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●次・次点かあ…
 彼は、大学生の頃から、選挙のアルバイトに来ていました。大学卒業後は、石井はじめ代議士の秘書として就職しました。新卒者での採用は珍しいことです。あまりに若過ぎて、社会経験も浅い…というのは代議士秘書としては、本人にも、また事務所にもあまり感心はしません。まあ縁故就職でした。ボクは彼のことは、学生アルバイト時代しか知りませんでした。ボクが、石井さんの事務所を退職して数年後に、秘書として採用されたのでした。
  しかし、まあ…そつなく仕事はこなしたのでしょう。そのうちにヒトツの区を任される秘書となったようです。そして、ボクが、他のクライアントの仕事で多忙な、10数年前の統一地方選で、県議会議員の選挙に立候補準備しているのを知りました。「エライ、早いな…時期尚早ちゃうか?まだまだ、修行が足りんでー!!」が、その噂を伝わり聞いたときのボクの率直な感想でした。
  「高見の見物」で彼の動向を見てましたが…案の定、「落選」。定数2名の選挙区で、トップが11494票、2位当選が8694票。次点3位が8541票、そして次次点4位が彼で8149票以下、7000票代が一人、2600票ほどの「泡沫」が一人でした。
  「まあ…そんなもんでしょう。そんなに甘いモンではおまへんで…」が実感でした。彼は確か、この時は31歳位。ある意味、この「落選」は神様が与えた、いい試練だったと思われます。あとで、この時の選挙を仕切っていたのが誰か…知りましたが、とてもじゃないが、選挙を仕切れる…という能力も、タイプでも無い…ボクがよく知ってる人物でした。それを知った時、「そりゃ、あかんわー!勝てたかもしれん選挙も負ける、負ける!!」と、保証できるような人物です。ボクがココで時々書いてる、「代議士秘書を10年以上やってても、選挙を仕切れないのは多々いる…」の典型的な秘書OBでした(苦笑)。どうりで…彼のポスターを選挙中に見たとき、「えらい、若さの全く感じない…ありきたりのポスターやな!!」…でした。納得。


●「怖いんですよ、ヤマグチさんは…」
  落選後、彼はまた石井はじめ代議士の秘書に戻りました。そして、そのうち筆頭秘書になりました。一度候補者になると…それなりの「箔」もつくのが政治の世界です(苦笑)。次期統一地方選まであと2年という頃…突然、彼から電話がありました。『ヤマグチさん、是非一度、お時間いただけませんでしょうか?』彼は、大学こそ、神戸ですが、元々、東京育ちの標準語オトコです。綺麗な標準語で、そう言ってきました。会うことにしました。
  彼とボクは、当時は、ほとんど一対一では、会話したりしたことのない関係でした。彼から見ると、ボクは事務所の「大先輩」という感覚だったそうです。西宮の苦楽園に近いオシャレなカフェを彼が指定してきたので…そこで会いました。未だに、彼がなぜこんな選挙区から離れた場所を指定したのか謎です(笑)。彼は、かなり緊張していました。テーブルに着いて、ボクがタバコを吸おうとして、タバコを取り出すと、彼が自分のライターをさっと出し、火を付け、ボクの前にその手を差し出したのですが…心なしか…手が震えてるように見えました。(コイツ…手震えてるやん…と)それくらいに緊張してるように感じました。開口一番、彼は『ボクは、ヤマグチさんは、怖い人という印象しかないですよ!いつも怒っていましたもん!ボクがアルバイト時代に。他の秘書さんたちやアルバイト達に!そりゃ、ほんと怖かったですもん!!』コレは、未だに、OB連中からも度々、言われますから…「真実」のようです。ボクは普通に喋ってるつもりでも「怒ってる」ように見えるのです(笑)。
  結局、彼は、次期選挙のコンサルタントを制作物のデザインも含めて全面的にお願いしたい…という話でした。勿論、快諾してあげました。「あと2年もあるんやから…なんとかなるやろ…」という感じでした。
  まあ、しかし彼が選んだ選挙区は神戸市のなかで、「新社会党」というラジカル政党の拠点として有名で、彼が落選した前回選挙の次点3位がその新社会党の候補者でした。そして、2位当選が共産党の候補。トップが自民党の候補です。自民党の一議席は、もうコレは常に確定の選挙区。あと一議席を、彼と、共産党と新社会党とで争うという熾烈な選挙区です。簡単ではありません。地力でいうと、それぞれの3候補が、8000票以上の票が常にある…というドングリの背比べなのですから…


