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IMAへのメール


 
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●2007年早春
  2007年の新年が明けてまもなく…という頃、旧知の上場企業のCEOから突然電話がありました。「ヤマグチさん、実はですね私が知人のご紹介でお会いしてから、非常に懇意にしている方なんですが、大蔵省を退官されて、2年前の衆議院選挙に初めて出られたのですが、落選されてですね、今浪人中なんですが、なんせ人柄のいい方で、東大法学部卒のエリートなんですが、全くその「エリート臭」というんですか…その嫌みな感じが全く無い方でしてね、もう私としてはなんとかこの方のお力になりたいと思っていまして、こないだ、ふとその方とお会いしてるときに、ヤマグチさんのお話をしたら是非とも会わせて頂きたいと仰ったので…どうです、ヤマグチさん一度会ってあげていただけませんか?」この上場企業の社長とボクも、彼が学生時代からのお付き合いで、もうかれこれ20数年の縁なので、当然この依頼を『快諾』し「もちろん会いましょう!ボクはいつでも合わせますので社長が日時場所をセットしてください!」
  それから数日後、その上場企業の応接間で、CEOと候補者とボクとの三者面談がフレンドリーななかでありました。候補者は、CEOの言ってた通りで、笑顔に魅力ある、偉ぶらない、エリート臭さの無い、腰と頭の低い、だけど間違いなく頭脳明晰の方でした。
  ひととおりのボクの選挙概論を彼は熱心に聞いて、まもなく「是非!ご指導お願いします!!」となりました。「じゃ、近いうちボクの制作スタジオに来て頂きましょう!そこで前回2年前の総選挙で落選してからの運動の診断や、これからの戦略等のお話をしたいと思います。それで、その日は、もし貴方が当選したときに秘書にして側近で使う…という人間をできれば連れてきてください!主に普段のコンサルのやりとりはその人との連絡になりますので…」そして、数週間後、彼はその「側近」を連れて、車を飛ばしボクのスタジオにやって来ました。その時、印象的なことがあったそうです。なんと、神戸へ向かう車から六甲山が見える方向に、大きく虹が架かっていたそうです。これは「吉兆」ではないでしょうか(笑)
  候補者が連れて来たのは、候補者が中学校の生徒会長時代に副会長として彼を支えていた同級生でした。候補者が前回の総選挙で初出馬の時から応援してくれてたそうです。彼は候補者の地元で会社を経営していましたが、時間は自由になるのでフルタイムの応援も出来るし、めでたく当選後には秘書になってもよい…ということでした。先ず、ヒアリングから始めました。前回2年前の総選挙では対立自民党候補が100,868票で当選、この候補者は78,621票で次点落選でした。比例復活もありませんでした。
  候補者のいる選挙区は「保守王国」として全国的にも有名な県で、同県の他の選挙区に当時の自民党の実力者がこの県の「ボス」として君臨しているところでした。我が候補者の支援母体は、中選挙区時代のもう一人の引退した保守系代議士の後援会で、その基礎票があったものと思われました。
  そして落選後の我が候補者陣営が展開してきた運動をヒアリングしました。結論から言うと…お話にならない「運動」でした。まさに「素人」そりゃ、このままではまた「落選」は間違いなしという「甘い!甘い!」それでした。ボクから見たら全くゼロからのスタートです。「判りました!とにかくこれからやっていただく運動の処方箋を作ります。ただ、その前に、先ず現時点の本当の貴方のチカラを知りたいです。前回落選から約2年経過し、これまでその生温い運動でどの程度、知名度や支持度が選挙区各地区であるのか…ボクは先ず知っておきたいです!でなければ処方箋は書けません!是非選挙区の有権者動向情勢を調査させてください!いいですね!」
  そして、IMAで先ず一回目の地元選挙区の情勢調査をいたしました。結果は、先ず知名度は我が候補が53.8%、自民党現職が64.5%でした。共産党候補もいますがここでは省略します。そして重要な支持度ですが、自民党現職が22.9%、我が候補がなんと僅か8.5%しかありませんでした。驚愕の数値でした。まさにこのままではお話にならないほどの「落選候補」と言える数値でした。
  調査は選挙区を18地区に分けて実施、有効回答数はトータルで約600採りました。こんなに細かく地域別に調査はめったにしません。しかし、細かく調査することで、地区別の対策や重点区や、捨てる地区などいろんな戦略がプランできるのです。
  結果を見て、ボクが直感したことは、この相手候補の自民党現職は「そんなに強くない!」でした。この連続当選3回の自民党現職にしては知名度も60%台と低いし、支持度も30%以上がベターな小選挙区制ではやや低い数値でした。しかしまあ…22.9対8.5はダブルスコアどころか、トリプルに近い数値(苦笑)でした。
  そんな前途多難なところからボクのアサイメントによる運動がスタートするのですが…勿論、必ずいつものように候補者には「釘を刺す」のは忘れません。『こと選挙に関しては、今後誰の言うことも聞かないようにしてください!選挙というのは、人を興奮させ、コレまで少しでも選挙に携わったことのある人は、「こらアカンでー!こんな運動よりこっちせなあかんでー!」とか…必ずうるさく口を出して来ます。それらに絶対に左右されないでください!ましてや貴方の陣営は以前の自民党候補の後援会をやってた人たちがたくさんいます。必ず、いろいろ言ってくると思います。ボクの選挙のやり方は先進の特殊なモノですから…しかし、彼らを怒らせてはいけませんが…ハイハイと耳ちくわで聞き流してください!とにかく、これからの選挙運動は必ず、ボクの言うとおりに動いてください!いいですね!そうでないと勝てませんよ!』ということで、彼らの運動がスタートしたのです。


