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●2005年春
彼女は、政治の世界では後輩であった。ボクが衆議院議員石井はじめの筆頭秘書当時、確か1988年頃だったか…彼女は、石井はじめの弟、参議院議員石井一二の事務所のスタッフだった。
その後、彼女は同じ事務所のスタッフと結婚し、事務所を退職。子供を三人産み、子育てが一段落すると働きに出たようだった。神戸の中心部で事務員等をし、家計を支えていたらしい。夫は、数年後その参議院議員秘書を退職し、サラリーマンとなった。後の彼女曰わく「夫は、いずれは政界へと…思っていたのに」と…夫に対しかなり落胆したと…聞いた。

そして、子供達も順調に育ち、彼女も「仕事に燃える女」として社会で活躍してた2005年の春、我が石井はじめさんの政経パーテイーで司会をしている彼女を見た。10年以上ぶりだった。
「オイ!アイツがなんで司会してんのや?」とボクは、後輩秘書に尋ねた。「なんか…選挙に出たいらしいです…」と秘書が教えてくれた。「フーン…」であった。参議院議員事務所のスタッフだったとは言え…秘書ではない。ウグイス嬢から、スタッフになったという経歴だ。「何でまた…???」がボクの率直な感想だった。「後で、アイツにこの名刺渡しとけ!」と、後輩秘書にボクの「IMA選挙戦略研究所」の名刺を手渡した。

それから、数日後、彼女から電話があった。「是非、会って下さい!」勿論、快諾し、翌日彼女が勤める芦屋の会社の近所のレストランでランチをしながら、話を聞いた。かなり「意思」は固かった。「当選」の暁には…「離婚」も…という「決意」まで聞かされた。
「この秋の、補欠選挙か?」と問うと…「そうですね!」と彼女は答えた。
K市で、市会議員の補欠選挙が、この年の10月に3つの区で実施予定だった。「どこの区にするつもりや?」と聞くと「うーーん!まだ、決めてない!」
「今は、どこに住んでるのや?」「H区!」「そうか…H区も補欠あるな…」
この秋の市長選挙と同時に実施される市会議員の補欠選挙は、H区、N区、そしてT区の3つの区でそれぞれ定数1であった。ボクはこの時、直感でT区だなと思った。H区もN区も、いずれも下町で所謂「浮動票」が少ないエリアであった。よって、彼女はT区で出るべきだな…と決めた。
「ほんで、オマエさん、会社はいつ辞めるんや?」「うーーん、できればこの夏のボーナスを貰ってから…と思ってる!それでも間に合う?」「まあ…そしたら、9月と10月で、ほぼ2ヶ月やな…まあ…ボクならなんとかなるわ!(笑)ほな…まあ…この8月に会社辞めてから、その時点でどこから出るか決めよう!それまでは、普通に、これまでどおり仕事しとき!」

●2005年8月
彼女が夏のボーナスを貰って、会社を退職した頃、衆議院が突然解散していた。急遽、ボクは総選挙のクライアントの仕事に没頭することとなった。そんな中、時間を割いて彼女と会った。
「T区やな!それしかない!」「私も、そうかなと思ってました!高校はT区だったし、母の家がT区にあるし…」「オマエさんの選挙は浮動票を獲る選挙や!3つの区では圧倒的にT区が浮動票が多い!ついては、今回のボクの衆院選のクライアントのヒトリがT区とS区が選挙区なんで、ちょうど、イイからこの衆院選の自民党候補者の選挙事務所で使ったげるわ!」
この時の衆院選のことは「勝利の記録:VOL.9」である。当初、彼女はこの4人の運動員の中に含まれていたのだった。

ところが…ハプニングが起きた。この衆院選の選挙区地元の自民党市会、県会の議員達から、この選挙でスタッフに入れて欲しいという人物の推薦があったのだ。それは、この2ヶ月後のT区の市会議員補欠選挙に自民党公認で立候補予定のK君のことだった。K君とは、当時面識は無かったが…前回までの総選挙での自民党公認候補の秘書を10年経験してた男であった。しかし、この前回までの自民党公認候補は3回連続落選していた。