●イメージ戦略…いのち!!
  彼もまた、ドブ板戦術については教えるものはありません。石井はじめ秘書時代に十二分に体が頭が覚えています。前回落選はしたけども…それはきちっとやってました。やはり、ヒアリングして、彼の前回選挙で足りなかったのは、「イメージ戦略」でした。候補者本人が、有権者と親しくなれる…という人数は、まあどんな選挙の候補者であっても、500人位までです。
  また、候補者が有権者の「名前」と「顔」が一致する…ほど記憶できる人数というのは、まあ1000人平均が限度じゃないですか…な。そんなに覚えれるもんではありません。つまり、選挙で1万票近く獲得しないと当選しないという選挙では、候補者とは関係なく有権者に「浸透」してゆく「印刷物」や街で見かける「看板」「ポスター」が醸し出す、イメージで候補者への好印象を獲得し…「この候補者、なかなか新鮮やん!オモシロイやん!」と…投票にまで、その「好印象」を持たさねば駄目なのです。
  ですから、どの候補とも似たようなモノとか、ありきたりのソレでは、お話になりません。
  ボクの彼の当選のための、イメージ戦略構築が、またまた得意の「頭フル回転」で始まりました。
  先ず、グッドプランが浮かびました。ハイ。彼の名前からです。彼の名前は、中田憲一郎(仮名)です。そこで…彼は県会議員選挙に出馬なので、憲一郎から、けん…をピックアップ!キャッチフレーズは「県はKEN」にしたのです。VOL.13の候補者「理想はたかし」と発想は同じです。
  ただ、厳密に言うと、候補者の名前の読み方の一部が、入れられており…厳正な選挙管理委員会がそれに気がつけば…「候補者の名前を類推するので公職選挙法違反の疑いがあります!」と申し入れをしてきても不思議では無いのですが…この時もソレは無く…クリアーしました。
  この「県はKEN」はヒットしました。インパクト絶大でした。あらゆる印刷物や看板に入れました。話題になりましたなあ…ボクは、もうそれだけで…コレはいけたかも…と思えました。ハイ。
  それほど、イメージ戦略というのは「いのち」なのです。候補者の写真撮影も「エッ?そんなアングル見たことないでーー!!」という、目を引くアングルで撮影しました。ボクの専属カメラマンも「こんなんアリですか??」という程の(苦笑)でした。


●そして…結末!
  彼の、前回雪辱戦の本番の統一地方選の時も、ボクは他にクライアントがいますので…選挙中は、ほとんど放ったらかし(苦笑)まあ…イメージ戦略が成功してるから…たぶん勝つ…とボクは確信してましたから。
  結果、自民現職が、相変わらずトップ当選15050票。2位当選に、11979票で彼が入りました。次点3位が、強敵、新社会党候補9942票。次次点が共産党候補7910票。泡沫が2000票ほど…というので終了です。
  読者の皆さんは、そんなことだけで…勝敗が変わるのか…と思いになられるかもですが…これには、語れば長くなる日本の『政治風土』と大いに関わりがある、大変重要な『選挙戦略』のノウハウがあるのです。アカデミックな表現をすると、『人間行動科学』とでも言いますか…『集団心理誘導』と言いますか…ボクは、誰からもそういう学問的な分析話は、聞いたこともありませんが…独自の『実践』と『実戦経験』から自分で考え、つきつめた『結論』をもとに…すべての戦いで運用しているのです。
  また、いつかボクが引退するときに…すべてを明かしましょう(笑)
  そして…その後、彼は連続当選を重ねています。

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