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IMAへのメール


 
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●2010年10月下旬
  若い男の声で突然の電話が入りました。『あのおおお…選挙のコンサルの会社ですよね?来年の春の選挙なんですけど、もう今更遅いですか?ウエブで見たら、同一選挙区では一人の候補としか契約せん…と書いてはるので…A市の市会議員選挙なんですけど…もう、どなたかと契約されてるんでしょうね?』『A市の市会議員選挙なら、まだどなたとも契約してませんよー大丈夫ですよーおたくが候補者ですか?』『イヤ!違います!ボクの友達なんですけど…』『あっそう!じゃ、本人に、もいちど電話させて下さい!』その後、数日経って本人から電話がありました。『じゃ、いちど会うかー!○日○時にJR元町駅までおいでー!迎えにいったるわー!』相手の男の子が若い声だったので、ボクはそういう物言いになりました。
  そして、数日後会いました。彼がボクを見た、第一声は『すごい、若くて、ラフなんですね!ボク、経歴見てて、お年も拝見してて、スーツをビシッと決めて、恐い感じのおじさんなんだろうなと思ってました(苦笑)』 よく言われることじゃわ(笑)。彼をボクの車に乗せ、裏六甲のボクの制作スタジオに連れてきました。着いた時間はランチタイムなので、先ずボクの手作りランチをご馳走しました。そうしながら、ヒアリングを始めました。彼は現在サラリーマン(道路土木建設の零細企業)。年齢35歳、学歴は地元中学校卒業のみ。暴れんぼうだったらしく(苦笑)日本の高校は進学出来ず…アメリカの片田舎の小さなクリスチャンスクールに留学するも中退し、その道路土木建設会社に就職し10数年程勤めてるとのことでした。日焼けした顔は真っ黒。表情はなにか…ボクが恐いのか(苦笑)「自信無さげ(苦笑」『ところで、君はなんで政治家になりたいの?名誉欲か?金か?でもA市程度の市会議員なら今より給料はおそらく安いかもやぞ?』そういうボクの直球の質問に、彼は、『ずっと、道路工事の現場監督をしながら、今の日本の政治や、地元の政治のことを思い、考え、こんなんでエエんやろか?ボク等の生活益々厳しくなるんとちゃうやろかー…とか、ボク子供が3人いて、もうすぐ4人目も生まれるんですが…ホンマ、政治がこんなんで、ホンマに今の子供等の将来は大丈夫なんやろか…とか漠然と…なんか自分でもようわからんけど、先ず地元の市会議員から挑戦したくなって…廻りの友達に相談したら、『やれやれ!応援するぞ!』と皆言うてくれて、
  そやけど皆、選挙は素人やし…ということで友達がネットでヤマグチさんのIMAのホームページを見つけてくれて、ココがええんちゃうか!?言うて先ず、友達が先に電話したんです!』と話した。
  まあ…今の政治への典型的な「閉塞感」ちゅうことやね。こんな普通の市井の人を突き動かしてるいうことですわ。最近、大阪維新の会が募集した『政治塾』に3000人を超える人が応募したちゅうのも、そのあたりでしょう。
  ひととおり、ボクの会社の説明や、選挙概論を聞かせ『今日の話を聞いて、またよう考えて、決心が固まったらまた、連絡しておいで。聞けば子供が3人もいて、来月くらいにもう一人生まれるなんて…そら、生活も大変やろし、会社も辞めざるをえんやろし…な!先ず、奥さんはどうなんや?反対してないのか?会社の社長にはもう話してるのか?』ということで…それらの要件をクリアしてから、また来いということでその日は帰しました。
彼が帰ったあとの、ボクの正直な彼への感想は『難しいなあ…』学歴といい、今の職業といい、本人の自信無さげな雰囲気といい、活力を感じない雰囲気といい…また、そんなにイケメンでもないし…『売り物』が無いなあ…という感じでした。