ボクがこの時、この選挙区で請け負った候補者は、「勝利の記録VOL.9」にあるように自民党の公募候補であった。自民党県連からの依頼だったのだ。
そんな訳で、K君を使わぬわけにはいかなかった。K君と会った。
「K君なあ、実は君が出る予定の、ここT区の補欠選挙に出馬予定の女性がいてな、もうすでに彼女と契約してしまってんねん!そやから、この総選挙が終わると、君とは敵になるねん!どや?それでもエエか?」
K君は、屈託の無い笑顔で「全然構いませんよー!」と言ってくれた。
エライ、自信やなあ…・と思った(苦笑)。という事情で、彼女はボクの別の地区の衆院選候補者の選挙事務所で働いて貰うことにした。やむを得ない処置である。

●2005年9月
総選挙が9月11日終了し、ボクのクライアントであった公募候補は僅か一ヶ月の運動で、奇跡的に見事に当選を果たした(顛末は勝利の記録VOL.9を)

総選挙終了と同時に…翌月の市会議員補欠選挙に向けて、各陣営が 一斉に走り出した。自民公認のK君、ボクのクライアント女性候補、いつもこの T区の市会議員選挙に出てる男2名(いつも落選)。合計4人で1議席を争う選挙がスタートしたのだった。まあ…敵はK君ひとりであった。

投票日は10月23日である。9月12日からおよそ、40日ある。まあ…なんとかなる…がボクの考えである。しかし…恐るべきことが起こった。自民党公認候補のK君が、総選挙終了翌日から、僅か数日間で…T区の全域にくまなく、彼の顔と名前が入ったポスターが張りめぐらされたのだ。
その数、およそ2000枚くらいか…。「やるなあ!!」こいつ!」がボクの印象だった。
まあ…直前のこの地元の衆院選でも彼の働きは特筆ものだった。なんせ、10年近く、この地元で選挙運動をやってた男だ。アタリマエと言えばアタリマエだが。それに引き替え…彼女は選挙資金はほとんど無く…資金集めから協力をせざるを得なかった。それは、まあ同じ事務所の後輩のようなものだからであった。ちなみに、結局最終的に彼女が、この補欠選挙で使った資金総額は、このK市の市会議員候補者の平均金額の三分の一程度であった。

ボクがこの選挙でとった戦略は、まず「資金がない」それなら…それを「売り」にする選挙をやる…ということだった。資金がないから、事務所は持てない、 運動員も雇うお金が無い、告示前の宣伝カーなん持てない、そういう「事情」だから「たったヒトリで孤独に闘っている!」という「事実」を、ドンドン有権者に見せよう…という戦略だった。ましてや、この候補者は、いわゆる「落下傘候補」
である。地元の高校は出てるものの…生まれも育ちも隣のN区だ。いわゆる後援者なんてものは、ゼロからのスタートである。まさに「浮動票獲得」以外…勝つ見込みは無いのであった。かたや、自民党公認候補のK君は、地元の県議、市議他、K市全域の自民党市議の応援も受けていた。

ボクは、やはり得意の「ビラ作戦」に賭けた!ビラを、選挙区全戸に告示日までに2回配布!に最も力を入れた。資金のほとんどはそれに使ったようなものである。そして、その第1号ビラを選挙区全戸に入れるまでは、彼女に「運動待機」をさせた。ボクはとにかく、その第1号ビラに全精力を注ぎ…知恵を注いだ。ここで…また、「勝利の記録VOL.7」の時の、女性候補と同じ作戦を使った。第1号ビラの「インパクト」に勝負を賭けたのだ。

