、どこででも描ける。「絵の勉強がしたい。」
なんの勉強?所謂技法ってやつのこと?モチエールとかマチーフのこと?ボクはいまだにそれがどういう意味かも知らない。「テーマを決めて○○を描け!」って言うのもあるらしい。そんなこと言う先生とやらには、そのままその言葉を返してそれを「描かせたらいい」そしてみんなで好きなこと言ってやればいい。「考えたりして生み出すものではない」と思う。火山は考えながら噴火してません。「吐き出すように、溢れ出すように、わき出すように自らの魂のなかから出てくるものを自然にまかせて目の前のキャンバスや紙に出せばよい」と思う。出てこなくなったら終われば良いのである。「上手に描きたい。だから絵画のすぐれた技法をもっと学びたい。」とかいうのは絵描き職人の世界の話で、また違う世界の話です。ただ世間では「絵を上手に描く人」は圧倒的に高い評価を得ることはできますが。もう一つオモシロイことがあります。ある美大の先生の話。学校ではテーマだのモチーフだの言ってるけど、ボクとほぼ同じ考えのちょっと有名な現代美術家のお弟子さんになってます。

05月08日(火)11:40:49 あめ 初めての個展で。 No 7
『初めての個展で』

1991年3月に神戸の北野で初めての個展を開いた。6日間で500人近い人が訪れた。その訪問者によっていろいろな面白い出来事があった。どこかの美大の女の子二人ずれの会話「このブルーがなかなか出ないのよねー」と感心してるその色は、サクラクレパスの原色をそのまま使ってるだけ。ある美術館な学芸員「このモチーフはナンですか?」ボク「スンマセン、もちーふって何ですか?」学芸員「テーマは何ですか?」ボク「え?テーマって何ですか?」そうかと思えば旅行者風の若い男の子が「アノー、音楽やってません?」ボク「ずっとやってます」彼「ヤッパリネ!絵から音楽聞こえます」へーなるほどと思わされたり。不思議な仙人のようなお爺さんが訪れたり(この方の不思議なお話は又いずれ)そんな面白いなかで極めて印象に残ってる出来事があります。知らない人から会場に高価な花束が届きました。そしてその花束にメッセージがついていました。『有り難うございました』とだけ書いてました。
受付の女の子がその人のことを覚えていて説明してくれました。その人は新潟に住む中年の男の人で、大阪からフラーっと神戸の北野に来たそうで、どこ行く当てもなく歩いてたら、外から見えてるボクの絵に吸い寄せられたそうです。なんか異常に感動して帰られたとのことでした。そしてその後、花を送ってこられたのです。ボクはボクで感動しました。ひょっとしたらボクの絵がその人にとってかなり大きな何かとなったんじゃないだろうか、例えば「妻子をすてて家出してきたけど帰る気になった」とか、いろいろ考えました。「絵ってそんなに力があるのか。ただ見せるだけでもこれは相当意味のあることかもしれないな」と「ぁーっ、個展やって良かったな・・・」と思いました。


05月07日(月)15:33:57 はれ 描き始めのころ。 No 6
『描き始めのころ』

1990年5月2日突然、「絵を描こう」と思い12色入りのクレパスを買い、コピー紙に描き始めました。「何を描きたい」とかは
何もなくただ自然に任せて手を動かす行為をするだけでした。ドンドン描きました。半年後にはもう500点位描いてました。この頃は、「人に見せる」とか「売る為」とかは、全く考えてもいませんでした。それまでのボクを知ってる人達は一様に「エーッ絵を描いてる!?」と驚いてました。口コミでいろんな人が絵を見に来ました。不思議に皆ホメテました。ある日フランスから帰ったばかりの画家(10年程いたらしい)が見にきて「本当に、絵の勉強はしてないのですか?・・・ボクはもう絵を描くの止めます。」と言って帰りました。ボクに「マサ・アキさんの絵は、売り買いの対象にしてはいけません。マサ・アキさん小指を切って売れますか?」と言った人も丁度この頃、ニューヨークで奨学金で4年間絵の勉強をすませて、帰国したばかりの人でした。最初の個展はこの人のすすめでやることに決めました。「マサ・アキさんは人に見せるつもりで描いてなくても、見た人は、何か感じたり、影響を受けたりするんだから、見せたらどう?」と言われ、個展なんて考えてもいなかったボクは「個展か、なんかカッコエエやン」というノリで翌年の3月に初めての個展をすることを決めました。その頃すでに、作品数は1000点位になってました。」

05月06日(日)14:25:01 はれ エネルギー源。 No 5
『エネルギー源』

自己分析をしてみて、これが絵とかアート的なものにチャレンジしてるエネルギー源かな・・と思うことがある。過去に3人の男との直接、間接の出会いがあった。いずれも代議士秘書時代である。一人目は岩下哲士君。彼は今ではかなり名の売れた画家だが、出会った頃は殆ど無名だった。彼程、純粋無垢な人間をみたことが無かった。つい口が滑って「哲ちゃん、この絵いくら?」って聞いてしまったら、「おっちゃん、何言うとんや!」と涙を目に浮かべていた。ただ、彼は脳性小児マヒなので絵を売らないと生活は出来ない(今はご両親が居られるが)。二人目はある日本画家。
彼は、大臣秘書をしてたボクに、自分が主宰する○○会に出品する自分の作品に「総理大臣賞が欲しい。なんとか先生のお力で・」
と言ってきた。その時彼は、美術年鑑とやらを手に、「私はこれです。」と言って、その最初のほうのページにあるカラーの大きな仏さんの絵を見せ、続いて○百万円と値段が書いてあるページを自慢たらしげにボクに見せた。三人目はこれも日本画家。彼は謀有名芸大の学長だった。彼の作品と出会ったのはボクが絵を描き始める三日前の1990年4月30日だった。ボクは当時、拘留から解放されて、ある意味心身ともにピュアな時だったかもしれない。その作品とは、ある劇場の緞帳である。その劇場でタイの影絵を見に行ったとき、その緞帳には壮大な絵が描かれていた。
美術館に勤める妻に、「これ誰の絵?」と聞くと、妻は「これは、○○さんで、謀芸大の学長で、日本ではまあ一番の人かな・・」
と教えてくれた。ボクはその時大噴火したように思う。「えーっ!
この人がほんまに、日本で最高の芸術家?」とボクが言うと、妻が怪訝な顔でボクを見て「ナンデ?」「だって、自分の作品のなかにスポンサーの広告があんなに大きく入ってるやん。あんなこと芸術家が許せるのか!?信じられへん!」