●闘争心が…無い…???
  それから一ヶ月、初めてボクは彼らの選挙区へ入りました。大体、遠方のクライアントは月一回の現地訪問が基本原則でした。アサイメントのチエックをしたあと、『選挙区をくまなく見て廻りたいので、車で廻ってほしい!細かい地元での運動のやり方等も現地で指導したいし、敵の自民党現職の事務所や地元の様子も見たい!』と…候補者と側近とボクとで車に乗り込みました。ここで驚くべき事態がありました。市内をグルグル廻って、敵の自民党現職の事務所前にさしかかった時でした。この現職の名前と顔写真が大きく入ったバカでかい「立て看板」が見えてきたのです。『なんじゃあれは!!』とボクは叫びました。近づくとなんと、縦は約4M近くあり、横はおよそ1Mくらい、そうです、選挙通なら、「選挙中の選挙事務所に許される法定看板」と気がつきます。勿論、これは「違反」です。選挙期間中だけに許される看板ですから。この選挙の無い時期は、幅40センチ長さ150センチの法定看板しか許されません(しかも枚数制限あります)。その違反看板が、前回総選挙が終わって、約2年も経過するのに、まだそのまま掲示しているのです。車道に面して、目立つようにです。こんなことは、全国探してもそうあるものではありません。ボクはあきれ果てて、怒って候補者と側近にこう言いました『オイ!これ違反やん!なんでこれまで放置しとんや!すぐに撤去させんかい!』ところが彼らの反応は「ポカン???」でした(苦笑)これだから素人はお話にならんのです(笑)『何が違反なんですか?』ときたのです。なんにも判ってないのです。『アチャー!』でした。トウトウと怒りながら、説明しました。彼らはそれで理解したのですが…問題はそこからでした。
  なんのアクションも起こさないのです。またまたボクは怒り狂いました(苦笑)『何しとん!なんでなにもアクションせんの???すぐに県の選挙管理委員会に電話せんかい!違反やんか!撤去命令だせー!と選管に電話せえやー!』ところが、彼ら『判りました!また後でしときます!』と来た。ボクは切れました。ハイ。ボクは『瞬間湯沸かし器』と現役秘書時代あだ名がついたくらいの短気です(苦笑)
  敵にも呆れましたが…この我が陣営にも呆れました。呆れて怒りすぎるときの声は低くドスがききます。その声で候補者に言いました。『あんたは、闘争心が無いのかい?あの卑怯極まりない敵陣営のやることを見て、知って腹がたたんのかい?そんなんならもう戦う資格無しや!そんなんで敵には勝てませんわ!お話になりまへんわー!!』その叱咤を聞いて候補者がポツンと一言、しみじみと『そうですねえ…ボクこれまでの人生で闘争心というのは無かったです。正直。こんなんではホント、戦いになりませんね』かなり反省し、考え込んだ感じでした。候補者と側近のモチベーションはそんなレベルからのスタートだったのです。
  ちなみに、その「違反看板」の顛末ですが、その後、側近が県の選挙管理委員会で電話でその由の「抗議」をすると…選管担当者はこう返事したそうです「ああそうですか、また見ときます」…でひと月経っても何の変化も無かったそうです。その反対に、県の選挙管理委員会から、我が候補者に対して、ボクが候補者にやらせている「合法事前運動」のやり方に対し「違反だから止めるように!」と言ってきたそうです。わかりますか?この「事態」こういうのが「保守王国」と政権与党幹部が存在する県の「実態」の一部状況なのです。こっちの運動についは、こうなれば国の中央選挙管理委員会による「合法です!」のお墨付きが無いと、我が陣営もびびってしまます。それで、その処置を側近に取らせ、安心させ、その後も「違法看板」の件を県の選管に訴え、撤去されたのは数ヶ月後だったのです。毒されています(苦笑)よくあることですが…