●1号ビラ大成功!
告示日を約一ヶ月後に控えて、「会心の出来」の、第一号ビラが完成し、選挙区全戸に向けて新聞(朝刊)に折り込み完了した。まあ…全戸と言っても、新聞を取ってない家は20%ほどあるが・・そういう家の有権者は、まあ…あまり選挙にも、世の中の動向にも関心が無い人たちで、投票にも行かないのである。だから…問題なしである。
そして、その日の夕方から、候補者を駅に立て…運動を開始させた。翌朝、ボクはいつものように、いつもの時間に御影のにしむら珈琲に行った。その時である。少し離れた席に座って談笑してたグループがあった。ウチのひとりが、この補欠選挙が行われているT区とは、一番離れたH区の市会議員さんだった。その席で大声で話す議員の声が耳に入ってきたのだった。
「オイオイ!あのなー、T区の補欠選挙の事前運動のビラでなあ…昨日の朝刊に折り込みされてたビラになあ…●●が無いねんて!びっくりやで!そんなんないで!●●が無い、選挙の事前運動のビラなんて、聞いたこと無いわー!」
というような会話だったのだ。ボクはほくそ笑んだ。横に細長いK市で、T区とH区は両端に離れている、遠いエリアなのだ。それなのに…その昨日の朝に入れた1号ビラが話題になってたのだから(笑)。ボクはこのとき…「勝った!」と直感した。インパクト強烈だったということなのだ。さぞかし、選挙区内でも大いに話題になってたことだろう。それはまず、間違いない。●●については、「企業秘密」なので書けません(笑)がね。

ちなみに、その折り込み後の翌朝からの、彼女の駅頭での朝立ちでは、「ああ!あのビラの人やな!!」とか「あんたやったんか!あのビラの人は!!」とか…たくさんの有権者に声をかけられたそうだった。まさに…大成功の1号ビラだったのだ。

そして…それから数週間後の告示直前の2号ビラは…またまたインパクト大!1号ビラの●●の「答え」が見れるビラを作成し…同じように選挙区全戸に新聞折り込みを実行。たぶん、この時点で、告示前時点で勝ってたように確信します。

彼女自身の活動は、事務所も無ければ、宣伝カー無い、運動員もいない…。とにかく「ひとりぼっちの孤独な闘い」をこつこつコツコツ実行させました。これは本当に辛い辛い「修行」のようだったと思います。電池式の重い重い、ハンドスピーカーを持ち、ノボリも持ち、車もなく、ほとんど徒歩で、くまなく選挙区を歩いて、歩いて所々で、数分間の街頭演説をするのです。誰が見ても、周りには運動員なんてひとりもいません。たったひとり、候補者がたったひとりでそうやって、選挙区を歩いているのです。ボクはいろんな人から、そのときも、後々もこう聞きました。「可哀想やった!この人に票を入れてやろうと思った!」と…

●●選挙本番突入。
選挙本番に入りました。彼女には、いわゆる「選挙事務所」もありません。というよりお金が無いから持てません。だから、選挙では普通は、セオリー的な「出陣式」や「選挙事務所開き」みたいなことはやりません。宣伝カーは公費が出るので作れました。幸いにも、選挙本番には、ボランテイアも数人集まり宣伝カーでの選挙運動は普通に出来ました。ただ、宣伝カーが、「動く選挙事務所」みたいなものでした(苦笑)選挙中の彼女の活動も、街頭活動がほとんどです。いわゆる「箱もの」会場を借りて実施する「個人演説会」などは一切やらせませんでした。まあ…「選挙」というものを経験したり、見てきた人たちには、「常識」はずれの選挙に見えたことでしょう(苦笑)でも…そういうケースバイケースで選挙戦略を構築…がプロのボクの「本領発揮」なのです。

他の3人の候補者で、ライバルは、やはり自民党公認候補だったK君です。
ある意味、誰が見ても彼は「万全の体制」だったかもです。地元で10年も張り付いて運動してた実績もありますし…選挙にも熟知していますから。
なんせ…この補欠選挙の僅か数週間まえの総選挙で、同じ陣営で戦ってくれたいわば「戦友」でもあり…その能力の高さはよくわかってましたから。