05月04日(金)15:50:28 はれ プロ?アマ? No 4
プロかアマか。

時々、「プロにはならないんですか?」と聞く人がいる。この人にとってのプロとは、「絵を売って、生活をする」と言うことなのだろう。
ある美術館が主催したアートのフリーマーケットの広告チラシに
「絵画や彫刻を、美術館や画廊で鑑賞するだけでなく、
商行為により個人のモノとして生活の中に取り込んでいく、
又作者は、ただ見せるだけでなく売ることにより作品に責任を持ち
新たな創作の糧としていく・・・」とある。
なるほど良くできた文章だと思う。
ただ、作品になんで責任を持たねば成らないのか?誰への責任?
何に対する責任?ボクが漠然とおもう芸術たるものは、
火山の噴火そのもので、人間という自然物に起きる自然現象的なものではないかと思っている。火山が責任を感じながら噴火してるだろうか、誰が見てるかとか、どこかの街が埋もれるとか、考えながら噴火してるだろうか、「今の、噴火に500万円払う」と言う人間を意識してるだろうか、火山は何も考えず、何も意識せず地球の地殻変動にあわせて噴火してるのである。人間という自然物も魂の地核変動により、マグマを噴火するのである。売る、売らない以前に、見せる、見せないも問わない世界だと思う。本来は、人に見せる、見てもらう、売る、買ってもらう、とはまったく無縁のものだと思うのである。ただ、そういうふうに生まれてきた作品が人に感動を与えたり、不快感を与えたり、マネーゲームの手段に使われたりするのは、これまた誰も止められないことなのである。」

05月02日(水)15:16:47 あめ アマノジャク No 3
確かに、絵を描くということは別にそんなに好きでは無かったが、
「自分を目立たせる」とか、「自分はチョット違う」ということを
表現することは、小学生のころから好きだった。
これはいまだに続いている。アマノジャクでもある。
大きな権威とか権力には反抗したくなるところもある。
「絵を売る」ということひとつとっても、描き始めはそんなに
こだわりはなかったけど、世間の考え方のひとつに
「絵では、食えない」「そんなに、売れるものではない」
とあり、又時々「なかなか、売れないでしょ」とか
「絵で生活出来ますか?」と言われるので、
このアマノジャクの性格が、
「いや、絵は一枚も売ってません」と言いたくなる。
この10年(絵を描き始めて)の間に、結構たくさんの日本人や外国人から「買いたい、幾らだ」「売ってくれ」と個展の時に言われたり、
メールが来たりするが、「売ってません」と言うのがある意味、
快感でもある。なかには、「この絵を300万円で・・」という人もいた。その絵は確かに、たくさんの外国人が好きになる不思議な絵だ。〈太陽・月・地球 1990.9の作品〉
ただ、正直なところ、心はいつも揺れ動いている。(人は欲深いモノ)
そんなボクの、こころに重しとなってる言葉がある。
ある人が1990年の12月にボクに言った言葉。
『あなたの絵は貴方の一部です。あなたは、小指を切ってそれを売ることが出来ますか?それと同じです。」

04月29日(日)15:19:23 あめ VOICE−1 No 1
「いい仕事ですね」とよく、人に言われる。「絵は販売していないから、仕事ではないです」と答えると、ほとんどの人が「じゃ、いい趣味ですね」と言う。ボクの趣味は「音楽」だし、「絵を描くこと」が、飯より好きではないので「いや、趣味は音楽で、絵を描くことはそんなに好きではありません」と答えると又、殆どの人が怪訝な顔をする。ボクの40才までをご存じのかたはボクが絵を描くことが好きな人間かどうかご理解いただけるのではないか。
ボクは小さい頃から、「絵をかくことが好き少年」ではなかったし、又「上手な絵を描く子」でもなかった。そして、いまだに他の画家(有名、無名問わず)の絵に殆ど興味がない。美術館やギャラリーには殆ど」行かないし、行きたいと思わない。ただ義理と人情で行くことはある。「じゃ、なんで絵を描いてるの?」と、又殆どの人に聞かれる。
はっきり言って、未だ自分でもよく解らない。確かに描いてて面白い時もある。ただ一つ間違いなく言えることは、そんな精神状態でやってるにもかかわらず、この10年の間、いろんな人達から「スゴイ」とか「感動した」とか言われてその状況が面白いと言えば一番面白くて続けてる。それとやはり、いろんな人達から「続けて下さい」と言われ続けているため「止められなくなってる」こともある。でも、そう言いながらも「何かが描ける」から続いているというのもある。普通の人より時間が余ってる(ヒマ)というのもある。
 まあ殆どの人は「仕事か趣味」のふたつしか考えないが、「人の行為には仕事でもなく、趣味でもなく行う行為」があるということだ。ただその10年以上も続くエネルギーはどこから来てるのか?このテーマについては又いつか話します。