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●1990年師走
  1990年の師走、神戸元町のトアウエストにあるIMAの事務所に、とある知人から電話が入りました。「ああヤマちゃん久しぶり!あのな、ボクの高校時代の恩師の元校長先生がな、こないだまでA市の教育長やってんけどな、先月クビになってな、それがまた、市長が選挙で世話になった人をその後釜の教育長に据えたらしいねん!ほんでな、その人事に反発して、教育委員長さんも辞任したらしいねん。なんかそのことがどうしても許せないらしく、その市長に一矢を報いたいちゅうてな、市長選に立候補したいらしいわ!そやけど、皆素人ばかりやし、ヤマちゃん、なんとかしたってえなー!とにかく、すぐにそっちへ訪ねさせるから、会ったげてー!」
  ということで、小一時間後に、恰幅のイイ老人男性と、60才を越えた位の白髪女性が訪ねて来ました。男性がついこの間までA市の教育長だった人。女性が同じくA市の教育委員長だった人でした。
  お会いするなり、男性の方ばかりがしゃべるのでっきりその男の人が出たいんだ…と早合点して、「ウン!ウン!」と話を聞いていると『わし、ちゃいまんねんで!この人でんねんでー!』と、なんと立候補したいというのは女性の方だったのでした。それも非常におとなしい(苦笑)聞けば、お二人はA市の教育改革に精神誠意力を注いでらしたようでした。
  その元教育長は『勝ち負けより、現市長に一矢を報いたい、現市長は自分の選挙の論功で、先月、ある人を教育長にし、わしの首を切った。この教育委員長もそれに反発、同調してくれて辞任した。ただ、この選挙、勝ったら全国初の女性市長になるんでっせ!』とやや興奮してまくしたてた。長い恨み辛み話をややボーットしながら聞いてた(苦笑)ボクは、ここで「オッツ!!」と、目が覚めた。『なに、勝ったら日本史上初の女性市長!?』ボクは、背筋に電気が走ったのを覚えています。

●ひそかな準備段階
  そういう「勝てば全国初の女性市長!」のフレーズに、選挙のプロフェッショナルとしてのボクの闘争本能に火がつきました。そのフレーズに痺れたボクは、いっきにボクのペースで話しをまとめ、コンサルテイングを引き受ける事にしました。選挙は翌年の4月21日が投票日です。この初対面からおよそ4ヶ月後ですが、有権者数が8万人弱の小さい街ですから時間は充分ありました。しかし、この時点で相手の現職市長は共産党を除くオール与党体制を築いており、よって現職市議のほとんどが現職市長の支援につく…という体制がまとまっており、当初からこの戦いは、「現職の圧勝」という結果が、誰の目にみても明らかな選挙情勢でスタートしたのでした。
  コンサルタント契約を交わした数日後、「陣営幹部となるべき人たちを数名だけ集めて下さい!」という指示を出し、先ず最初の秘密選対会議が候補者宅でひそかに開催されました。。
  『今からボクが言うことをきっちり守ってください!とにかくボクを信じて言うとおり動いてください!勝手な判断は絶対にしないで下さい!いいですね!先ず、ボクがこの陣営についたことを知ってるのは、ここに集まった人たちだけにしてください!ボクのような選挙のプロがついてるというようなことは絶対に誰にももらさないでください!プロが付いてると知ったら、相手陣営は警戒して、100%の力を発揮してしまいます!とにかく素人集団だと思わせ、油断をさせるのです!この会議終了後ボクは直ちに、必要な印刷物、プロモーションビデオ、カンバンなどの制作物のデザイン・印刷・製作にかかります。すべてがほぼ出来上がり次第、ボクが正式な出馬表明の時期を決めます。今からしばらくは、まずそれぞれの身の廻りの人たちだけに「立候補するかも…」程度の意志表明をするぐらいに留めておいてください…』と熱く強い口調で指示を出しました。
  そして、ボクはフル回転ですべての制作に入ったのです。キャッチコピー、候補者の名前ロゴデザイン、政治団体名の決定とロゴデザイン、シンボルマークデザイン、各種印刷物のデザイン、法定看板のデザイン、候補者のプロモーション映像の制作等本当に大車輪のフル回転での制作でした。候補者のプロモーションビデオは、これさえ見れば候補者のすべてが判る・・という約15分間にまとめあげ編集した素晴らしい映像に仕上がりました。

●記者会見「立候補表明」運動スタート!