●以来、半年が過ぎて…
  それから約半年超が過ぎました。ボクは直感やアテズッポウで選挙情勢の判断はしません。情勢を客観的に調べるなら必ず、有権者動向調査です。やはり有効回答600、前回同様、選挙区を18地区に分けての調査を実施いたしました。
  驚く結果が出たのです。先ず知名度ですが、我が候補は前回53.8%から69.6%にアップしていました。ただ、自民現職も64.5%から79.1%までアップしていました。大事なのは、支持率です。自民現職は前回とほぼ同じの21.3%(前回は22.9%だが誤差1%〜2%はほぼ同じ)、そして我が候補は、前回8.5%だったのが、一気に21.6%まで伸びたのです!僅か半年の運動でです。またまたボクは自信を深めますがな(笑)驚愕しました。
  早速、その集計を持って、候補者と会いました。そして、ボクが半年前に候補者陣営に与えた「処方箋」(運動メニュー)がどのくらいに実行できているのか…をかなり興味を持ってヒアリングを始めました。ところがです。またここでボクは驚くのです。『コレはどの程度?』『この運動は?』と全部で10近い項目のウチ、100点満点で60点が合格ラインだとしたら、零点に近いモノ(何もやってなかった)、10点程度のモノ、30点程度のモノが八割だったのです。ほぼ満点に近いものは二つの項目だけでした。残念ながらこの『項目』をお知らせすることは出来ません。当然大事な企業秘密ですから(笑)
  しかし、ある意味、このことはボク自身の『戦略作戦遂行』が間違って無かったことの証明でもあったのです。その二つが大変重要な項目でしたから。ボクは益々自信を深めました。『ヨシ!!これで継続だ!!』と。と同時に当然、他の項目の「実行実現」を候補者陣営に宿題としたのは勿論のことです。」


●後援会がザワザワしだす…
  選挙好きな人たちというのは、衆議院の解散ムードとか統一地方選が近づくと…ソワソワしだします(笑)血が騒ぐのでしょう。そして、候補者の事務所を訪ねては、『こんなんではアカンぞー!負けるぞ!』とか『大丈夫や!勝っとる!勝っとる!』と直感だけで勝手なことを言っては陣営中枢に入り込んで来ます(苦笑)熱心な支援者であるというヒトツの「証明」ではあるのですが…ボクのようなプロにとっては申し訳ないですが「邪魔」な存在となります。ゴメンなさいですが(苦笑)こういう類の熱心な支援者で、少しでも選挙をかじったことのある人は、その人なりの「見よう見まね」の選挙運動のイロハを知ってて、「こんなことより、こういうことをせなあかんわー!!」とかボクの「先進の運動」が理解できずに(苦笑)「そんな運動は聞いたことないわ!そんなん効果なんかあるかい!!止め止め!!」とか…を
  候補者や側近に「ご意見」して、困らせるのです。気の弱い候補者や側近の場合、熱心な支援者にそういうふうにつっこまれると…一概に無視は出来ません。そして、ボクにそういう由の電話が入って来ます。そしてボクから「カミナリ」を落とされるのです(苦笑)。ここで素直にボクの言うとおりを「継続」して、そういう支援者を説得できないと、ボクから見たら「この候補者はダメやな…!」となります。そして、最悪はボクが「じゃ、ボクはここで下ります!あとはあなたの好きなようにやんなさい!あなたの選挙だから悔いのないようにね…」とです。
  過去に、数年に一度くらいにこういう候補者がいました。勿論、彼らはその後全員「落選」していました。こと選挙に関して、「ボクの意見」と「熱心な支援者とは言え、素人同然の人の意見」とを並べて、「ボクの意見」を取らない、取れない候補者は、ボクから見て、お話になりません。ボクがコンサルにつく意味すらありません。また、そう言う人達を「説得」出来ないのも、もし政治家になっても三流以下の政治家ということです。
  話がそれましたが(苦笑)本題に戻します。この我が陣営でも、解散ムード濃厚となった頃から、そのような「問題」が起きました。しかし、この候補者と側近は、なんとか支援者を騙し騙し…切り抜けていました。支援者達は、だんだんとボクのようなプロがどうもついてるな…と感づきはじめたようでした。そこで、ボクは『党の大幹部のO氏の選挙通の秘書」からいろいろ「指示」を仰いでる!』と言っておけ!と支援者を黙らせるようにさせたのでした。