●2010年11月下旬
  しばらく連絡は途切れました。『アイツ、どうなったのかな…反対されたかな?』と思いはじめてた頃に、再び連絡がありました。『すべて要件クリアしました!出馬したい!指導よろしくお願いしたい!』ということでした。『そうか…わかった、じゃ、契約書等つくるから、近日中にまた、スタジオにおいで!今度は車で直接来いよ!もう場所わかったやろ!』
  彼の家庭事情等を鑑み、彼にとっては「有り難い条件」で契約を交わしました(苦笑)。A市は大都市近郊のベッドタウンで有権者数は、約23万人。世帯数は約11万。まあ大きな街です。市会議員の定数は31名、まあ、VOL.4の「爺様」のところとやや似ています。また、選挙本番のポスター掲示も「爺様」ところと同じで、でかいでかい公営掲示板に候補者全員がポスターを貼るという…目立つのは大変という選挙となります。
  『あんなー率直に言って、君の当選はかなり難しいで、君の若さで中学卒だけちゅうのは、今の時代ほとんどいないわ!学歴だけで悪いけど、先ず、有権者はコヤツは除外やなーとなるわ!それとそんなにイケメンでもないし…君自信そのものでは、なかなか売るモノが無いわ!自分でもわかるやろ?まあ、君が35歳の聞けば、結構高給取りが、会社を辞めてまで、今のこの閉塞した政治の世界にまあ、殴り込みちゅう…その勇気と気概は評価するわ!ちょっと、ボクなりに君のための戦略をじっくり考えて、やってみるわ!とにかく、ボクと契約した限り、今からはもう、選挙に関しては、誰の言うことも聞くなよ!ぶれたらあかんぞ!駒と一緒やぞ!ちゅうのはな、芯がぶれたら転けるぞ!エエな!それと、資金は大丈夫なんか?君の選挙はビラ配布のイメージ戦略がメインになるから、お金結構いるぞ!!ビラを全市に入れるからまあ、一回に11万枚くらいかな?単純計算でも一度新聞折り込みすると、印刷代も入れて、たぶん50万円は超えるでー!でもなあー。君の選挙はこのイメージビラの全市配布が命やねん!コレがでけなんだら…まあ当選は無いわ!君が、ボクの言うとおりの『どぶ板選挙』をやって、地をはう努力して、足で動いても…まあ…当選は難しいなあ…それも告示までに最低でも3回は入れたいんやなーーー(しまった!これもノウハウや!)どうや?大丈夫か?』
『会社の退職金等でなんとかします!なんとかお金も集めてみます!』と…彼は気合いの入った顔で答えました。
  その後、ボクは頭がフル回転する数日でした。「あの風采も、学歴も、職歴も選挙向けとは決して言えない彼を、当選まで導くには…うううーーーん…」という感じの日々でした。


●将来、市会議員を無くす!!ウン!!コレや!!
  人間のオツムというのは、フル回転すればするほど…知恵は浮かぶものです。『コレや!コレしか無い!彼を当選させるのはコレしかない!コレが浸透すれば勝てる!間違い無い!』というキャッチコピーがボクのオツムの片隅からフツフツと噴出してきたのでした。
先ず、このA市が、他の都市と比べて市会議員の人数が多すぎるのがヒントになりました。たとえば「爺様」ところは、有権者約30万人で市会議員34人、神戸市は有権者数約120万人で、市会議員69人です。この数字を見るだけでも、A市は有権者数約23万人で、議員定数31名は多いです。そこで、ボクが考えついた、彼の勝つための「戦略」は「先ず政策で勝負する!」そしてその打ち出す政策は「アッと驚く、インパクトの強烈なモノにする!」でした。その考えのもと、彼のキャッチフレーズは『将来、市会議員を無くすために!』でした。一般の人がこのキャッチを見たら、なんと思うでしょう?『市会議員の選挙に立候補してんのに…将来、市会議員を無くす?なんのこっちゃ?コイツなにを考えてんねん?アホか?ようワカランやっちゃなー』でしょう(苦笑)しかし、よーく政治のシステムを知ってる人は、『コイツ、なかなかオモシロイことを言うなあーしかも政治がわかっとるなーいや、ほんまや!