  約一ヶ月経過し、制作ものはほぼ出来上がってきました。そして『出馬表明記者会見は2月8日大安!』と決め、候補者に指示しました。実質この2月8日からこの極めて困難な戦いがスタートしたのです。投票日は4月21日。あと約2ヶ月半です。この日から週に1回のペースで毎週土曜日の夜10時に候補者宅に幹部が集合し、一週間ごとのメニューと指示を与えました。どんなメニューでどういう指示かを知りたいでしょうが、そこは書けません。知れば誰にでもできるというものではないですが、大事なノウハウであります(笑)
  すべてがこちらの指示通り、順調に進んでいました。ところが3月の初の定例の選対会議に出ると候補者も含めて幹部全員が頭を下げて、うなだれていました。「どうした?」と聞くと事務長が『某放送局の世論調査によると8:2で相手の現職の圧勝や・・というとる!』とのこと、そしてその「情報」がドンドン流れているとのことでした。ボクは呆れて『当たり前やんか!こっちの運動が始まってまだ3週間ほどやで、向こうは現職やで、もう4年も選挙運動やってるようなもんや!しかも向こうは自民、公明、社会、民社、など共産党を除くオール与党体制やで!それだけでなくこのA市の各種団体、経済、商工団体等約300団体が現職に推薦出してんねんで、それに現職市会議員もほとんどが向こうについとるんやで、こっちには、誰ひとり市会議員はついてないし、各種団体の推薦もほとんど無いねんで!そんなん世論調査なんかせんでも誰でも判ることや!当たり前やんか!』と叱咤し叫びました。ボクは続けて『兎に角、これからです!ボクを信じて、ボクの言うとうり動いてください。未だ勝ち負けは何とも言えませんが、イイ闘いには必ずなりますから!』と勇気づけました。その後も、我が陣営には支持、支援はどこの団体からも殆どありませんでした。しかし陣営はボクの出すメニューを、着々と実行し、ボクが出すノルマの倍以上の数値をドンドン上げてきました。ボクは心のなかでは『たいした人達だ、見上げたもんだと感心していました、これなら、間違いなくイイ戦いになる!』と確信していました。
  しかし世間の風潮は『現職の圧勝!』でずっと流れていました。これはまさに『桶狭間の戦い』今川約3万の大軍に僅か2千強の兵で挑んだ織田信長の戦いに匹敵するものと今でも思っています。

●「桶狭間の戦い!」
  現職陣営は相変わらず、我が陣営を「素人集団の集まり」というふうにつかんでいたようです。ボクの陣営への「箝口令」がよく守られていた証拠です。ボクの「相手を油断させる!」という作戦は成功していました。なんせ、敵が「本来の力、底力」を発揮されたらこっちの陣営なんて吹っ飛んでしまいます。皮肉なことに、敵陣営の支援最大母体は当時の自民党兵庫県連。そしてその県連会長は石井はじめ代議士。そうです、ボクが僅か1年前まで、秘書としして15年間お世話になってきた恩師です。まさに、ボクにとっては「恩返し」の戦いだったという訳です。しかし、箝口令はここにまで及んでいて、当時の後輩秘書の数名は、ボクが敵陣営にいることを知っていましたが、当の石井県連会長には知らされていませんでした。ボクの「後輩秘書への圧力」が効いていました(苦笑)毎週末の定例選対会議で、運動の進捗状況をチエック、激励というのが順調に進んでいました。「素人集団」というのもかなり浸透してるようでした。彼らの運動母体は、候補者が前教育委員長、事務長が前教育長だったということで、主に教育者OB、PTA関係者等が中心メンバーでした。ボクは、定例の数名幹部との毎週土曜日夜10時の候補者宅での選対会議以外は一切、事務所にも顔を出しません。それは徹底していました。このスタイルは今でも同じです。22年間このスタイルを貫いています。ただ、いちどだけ、このA市の市長選の選挙期間中に、我が候補の個人演説会に「客」を装って、様子を見に行ったのですが…このとき、某放送局の記者が来てたらしく、演説会終了後に陣営幹部から、「某放送局の記者が、ヤマグチさんが参謀ですか?と聞かれましたでっせ!知らんで?それ誰のことや?と、とぼけました!」と聞かされ…「危なーーーい!(苦笑)」と冷や汗をかきました。敵陣営に漏れる可能性があったからです。なんせ、ボクも石井はじめの筆頭秘書として、兵庫県内の政治、選挙関係者にはよく名前が売れてましたので(笑)

