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●2002年師走
    『オウッ!ヤマグチ君!元気かー!』長年聞き慣れたその声の主は、我が以前のボスである…石井はじめさん。『あのなー、今ココになあ、来年の統一選でN市から市会議員に出たいちゅうのがおってなあ…まあ、一時東京でオレの秘書をしたこともある奴なんやが…今は、主婦しとるんやけど、勝負したいらしいわ!ほんでやな、君、いま時間あるかー?なんなら、今すぐにそっちへ行かせるから、チト話聞いてやってくれんかー!?そのこいつが言うN市の市会がエエのか?なんか別の道は無いのか…よう話聞いて、判断したってくれ!エエか!?』『OK!ホナ、すぐ来させてください』
  30分程して、その人が石井さんの秘書に連れられてスタジオに来ました。ちなみに、この時の秘書も、翌年春の統一選で、県議選に初当選を果たした、当時のボクのクライアントです。
  いろいろ、出馬したい動機や、決意のほどや、資金的なことをヒアリングしました。話を聞いてて、とてもじゃないが、N市から選挙に出て、勝つには資金が無さ過ぎました。動機は決意は、まあ…合格点でした。『A市の市会にしろ!そこなら、その程度の資金ででもなんとか勝負は出来る!』A市はN市の有権者数で言うと、僅か5分の1の規模です。ボクの最重要戦略は、ビラによるイメージ戦略ですから、全市全戸ビラの枚数がそれだけ違ってくるのです。経費は、A市なら5分の1ということになります。
  説得力のあるこちらの話に、彼女は納得し、『前向きに考えさせて下さい!また、お返事します!』ということで帰りました。

●数ヶ月後…
  翌年、3月初め頃、『A市で勝負します!まもなく開かれる、A市の立候補予定者説明会に行ってきます!そこから、告示日まで、約一ヶ月半ほどですけど、ご指導、お願いできますか?』と彼女から電話がありました。
  しかし、資金は最低限のビラの費用と、供託金の費用程度しかありませんとのことでした。まあ…石井さんの紹介だし…ボクもベストを尽くす約束をしました。ボクは当時、同じ統一選で、同時期に市長候補や、県議選、市議選の候補を結構抱えていましたが…まあ、この『候補』でいろいろ『実験的なこと』もやってみるか…・とも考えていました。
  プロの選挙コンサルタントとして、「こういう戦術はどうやろ?」とか「こんな作戦は通用するやろか?」とかの、まあ、一般的な候補者から見たら、「エエッ?そんなことは非常識やで!ありえんわー!」と思うようなことや…「選挙のセオリー」的なことを無視して、独特な「戦術」がどのように通用するか…とかを試してみようと思ったのです。なんせ資金がほんの僅かです。ボクは、そういう方法しか、ひょっとしたら「勝つ!」というかも…ということに確信が持てなかったのです。
  先ず、彼女の資金でいくと、告示までに2回、イメージ戦略ビラが全市全戸に入れることが出来ます。一回目のビラが大変重要でした。インパクトの強いモノにしなければなりません。話題を生むようなモノにしたら成功です。
  また、ボクの頭がフル回転し始めました。このA市の市会議員選挙も、定数24名に、それ以上が立候補し、市内の公共掲示板に、候補全員がズラーーっとポスターが並びます。よほどのインパクトを与える候補者になってないと、全く目立ちません。
  結論から言うと…その一回目のビラで使った「戦術」はココでは書けません(苦笑)コレは本当にインパクトの強いものでした。そら、こんな大事なノウハウは絶対明かせませんで(笑)。間違いなく話題になりました。
  そのビラが新聞折り込みされた翌日の朝から、彼女の早朝駅立ちや、街頭活動をスタートさせましたが…通行人達から、「ああーあのビラの子や!ああ…こんな人やったんやー!!」とかなりの人たちが興味津々で、彼女を見てたそうです。普通の朝立ちでは、考えられないほどの「反響」があったのは間違いありません。ボクはもう、この一回目のビラの「大成功」で、この時、すでに「勝利」を確信しました。「いける!!」だったのです。

●選挙事務所なんか要らんでー!!
  告示日までは、殆ど、彼女一人で事前運動をしました。自分で朝の駅立ち用看板を運び、自分でビラを配りつつ、マイクも持ち…注目される候補者になって、しかも、そういう一人で一生懸命やってる姿は、有権者には良い印象を与えたのは間違いないことでしょう。告示日が近くなり…定員24名に、候補者が33人位か…の情報が流れました。
  それぞれの候補者が、ドンドンそれなりの場所に「選挙事務所」を構えだしました。駅前の一等地もあれば、それぞれの候補者の自宅もあれば…です。彼女には、そういう場所がありませんでした。元々実家はN市、主に生活していたのは東京、A市に転居して、住まいを選挙の数ヶ月前に借りましたが(法律の規定内)、そこには、選挙事務所の看板等の設置ができるようなところではありませんでした。ボクが出した結論は、『選挙事務所なんか、要らんー!!』でした。ハッキリ言って、『事務所』や『看板』では票は獲れません(あかん!ノウハウや!)。とはいえ…ボク自身も、「選挙事務所」を持たない候補ちゅうのを見たことありません。よほどの泡沫候補は別として。コレもボクがやりたかった「実験」でした。選挙事務所を持たなくても「勝負出来る!」という「証拠と確信」を得たかったのでした。
  彼女はその結論になんの違和感も抵抗もなく受け入れました。まあ…そんなお金も無いしね(苦笑)。
  告示日直前に2回目の最終ビラを全市全戸に再び入れました。トドメです。一回目のビラに「連動」するビラです。「一回目のビラ」のある意味「答え」が2回目のビラにありました。また、有権者の皆様の「関心」を着実にとらえたことは間違いありません。コレも成功したのは間違いありません。』

●選挙運動は、全員当選議員!!
  彼女の選挙は統一選の後半です。前半の県議選や政令市の市議選に、ボクのクライアント等が結構当選しました。そこで、彼等に『オイ!この選挙を手伝え!選挙中の宣伝カーに乗ってくれー!ウグイスを雇う金が無いんや!頼むわー!!』とお願いし(強気で高姿勢なお願いやこと…笑)、皆、快諾してくれ…期間中、それぞれ輪番制でシフトを組んでくれました。
  皆、選挙区は違うけれど(苦笑)現職の新人議員等なので、縁起も良いし、10日ほど前に当選したばかりなので…元気はつらつ、自分の選挙の時のハイテンションのまま…頑張ってくれました。しかし、まあ…このA市の有権者は、彼等がどこの馬の骨か…知りません(苦笑)
  ただ、選挙事務所が無いので(苦笑)誰もが、休憩する場所や、食事をする場所が無く…ある市会議員の『こんな選挙でもし勝たれたら…あのあれだけお金を使って、やった選挙はなんだったんだろう…と嫌になっちゃうよー』とボソっともらしてたのが可笑しく、印象的に残っています。
  「実験!」「実験!」吉とでるかどうかまだ、ワカラン!

●見事にトップ当選!!
  この選挙は、プロのボクでも「こんなんで勝てるんやーー!!」と感動し、ますます、プロの選挙コンサルタントとして「大きな自信」を深める選挙となったのです。定数24名で、結局33名立候補。我が候補は、1902票の最高得票でトップ当選。最下位当選の人は、918票という選挙結果でした。
  またまた、イメージ戦略の大成功だったのです。
  彼女は、現在は県議会議員として活躍しています。



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