市会議員ちゃなもんを将来無くすには、市会議員になって、賛同する市会議員を作っていって、過半数の賛成を市議会で採らな…あかんもんなあ…こいつオモロイ!真理をついてるわ!学歴はたいしたことないけど…オモロイオモロイ!!』となるのは間違いないと確信しました。でも、有権者の殆どが「一般の人」ですから、「説得力」が必要です。そのキャッチフレーズに行き着くに至った「一般の人誰もが、理解出来る理由」の打ち出しが大変重要なアイテムでした。なんで、「市会議員という仕事が将来は無くなっても良いのか?」コレを論理的に展開せねばなりません。そういうことを考えるのも、まさに、ボクの仕事の「真骨頂」の部分です。そして同時に、候補者にそのキャッチフレーズに見合う「その理由の理論武装」のレクチュアも大変重要なボクの仕事でした。また、彼にもこのキャッチと政策で攻めることを承伏させ、理解させねばなりません。本人も納得しないと有権者を説得するなんて不可能です。しかし、ボクは候補者が「この提案」をのまなければ、当選は先ず100%あり得ないし…この「提案」さえのめば…当選もあり得る…と説得するしか道はありませんでした。
  そして、数日後、それらのキャッチフレーズや、その理論武装的文言をちりばめたビラ他、彼の名刺、リーフレット等すべて最低限必要な印刷物のラフデザインを完成させ…彼をスタジオに呼びました。
  彼は素直に話を聞き、『とにかくすべてお任せします!コレで行きます!』とヒトツ返事でした。そして一日レクチュアを受けて帰りました。


●『余談』外伝
  余談ですが…実を言うと、このA市の彼が来たすぐ一ヶ月後、やはり翌春に実施される、B市での市会議員選挙に立候補を決意し、IMAの門を叩いた30歳の青年も、ほぼ同様の感じの候補者(苦笑)だったので、全く同じ趣旨で「将来、市会議員を無くすために!」を使うことで、本人も快諾了承し、レクチュアを一日受けて帰ったのですが、その日の夜、その彼の家に、彼の家族や友達等が集まり、そのキャッチフレーズを聞いて…「卒倒」したらしく、『アホか!!オマエ!これから市会議員を目指すのに、そんなキャッチフレーズが通ると思うか?ばかなことは止めろ!!』『ホンマやホンマや!!』となったらしく…翌朝、『スミマセン!そういうことで…あれ止めて頂きたいです!!』と長々と理由を書いたメールが来たのです。先ず、彼はその『キャッチフレーズ』を自分で考えた…という風に説明したのかと思います。しかし、『なんでそのキャッチか!』のレクチュアをボクから受けたのだし、そして、納得して『イイですねー!』とまで言ったのですから…いくら選挙のプロがついてる…ということは内緒にせよ…であっても、自分で、家族や友人を論破説得せねばならなかったのです。彼の大きな間違いは、選挙のプロのボクの言うことよりも、ど素人の『一般人』の意見を『選択』したことでした。当然、すぐにスタジオに呼び、『君は、廻りを説得できずに、プロのボクの言うことを選択せずに、素人の意見を採った!これで間違いなく、当選確率はガクンと下がったぞ!!それでもいいんやな?』と強く念を押し…『とにかく、会社を辞めてまで初挑戦するんやから、まあ合法的に、合理的に選挙終了まではコンサルはやったげるけど…当選はもうかなり難しいで…』と引導を渡しました。結局、彼は落選の憂き目を見たのでした。


●一回目の全市全戸ビラが配布される
