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IMAへのメール


 
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●2007年師走
  その電話は、2007年12月の初めに突然あった。ちょうど、ボクが和歌山へ移動中、大阪環状線新今宮駅で下車、南海電車に乗り換える時にかかって来た。
  『ああ…ヤマちゃん!!久しぶり!!元気にしてる?実はね、いろいろ噂が出てて、知ってると思うけどね、弁護士の橋下さんが、大阪知事選に出る…って話あるでしょ?実はね、彼はオフィスタイタンと言って、お笑いの「爆笑問題」が所属してる事務所のタレントなのね…それでね、ヤマちゃんも覚えてると思うけど、ウチに息子がいたでしょ?よく学生時代に石井さんの選挙を手伝ってた…一郎君(仮名)て、ウチの長男!彼がね、その爆笑問題のマネージャーをしてるんだけど、橋下さんが、選挙に出ると決まったらね、ウチの息子が東京から、大阪へ出張して、どうも選挙を仕切らされるようなの…・でもね、今は、太田社長が、選挙に出ることは反対してて説得してるようなんだけど…言うことを聞かないらしいの…それでね、結局、出ることになるんだったら、オフィスタイタンとしては、総力を挙げて応援するらしいの…ところがさあ…ヤマちゃんも知ってるように、ウチの息子は、選挙の手伝いはしたことあるけど…ポスター貼り程度じゃない!とてもそんな大阪の知事選挙なんて仕切れないと思うし…選挙は素人みたいなもんだからさ…もし、出馬が本決まりになって、息子が大阪行きが決まれば…息子に会ってくれる?どこにでも行かせるからさあ…どう?お願いできる??』
  電話の主は、ボクが石井はじめ秘書時代に、石井はじめさんの弟で、当時は参議院議員の石井一二という人がいたが、その石井一二氏の事務所で20年近く仕えた、まあ…お局さん的な存在だった女性秘書さんだった。ボクもかれこれ、20数年にわたる知己になる。彼女は石井一二氏が政界引退後、東京在住で、その息子さん家族と同居していた。また、
  この電話のふた月ほど前に、ボクが東京西麻布でライブをしたときに、こんな話になるとは知らず(苦笑)…歌を聴きに来てくれていた。
  『勿論!!いいでー!!出馬が本決まりになったら、いつでもおいでって伝えておいてー!!』

●数日後…
  この一郎君の顔はよく覚えていた。彼のお姉さんもよく手伝いに来ていた。学生アルバイトというのは、当時の中選挙区時代の総選挙では、事前運動に沢山の学生アルバイトを使います。延べ人数にして500名は超えます。だから、なかなか顔も名前も覚えられるものではないですが…縁故の子とか、よく仕事が出来る子、人集めの卓越した子は、よく記憶に残ります。一郎君は、石井はじめの選挙より、石井一二氏の選挙の手伝いが多かった筈ですが…なぜか顔は覚えていました。しかし、ボクの記憶にある一郎君は、おとなしい感じの…細い体の、神経質そうな顔の男の子で、
  芸能界の、しかも売れっ子の「爆笑問題」のマネージャーをしてるなんて…信じられない…という感じでした。
  数日して、その一郎君から電話が入りました。
  『ヤマグチさん、ご無沙汰しています!一郎です。母がいつもお世話になってます!母からお聞きと思いますが、ウチのタレントの橋下弁護士が、出馬の決意が固く…明日には、ボクが大阪へ行くことになりました。オフィスタイタンとしては、こうなった限りは、総力を挙げて支援しよう!ということになりまして…それでですね、やはりボクが事務局長として、選挙を仕切ることになったんですが…なにぶん、素人なもんで…いろいろご教示いただきたいのですが…明日の午後には、どちらにでも伺えますが…いかがでしょうか?お時間いただけますでしょうか?』『オウッ!久しぶりやな!一郎君、何年ぶりやろ?15年以上にはなるなあ…エライ仕事をしてたんやな(笑)芸能界でマネージャーやなんて…ほな、まあ多忙やろうし、オレが大阪まで行ったげるわ!明日の午後1時頃はどうや?』
  JR大阪駅のホテルグランヴィアのカフェで会うことになりました。