●「有権者動向調査」
  そしていよいよ告示日まであと1週間前になり、当社独自で世論調査を実施いたしました。陣営の事前運動の完遂度は十二分に合格点をつけれるものでしたが、やはり「直感」で勝ち負け判断は絶対禁物です。無作為の有権者動向調査を有効回答500以上で実施してこそ、大方の予測は掴めるものです。ちなみに誤差値の少ない精度の高い調査をやるなら有効回答数1000〜1500が理想です。
  余談ですが、最近「オートコール」がちまたで大流行ですが、ボクに言わせるとあんな精度の低いものはありません。確かに費用が安いので、依頼する候補陣営や政党は多々あるようですがロボットの「声」でプッシュホンで5つか6つの質問に返事するだけの調査は小学生でも「おもしろいなあ…」と「ピッ」「ポッ」と回答してしまいます。ちなみに、以前にある政党支部がオートコールで調査したある県会議員選挙で、調査では「トップ」と出た現職候補が、定数3名の選挙で結果4位となり落選いたしました(苦笑)
  そのA市での告示1週間前に実施した有権者動向調査ですが、有効回答数は704採りました。選挙区を4地区に分けて調査しました。知名度は現職88.8%、我が候補は81.3%です。これはもうたいした数字です。激しい事前運動の成果です。小選挙区の候補者でも、よほどでないとこんな高い数値はなかなか出ません。さて問題は支持度でした。この告示直前で「誰に投票するか決めてる人」というのは、どんな選挙でもおよそ2割〜3割はいます。その中での「占拠率」があとの「まだ決めてない人」達の「占拠率」に多大な目に見えない「影響」を与えます(持論・・アカン、ノウハウ教えてしまった)そして、この「決めてる人達」の中での比率は、現職6割、我が陣営4割の支持率でした。選挙に素人のオートコール業者なら「負けてますよー!」と間違った「回答」を与えるかもですが(苦笑)プロは見るところが違います。回答せずに「誰に入れるか?ノーコメント!お答えしません!」という人たちがどんな有権者動向調査にもおよそ平均10%はいます。このA市の選挙より2ヶ月前に当選してT市の新市長となった、当社の第1号クライアントの調査の時も11%の「ノーコメント!」がありました。ところがです、このA市の調査ではなんと約27%もあったのです。「ノーコメント!」がです。どう判断されます?ボクの判断はこうでした。これは、「こっちに有利だ!」でした。世間的には相変わらず、「8対2で現職の圧勝!」がまかり通っていました。共産党を除くオール与党体制、現職市議がわずかの人数の共産党議員を除く全員が現職支持、A市の各種団体約300が現職支持です。そんな表だった「客観情勢」の行き渡ってる中で、「現職への対立候補」に「投票予定」の回答は「義理と人情」でも出来ません(苦笑)その表れの数値が普通の調査よりも17%近くも多い「ノーコメント!」となったと…ボクは判断しました。そして、その人たちは、現職に投票すると思われますか?ボクの判断は「NO!」です。その質問を聞かれた時に「現職の名前」を挙げるのは、いとも簡単なことです。「赤信号みんなで渡れば怖くない!」ですから。そうです、「意中の人は、現職じゃない!」から答えられないのです。