  選挙を5ヶ月後に控えて、我が候補は11月末には会社を退職し、12月半ばより事前運動がスタートしました。11万世帯もあるエリアですから、かなり広い面積の選挙区です。彼自身の運動は、とにかく『地を這うドブ板戦術』一本です。ノウハウですから詳細は書けません(苦笑)まあ…かなり一生懸命に背水の陣でやってたようです。ボクは一度も現場を見に行ってませんが、彼の運動を見た『目撃者』からの報告によると…『演説なんか、シドロモドロ…声詰まったり…下手というレベル以下です(苦笑)でも、駅での通行人への肉声での呼びかけ等は、大きな声出して、元気いっぱい、恥ずかしがらずにやってますわ!度胸はあるようです!一生懸命に必死でやってる…という姿勢は伝わってると思います』でした。彼のそういう『街頭活動』にあわせて…一回目の『紙爆弾』(全戸ビラ)を新聞折り込みしました。勿論、例のキャッチフレーズが大きく大書されたビラです。しかし、ビラの表紙には、ボクのA市をイメージした「絵」が大きく紙面を埋めてる…という…まあ、ボク独特の選挙ビラです(笑)先ず、このビラを見た有権者は表面を見る限り「なんじゃ?コレは?」と思わされます。「選挙がらみのビラ」とは全く思えないようなそんなビラです(アカン!これもノウハウや!)。
  実は、この彼の選挙から、遡ること10数年前、ボクはこの同じA市で、「同様(苦笑)」の「当選させにくい候補者」を上位で当選させたのですが、この時も「ビラのイメージ戦略とアッと目を引くキャッチフレーズ」だったのです。だから、A市では、こんな『ビラ』は絶対受け入れられるとの確信は持っていました。早速、そのビラが入った日にボクに電話が入りました。その市選出のボクの知人の県議会議員からでした。『アレ!ヤマグチさんでしょ!見てすぐに判りましたでーーー(笑)彼をやるんですかー!?お手柔らかに…』という電話でした。(ばれてしまったなあ…まあ仕方ないです)その県議の所属政党の新人候補がやはり数名、この同じ選挙で立候補するそうでした。 ボクはあの『爺様』の選挙の時のように、『ビラのイメージ戦略』での『勝利』に大いに期待をしたのでした。およそ、こういう地方議員の選挙で選挙区全域にビラを入れる候補者というのは、昔も今もあまりいないのです。
皆、未だに自分の「地元」「縁故を固める」という「村型選挙」なのです。


●資金が足らない…
  本人からSOSでした。彼が期待するほどの退職金も無く…10数年も勤務精励した会社の社長も、大きく期待を外れる「冷たい反応」だったようで…やや資金が必要な金額は集まりません。ボクは「あかんなあ…ビラ全戸大事やのに…2回目が出来へんやん…困ったこっちゃなあ…」とため息の毎日でした。まあ、無理もないことでしょう。彼の廻りで、彼の学歴や、風采を見て、「コイツは絶対当選やわ!」と思ってたヒトは皆無に近かった筈です。その社長も、同様に「当選するはずあるかいや!そんなもんに資金カンパしても、金貸すにしても、ドブにほかすようなもんや!」と考えたに違いありません。他の彼の廻りのヒトもほとんどそうだったと思います。
  2回目の全市全戸ビラ配布の資金が出来ません。「困ったなあ…」ボクはため息ばかり…結果、『しゃーないわ!セレクトして枚数減らして入れるわ!重点地区は○○にするから、その○○のエリアのトータル世帯数を早急に調べ!その枚数だけ印刷して折り込もう!』ということにしました。『三回目の告示直前のビラは絶対全市全戸やで!もうとにかく借金でもしてやらなあかんでー!!でないと勝つことは先ず100%無いでー!!』
  地黒の日焼け顔に、街頭活動でより増して日焼けした「黒い顔」が、その言葉に「真っ暗」に暗くなったのが印象的でした。可哀想といえばそうですが…男がすべてを投げ打って「背水の陣で勝負」をしています。その姿を見せて…そういう衷心からのお願いに行って,コレというヒトから資金カンパを引き出す…ちゅうことも「政治家」には重要な仕事なのです。ある意味、そういうふうにしても誰もカンパをしない…ちゅうのは、その「政治家」になんの「魅力」も無いという「証明」で、それはそれで「政治家」には向かないし…「政治家」を目指しても無理ちゅうことです。本人には、トウトウとその由を説き…叱咤激励しました。