●やくざのような…(苦笑)
  先にボクがカフェに着いて待ってると…まもなく、彼が来ました。彼はすぐにボクが判ったようでしたが…ボクは、彼の変わりように…ちょっと見違えました。さすがに芸能界の売れっ子のマネージャー…洋服のセンス抜群で、
  学生時代とは全く違って、「自信にあふれた風貌と顔」でした。体つきも、華奢な感じは無くなっていました。
  『エライことになったなあー(笑)今日から、選挙終わるまで大阪か?』『いや、いったん準備してから、帰京し、また来ます!』『そうか…今は、どんな感じや?もう事務所はあるんやろ?』『ハイ!選挙事務所じゃないですが…準備のための事務所はもうあります!』『オレもニュースで知る情報しか知らんけど…自民党府連が推薦してるから…もう自民党の強面連中が、事務所に来てるのとちゃうか?(苦笑)●●代議士とか…●●とか…』
  『よう判りますね…(苦笑)そういう人たちが、事務所に大きな顔で…陣取っています!(苦笑)』『そうやろなあ…(笑)そういう体制でいくと…やりにくいぞーーー!先ずなあ…君がなあ、正式に事務局長で決まったら、直ちにな、そいつらを追い出し!!大事なことやで!!彼等は怒るやろけど…無視し…独自のやり方でやります!と言い切り!今回の橋下さんの選挙はなあ…政党色抜き!既製の政治家抜き!完全無所属のイメージで戦うべきや!そのほうが、一番票が集まる!彼等を追い出して、怒らせたとしても…元々なあ、そういう議員連中ちゅうのはな、人の選挙なんかせーへん!そら、事務所に大きな顔で陣取っておったりするのが多いけど、裏では何も選挙運動なんかしてくれへんのや。そういうもんやねん。だから、全然心配しなくていい。とにかく、これから、告示前の事前運動が始まるけど…間違っても、橋下さんが、街頭演説を駅前やターミナルでやるときに、横に自民党議員や、公明党議員を立たせたらあかんで!!一人でやらしや!橋下さん、一人でやで!まあ…ウグイスが一人立つ位はエエけどな…』
  『なるほど…そうなんですか…』
  ココから…約3時間にわたり…選挙のイロハ、注意すべきこと…選挙違反のこと…多岐にわたりレクチュアしました。
  この時の彼の反応は、「勝利の記録:VOL.15」で登場した、芸能界のプロデユーサーD氏と全く同じだったのが可笑しかったです。話のたびに…
  「芸能界と一緒ですわーーー!!ヤマグチさん!」と彼が相づちを打ち続けたのが印象的でした。最後にボクはこう言ってレクチュアを終わりました。
  『なっ!君が、芸能界でやってきたその姿勢と、知恵と、胆力と、決断力があれば、何も心配無いから!!君なら、充分にこの選挙をやり抜けるから!!』
  この2日後に、橋下さんが「立候補の記者会見」を行いました。

●続・やくざのような…(苦笑)
  彼は、このレクチュア後、すぐに「実行」したようでした。自民党議員達の追い出しをです(笑)
  電話で彼曰く『ヤマグチさんの仰る通りでした!あの後、事務所へ帰り、
  先生方に、選挙は独自のやり方でやりますので…お引き取りください!と
  言いましたら…もうホンマ、やくざのようなお顔で、「おぼえとれよー!あとでほえ面かくなーー!!」と大声あげて…事務所を出ていきよりましたわ(苦笑)』
  まあ…普通なら、なかなか出来ることではありません。自民党本部は、橋下さんのそれまでのいろんな「発言」で、推薦を見送り、自民党大阪府連だけが推薦を決めていたのです。普通なら、最も大事にしなければならない団体ですから…しかし…彼等は、ボクの意見に納得し、もっともだと思ったのでしょう。そう実行したのですから。
  そして、その後、テレビで橋下さんの街頭演説のシーンがニュースでよく流れてましたが…ボクの言ってた通りの、橋下さんがヒトリ…のスタイルで演説をやっていました。路上の人混みに混じって、自民党代議士の顔が数名見えたりはしましたが…彼等が「蚊帳の外」になってることは、よく判りました。
  選挙本番に入り…何度か、一郎君が、テレビのニュースで会見してるのが写りました。しかし、それは堂々たる参謀ぶりで…どこが選挙の素人やねん…という感じに見えるものでした。まさに、芸能界と同じノリでやっていたのでしょう(笑)
  選挙期間中に、橋下陣営に益々追い風となる「事件」が起きました。
  民主党推薦の候補陣営が、法定ビラをなんと300万枚も全戸配布したのですが…その内容が、日本人が嫌う「中傷ビラ」だったのです。
  橋下さんを中傷する内容だったのです。コレはいただけません。ボクがコンサルする選挙では、こういう種類のビラは絶対禁止してます。アメリカでは相手候補の「中傷」は全く当たり前なのですが…日本人は原則嫌います。サムライ精神が許さないのです。卑怯なこと、卑屈なことは、基本嫌いなのです。自分では、それをやってても、人がするのは嫌いなのです(苦笑)
  日本人という人種は。この「事件」が民主候補惨敗の一番の原因かと思います。
  橋下さんが圧勝した翌朝…一郎君から、声がうわずった喜びの電話が入ったのは言うまでもありません。


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