  次に、調査結果で特筆すべきことがありました。ボクが当初から陣営に「最重点地区」として「指示」した地区がその4地区のうちのヒトツにあります。ボクがそこを「最重点地区」に指定したのは、その地区に「重要な要素」があったからです。これはまた、うちのノウハウに関わることなので書けません(苦笑)そのために、候補者自身の運動もそこに重点を置きました。ボクは「その地区で勝てれば、この選挙は勝てる!」と確信を持って陣営を戦わせていました。ボクが陣営との契約時に作成したキャッチコピーもそれを大いに意識して作ったものでした。…でその地区での「支持率」ですが、2対8だったのです。現職が2。我が陣営が8です!ボクはこの調査結果を見て…「勝った!!」となんとも言えぬ「笑い」が腹の底の底、へその下あたりからこみ上げてくるのを実感したのです。
  そして、その「調査結果」を持って、告示前最後の「選対会議」に臨みました。告示日まであと2日という時のことでした。

●だから素人は怖い(苦笑)
  素人にそのままの結果を教えるとこれほど怖いものはありません。そういう陣営には「素晴らしい調査結果」が出ていましたが…ボクの読んだ通りの「結果報告」をしてしまうと、「勝った!勝った!」となり…一気に気が緩み…しかも、敵にその情報も漏れ、それを知った敵陣営は、お尻に火がつき思いがけぬ底力を発揮し形勢逆転!も十二分にあり得ます。ということで、こういうときは「このままの勢いで押し切れば勝てる可能性が出てくる!まだ、6対4で負けてるが…勝てるという保証はしないが、イイ勝負は間違いない、完全に当初の目的の一矢を報いる・・という結果にはなる!だから、勝利を信じて、このままツッコメー!!そやけど、もし勝ったら、●●さん!あんた、全国初の女性市長でっせ!大騒ぎになりまっせー!テレビのインタビューのコメントも考えとかなあきまへんでー!」と言い放って、選挙本番の予定等の指示をして帰りました。
  そして、ついに告示日が来ました。当方の戦略通り、一騎打ちとなりました。実は契約当初から共産党の動向がずっと気になっていました。もし、共産党が候補を立てれば、2000票位は持っていかれてしまいます。現職には彼らは絶対投票しませんが、もし立候補しなければその票は我が陣営に来ることは間違いありません。よって、「共産党候補を立候補させない!」も戦略のヒトツでした。事務長に当初から「共産党の市議等と接触するように!」との指示を出していました。そして、4月上旬から「政策協議」に類似することを始めさせていました。正式な「政策協議」ではありません(苦笑)。そして、告示日直前、共産党が候補者の擁立が出来ないことを見極めて、「協議打ち切り!」としたのです。成功でした。これで現職との一騎打ちが実現したのです。
  告示されて、公営掲示板にポスターが張り出されました。ボクのデザインしたポスターは女性候補らしい優しいイメージものでした。ボクは、A市へ入り、公園の桜の下に車を止め、目の前の公営掲示板のポスターを「勝ってくれよー!!」と念を込めて見ていました。そこへ、30代くらいの若い綺麗なママに手を繋がれて可愛く歩く5歳くらいの女の子がポスターを見ながら通って行きました。その時、その女の子がこう言ったのです「ママーー!!このポスターきれい!!」そうです、ボクがデザインしたそのポスターを指してです。(嬉しかったなあ)