  そして、告示直前の最終ビラは、資金手当が出来…全市全戸に折り込み配布することが出来たのです。いつも同じことを書きますが…勝敗は告示までについてます。彼は結局、このおよそ4ヶ月ずっと一人で戦いました。当然資金が無いですから、アルバイトの手伝い等も雇えませんし…奥さんは、この年の正月明けに4人目の赤ちゃんが無事生まれたというところだったので、何ヒトツ彼の応援活動は出来ませんでした。


●定数31人に39人立候補
  39人立候補したなかで、新人がなんと14人もいました。まさに少数激戦の選挙です。選挙運動期間は僅か7日間。そんな日数で「票」なんかできるわけがありません(笑)ずべて「事前運動」で勝敗は決まるのです。勿論、「事前の選挙運動」ではありませんよ、「事前の政治活動」「後援会活動」ですよ。でも、彼のような新人は勿論「後援会」なんてあるわけないです(苦笑)よって、一人でコツコツやる「ドブ板戦術」の「政治活動」しか無かったのです。ココで、「政治活動」や「後援会活動」や「選挙運動」や「事前運動」のそれぞれの違いや、内容を解説してあげたいのですが…コレは意外にも現役の代議士や事務所でも、よく判って無いヒトが多々でして…まあ…だからこそボクのようなプロが介在できるのです。だからコレもまあノウハウのヒトツです(笑)
  さて…投票日が来ました。彼の「選挙事務所」は彼の義母が経営する雑貨屋さんの一角を借りて、こじんまりとできてたようですが…ボクは一度も足を運んでいません(苦笑)まあ…これもいつもの理由です。
  またまた…ドキドキの時間です(苦笑)この仕事の良いところでもあり…
心臓に悪いところでもあります。開票が夜9時から始まりましたが…
10時になっても、11時になっても彼からは連絡が入りません。ボクからはしにくいモノです(苦笑)しかし、11時過ぎて…ついにこらえきれずに電話しました。『どうやー!?まだワカランかー!?』本人は、意外にも冷静なしっかりした声で『今、あと28人位当選が出て…あと定数まで3人です!票数がかなり似たような票数みたいで…散票を数えてるとこです!判ったら真っ先に電話入れます!』 彼は支持通り、開票所に行って、開票風景をずっと会場で見てるのです。
  それから数分して、電話が入りました。またこれが落ち着いた声で…
『入りました!ケツから3番目ですけど…当選です!有難うございました!』
  なんと、ケツから3番目で2094票。ブービーさんが2084票、ブービーメーカーさんが2064票という接戦でした。ただ、次点の候補は1647票でしたから…次点とは差がついていました。
  結果、新人が14人出馬して、当選した新人は、5人だけ。そのうち、政党公認の新人が共産党2人(これらは前職引退で後継者だから当選で当然)民主党が1人、そして無所属が、やはり新人とはいえ、同地での前職が引退の後継者のヒトと、そして彼でした。何のバックも、支援組織もなく当選した新人は彼だけだったということです。
  あれから、まもなく一年。今月初めに、彼を励ます新春パーテイーをA市の有名ホテルで開催しました。ボクの企画ですが、彼を取り巻く友人達がせっせと準備し、『当選祝賀会』のつもりで支援者たちを集めさせました。
公職選挙法では『当選祝賀会』というのは開催できません。よって、選挙が終わって一年近く経ったし、目出度く市会議員としての初めての『新年』を迎えたので『彼を激励する新春交歓会』という趣旨の会にしました。
  ボクは彼を見直しました。『ヒトは変わる』がボクの持論ですが…
約150人の支援者を前に、壇上で堂々と10数分の『演説』をする姿は、あの選挙前の聞き及んだ…シドロモドロは一切無く…内容は別として(笑)市会議員のそれでした。来賓としてお呼びした、主な政党の各県議会議員さんとかが、それぞれの挨拶のなかで『彼が当選するとは…正直思って無かった…』というのが横並びだったのが可笑しかったです。




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