そして…極めつけの出来事がありました。投票日まであと2日という日の夜です。自民党公認候補のK君が、選挙区で一番大きなホールで総決起大会を開催しました。選挙区でのメインの駅前の大ホールです。収容人員は約700人程。夕方から、その会場へ足を運ぶ人たちがドンドン増えてきました。当日は、めったに「選挙戦場」へ足を運ばないボクも、気になって会場近くで様子を伺いました。ボクの目の前を、知り合いの自民党県議や市会議員がドンドン通りすぎて行きました(お互い、苦笑いです)そこへ、K候補者本人も自らマイクを持つ宣伝カーで、ボクの近くに走って来ました。そして、彼は「敵」のボクに、勝ち誇ったような「笑顔」でボクに手を振りました(苦笑)会場は、約700人以上は入り…超満員だったと…後で聞きました。K市の自民党市会議員はほぼ全員激励に駆けつけたのです。中には、当然以前のボクのクライアントもいます(笑) まあ…K君は、間違いなく「勝った!勝った!」と確信したことでしょう。

ちなみにこの日ボクは、彼女に夕方から、この会場へ向かう人たちが必ず通るであろうポイントに立たせました。しかも、その場所はメインの駅前の一等地に構えた、K君の選挙事務所の真ん前でした(苦笑)。彼女も度胸があります。
腹が据わってます。ここで…摩訶不思議な出来事が起こったのです。
実は、K君の決起大会会場がムード最高潮の午後8時頃、「ひとりぼっち」で…通行人に切なく訴える彼女に、ひとりの女性が近づいて来ました。そして、彼女にこう言ったそうです。「あんた…偉いなあ…ほんま…感心するわ!私、ここの事務所の関係者やけど…選挙はあんたに入れるわ!」と…です。
なんと、この女性そう言って、K君の選挙事務所へ戻って行ったのです。

●奇跡は起きた!
投票日が来ました。勝つだろう…と自信はあったものの…やはり選挙は水もの…蓋あけてみなければわかりません。ましてや…選挙通の誰もが、まあ…自民党公認候補のK君が勝って当たり前…と思ってたはずです。

おもしろい逸話もあります。午後8時過ぎて投票が締め切られてから…ボクは、彼女に開票所へ行かせました。まあ…本人が開票所へ行くというのはあまりしないものですが…彼女は臆せず行きました。そしたら、その開票所の入り口に彼女が着くと、市の職員らしき人がその姿に驚いてこう言ったそうです。
「あんた!何しにきたん?ここ開票所やで!」「わかっています!結果をいち早く知りたくて来ました!」と彼女が言うと…職員は、笑って「あんた…が当選するはずないやん…」と言い放ったそうです。まあ…その程度の候補者に見られていたのでしょう。

しかし…勝ちました!ハイ。彼女(無所属)が19128票で当選。次点が、自民党公認候補のK君、15850票。あと、次次点9451票、最下位8476票の 結果でした。これまたボクには「痛快」な勝利でした。 この後、彼女は3回連続当選を果たしました。

このとき、次点に終わったK君は、次期統一地方選挙でも同じ選挙区で、彼女と戦いましたが…彼は、この次期選挙では1700票ほどの最下位でした。

しかし、これより、6年経った、今年2013年夏、K君は、ボクのクライアントとして H県議補欠選挙に自民党公認として立候補!見事他3人の候補を破り 初当選を果たしました(笑)
この時のK君のお話は、次の「勝利の記録:VOL.20」で書きたいと思います。

そして…3回連続当選を果たし、自信満々となった彼女は、3回目の当選から半年少し過ぎた頃、「これからは、一度自分の思うように選挙をやってみたい!よって、契約を解除したい!」と申し入れがあり…今から2年前に、彼女とのコンサル契約は終了しました。その彼女が今年、2013年10月のK市市長選挙に出馬しました。ボクから見たら「暴挙」でしたが…もちろん、相談にでも来れば…出馬は反対しましたが…「時期尚早」と。
でも…一度も来ること無く突撃し…沈没しました。ただ、彼女がこの市長選挙で記者会見してた時の記事を何度か見ましたが…
この大きな大きなK市の市長選挙も…一番最初の初当選の時と同じ…
「ひとりぼっちの孤独な闘い」を…と言ってたし…やってたようです(苦笑)
ボクは、「選挙の規模が違うがな…何を言ってるねん…」と苦笑いしかありませんでした。

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