  さて、「事件」が起きました。その日の夕方です。ポスターを見た帰りに、A市の駅前ホテルに陣営の事務局長を呼び出し、告示日当日のアサイメントが指示通りできてるか確認をしたのです。ところがです…素人は怖いです(苦笑)なんとなんと、選挙本番で一番大事なアサイメントを実行していなかったのです。それは、選挙中の8ヶ所の個人演説会の会場押さえでした。怒って問いつめると、こういうことでした。「2月〜4月の告示前までに、同じ8カ所のエリアで候補者の演説会はやった!また、同じところで、同じようにやるのはもうええんちゃうかー!そう指示はされたけど、選挙をやるのは我々なんやから、もう好きにやらして貰ってもエエやろ!また、やっても同じような顔ぶれが集まるだけやろうし…もうエエでー!」と告示前日に幹部の間で決まったと申し訳なさそうに事務局長が言った。事務局長というのは選挙直前から、陣営に加入した候補者の子息で会計事務所に勤務するサラリーマンだったが、仕事を辞めて選挙を手伝いに来ていた20代の青年だ。ボクは、もう口角泡飛ばして…叱りつけました。「アホかー!なにを考えてんねん!これやから素人は怖いわ!折角、負ける選挙を、ひょっとしたら勝つかも…まできてんのに…ここで手を抜いたら完敗やぞ!すぐに、誰にも相談は要らん!君の責任で会場を取り急ぎ押さえてこい!今すぐじゃ!行けー!」 その後、緊急幹部会で納得させ予定通り8会場の個人演説会を開催させました。結果、それぞれの会場で、事前とは、違う顔ぶれもたくさん来て、人数も倍ほど集まって、大成功に終わりました。選挙終了後、事務局長が「あの時、こてんぱんに怒られましたけど…やって良かったですわー」と述懐しました。

●素人集団がプロに勝つ!(苦笑)
  選挙中の運動というのは、ある意味「セレモニー」みたいなものです。有権者動向調査で判るように、大体、告示、公示日前におよその「勝負」はついています。でも、ホント、当事者には蓋があくまで不安な不安な毎日です。ボクもコンサルとして、客観的に見てゆくのが原則大事なのですが、入れ込むとどうしても、「客観的」に見れなくなります。これは良くないことなのですが…希望的観測が入ってしまうのです。さてさて、投票日が来ました。
  どうやら、やはりマスコミは注目してるようでした。1991年4月後半の統一地方選挙の目玉だったのかもしれません。ボクはドキドキしながらオフィスにいました。夕方頃には、相手現職陣営の選挙事務所にたくさんのテレビカメラと報道陣が集まりだしたそうです。その選挙事務所で一番大きな顔で陣取っていたのが、恩師石井はじめ代議士です。お付きの後輩秘書から随時そういう「レポート」が電話で入ります。各政党関係者等が多数集まっていたようです。ところがです…午後6時頃になって、いわゆる「出口調査」の結果が各マスコミに入り始めました。「我が陣営優勢」という感じらしいのです。特に、ボクが「最重点地区」に指定したエリアで、まさに事前の当方の有権者動向調査通り、8対2で我が陣営がリードしていたのです!そこからもう、現職候補の選挙事務所は天と地をひっくり返したような騒ぎになってると、「実況中継」で後輩秘書から電話で聞きました。ボクはまた、腹の底の底、へその下のあたりからなんとも言いようのない「笑い」がこみ上げるのを実感しました。各テレビ局のカメラが一斉に「サーーーーッツ!!」と現職選挙事務所から引き上げたそうです。もちろん、「全国初の女性市長誕生の瞬間」を撮るためです。
  大騒ぎが終わったのは、その日の夜中です。ボクは、選挙事務所に向かいました。もう関係者しかいません。ボクが選挙事務所に入ったのはこの時が最初で最後でした(苦笑)そして、新市長とハグして喜びを分かちあいました。
  翌日のテレビ、新聞はすべてこの「全国初の女性市長誕生!」で埋め尽くされ…海外メデイアも取材に来ていました。

そして、象徴的な新聞の見出し。
翌日の朝日新聞の朝刊記事です。
「素人の選挙、プロに勝つ!」
笑います。どっちがプロですか?皆さん。
痛快そのもの…・まさに新「桶狭間の戦い」だと思います。


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