●任期満了まであと一年…
  そんなこんなで、任期満了まであと1年というとこまで来ました。この頃から、政局はいつ選挙になってもおかしくないという感じで、「この11月にある!」「今年末にある!」「新年明けにある!」「来年4月やな!」「いや来年6月や!」「いや8月の任期満了選挙や!」ともう、どこの候補者も浮ついていました。前回の有権者動向調査からまた、約半年強経過し、あと1年で任期満了選挙となるという2008年の夏に三度目の調査を実施することにしました。ボクがこの候補陣営についてから丁度約1年半経過していました。もういつ選挙があってもおかしくないので、最終チエックです。いつものように選挙区を18地区に分けての調査です。知名度は我が候補が69.4%、敵の自民現職が79.1%とほぼ前回と同数。肝心な支持度ですが、我が候補が26.0%、自民現職が22.2%。そうです、抜き去ったのです。約4%もです。票数にして、およそ1万2000票くらいになります。ボクは結果を見て、「ワオッ!!」でした。「いける!!勝てる!!」でした。この結果を見て、候補者が自信を深めたのは言うまでもありません。『とにかく、今の運動を徹底して継続せよ!間違いなく勝てる!!』と激励しました。この時のこれまでの運動の採点は、さすがに9割の項目が合格点に近いモノとなってきてました。
  言うとおり動いたらこうなるんやから…(笑)でした。 これが、結局、任期満了選挙の1年前の夏のことでした。 判りますか?2009年夏の任期満了選挙は民主党の圧勝で終わった選挙ですが…その選挙の時の「追い風」でなく「自力」で選挙の1年前から、すでにこの我が候補は勝っていたのです。
  ちなみに、この時期、他の衆議院選挙区でも同様の調査をしたのですが、追い風の任期満了選挙で大量17万超で、9万票ほどの自民現職に大勝利した民主新人は、この1年前の調査では、自民現職支持率32.8%、民主新人24.5%と大差をつけられていたのですから…


●政権交代の「象徴」…
  とうとう結局任期満了まで来てしまいました。2009年7月21日に衆議院が解散し、8月18日公示、同月30日に投票と決まりました。あの当初、「闘争心??今まで無かったです!!」と言ってた我が候補が、もう「闘争心の固まり」の戦闘モード全開の「勇者」となって成長していました。公示直前に彼と会ったとき、『相手を殺してしまいます!その位の覚悟でこの選挙を戦います!!』と目をギラギラさせてボクに言ったのをよく覚えています。選挙本番に入ったら、ボクはもうあまり出番はありません。前も書いたけど、公示前までに大体、勝負はついてるからです。滞りなく違反もなくスムーズに選挙本番の12日間のセレモニーを終えるだけですから…
  選挙にはいると、自民党本部や、民主党本部が実施する世論調査や、各マスコミが調査する結果がドンドン耳に入ってきます。おおむね我が候補が「優勢」でした。『ヨシヨシ…(笑)」でした。
  そして、緊張の投票日がやって来ました。ボクは、この候補だけでなく数名他にもクライアントがいるのでドキドキには違いありません。 夜8時が近づくにつれ…ドキドキ感がドンドン増します。あまり好きな感触ではありません(苦笑)
  夜8時になりました。やはり一番情報が早いのはNHKです。当然、テレビチャンネルはNHKに合わせました。8時ジャストです。そして、その瞬間はあっけなく来ました!確か8時1分だったかと思います。全国で第一号の『当選確実』がテロップで流れました!
  なんとなんと『我が候補!』だったのです!『あれまあーーーー!!』でした。普通なら、大体第一号は総理級、大臣級の大物です。ところが、民主の我が新人候補が、当確第一号で名乗りを挙げたのです!!快挙です。おそらく、NHKだけでなく、各マスコミが世論調査で『絶対当選間違いない候補』しかも出来れば『政権交代』を伺わせる候補の当選確実を流したかったのではと推測します。最初ここに書いたように、この選挙区は長年の『保守王国』でした。ここでこの民主新人の勝利はその『象徴』となる…としてNHKは選んだのだと思います。小沢さんと鳩山さんが、我が候補に第一号の当選の薔薇をつけるシーンが映りました。グッときましたなあ…


●対立候補が「引退」…
  我が候補120,309票、自民現職72,109票という結果でした。
  かなりの大差をつけての『圧勝』でした。見事な勝利としか言えません。ほんとうに真摯に素直に力の限り戦い続けた候補者でした。東大法学部卒のエリートが、選挙のプロとはいえ、大阪の二流私大卒のボクの言うことを疑うことなくよくついてきてくれたと思います。
  この選挙終了後、約一ヶ月経過して、前自民現職候補が『引退表明』をしました。完全『戦意喪失』だったのでしょう。まさに、我が候補が相手を『政治的に殺してしまった』のでした。




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